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(いろんな意味で)残酷な真実

『これで終わりではないぞ……。あの方(・・・)の部下はわたしだけではない。次の世界……そのまた次の世界でも、貴様らはあの方の手から逃れることはできないのだ……』


 そんな意味深な断末魔を残し、巨大な青い骨がまるで崩落する建物のように崩れていく。

 骨が崩れた断面からは夥しい光がわきだし、不気味な紫色だった世界を照らし出す。

 戦いは終わったのじゃな……。と、ワシはそんな光景を眺めながら、先ほど神話の光が砕け散ったワシの掌を眺めた。

 どうやらワールドボスに対して一撃するだけで、耐久度が全損してしまったらしい。まぁ、耐久度を極限まで犠牲にして作った品じゃから、それもまた仕方ないか……。と、ワシは独りごちながら、名残惜しそうに握りしめていた手から視線を外す。

 こんなにすぐに、苦労して作り上げたあの鉄槌を失ったのは残念じゃが……なに。また向う(・・)ですぐに会える。と、割り切りながら。


「どうやら、お迎えが来たらしい……」


 体はもう微塵も動かん。意識もすでに朦朧としておる。かすれていく視界には、いつも見ていたステータスアイコンや、チャット・掲示板の操作画面を覆い尽くすように、こんな文字が浮かんでおった。


『脳波下限値超過。意識維持:困難。生命活動に著しい支障がきたされている可能性:大。残り60秒以内にゲーム内から退去してください。強制退去執行まで残り時間:60秒』


 そんな警告文が、ワシの視界を覆いながら何度も何度も点滅しておる。

 その下に記された残り時間は、瞬く間に減ってきており、ワシの命のカウントダウンをするかのようじゃった。


「はっ。ちと無理をし過ぎたか……」


 後悔はしとらんが、娘との約束は守れそうにないのう……すまん。ワシは内心でそう謝罪しつつ、ゆっくりと目を閉じる。

 とはいえ目蓋で景色が隠されても、警告文だけはしつこく表示される。それだけ重要度と緊急性が高い状態なのじゃろうが、余計なお世話だのう。


「まったく……眠るときくらい静かにしてくれ」

「お爺ちゃんっ!!」


 孫の声が聞こえてくるが、もう目蓋を開く力すら残っておらん。

 体の感覚は手足の末端から消えていき、ワシという存在がこの世界から溶け出しているような感覚を味わう。

 これが死ぬ時の感覚という物なのじゃろうか? 意外と痛くもかゆくもないもんじゃ……。いや、実際には何も感じておらんというのが正解なわけじゃが。と、ワシは独りごちつつも、孫の声が聞こえた方へと視線を向けた。


「わるいのう……孫。ユウナに、約束守れそうにないと、伝えてくれ。すまないと」

「いや……やだよ。一緒に、いっしょに帰ろうよっ!!」

「爺さんっ!」

「御爺さんっ!!」

「クソジジイ! 何倒れてやがるっ! これから楽しい報酬タイムだろうが。それ見ずにくたばるなんて、ゲーマーとして恥ずかしくねェのかよっ!!」


 口々にそんなことを言ってくるのは、ワシの近くに集まってくれた仲間たちか。

 スティーブン、エル……それにクソガキのLycaon。こいつまで来てくれるとは少し意外じゃった。

 できれば一人一人に返事を返してやりたいが……そうもいかんか。


『残り時間:20秒』


 まぶたの裏にも映る警告文が、いよいよワシの刻限が身近に迫ったことを知らせてきよる。

 ならば、ワシが残せる言葉はたった一つ。


「お主ら……」


 周りの人間が息をのむ音が聞こえた。

 こんな老人の遺言を、こんなに真剣に聞いてくれる奴らがたくさんできた。

 それだけでも、このゲームを続けた価値はあった。と、ワシは死ぬ間際にこのゲームに出会えたことを感謝しながら、


「かっこいい……人になれよ」

「おじいちゃん……!!」


 ワシの手が孫の手に握りしめられた。

 柔らかく、しかし子供のころに握ったころより大きくなった孫の手を、ワシは笑いながらそっと握りかえし、


「ワシのようにな」


 そんな戯言を一言残す。

 誰も彼もがすすり泣くような声で、ワシの期待した返事を返してくれない中、たった一人だけ返事を返してくれるものがおった。


「……クソジジイ。最後の最後までムカつく奴だ……」


 最後の最後までワシの敵でいてくれやそいつは、


「お前みたいにだれがなるか。お前以上に……幸せになってやる!!」


 ワシが望んだ答えを返してくれた。

 ワシがそれにほっと安堵の息をついたとき、







 ワシの体は、ワシの意識と共に電子の海へととけて消えた。




              ◆         ◆




 次にワシが目を覚ましたのは、何も存在しておらん真っ白な空間じゃった。


「こ、ここは?」

「ようこそ、一つ目の世界で英霊へと至った魂よ。ここは現実でも、異世界でもない……どこでもない、何者でもない狭間の世界。ここより君は新たな世界へと旅立つ」

「っ!」


 ワシは死んだのではないのか? と首をかしげながら起き上ったワシに対し、背後から声がかけられた。

 ワシが慌てて振り向くと、そこには真っ黒なフードつきのローブで全身を覆い隠した、不気味な影が佇んでおった。

 その背中には、人の命などたやすく刈り取れるであろうと思われる大鎌。まさか、こいつは……。


「死神、か?」

「しかり。とはいえ、本来の業務をしているわけではないが。君があの世界で落命した瞬間、私は君の魂を回収し此処へ連れてきた」


 「本来ならば三途の川なり、あの世の門なりへと連れて行かねばならんのだが、あの神に転生処理を施された魂は特別でね」と、死神は独りごちるようにつぶやいたあと、「余計な手間を増やしやがって」と、舌打ちを漏らす。

 どうもこいつの言動を聞く限り、今のワシにはゲームの世界の設定が適応されておるらしい。


「って、それはおかしいじゃろ? いくらゲームをしている最中に死んだとはいえ、ワシの本体は地球にある。ゲームの世界の死神にとらえられるとか、明らかに不自然じゃ!?」

「は? げぇむ? なんだそれは。あの世界は唯一無二の真実だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「??」


 どうなっておる。と、ワシは思わず首をかしげる。死んだらてっきりあの世に行って、娘との約束を守れなかったことを閻魔大王あたりに糾弾されるのかと思っておったのに……。

 ワシは現状の意味不明な事態にわずかに首を傾げた後、


「あぁ、なるほど。これあれじゃ、死ぬ前に見る幻覚的な……」

「何やら失礼な勘違いをされているような気がするが……。君がそれで納得するならそれでもいいだろう」


 臨死体験とか死ぬ間際とかになると、人間は珍妙な夢を見ることがあると聞く。きっとこれもそのたぐいじゃろう。と、ワシはようやく出た答えにそっと安堵の息をつきながら、どうしようか考える。

 せっかくもう来ることもないと思っていた世界の続きを、夢とはいえ見れておるんじゃ。ここはやりたいことをやっておくのが吉かのう?


 あのゲームではできなかった、新しい世界への転生を……!


「さて、ここに呼ばれたことからもう大体予想はついていると思うが、ペイルライダーを打倒した君には、第二世界への転生の許可が出されている。私はそれのアシストをするために君の面倒を見ているわけだ。なのでは、初めに転生に関しての注意点を伝えておこう」


 そういうと死神は、突き出した掌からホログラム画面を生み出し、ワシに見せる。

 その画面に映っておるのは《転生注意事項》と書かれた注意書きじゃった。


「まずはじめに伝えておかねばならないのは、転生をする際には現在保持しているスキルレベルはすべてリセットされるということだ。無論ステータスも初期値に戻るが、転生をする際には以前の世界でのステータスの数値が一割ほど反映されることになっているので、完全な再スタートとなるわけではないので安心してくれ」

「ほう、それはありがたい」


 転生というくらいじゃからスキルレベルのリセットは覚悟しておったが、初期のワシのステータスはごみ以外の何物でもないからのう……。現在のステータスが10%も反映されるとなると、あのステータスも少しはましなものになるじゃろう。


「次いで第一世界で作ったアイテムだが、転生者のアイテムストレージはこの狭間の世界に繋がっており、アイテムはそこで保管されている。そのため、アイテムストレージに入れておけば、問題なく第一世界のアイテムを第二世界で使うことが可能だ」

「なるほど。そういう設定になっておるのじゃなぁ……」


 なかなか便利な物じゃ。と、ワシは独りごちながら、背後に詰みあがったアイテムを振り返った。

 さっき見たとき突然現れたあれ何じゃろうと思っていたら……あれストレージに入れておいたアイテムだったんじゃのう。そういえば、見たことあるようなアイテムがチラホラと……。所々で突き出ている青い骨が気になると言えば気になるが……。


「次も第一世界に関してのことだが、第二世界から第一世界に帰還することは可能だ。ゆえに、倉庫に忘れたアイテムなどを取りに行く、新人の教育するために第一世界で冒険するなどなどは十分可能だと理解していてくれ。だが、その帰還する方法には二種類あってな。種類を間違えると、目的を達成できない場合があるのでよく覚えておいてくれ」

「ほう?」


 いったいどんな方法がある? と、言うワシの問いかけを待っていたのか、死神は新たなホログラム画面を開き、そこに記されていた表を見せながら話を続ける。


「一つ目は、第二世界で作られたキャラクターが第一世界へ渡航する《異世界渡航》。こちらは第二世界の始まりの街に設置されているゲートを通ることで実行できる。いちおうゲートは公共物のため、使用の際にはソコソコ金はとられるが、まぁ、世界に慣れて初心者卒業くらいに成ったら問題なく払える金額なので、そのへんは安心してくれ」

「ほうほう、つまり第二世界のステータスのままで第一世界に渡るわけじゃな……」


 まるで初心者の状態でとなると、ちょっと抵抗がある方法じゃのう。と、ワシは思わずつぶやいた。ほら、今ワシ二級線のプレイヤーに盛大に恨まれている状態じゃし? 闇討ちとかされるとちょっと……って、もう死んどるんじゃった。

 ワシがそんなくだらないことを考えている間にも、死神の説明は続いておった。


「二つ目は、《英霊召喚》。第一世界にいるプレイヤーが、特別な呪術を扱う降霊師に依頼料を払って行うもので、英霊としてのお前たち……つまり第一世界での最後のステータスを保持した状態の人物になって、お前が第一世界に降臨するといった形になる方法だ」


 つまり、二つ目の方法で第一世界に戻る際は、ペイルライダーを討ち果たした時のステータスで第二世界に戻れるということじゃな!? と、ワシは次に提示された手段の便利さに驚く。

 じゃったら初めからそちらの方法にだけ絞ればいいものを……。


「いいや、この方法にも欠点がある。まず、第一世界で自分を呼んでくれるプレイヤーが必要だし、かかる金額もゲートを使った時と比べるとかなり割高。なにより、召喚されたときは霊体が受肉した状態になって召喚されるがゆえに、モンスターを倒したとしても《経験値》《ドロップアイテム》は共に手に入らない状態になっている。あくまで新人を手助けする際の特別措置だと考えておいた方がいいだろう」

「なん……じゃと!?」


 意外と使えない英霊召喚。期待していた分裏切られたときのショックがひどく、ワシは思わず膝をついた。

 じゃが、死神はそんなワシの態度など気にかけることなく、淡々と話を進めていく。


「さて、大まかな異世界渡航の注意事項を話し終わったところで……今度は第二世界への転生する際の設定を聞こう。転生するに当たって、容姿・名前・種族を変更する権限が君には与えられているが、変更するつもりはあるか? 望むならクランからの無断脱退も可能だけど?」

「なに? そんなことができるのか?」


 でもそれやると人間関係が一から構築しなおしじゃろう? と、首をかしげるワシに、死神は肯定の意を示すがごとく、首を縦に振った。


「だが、それは必ずしも悪いことではないだろう。第一世界ではやらかしちゃった、また違う自分になって一からやり直したいと思っている人物には、この権限は非常にありがたいだろう。それに、変えないという選択肢も当然とれるわけだしな」

「ふむ、なるほど。では、ワシは変更しない方で頼む」

「ほう? いいのか?」

「かまわんよ。キャラメイクを失敗したとはおもっとらんし……」


 あの世界での思い出は、できるだけ残しておきたいしのう。と、ワシは笑った。

 そんなワシの言葉に納得したのか、死神は一つ頷いた後、次の確認事項に移る。


「では次だ。基本的にあちらの世界で得たスキルはそのまま次の世界に引き継ぐことができる。だが、今から行われるのは転生だ。望むのであれば、すべてのスキルをリセットし、この項目の中から好きなスキルを選ぶことができるが……どうする?」


 そういって、死神が右手を掲げると、それに合わせて立体画面が出現。スキルがびっしりと並んだ一覧を、ワシに提示してきた。


「ほう、初期設定と変わらぬ設定ができるということか……。下の方には見たこともないスキルもあるしのう……」

「そちらは第二世界にある固有のスキルだ。無論後々スキルスロットが増えた際に、それらを選ぶこともできる。もっとも、《この空間でしか選べないスキル》もあるが……それを教えるのは禁則事項でね。転生してからのお楽しみにしておいてくれ」

「なんじゃそれ……それ選べなかったら大損した気になるのう」


 いや、それが役立つスキルかどうかと考えると、またそれは話が別なのじゃろうが。と、ワシはフードの下に隠された死神の口が、意地悪くゆがんだのを見て顔を引きつらせる。

 この世界だけの特別と聞かされて、ホイホイゴミスキルを握らされることを期待しておるのか……それとも、そうなる危険性を踏まえて、あえて優秀なスキルをとらなかったという大損を期待しておるのか……。どちらにしてもこの死神、あまり善良な人物ではなさそうじゃ。


「まぁ、問われるまでもなく答えはノーじゃったりするんじゃが」

「ほう?」

「せっかく第一世界で第一人者と呼ばれる程度にはなったんじゃ。第二の世界に行っても、それを極めるつもりじゃよ」


 元々はボケ防止のために細かい作業をしようと思って始めた仕事じゃしのう。と、ワシがつぶやくと、死神はがっかりしたのか喜んでいるのか、よくわからない無表情に戻り、スキル選択画面を消した。


「了承した。では最後に……第二世界に転生するに当たって、所属する勢力を選んでもらおう」

「勢力?」

「そうだ……」


 同時に、死神は再び新しい画面を生み出し、ワシの前に提示する。

 そこには三つ線引きされた大陸と、四つの旗印が描き出された、地図のようなものが映っておった。


「君が転生する第二の世界は現在二つの勢力が戦争をしている、戦乱の世界だ。長きにわたって大陸を支配してきた《魔法》を扱う魔力保有者たちが集う国――《マギノアーク帝国》と、マギノアーク内で差別されてきたために革命を起こし、マギノアークの領土を半分切り取った非魔力保有者たちが集う科学技術の国《テクノギア共和国》。もっとも巨大な戦力を持つこの二つの王国が、年がら年中国境線を押し込んだり押し返したりしながら、完全に敵対勢力を叩き潰そうと戦闘を繰り返している」


 そういって、死神が指差したのは、大陸の東西に分かれた二つの大国。杖を中央に置いた国旗が記された、東のマギノアークと、歯車が中央に置かれた国旗を持つテクノギアじゃ。


「そんな二つの大国の戦争を止めようと、裏で暗躍する調停組織ハイブリッツ・メディエイションは、少数勢力なうえに国土はないただの組織ではあるが、各々の国から戦争を止めるために集まった猛者たちが集う精鋭組織だ。無論、本来なら不可能な両方の国への入国も、この勢力に所属すれば可能になる」


 そう言って死神が指差したのは、マギノアークとテクノギア、両国の国境の上に描かれた鳩を中央に置いた団旗じゃった。


「そして最後に、両国が疲弊したところを襲いかかろうと、虎視眈々と機会を狙っている、尖塔型ダンジョンで入り口を隠し、地下に帝国を作り上げている《イビルトール支国》。異世界にいる魔王に派遣された《十傑魔将》の一人が統治する、魔王の支配下となった国だ」

「なっ!? 魔王軍まで所属可能な勢力に選ばれておるのか!?」

「転生者の転生先は自由自在だ。そのまま魔王軍に生まれ変わり、魔王のために働いてもよければ、内側から魔王軍を瓦解させるというのもありだ。要はあの神の暇つぶしだからな。魔王軍が勝とうが負けようが、あの神はさほど問題にしていない」


 割ととんでもないことを言いきった死神に、ワシは思わず顔をひきつらせた。

 だが、一定以上の需要があることもわかる選択肢じゃとワシは思う。

 埋伏の毒になることを面白がるプレイヤーもおるじゃろうし、PKプレイヤーにとっては魔王軍に所属するというのは、かなり美味しい部分がある。なにせ好き勝手にプレイヤーを殺しても文句は言われんのじゃから、奴らにとっては一も二もなく飛びつきたい好条件な転生先じゃろう。


「さて、老人? キミはいったいどの勢力を選ぶ?」


 以上で勢力の説明は終わったのか、死神はそう問いかけながら、ワシに選択を迫ってくる。

 ワシももう時間がないじゃろうから、早いこと選びたいのじゃが、その前に、


「……ふむ。死神よ、一つ確認したいのじゃが」

「なんだ?」


 脳裏によぎったあの装備の一文――《異世界武装》として能力を制限されておったあの武器を思い出しながら、ワシは問う。


「この世界に、銃はあるのか?」

「…………………」


 にやり、と笑った死神の表情が答えじゃった。

 ワシは迷うことなくある勢力を選択し、


「では、二度目の転生。楽しみ給え」


 ふたたび薄れ始めた意識の中で、ワシは新たな世界へと飛び立った!!

 視界が白く染まっていき、意識が下に引きずられるように落ちていく。

 そして、ワシがゆっくりと目を開けると、そこは!




              ◆         ◆




「お父さんっ! 平気っ!? 体だるかったりしない!?」

「……え?」


 そこでワシは目を覚ました。

 開いた瞳に映ったのは、真っ白な清潔そうな天井と、心配そうにこちらを覗き込む娘の姿。


「い、いったい何が?」


 ワシ、死んだはずじゃ? それにワシは家で寝ておったはず……。と、首をかしげるワシに対し、娘が勢いよく抱き付いてくる。


「よかった、もう目が覚めないかと思った。もうお父さん、あのゲームをしてから三日間も目を覚まさなかったし……あんな高熱で脳を酷使して……この歳で生きているのが奇跡だって。寝たきりになるのも覚悟しておいてくださいって……新しい主治医さんが言っていたから……」

「ま、まて……新しい主治医じゃと?」


 どういうことじゃ。と、首をかしげるワシに対して娘は、


「でもよかった……お父さんの病気が、ただの《インフルエンザ》だったなんて。最新型の《カミフル》がよく聞いたんだろうって先生は言っていたけど」

「な、なにぃいいいいいいいいいいい!?」


 信じがたい事実を口にした。




              ◆         ◆




 数日後、すっかり熱が引き、体も嘘のように好調になったワシは、冷や汗を流しながら愛想笑いを浮かべるあの医者に対面することとなった。

 場所は現在ワシが入院しておる病院の内科診療室。

 本来脳神経外科におったはずのあの医者は、なぜかこの部屋に召喚されており、彼の面倒を見ていたことがあるらしい、今のワシの主治医である50代後半くらいの中年内科医に睨みつけられておる。


「い、いやぁ、まさかインフルエンザだったなんて。僕すっかり油断していましたよっ! あまりに発熱がひどいから、おかしいなと思って、ガン用の血液検査と並行して、インフル検査もしておいたのが功を奏したと申しましょうか!」

「……おい」

「それにしてもお爺さん危なかったんですよ!? お爺さんがログアウトした後は完全に意識を失っていて、あわててタミフルを改良した新薬である《カミフル》投与して、病院に運び込んだんですよっ! いやぁ、お元気になってくれてよかったよかったっ! 脳に障害も残っていないようで一安心!」

「おい」

「それもこれも、僕が検査結果を知った時にすぐの御爺さんの家に飛んで行って、迅速な処置をしたからで……」

「おいっ!!」


 何やら言い訳がましい言葉を並べておった医者の口を、思わず漏れ出た大喝で封殺する。

 医者もいいかげんワシが怒っておることに気付いておるのか、ダラダラ冷や汗を流しながら、作り笑いをひきつらせた。


「まぁ、インフルで死にかけたワシにすぐ処置をしてくれたことに感謝はするが、それとこれとは話は別じゃのう医者。ワシが問いたいことはたった一つ……ワシのガンはどうなった?」

「…………………………」


 泳ぎまくる医者の瞳。中年内科医から漏れ出るため息。そんな部屋の張り詰めた雰囲気を作り出したワシは、黙って医者の言葉を待つ。

 そして、医者は意を決したのか相変わらず作り笑いを崩さないまま、


「い、いや……な、なんというか。あの時は夜勤明けでちょっと意識がもうろうとしていたと言いましょうか」

「ほう?」

「お、お爺さんの名前にも問題ありますよね!? けっこうたくさんある苗字と名前みたいじゃないですか、《山本弘》って! うちの病院でも同姓同名の方が5名いて、うち2人はなんとお爺さんと同い年!!」

「……それで、何が言いたい?」

「…………………………………」


 もう滝のような冷や汗を流しながら、医者は言った。


「わ、私がカルテ見間違えたとしても……それは仕方ないことですよね? そ、それに悪いことばかりではないですよっ!? お爺さんに誤診を出したおかげで、本当にガンだった山本弘さんは、ガンじゃないと思い込んで元気溌剌! そのまま楽しい日々を過ごしていたら、なんとガンが勝手に治癒という奇跡が起こってですねェ! ほんとこれはもう今までに実例が数例ぐらいしかない、医学史に残る奇跡でしてっ!! その人もお爺さんにはずいぶん感謝を……!」

「枝葉はどうでもいい。要するにお主……ワシに誤診をしたんじゃな?」


 もう冷や汗と同時に、ガタガタ体を震わせ始めた医者の姿を、ワシはじっと睨み続け、


「はぁ。まぁええわい。おぬしには世話になったし、訴えるとかそういうのは無しにしておこう」

「え、え!? ま、マジ!? まじですかっ!?」

「ワシのせいで職を失ったとかになると寝覚めが悪いしのう」

「あ、ありがとうございますっ!」


 あぁ、よかった。これで首にならずに済むっ! と、涙ぐみワシの手を取ろうとする医者を、


「じゃが……」

「え?」


 パンと、ワシが右の拳で左の掌を叩いた音がおしとどめた。


「なんもなしというのは、さすがにワシも納得いかなくてのう?」

「な、ななななな……なにをっ!?」

「なぁに……ほんのちょっと落とし前をつけるだけじゃ」

「ぼ、暴力は反対っ! せ、先輩からも何か言ってっ!?」

「あぁ、まぁ医局の問題にはしないって言ってくれてんだから……大人しく受け入れろよ」

「先生、がんばっ!」

「そんなっ!?」


 先輩中年医師と、控えていたナースからそんなエールが送られ、医者の顔に色濃く絶望が浮かんだ時、


「歯ぁ食いしばれっ!!」

「ぶげらっ!?」


 ワシの拳が医者の顔面をジャストミートした。

 その日、真っ赤に晴れた頬をガーゼで覆った脳神経外科医が、病院内でえらい話題になったらしいが、そんなことワシの知ったことではなかった。

 それよりも一番の問題は、



              ◆         ◆



「はぁ……」

「お父さん、どうしたの?」

「TSOの連中に……なんて説明しよう」

「…………………………」


 あれだけ盛大に死んだと思わせることをしておいて、実は生きてましたと言わなければならない、あいつらへの対応じゃった……。

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