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05

 それは突然の出来事だった。

 ガシャンという音を立てて、天井まであった大きな窓のガラスが派手に飛び散る。

 相変わらずリクと睨み合いを続けていた一香は、その音に驚いて振り返った。

 窓の側にうずくまる三つの黒い大きな影。影たちは、すぐに身を起こし、体中に纏わりつくガラスの欠片を振り払うように身を震わせる。

「犬……?」

 長い尻尾に、黒くもふもふした毛皮。ピンと立つ耳は一香の頭に生えたそれに似ているけれど、長い口先としなやかな体躯は猫ではなく狼や犬のそれと同じだ。

 ただ、この犬たち、一香が地球にいた頃に見た犬とは一味違っていた。

「俺様、参・上!」

 他の二匹が丁寧にガラス片を払っている中、中央の一匹はふると一度だけ身を震わせた後、ビシッと彼なりの決めポーズ――一香たちから見るとただの仁王立ち――をして咆哮を上げた。

「喋った……」

 聞き間違い出なければ、今、この犬人の言葉を話さなかったか。

 犬たちは三匹とも人の背ほどもある大きな体をしていて、まるで物語に出てくる地獄の番犬のよう。驚く一香に、「なにぼんやりしてる」とどこか緊張した声でリクが言い、その腕を引いた。

「え、わっ」

 乱暴だけど、かばうようにして後ろに隠され、よろけた一香は思わずリクの背にしがみつく。

「サツキの使い魔だ。イェルという。黒月の番犬」

「くろ……はい?」

 説明してもらって悪いが、使い魔という単語しか理解できなかった。

「使い魔って、私と同じ?」

「ああ」

 リクが頷いた時、丁寧にガラス片を払っていた犬たちがようやくガラスを取り終え、こちらを向いた。

「……なんか、ガン飛ばされてるみたいなんだけど」

 気のせい?

 先ほど雄叫びを上げた犬は獲物を見つけた獣――ええ、獣なんですが――のように青色の瞳を輝かせ、その向かって右側の隻眼の犬はグルルと鋭い牙を剥き出しにして唸った。

 そして左側の犬は、

「そこをどいていただけますかねぇ、弟君」

 月色の美しい瞳に、明らかな狂気を浮かべて一香たちを見やる。

「リク、知り合い?」

「さっき言っただろう。兄の犬だ」

「お兄ちゃんいたの!?」

 意外。そのワンマンぶりは一人っ子かと思ったのに。

 思わぬ新事実に驚くも、しかしそんな場合じゃないとピリピリした雰囲気が告げてくる。

「ねえ、私たち狙われてるみたいなんだけど……」

「“たち”っていうか、お前だけな」

「なんで!」

「僕たちの主が、ちょっとキミに用があるんですよ」

 月色の瞳の犬が答える。

「主って、つまりリクのお兄さん?」

 なんだってそんな人が私に用があるの。

「人違いじゃ……」

 一香が呟くと、今度は中央にいる、先ほど咆哮を上げた犬がおかしそうに言った。

「人違いだって? 白黒茶、それだけ立派な三毛の耳と尻尾を露にしながらよく言うぜ」

 なんだ、“人違い”じゃなくて“猫違い”とでも言えばよかったのか?

 今にも腹を抱えて笑い転げそうな犬ころに、一香はムッと眉を寄せるが、けれど彼が言っているのはそういうことじゃなかった。

「その珍しい毛色を持つ猫はこの世界に一匹しかいない。大人しく俺たちと来てもらおうか」

 なんで。理由を問おうとする一香を無視し、犬たちはこれ以上喋っている暇はないと急速に距離を詰めてくる。

「ちょっと――!」

 牙や爪をむき出し、明らかに闘争心丸出しの三匹に、お前ら絶対、狂犬病予防注射なんかしてないだろ! 一香は突っ込みたいのを我慢してリクの手を引いた。

「リク!」

 逃げなきゃ。けれどリクは逆にその腕を引いて「邪魔だ、大人しくしていろ」一香を強引に後ろへと追いやった。盾にでもなってくれるのだろうか? いや、でも向こうは鋭い牙と爪をもった猛犬が三匹もいる。ひょろくて、運動よりも勉強が得意です的な雰囲気を醸し出すリクが勝てるかどうか。

(どうしてこんな緊急事態にマスターはいないのだろう。私を誘拐したときのように、あの光の拘束具でこんなわんこたち首輪をつけてお手でも伏せでも調教してくれればいいのに)

 迫り来る犬たち。リクは指につけていたリングを外し、それを犬たちの方へかざした。

「――っ」

 ガンッと鈍い音がして、飛び掛ってきていた犬が、見えない壁にぶつかり床に落ちる。

「いってぇ!」

「水晶の守護陣か」

 隻眼の犬が唸る。リクと一香の周りには、以前一香がリクに襲い掛かった時できたような薄い膜のようなものができていた。

「おおー」

 この手があったか。そういえばこの世界では“魔法”という便利なものがあったんだな、と一香は改めて実感した。

「リク、すごい!」

「はしゃぐな。長くはもたない」

「え?」

「イェルは上位魔族だ。人の手から作った水晶など子供だましみたいなもの」

「そうなの!?」

 この犬たちそんな大層な存在なんですか?!

 リクの言葉通り、犬たちはめげた様子もなく守護陣を壊しにかかる。

「イェルにこんなものが通用すると思うなよ」

 青色の瞳の犬が守護陣を破るようにして爪を立てると、守護陣はぐにゃりと変形する。その部分は一瞬の後にすぐ元通りになるけれど、何度も引っかくようにして攻撃をうけるうち守護陣は徐々に薄く儚くなっていった。

「うわぁぁ、どうしよう、リク!」

「黙っていろ」

 リクは、今度は耳につけていたピアスを外し、なにか呪文のようなもの二、三唱えた。

「それもなにかのアイテム?」

 首を傾げて観察していると、ピアスは大きさを変えて簡素な銀色の剣になった。

(ふぁ、ふぁんたじー……)

 というか、ステッキが花束になる手品のようだ。

 呆ける一香をよそに、リクは感触を確かめるように剣を二度三度振ってみせる。

「戦うの?」

「剣術は苦手だ」

 はい……?

「だから、お前のことまで守る余裕はない」

 非情にも言い切るリクに、一香は「そんな!」と声を上げる。

 守る余裕がないって、じゃあどうしろというのか。一香は魔法も使えなければ、リクのように便利アイテムだってもっていない。ただのか弱い女子高生なのだ。

「セイ様に貰った指輪を使え」

「指輪?」

 言われて一香は右手の薬指にはまった指輪を見やった。そういえばセイが出て行く前に貰ったけれど、これも何かのアイテムなのだろうか。

「これ、使い方は?」

「さあ」

「ちょっと!」

「念じれば応える。おそらくはお前の魔力を補助するものだろう」

「魔力を、補助?」

 聞き返したとき、ぐにゃぐにゃと既にあやふやなものになっていた水晶の守護陣がパリンッと音を立てて壊れた。

「くるぞ」

「え、嘘!?」

 リクが剣を使って囮になってくれる。

 その隙をついて部屋の中を逃げまわるが、すぐに三匹のうち二匹の犬が一香を追いかけてきた。

「うわぁぁあん!」

 か弱い乙女に猛犬二匹が追ってくるってどういうことなの!

 ソファの後ろに回りこみ距離をとろうとするが、犬たちはでかい図体に反し軽々と家具を飛び越え、迫ってくる。獣ならではの柔軟な動きに、いつ追いつかれてもおかしくないと危機感が募る。

 一香は寝室へ続く扉を開けて、その中に逃げ込んだ。ドアを閉めるまもなく二匹が追いかけてくるので、そのまま振り返らずに更に奥にある自室へと逃げ込む。

(どうしよう、どうしよう、どうしよう)

 なにか武器になるものを、と一香は咄嗟にサイドテーブルにあった燭台を手に掴んだ。

 結構な重さがあるし、みたところ金属でできているので、これで殴れば結構な武器になるんじゃないだろうか。

 燭台をもって震える一香に、部屋に入ってきた二匹が鼻で笑う。月色の瞳の犬はリクの相手をしているのか、一香を追ってきたのは青色の瞳の犬と、緑の目をした隻眼の犬だった。

「使い魔がそんなもので勝負するつもりか?」

「無駄。俺たちには通用しない。そんなもの振り回しても、振り上げる前に齧り付いてやる」

(ですよねー……)

 そんなこと言われずともわかっているのだが、これ以外に武器になりそうなものがないのだ。

「魔術を使え。地に落ちたとはいえ魔族のはしくれ。それもネイラの至宝というじゃないか」

「三毛猫の力を見せてみろ」

 そんなこといわれても、魔術なんてセイに連れ攫われた時、あのへっぽこ火の玉を出したきりで、いまだどう扱うのかなんてさっぱりわからない。

「詠唱はいらねぇ。具体的なイメージを思い浮かべろ。火なら火、水なら水。温度や形、強度やどれくらいの量か。相手を思い通りにしてぇなら、明確な動作を強い意志を持って、言うとおりにさせる」

「強い意思を持って……」

 一香は青い瞳の犬の言うことを復唱しながら、ずいぶんと親切な犬たちだなぁ、と首を傾げた。

 彼らは今、一香を追い詰める敵だというのに、どうしてその敵が、自ら一香に撃退法を教えくれるのだろうか。なにかの罠か、それともよっぽど親切で間抜けな犬なのか。

(よし、)

 一香は右手に嵌った指輪を見ながら、頭に具体的なイメージを思い浮かべた。

 犬たちが言ったことは、以前両親に言われたこととほとんど変わらない。『頭に具体的なイメージを思い浮かべて、それを念じて具現化しろ』、おそらく罠だろうが間抜けだろうが、彼らの言うことに偽りはないのだ。

(イメージ、イメージ)

 そっと目を閉じて、強く頭に思い描く。攻撃は以前失敗してしまったから、なにか私を守ってくれるようなものを出そう。盾とか守護陣なんかじゃなく、強くて彼らに負けないような頼りがいのあるものを。

「――出でよ、ドラゴン!」

 犬たちを指差し、ビシッとポーズを決めた時

「――ギュアアアッ!」

 一香のイメージどおり、目の前に、一頭のドラゴンが現れた。

「やった! 成功!?」

 初めて魔術が上手くいった嬉しさに、一香は飛び上がって喜ぶが、

「なんだ、これ……」

 しかし犬たちは理解不能と首を傾げた。

「なにって、ドラゴンだよ! ドラゴン!」

 ファンタジーの定番。爬虫類っぽい外見に、蝙蝠のような翼。鋭い牙と爪はなにをも貫き、大きな口からはオレンジ色の炎が飛び出し周囲の者を焼き尽くす、物語に出てくる不思議生物の中で最も強く、気高い生き物である。

 パタパタと翼を動かし室内を飛び回るそれは、少しばかり一香の好みによって姿を変えられていたが、見た目は物語に出てくるドラゴンそのもの(と、一香は思っている)。ただちょっと皮膚の色がショッキングピンクで、くるりとした愛らしい丸い瞳をもち、頭にちょこんと大きな白い花がつけられているだけのことだ。

「お前、一体どういうつもりでこいつを出したんだ?」

「勿論、守ってもらうために決まってるじゃない!」

 まあ、どうせ召喚するなら、かわいい方がいいかと思って多少の軌道修正はしたが。戦いが済んだ後も、ペットとして飼うことのできるお得なドラゴンちゃんだ。

 どうだ、すごかろう、と胸を張ると「アホか!」という突っ込みが飛んできた。

 まだ攻撃もしてないというのに、犬たちは何故か疲れた様子をして溜息をつく。

「まあ、架空生物を具現化するのは、確かにすげぇことだけど……」

 それがこれ? 

 信じられねぇ、と青色の瞳の犬がうなだれる。

「い、いいでしょ別に。おいで、ドラゴンちゃん」

 呼ぶと、ピンク色をしたドラゴンは「きゅるる」一鳴きして一香に擦り寄ってきた。

「かっ、かわいい……」

「そうかぁ?」

「ノイ」

 脱力する青い眼の犬に、緑眼の犬がたしなめるように声をかける。ノイとはどうやら青目の犬の名前のようだ。ノイは鬱陶しげに「わぁってるよ」と返すと、一瞬前のくだけた雰囲気はどこへやら、殺気を漲らせて一香を見た。

「じゃあ、おとももできたことだし? そろそろ鬼ごっこの再開といくか」

 牙をむき出しにして言う犬に、鬼ごっこって、もう逃げる場所ないんですけど……、と思いながら後ずさる一香だが、その途端に肩が壁につく。部屋の隅っこに追いやられ、逃げるには犬たちを倒すほか術はなくなってしまった。

「ドラゴンちゃん……」

 抱きしめていたドラゴンを見やると、ドラゴンはどこか同情を誘う瞳で一香を見上げてきた。

(駄目だ! こんな可愛い子に戦いなんかさせられない……!)

 可愛いものにめっぽう弱い一香は、可愛さを全面に押し出したドラゴンを召喚した事を早くも後悔した。ドラゴンを守る為、もう一度、なにか身を守ってくれるものを出さなくてはいけない。けれど、使い慣れぬ魔術を使った反動か、頭がくらくらとした。

 すでに犬たちは臨戦態勢に入っていて、じりじりと迫ってくるのに。

「いくぜ」

 飛び掛ろうと床を蹴った犬たちに、ドラゴンを抱きしめ眼を伏せた時――

 バシンッ!

「いってぇ!」

「っ……!」

 鈍い音がして、犬たちのうめき声が響いた。

(なに――?)

 恐る恐る眼を開けた一香が見たものは、

「ま、すたー……」

「ただいま、一香」

 にこりと微笑む人は、平然と黒い犬たちを蹴散らしてこちらへやってくる。キャン! とかギャン! とか犬たちが悲鳴をあげていたが、そんなことお構いなしで、セイはいつもの笑顔を浮かべて歩み寄ってくる。その笑顔がなんだかとてつもなく恐ろしい気がするのは気のせいだろうか。

「な、なんか怒ってる?」

 微笑の裏に隠された感情を窺おうとしたとき、クラリと強いめまいが一香を襲った。

 ああ、この感覚。

 魔力不足のときに味わった嫌な記憶を思い出しながら、一香はあっという間に闇の中へと落ちていった。

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