一人の少女と俺
元気にしてるかな?私これをしたの初めてだから心配なんだよねぇ」
俺は、見知らぬ少女からこんなことを言われて戸惑っていた。単に意味不明なことを言われただけでなく、少女の服が…その、布面積が狭い服を着ていたからどぎまぎしていた。
そんなことを抜きにしても今の状況は謎だ。
(いえ…まったくそんなことなんかではなく、俺の目は彼女にくぎ付けになって離せない)
残った理性で俺は、自分の服を見てみると、俺は高そうな純白の絹の服を身にまとっていた。
立ち上がって周囲を確認すると、遥か遠くの、霞がかった川の上に橋が一つ架かっていた。そこには人が行き来している様子が見える。俺はそこに向かって歩こうと、なぜか痛む体に鞭をうち、腰を上げて歩き出そうとした。
そうすると彼女が俺にまた声をかけてきた。
「ねえ、私を置いてかないでよ、おにいちゃん。ここまで来るのに一体どれだけの時間がかかったと思ってるの……」
俺は今しがた言われた、『おにいちゃん』という単語に驚いていた。記憶が全然ないが、妹がいた記憶はきっとないだろう、もしいたとすれば、こんなにもドキドキするはずがないのだから。
とにかく、妹?を連れて橋に向かう。
橋までかなり時間があったので、沈黙が気まずくなり話しかけた。
「俺って君のお兄ちゃんなのかな?あんまり前の記憶がないんだけど」
「ん、そうだねーそう思ってくれていたらいいよ。そういえばお兄ちゃんのポケットに何か本みたいなのが入ってたからそれ読んでみたら?」
急いで腰にあったポケットを探る。ポケットの中には言われた通り手帳のような本が一冊入っていた。
パラパラとページをめくり、読んでみようとするが字がさっぱりわからず読めない。何となくクロスワードパズルのように書かれているような気もする。
彼女に頼んでみることにするも、彼女も読めないらしい。
しかし、この文字は文字というらしいことはわかった。ここは死後の世界なのか、それとも俺が見ている夢の延長戦なのかと思ったが、やけにリアルだし、この子の顔は今まで一度も見たことがない気がする。
しばらく歩いていると橋が近づいてきた。目を凝らして人影を見ると、いろいろな人がいた。ホームレスらしき貧しそうにしている人や、自信があふれているのか両手を大きく振って歩く人、子供を追いかけている母親などがいたが、どれも中世のような服装をして、すべて同じように蠢いていた。
近づくと、それは無数の黒くドロッとした集合体に過ぎないことが分かった。俺は恐ろしく、今来た道を戻ろうとするが、彼女は言った。
「大丈夫だって、私くらいなら、これくらい薄いものはまだまだいけるよ!」
何を言われているのか理解する間もなく、黒い塊に彼女はサッと滑らかに滑って突っ込んでいく。
黒いそれはだんだんと形を成し、ついに一人の女のような姿を保った。その女は長い鞭のようなものを振りかぶり彼女を打とうとする。
彼女は予想していたかのように素早く飛び跳ね、ありえないほど長い滞空時間の中、その女と頭と頭を突きつけるようになった時に手のひらから風が巻き起こる。
でくの坊のように女はまた鞭を振りかぶって、彼女に対してシュパッと音を立て鞭を打つ。
その鞭は彼女の風に捕まり吸い込まれる、完全に吸い込まれた後、あの女も吸い込まれ始め、やがて耐えられなくなったのか、あっけなく消えていった。
「だいじょうぶ?お兄ちゃん」
二度目のお兄ちゃんに反応する暇もなく、一体さっきの女は何だったのかと思い、聞いてみることにした。
「あ、え?さっきの女って何なの?」
「あぁ。あれはなんていうのか、私の想いが積み重なったものかな……。まあ、あいつは私に取っちゃどうでもいいんだけど」
彼女はいささか不服そうにしながら説明してくれた。
人の想いなんて言うものが形になっている世界は、俺の知っている世界でそう多くはない。
死んだ後か、夢の中か。二通りしかない中で、一番現実的な選択肢は夢の中だが、確かに彼女は息を荒げて俺に話しかけ、生きていた。
とにかく、ここを出るためには先を進まないといけないらしい。一度逃げようと橋から離れてみたが、しばらくすると、また目の前に橋がある。
仕方なく、ことわざの『石橋を叩いて渡るよう』の言葉通り、慎重に渡ったが、彼女は橋の半分まで言ったところで、あきれてさっさと渡った。
何かが起きるんじゃないかと冷や汗が垂れたが、何ごともなく渡ることが出来た。
橋を渡って向こう岸に着くと、霧が晴れ、町が見えてきた。さっきのことがあったので、なるべく目を凝らしながら前に進む。町にはたくさんの人がいたが、誰も俺たちのことを見えていないのか、さっさと歩き、家やビルに入ったところで闇に吸い込まれるよう消えていく。
不気味に思い、早く通り過ぎようとしたが、あの子は何も気にせずにゆっくりと歩いていく。
そういえばあの子の名前を聞いていなかったな……
「おーい、早くこっちに来てくれよ。こんな訳も分からないとこ早く抜けてたいんだ!」
「まあまあ、そんなに焦んないでよ。逃げたりなんかしないからさ」
「あ…そういえば、君の名前はなんていうんだい?」
「私の名前は、青凛だよ。お父さんとかお母さんはいないから、上とか下の名前なんてないけど、凛とでも読んでね」
青凛……とにかく珍しい名前で日本人にはいなさそうだ。名前を聞いてなにか思い出すかと思ったが、何も思い出せない。
青凛あらため、凛ちゃん(さん?)とでも呼ぼうか。
あらためてゆっくり凛ちゃんを見てみると、普通の女の子って感じだ。まあ、さっきの戦闘で明らかに人間にはできないような動き方をしていたし、ただの人ではないのだろう。
それと、両親がいないということも気にかかる。俺ですら記憶がないなりに心配なのに、こんな子ならもっと心配だろう。
しかし、まったくそんな素振りを見せることもなく飄々と言い放った。
そんなことを考えて一緒に歩いていた時、後ろから先生がやってきた。どうやって表してよいか分からないが、とにかく先生というしかない。
彼か彼女は、顔をモザイク状に塗りつぶされ、数個の言葉を繰り返し言い続けていた。
「ねえ、◆■◇□■外ばっか見てないで早くこっちに来なさい、私の手を煩わせないで」
「何度も言わせないで!あんたより小さな子たちに忙しいの(子供を殴るように手を振りかざす)」
「ねえ、こっちにきていいことしない?きmちいy」
他にも繰り返して何かを言っているが、聞き取れない。
その先生はきちっとしたスーツを着ていたり、ジャージを着て、いかにも学校で怖かった先生のようだ。別のパターンは養護教諭のような白衣をフワッと着る服装をしていた。
明らかに今まで周りを歩いていた人達と異なり、意思があるのか、凛ちゃんに顔を向け、ヒタヒタという音と共にこちらにこちらに向かってきていた。
そして、歩いていた人たちは霧のようにどこにもいない。凛ちゃんの腕を持って走りだそうとするも、彼女は腰を抜かしたのか、歩くことができないようだった。
さっきの女に立ち向かう彼女とは、顔がこわばり、何かに恐れているかのように明らかに違う。その姿通りの年齢になったみたいだ。
「大丈夫だ、俺がついてる。絶対に何とかなるから」
「ほんとうに……?」
彼女は俺の顔を見て、すがるように腕を握られた。痛いくらいに締め付けられたが、彼女の恐れだと思い、固く手を離さなかった。
しかしそうは言ったものの、どこに逃げればいいのかわからない。さっきの橋と同じように永遠にループし続けることも考えられる。そんなことになれば、いつか追いつかれるのは確実だ。
とにかくこいつに話が通じるのか確かめてみるか。
「おい!お前は何がしたいんだ?とっとと消えろ」
「あんた、煩わせないで……◆■◇□■早くこっちに来なさい」
「「早く」」 「何度も言わせないで」
ぶつぶつとさっきまで言っていたことを切って貼り付けたかのように、途切れ途切れに話していた。
聞き取れないが◆■◇□■に来てほしいらしい、おそらく凛ちゃんのことだろう。
凛ちゃんを渡すのはそもそも選択肢にないので、先生から逃げるしかないようだ。どこに逃げればいいのか考えていると、凛ちゃんがうなされたように呟いていた。
「うぅ、ぅ…苦しい。あいつらは偽物なのに。ねえ、お兄ちゃん、あいつらは偽物って言ってよ、あいつらはクズだって証明して」
偽物と証明するのはどうすればいいのかわからなかったが、こいつらは話している間に動きが止まる。この間にしっかりと逃げ切る計画を考えようと思い、二度と口も開きたくなかったが話すことにした。
「お前らは何なんだ?いったいどこから来てるんだ」
「その子の、中から、その子が私を作ってる。記憶だよ、その子の記憶」
「記憶?」
「◆■◇□■の記憶から来てるんだ、私たちはその子の恐怖の証として。
私はその子を何度も従わせようと殴った、俺はその子が学校でいじめられているのを無視して報告しなかった。僕はその子がかわいかった。」
「でも私たちは、その子を恐れさせていたのは本当よ、今も実際そうじゃない。
あなたの腕にすがっている、か弱い女の子は誰かしら?」
「お前ら、ふざけんなよ……ふざけんなよ!!凛ちゃんをそうまでしてどうしたかったんだ!?お前らは絶対に許さない、はやく死んでくれ」
俺はそいつらに殴りかかろうと振りかぶり、拳を叩き込んだ。しかし彼らは何もなかったかのように動き、巨大化していた。
勝てないかもしれないという絶望を振り払うように、何度も何度も拳を叩き込み、蹴りを入れ、憎しみを込めた。しかし初めに殴った時と同じように巨大化して、存在感を増し、俺はとうとう疲れて殴るのをやめた。
それから彼らは勝ち誇ったようにあざ笑う声を出し、俺たちに近づいてきた。
最後の瞬間まで抵抗しようと凛ちゃんを見て力をもらう。凛ちゃんが言った
「あいつらは偽物だと証明する」ために。
「はぁ、お前らは本物か?」
「もちろんそうだ、本物で恐ろしい、お前の恐れの心が透けて見えるぞ。ほら、早くそこをどけて◆■◇□■をわたせ」
「ハハハ。お前らは偽者だ、凛ちゃんはお前らを恐れているんじゃない。お前らが俺らを恐れているんだ。偽物は本物には勝てない、お前らは単なるつけ増しに過ぎないんだ」
「そんなことを言っても現状は変わらない」
「そうかな。なんでお前たちは話すだけなんだ?
お前たちは触れられないんだろ、本物に」
「違う…違う違うちがう!チガウ」
あいつらは自分たちの存在に気がついたのか、だんだんと溶けて無くなっていった。
最後の悪あがきか、手を伸ばしてきたが、はたき落とすと断面から黒くドロっとした液体を吹き出してズサッと折れた。その液体は服を汚し到底落ちそうにもなかったが、サラサラと天にのぼって消えていった。
しばらく立ちずさんでいたが、手を握られて凛ちゃんを思い出した。
彼女は穏やか寝息をたて眠り、自分も緊張の糸が切れて急激な眠気に襲われ、暗転する景色の中、自分の体が軽くなった気がした。
………おおーい、起きて
体を揺すられ目を覚ます。寝起きで頭がフワフワとしている。しばらくするともやに焦点が当たり、くっきりと像を結ぶ。
体を勢いよく起こし、周りを見回すと、研究所らしき場所にいるらしいことがわかった。
「さっきはごめんね。私怖くて何にもできなかった、でも…かっこよく偽物を倒してくれたね。ありがとう」
寂しそうな彼女は、はにかむように笑った。
その笑顔はとても可愛く、守りたい気持ちになった。とにかくここから一刻も早く出て、こんな変な状況から逃げなくてはならない。
白いリノリウムの無機質な壁が左右に続いて、窓から差し込む光が、淡く通路を照らしている。
ところどころ部屋があるが、どこも鍵が閉まっているのか開かない。
どんよりとした空気があたりを立ち込め、吐き気がするが、そちらに向かうべきなのだろうと心が言っている。
互いの顔を見合わせて、彼女の手を握り、先を急いで歩き出した。
ひとひたと2人が歩く声だけが通路に反射していると、後ろからさっきと同じように足音が聞こえてきた。
カツカツ…コツコツ
どうやら2人が来ているらしい。さっきと同じように喋っているがより鮮明で、言葉もハッキリしている。
「先生?今日って何するんですか」
「まあ、ついてから教えるよ。あんまりこんなとこで話す内容でもないから」
研究者然とした会話だ。男の方は何をするのか聞かれてもぼやかして、返事をしようとしない。
無視をして前に進んでいると匂いが強くなり、エレベーターが見えた。
後ろの2人も迷わずついてきている。急いでエレベーターまで走り、下のボタンを連打する。
もどかしい気持ちで時間が過ぎ、一秒がとてつもなく長く感じられた。
やっとドアが開き、中に入って、一つしかないボタンを押す。そのボタンは、L6と書かれていた。
エレベーターのドアが閉まり、ゆっくりと下がっている浮遊感がする。
しばしの安全地帯を手に入れ、凛ちゃんに何か知っていないかと尋ねる。
「知ってる気がするけど…ごめん、思い出せない」
「そうだよね。俺も聞いて悪かった」
ドアが開き外に出ると、雰囲気がガラッと変化した。清潔な研究室から、見せるつもりのない場所に。
匂いのする方に向かい、不気味に開いている隙間を潜ると、むわっとした匂いがツンと刺す。
目の前の光景に目を見開いた。
一人の少女が鎖に繋がれて、檻の中に押し込まれていた。
その光景に呆然としていると、ガラガラと音がして、振り向くと研究者の白衣を着た二人が、鎖に繋がれている少女に近づいていた。まるで記憶の一場面を見ているようだ。
少女は、虚な様子で目を見開いて
「お兄ちゃん、……あれ何かな?ふふふ、やっときてくれたんだね」と言った。
「はぁ、めんどくさいな、そろそろ目を覚まさせないと」
「ひっ。せ、先生これはなんですか?非人道的な実験は知的生物に対して国連規約で許されていません」
ここでの悪役はきっと男の研究者だろう。なんの悪意も感じないが、知りたいという欲に塗れているのが体の表面から夏のアスファルトのように揺れていた。
早く彼女を助けないといけない…その思いで頭が溢れ出し、男に向かって殴りかかる。
男は、俺に対して一瞥したように見えた。
拳が男に当たる寸前、男の体から影が現れて拳を止めた。
これまでの経験から何かあるとは思っていたので、近く薬品を直接男にかける。思った通り、薬品は男の白衣を汚し、影をすり抜けた。
しかし男はこれにも動揺せず、ただ濡れた液体を眺め、女の研究者の方は口をぽかんと開けて、キラキラと蛍光灯に照らされた液体を見ていた。
男は腰から拳銃を抜き、容赦なく俺に対して引き金を引いた。銃弾が体を貫く痛みを待つが、一向に訪れる気配はない。
恐る恐る撃たれたであろう体を見てみると、何やらドロっとした液体が体から流れ落ちていた。
急いで塞ごうとしても、指の隙間から滴り落ちる。
あくせくしている中、檻の奥にいる凛ちゃんは言った。
「お兄ちゃん、あなたは私が欲しかった本物だよ。
ここであの現実を消して!」
あの口ぶりから察するに、薄々気がついていたことに確証が持てた。
俺は彼女の記憶の偽物なのだろう。現実には存在しなかった記憶だけの存在、それが俺なのだと思うと体がサラサラと音を立てて、欠けていく気がする。
だが、こんなとこで消えるわけにはいかない。彼女を救うために作られた俺の使命を、全うしなければならない。そんな使命感を持って現実であろう男に攻撃を仕掛ける。
男は、俺の存在に何かしらの方法で知ることができる。ならば…一撃で決めるしかない。
しかしながら、俺に残された時間はなさそうだ。
この部屋の中には俺にはわからない薬品がたくさん置いてあるが使えそうにはなく、頭に一つの答えが浮かんできた。
凛ちゃんを閉じ込めている檻に向かい、全力で檻の鍵を破壊する。ガチャとした音の後、鍵は難なく外れて中に入ろうとした瞬間、肩が欠けた。
さっきと同じように痛みはまるで感じなく、肩からも液体が流れ落ちていた。
鎖に繋がれた凛ちゃんに向かい鎖を外そうとすると、男は俺の狙いに気がついたのか凛ちゃんを狙って拳銃を向けた。
俺は体を捩じ込み彼女を守った後、手を伸ばした。
その隙が命取りとなり、彼女はグフッと痛みに声を漏らす。手を素早く戻して追撃の備えようとすると彼女の声が聞こえてきた。
「私は大丈夫。それよりも、あなたを無駄にしたくない」
その言葉を胸に、戻しかけた手で鎖を引きちぎった。
なにも縛るものがなくなった彼女は美しく、強かった。
初めに見せた身体使いで、難なく男の銃弾をかわす。
男は弾倉が切れたのか、カチカチとしか鳴らなくなったハンドガンを握りしめて、恐怖で震えていた。
その瞬間、彼女と男が交わった時に、男はそこにいなかった。
彼女が勝利した姿を見届けて、もう、溢れるものも亡くなった身体が消えていく。
最後に見たのは、足元から崩れ落ちた彼女が俺に向けた、「ありがとう」の口の形だけだった。
私の稚拙な文章を、ここまで読んでいただきありがとうございました。