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02

 翌日。

 使い魔として最初にさせられた仕事は、勉強だった。

「なんで、なんで勉強!? なんで私が知りたくもないこの国の地理や歴史について知らなきゃなんないの!?」

「地理や歴史のまえに、まずイチカは国語からだけどね」

「どうでもいい!」

 この国の文字を覚えたとして、それが一体なにになるというの。

 魔力が関係しているのか、セイと契約を結んだせいなのか。一香は知らぬ間に――本人はずっと日本語で会話していると思っていた――リオシュタルテの言葉を習得していた。リスニングにも会話にも問題なく、また読み書きも“読む”方だけならスムーズにおこなえる。

「なに、この無駄な能力!?」

 どうせ解読するならこんな訳の分からぬ国の言葉じゃなく、英語とかの方がよかった。そうしたら英語の授業でしょっちゅう先生に発音を直されて、皆のまえで赤恥かくこともなかったし、留学生で格好いいビルに笑われることだってなかったのに。

 自動翻訳機付一香。某不思議こんにゃくを食べた気分で英語もなんでもペラッペラ。将来はきっと翻訳家か通訳ね。

「って馬鹿!」

 将来もなにも、今の一香には一生“マスター”に媚び諂って終わる人生しか待ち受けていないではないか。この誘拐犯で破廉恥犯なマスターから、どうにかして逃げ延び、地球に帰らないことには『好きな人と結婚して、お嫁さんになるの』なんて小さい頃からの乙女的な夢だって叶えられないだろう。

「帰る! 私地球に帰るー! お父さんとお母さんのとこに帰って、向こうで普通に平凡な女子高生やるんだぁ!」

 こんなところで意味不明な異文化学ぶより、そっちのほうがよっぽどタメになる。

「イチカ、聞き分けのない子はいけないよ。お前はもう私のものなのだから、言うことをお聞き」

 “保護者”面して言うんじゃねえ!

「問答無用で連れてきた人がいいますか、それ。聞き分けがないもなにも、誰だって反発するわ、こんな状況!」

 どうか夢オチでありますように、百回以上繰り返して目を覚ましてみれば、相変わらずの非現実。神様は一香に試練をおあたえになった……。って、冗談じゃない! ありえない世界にありえないマスター。というかマスターが一番受け入れられない。むやみやたらと色気振りまきやがって、この天然フェロモン男め。出会いが出会いじゃなかったら、きっと惚れていた。が、その変態な本性を、初対面後一分たたずに思い知らされた一香は、セイに対して反抗する気満々、仕える気なんてサラサラない。

「イチカ、勉強をしなさい」

「絶対、嫌!」

 けれど、あらがう心とは反対に、体が机に向かって歩み出す。

 血の契約、使い魔の契約を結んだ一香は、名を呼ばれセイに命令されるとどうしても逆らえない運命さだめにあった。

「嫌、嫌だってばあぁ!」

 言う間に、勉強机はどんどん迫ってくる。漢字ドリルもといリオシュタルテ語ドリルの置かれたそれ。

「大丈夫、私がわかりやすく教えてあげるから」

 家庭教師があんただって言うのが最も嫌なとこなんだよ! にっこりと笑むセイは、ひどく美しい顔をしていたが、一香にとってそれは悪魔以外の何者にも見えなかった。


 リオシュタルテの文字は英語の筆記体で書く滑らかな文字に似ている。カクカクした、とめ、はね、はらいの厳密な日本の漢字と違って、文字を書くというより、螺旋を描いたり、丸を描いたり、波線を描いたり。脳みそはしっかり文字を解読するというのに、書く方はてんで駄目で。一時間後、一香の書き込んだノートにはミミズが一匹、二匹とのた打ち回っていた。

 くそったれ……。

 一香は全然上達しない己の文字書き能力と、繰り返されるマスターからのセクハラに、すっかり神経をすり減らしていた。

 家庭教師然としたセイはたしかに“わかりやすく”文字を教えてくれたけど、でもその最中ことあるごとに一香の“猫”の部分にちょっかいをだしてくる。上手くかけなくて毛を逆立てる尻尾を上から下へ撫でたり、かすかな物音に反応し無意識にぴくぴくと動く耳に息を吹きかけてきたり(これは流石にキレて顔を引っかいてやった)。とにかくセクハラ、パワハラ、が当然のごとく行なわれ、一香はぐったりと机に顔を伏せた。

「も、だめ……」

 ストレス過多のせいか、眩暈までしてきた。クラクラと回る視界に、これがあの朝礼集会なんかでよく倒れるやつのいる貧血だろうかと、関係のないことを思う。

「イチカ? どうした?」

 呼びかけられる声ははるか遠く、一香の意識はブレーカーが落ちるごとくブツンと途切れた。


 ※※※※


 帰りたい、帰りたい。

 お家に帰ってお母さんの美味しくないカレーを食べて、お父さんの面白くもないオヤジギャグに眉をひそめる。最近は反抗期であんまり相手にしてあげてなかったけど、でも、離れた今ものすごく恋しいのはやっぱり我が家なんだ。ごくごく平凡の毎日につまんない、と文句言ったこともあったけど、だからってこんな非日常を望んだわけでも、こんなセクハラマスターの使い魔になることを望んだわけでもない。断じてない。というか、異世界トリップなら王道らしく、格好いい王子とか騎士を出してこいよ。いや、一応変態マスターも王子様――だった? 現役? ――なのだけどさ。でも、頭に“変態”がついちゃうし。強引で、人の話聞かなくて、お家に帰してくれなくて、人の首筋に噛み付いて吸血鬼のマネなんかしてくるし。ああ、私、あの人の血飲まされちゃったんだよな、うえ、今からでも吐き出して無しってことにならないだろうか。使い魔なんて奴隷も一緒じゃん。命じられたら抗うこともできずに従って。お父さん達が仕えていたマスターも、そうして二人に人殺しなんかさせたんだろうか。

 マスターはひどい。お父さん達のマスターも、ひどい。どうしてネイラ族は人に仕えて生きなければいけないの? 人同士の争いに巻き込まれて、道具みたいに扱われて。私の人生もそうなっちゃうんだろうか。

 ……絶対に地球に帰ってやる。服従して生きる人生なんてまっぴらだ。非暴力、不服従。ガンジー万歳。

 でも、お家に帰るにはまずその術を知らなくちゃいけないんだよね。異世界渡り、だっけ? 禁忌の術とか言ってたけど、難しいのかな。火の玉一つマトモに出せない私に果たしてそんな難しい術ができるだろうか。いや、できなくても、しなきゃいけないんだけど。三毛猫は奇跡の猫! って、言ってたし、多分できる。おそらくできる。というか、やる。やらなくては。絶対に家に帰って、平々凡々な日常を取り戻すんだ! そのためにはまず魔法の習得と、マスターの説得と……。


「ぅ、ん……?」

 嫌なデジャヴを口元に感じ、一香の思考は突然に浮上した。

 ぬめる感触と、生暖かい、なにか。

 ピチャ、

 水音が響き、それから咥内を這い回る物体の正体に気がついた。

「――!?」

 お目覚めのキス……ってこんなに生々しいものだっただろうか。いや違う。絶対に違う。白雪姫も眠れる森の美女もこんな、舌を入れたディープなキスで目覚めてなんかいなかった。

「……起きた? イチカ」

 セイは目を覚ました一香に気づき、薄水色の瞳で一香の顔を覗き込んだ。白銀の長い髪が、一香の頬をくすぐる。

 お前はいったいなにをしてるんだぁぁぁ!!

 ごくごく至近距離にセイの顔があり、口元は唾液――うへぇ――で濡れ、は、と吐き出される息が色っぽく空気中に溶けた。

「は、マ、マス、タ……」

 状況が飲み込めない一香に、セイは冷静な顔で言う。

「イチカはまだ魔力が安定していないみたいだね」

「まりょ……」

 はい?

「ネイラは成人すると一定の状態になるのだけど」

 はあ、それは昨日母に聞きました。

「イチカは今まで力を封印されていたせいか、成人の折、箍の外れた魔力が身体に馴染みきっていないんだ」

 意味分からん。

「だからね、イチカの魔力はまだ不安定で、突然多くなったり、量が減ったりする状態にあるってことで」

「それが、なにか問題でも?」

 その不安定な魔力が今のキスとどう関係があるんだ、マスターさんよ。全く無関係に人の寝込み襲ったなんていったら引っかくぞ。

「魔力が多い分にはなにも問題はない。でも、少なくなることは、とても危険な状態なんだよ。魔力は魔族であるネイラの命をつなぐもの。人で言う体力みたいなものかな? 魔力が極端に減ると、今のイチカみたいに貧血を起こして倒れる。幼い頃は体も小さい分、不安定な状態で上がり下がりしても基本的には問題ない。量が減っても、それを受け入れる器が小さいのだから倒れるまでにはならないし、大きすぎる魔力は、水がコップから零れ落ちるように、自然と外に溢れ、勝手に消えていく。本来はそうして、成人するまでに魔力を慣らし、身の丈にあった量に調節していくものなんだ」

 でも、一香にはその調節期間がなく、突然に身の内に潜んでいた魔力が封印という殻を破り外に出てきてしまった。形も大きさも定まっていない魔力はその時その時で不安定に揺らぎ、質量を変える。

「その減った魔力を補充する為、今、私の魔力をイチカへ移した」

 なるほど、そのための口づけ……って、納得できるか!

「それって、その、口移し……じゃないと、できないの」

「うん」

 爽やかな笑顔で肯定されるが、ひどく胡散臭い。

「握手とか、手と手で、いや、むしろ触れずに移すことは不可能なわけ?」

「うん、無理だね」

 うそくせぇええ。

 本当かよ、と顔をゆがめる一香を無視して、セイは二度三度その頭を撫でた。

「夕飯の支度ができているから、隣室へおいで」

「うぬぬぬ……」

 至極不服ではあるが、確かにおなかは減っている。夕食、ということは気絶している間に昼食を食べ損なったいたようで、二食分の腹の虫が一香に空腹を訴えた。

 こういうの、よもつへぐいっていうんだっけ。

 並べられた夕食を前に、ちょっと躊躇った一香だったが、すでに昨日と今日、夕食と朝食をいただいてしまっている。他の世界の食べ物を食べると、元の世界に帰れなくなる。千と○尋を思い出して嫌な予感がしたけれど、やっぱり空腹には勝てないのだ。それに、食べ物うんぬんの話で言えば、幼少期一香はこちらにすんでいたのだし(といっても一年ほどだが)、多分、きっと平気だろう。平気であってほしい。

 頭の中で不安と空腹とが争いを続ける中、結局その日の晩も、しっかりお食事をいただいたのだった。


 ※※※※


 深夜、一香の部屋と続きの間になっているセイの部屋から話し声が聞こえてきた。昼間、昼寝ならぬ気絶してしまった一香は、なかなか眠れずに寝返りを繰り返していたのだが、その話し声に耳を揺らした。

 獣耳になって以来、妙に性能の上がったそれは、いやにクリアにセイと、もう一人見知らぬ誰かの声を拾う。

「――拾ってきた猫はいかがですか、セイ様」

 セイより少し高い、硬質な声が言った。拾ってきた、猫。つまりそれは一香のことか?

 人を捨て猫みたく言いやがって。こちとらつい一昨日まで歴とした飼い猫――いや、女子高生だったんだ。いつか声の主を見つけ出して引っかいてやる。

 しゃきん、とシーツに爪をたてたとき、セイの僅かな笑い声が響いた。

「最上の猫だよ、イチカは」

「三毛猫、だとか」

「ああ、幼い頃みたときとほとんど変わりない。美しい三毛模様をしていた。白と黒と茶。白い猫と黒い猫が夫婦になり子を生むこと事態珍しいのに、生まれた子がまさか三毛猫とはね。イチカは本当に、奇跡の猫だ」

「奇跡の猫……それで、セイ様は彼女をどうするおつもりで」

「ひとまずは一通りの教育をしなければならないだろう。イチカは何も知らない。リオシュタルテのことも、己の一族や、身の内に潜む力のことも」

「力のことも?」

「魔術がね、使えないようだ。あちらは魔法の存在しない世界だから」

「では、魔力は」

「それはある。じゃなきゃ私はいつまでたっても彼女を見つけられなかった。ただ、イチカの魔力は幼子のように不安定でね」

 そこで、セイはなにを思い出したのかクスリ、と笑った。

 ひいいい、キモイ、キモイ、キモイ。

 楽しげなセイに、硬質な男がため息を落とす。

「魔術の使えぬ使い魔などただの役立たずではないですか」

 役立たず! こいつ、さっきから本当に失礼なやつだ。

「まあ、そういうなリク」

 セイが硬質嫌み男を窘める。

 リクって名前か。よし、記憶した。絶対に忘れない。いつか探し出して、目にもの見せてやる。

「イチカが奇跡の猫であるのに変わりない。魔力が安定し、術を操るようになればきっとどの猫よりも優れた逸材となるだろう」

「ですが……」

「リク、私はこの十六年、ずっとイチカを探していた。僅かな魔力の揺らぎを嗅ぎとり、ようやく手に入れた。誰であっても、そう、例えお前でも、文句を言う権利はないよ」

「……申し訳、ありません」

 硬質嫌み男リクは、そう言って引き下がった。声には多分に不服な響きが含まれていたけれど、セイのきっぱりと突き放すような様子に、何を言っても無駄だと思ったのだろう。

「話は以上か?」

「はい、夜分に失礼いたしました」

 コツコツ、と規則正しい足音が響き、リクは部屋を出て行く。

「イチカ」

 にゃ!?

 突然名を呼ばれ、イチカは驚いて身を震わせた。え、今、呼ばれ、た?

 とりあえずどうしていいか分からず返事をせずにいると

「イチカ、起きているのだろう?」

 バレてるし……。

 セイは返事をしない一香に、断りもなく部屋へ入ってきた。

 セイと一香の部屋は薄いレースのような布一枚で隔てられている。その布を退け、セイはベッドに横たわる一香に歩み寄る。

 狸寝入り、狸寝入り。

 じっと息を殺して寝たふりをするが。

「イチカ、このまま寝たふりを続けるのなら、こちらも好きに振る舞わせてもらうぞ」

 言うと同時にベッドが軋み、背中から抱きすくめるように温もりが触れた。

「ぎゃああぁ! 起きた! 起きました、マスター。一香只今起床いたしました! だから、放して!」

 ドント、タッチ、ミー!

 けれどセイは聞こえないふりをして、そのまま腕に力を込める。

「一緒に寝よう、イチカ」

 私は抱き枕かっ!

 抵抗しようとした一香だったが、名前を呼ばれ“寝よう”の一言は命令として脳に響いたらしい。徐々にぼやける視界に、ちくしょう……! 悪態をついたところで、意識は途切れた。

「イチカ、ネイラの至宝。私の、なによりも大切な、愛しい子」

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