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身辺整理

「で、先生……どうですかのう? ワシの体の方は」


 ワシがいつもの医者のもとへ行くと、そこにはいつもの明るい顔ではなく、どこかこわばった顔をした医者がおった。

 そんなに緊張するようなことでもあるまいに。と、ワシはいつもとは違う真剣な表情をする医者に対し、思わず苦笑いを浮かべる。

 そんなワシの態度が意外じゃったのか、医者は真剣な表情を崩し、目をわずかに見開く。


「……あの、ガンなのですが?」

「ガタガタ震えて、泣きわめけばよろしかったかのう?」

「いえ、そういう……いいや、そうしてもらった方がよかったかもしれません。なにせ、ずっとあなたの体を検査していたのに、こんな状態になるまで私はあなたのガンに気付けなかった」


 医者失格だ。悔いるようにそうつぶやく医者に、ワシはふむと一つ頷き、


「そのセリフから考えるに、どうやらワシの体はあまりよろしい状態ではないようじゃ」

「……正直に言うと、発見が遅過ぎました。状態はほぼ末期ガン。体のあちこちにガン細胞が転移していて、手術で取り除くのはほぼ不可能な状態と云えます」


 まぁ、普段明るいアンタが電話であんな暗い声を出すから、そのくらいにはなっておるじゃろうと思っていたよ。と、ワシは苦笑交じりに肩をすくめる。


「で、単刀直入にいうと治る見込みはあるのか?」

「……はっきり言って難しいです。先ほど言ったように手術で取り除く方法は、転移したガン細胞が多すぎてほぼ不可能。いくら健康に見えるお爺さんでも、すべてのガン細胞を取り除く手術に耐えるには、体力が足りないことが予想されます。そのため、出来立てのガン細胞を、抗癌剤や放射線治療で無くしてから手術ということになるのですが、ここまで全身にガン細胞が転移しているとなると、そちらの治療が終わる前に、お爺さんが亡くなってしまわれる可能性が高い。根治する確率はおそらくよくて1%。そして根治したとしても、その時にはお爺さんは今よりかなり歳をとられた上に、ガン治療の影響で普通の生活をするのは難しくなっていると予想されます」


 そう告げた医者の言葉に、ワシは「そうか」と静かに呟き、首を縦に振った。まぁ、この年でガンになったんじゃ。ある程度最悪の事態は予想しておる。

 そんなワシの穏やかな態度に、何か思うところがあったのか、医者は目を潤ませながらワシに尋ねてくる。


「今あなたが選べる選択肢は二つあります。一つは先ほど言った根治の可能性に懸けて、ガン治療を受ける選択肢。この場合はそちらの用意が済み次第、即うちの病院に入院していただき、最高の医療スタッフたちでお爺さんの治療に当たります。うちの病院には先ほどあげた治療方法が一通り可能な設備がありますし、住み慣れた町を離れなければならないということはありませんのでご安心を。二つ目は、根治をあきらめ終末医療に移行することです。抗癌剤や放射線治療などといった苦痛を伴わない、でも病気を治療させるわけではない、ガンの進行を遅らせる治療を、状況に応じて施します。もともとお爺さんのようなお年を召された方のガン進行は遅く、ほぼ末期ガンの状態にある今でも、正しい処置さえすれば3カ月ほどの猶予ができます。その間に思い残したことや、やりたいことがあるようならこちらに言ってください。協力できることがあるなら、こちらも極力協力させていただきます」


 要するに、苦痛を伴う手段を使っても生きることにしがみつくか、すべてをあきらめて短い余生を過ごすか。どちらかを選んでくれと医者は言った。

 じゃが、そんなこと言わなくても、ワシの選択肢はもう決まっておった。孫や子供には悪いが、ワシは……。


「重要なことですので、ご家族のゆっくり相談していただいてけっこう……」

「いいや、いいですわい。終末医療の方を、お願いします」

「……え?」


 もう十分、長く生きた。



              ◆         ◆



 考えてみれば、ワシの決断は当然のことじゃ。

 TSOは面白いが、さすがにゲームのために苦痛を伴う治療をするような気概はワシにはない。

 嫁も先に逝ってしもうたし、娘は子供がいるいい年をしておる。孫だってもう高校生じゃ。ワシの死を受け入れることは十分できる年齢じゃろう。

 自ら死ぬ理由はないかもしれんが、かといって自分の人生にしがみつきたいと、強烈に願うような動機もない。

 なら治る可能性が極めて低いガンの治療で苦しみながら、のた打ち回り死に際に無様を晒すよりも、やりたいことを最後までやって、楽に死にたいというのは間違った判断ではないじゃろう。


「本当に……いいんですね?」

「まぁ、平均寿命以上まで生きられなかったのが、思い残しと言えば思い残しじゃがのう。嫁もおらんし、娘もひとかどの人物になっとる。ワシがほかにやり残したことなんぞは、ちょっとした旅行行きたいだの、あれ食いたかっただの……大したもんではない」


 喜寿。77歳というのは言うほど悪い年齢ではあるまい。と、ワシはひとり考えながら、考え直せと言いたげに念押ししてくる医者に、笑みを返した。


「それよりもワシは、治療で苦しむワシを見て、娘たちがつらい顔をするのが耐えられん」

「……」

「ワシの人生いろいろありました。波乱万丈というわけではないし、べつに一業界の有名人というわけではない。どこにでもいる普通の男じゃ。じゃが、普通の男は普通の男なりに、ソコソコの苦労をして生きてきたんじゃ。楽しいこともたくさんあったけど、つらいこともそれ相応にあった……。そんな人生の最後の思い出を、またつらい記憶で埋めるのは、少々ワシには耐えられそうにない。だから最後は、家族の笑顔に囲まれて……幸せに逝きたいんです」


 ワシのくだらない独白を、医者は何時ものように茶化すことなく、真摯に話を聞いてくれた。

 あぁ、出会った時から少し胡散臭いなと疑っておったが、やっぱりコイツは医者なんじゃな。と、その時ワシは初めてこの医者にならワシの最後を任せてもいいと思えたんじゃ。だから、


先生(・・)。終末治療の方……よろしくお願いします」


 家族に幸せな最後を看取ってもらえるように。そう言ってゆっくり頭を下げ、いつもの雑談相手としての医者ではなく、頼れる医者としての医者にお願いをした。

 ワシの言葉がいつもと雰囲気が違うことを、医者も気づいておったのじゃろう。医者はわずかに息をのんだかと思うと、


「こちらこそ……全力を尽くさせてもらいます」


 わずかに震える声で、ワシの手を力強く握ってくれた。



              ◆         ◆



 その後ワシはTSOを無断で休み、病院の方へと娘に来てもらった。

 ワシが末期がんじゃと医者に知らされた娘は大層驚き、ワシが終末治療の方を望んだと知ると何度も思い直すように言ってきたが、ワシの意志が固いのを知ると、涙を流しながら医者に「よろしくお願いします」と言ってくれた。

 これでひとまず身内の問題にはひと段落が着いたわけじゃが、問題は孫の方じゃ。

 とりあえず、今のところは特に目立った体の異変が起こっていないことから、経過を見つつどの程度の治療を行うか決めることを、医者との相談で決定したワシらは、娘の車に乗せてもらい自分の家に帰った。

 そこで待ち構えていたのが、不安そうな顔をしてワシの家におった孫じゃった。

 どうやら娘が暇を見て連絡を入れていたらしく、ワシが末期ガンじゃということは知っているみたいじゃった。


「お、おじいちゃん。余命三カ月って嘘だよね? 何かの悪い冗談だよね?」


 今にも泣きそうな顔を、無理に笑顔にして必死にワシの話を否定しようとする孫に、ワシは一言告げることしかできなんだ。


「すまんのう……。全部本当の事じゃ」

「……そんな、そんなことが聴きたいんじゃないよっ!!」


 そう言って目を伏せるワシ胸に飛び込んできた孫は、ワシの体を拳で叩く。いちおう病人ということで加減はされておるのか、込められた力は大したものではなく、とんとんと胸を叩く程度じゃったが、本気で殴られたときよりもその攻撃はワシの胸に響いた。


「生きてよ……もっとたくさん、いっしょにいてよ。せめて私が成人するまで……私が大人になるまででいいからっ!! きっと、おじいちゃんの自慢になるような、孫になるから。だから、生きることを諦めないでよっ……!!」


 最後には涙さえ流し、震える声でそう懇願する孫に、ワシはただ謝ることしかできなかった。じゃが、


「いいんじゃよ。そんなことは、言わんでいいんじゃ。お前はずっと昔から、ワシなんかにはもったいない自慢の孫じゃ。そんなお前が生まれてきてくれただけで、ワシはもう思い残すことはない。じゃから最後は、ワシの望む形で逝かせてくれ」

「……ヤダ。やだよ……やだよ。おじいちゃん」


 孫はなかなか泣き止んでくれず、その泣き声にワシの胸はキリキリ痛んだが、決意だけは変わることなく、昔泣いていた孫をあやすように、ゆっくりと話し掛け時間をかけて孫を説得した。



              ◆         ◆



 翌朝、ワシは寝床で目を冷まし、いつものように朝食を作りニュースが流れるテレビを眺めておった。

 その傍らには小さなメモ帳。それにワシはペンを走らせ、死ぬまでにやっておきたいことを書き並べていた。

 幸いなことに、ワシの体は末期がんの患者にしては驚くほど正常な状態らしく、これならしばらくは入院せずとも、普通の生活を送ることができるじゃろうと、触診をした医者から太鼓判をもらっていた。

 なら、いよいよ入院しなければならないといったことになる前に、外でできるやりたいことを今のうちに消化しておこうとリスト化してみたわけじゃが、


「まずい……やりたいことがゲームについてしかない」


 いまだ攻略途中であるTSO。当然やりたいこともたくさん残っているわけで、リストに書かれているやりたいことの候補たちは、だいたいTSOに関してばかりじゃった。

 今の銃をさらに強力にしたいし、ジョンが見せてくれた神話武装も自分の手で作り上げたい。

 ワールドボス討伐は当然にしても、放置しっぱなしじゃった孫とのパーティープレイもやらねば死ねないしのう。

 だが、そうなると一つ問題が出てくる。


「あいつらにワシのことどう説明しよう……」


 ワシの脳裏に浮かぶのは、ワシと共に巨大クランの立ち上げをした、盟友と言っていい二人――スティーブとエルの顔じゃった。



              ◆         ◆



「あぁ? 何お前死ぬの?」

「みたいじゃのう?」

「一発ギャグとかそういうのではなく?」

「こんな性質の悪い一発ギャグをワシがすると思うのか?」


 思う。と、遠慮なく頷いた古本屋に、ワシはわずかに青筋を浮かべながら、割とシリアスな報告をしに来たのに、いつもと変わらない古本屋の態度に、少しだけ救われた。

 ここで妙に真剣な表情になって、孫と同じように泣かれていたらと考えると、腹は立つがこういった変わらん態度が一番気兼ねしなくていい。

 ワシもこいつも、もういい年。同級生や友人だって、チラホラ死んでしまった連中の名前が出てくる年じゃ。知り合いが死ぬのはずいぶんと前に慣れてしまっておる。

 そのせいか、今更ワシ死ぬかもといったところで、変に嘆き悲しむ理由もないのじゃろう。

 それに、


「そうか……またさびしくなるな」


 どこかしみじみとした様子でそう呟いてくれただけでも、十分友達がいのあるやつじゃと思うしのう。


「で、お前はそのゲームの中の友人に、この事に関してどう話すか悩んでいると?」

「まぁ、のう……。いくらゲーム内で仲がいいといっても、現実の話を持ち込んだあげく『ワシもうすぐ死ぬんじゃよ』とか言ったら、余計な気遣いをさせてしまいそうで」

「あぁ、確かにな。どれだけ仲良くなったといっても、所詮は顔も知らん他人なわけだし、妙な気遣いをさせるのはお前も相手も気まずいか」


 だが、そうなると少し厄介だよな。と、古本屋は読んでいた本を閉じて棚に戻した後、腕を組んで唸りだす。


「諸事情でゲームやめますってことだけを伝えるしかないんじゃないか?」

「ゲーム内ではワシ結構重要な地位にいてのう。さすがにそれだけつげて、納得してもらうのは難しい」

「なんだ? ギルマスでもやってんのか?」

「サブじゃのう。サブクランマスター」

「たいした地位じゃねェじゃねぇか」

「昔と今のゲームはずいぶんと違うんじゃぞ?」


 VRになったぶん、よりリアルになったゲームの組織は、現実の会社と何ら遜色ないことをワシは一応主張しておく。


「だが、そうなら余計に素直に告げるしかないだろう。むしろ事実を隠ぺいして、クランの運営に支障が出る方が、お前としては望むところじゃあるまい」

「うっ……そう言われるとそうなんじゃが」


 正論過ぎる正論を古本屋に指摘され、ワシは思わず目を泳がせる。納得はしているのじゃが、心の整理がつかんのじゃよ……。

 そんなワシの態度を見て、「まったく、面倒くさい奴め」と、古本屋は一つ嘆息し。


「だったら、仕方ないな。こちら側に引き込めばいい」

「こちら側? どこの事じゃ」

「リアルのことに決まってんだろう。オフ会でも開けよ」

「オフ会となっ!?」


 古本屋が提示した思い切りの良すぎる意見に、ワシは思わず目を剥いた。

 だって、オフ会ってあのオフ会じゃろう!? リアルで顔を合わせるあの……。


「VRゲームユーザー同士のオフ会っていろいろ問題があるらしいから何とも言えないが、事情が事情だ。リアルの顔も知らん奴に、妙な気遣いをさせたくないというのなら、顔を知っちまえばその不安は解消だな」

「いや、そんな屁理屈染みた理論で納得できるわけないじゃろう。というか、奴らも絶対断わってくるわ」

「断られたら断られたでいいじゃねぇか。その時はまた別の方針を考えろ。ただ、一考する価値はあると俺は思うぞ」


 VRがどれほどリアルであったとしても、所詮ゲームはゲーム。ゲームキャラという造られた虚像をかぶった状態で、現実での微妙な問題を相手が察してくれるかどうかはかなり怪しい。

 その点、リアルで会えばまだその問題は緩和できる。

 なくなるというわけではない。緩和されるだけだ。だが、少なくともゲームキャラで「ワシ余命三カ月何じゃよ~」と切り出すよりかはいくらかましなはずだ。

 それに、


「そいつらに世話になったんだろう。顔も知らないままに逝っちまってもいいのかよ?」

「うっ……」


 そう言われると、否という言葉言えず、ワシは仕方なくスティーブたちとのオフ会を、ひとまず提案することになったのじゃ。


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