Who needs bunny?
【Who needs bunny?】
スミレの服がなくなった。
より正確には、着れる服がなくなった。
「……不愉快きゎまります」
理逸のアパートの部屋の隅で、白い布玉がなんか言っている。
布玉の正体は誰あろう、服が無いので布団のシーツをぐるぐると身体に巻いているスミレだった。
自分で自分のザマを「ひどぃトーガです」と言ったあと、理逸からなんの反応もないのを見て(どういう意味の言葉か知らないのだからしょうがない)さらに苛立ったような顔になり、その後は球体と化したまま動かない。たまに、先のような暴言を投げつけてくるだけだ。
ことの起こりは仲裁人としての理逸の仕事である。
とある機構運用者を捕まえてほしい、との依頼が舞い込んだのだ。
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『――模巣、の研究者?』
『そう、モスだ』
依頼主の男は、なにやら深刻そうな顔で言った。
呼び出された喫茶室で机を挟んだ向こう、壮年の彼はたんぽぽ珈琲に手もつけずうつむいている。理逸は礼儀として口をつけ、スミレはもう一杯を空にしていた。
『……それって、蛾ですよね』
『正式な学名は《lepus mori》、通称はノスタルジア』
男はすらすらと答える。
理逸はどの程度重大な案件なのか測りかねていることもあり、その言葉に適当な相槌を打った。
『たしか災害後になんやかんやで身体が変化した蚕……とかいう、昆虫でしたっけ』
『精確には第一災害で降り注ぐょうになった宇宙線で遺伝子変異を起こした、赤緑青の彩色を宿す蛾です。その後も淘汰環境の中で他の昆虫と相争い、より擦れ枯らしとなり、ゃがてはぁらゅる衣類の生産に使える糸を生み出すにぃたった……繊維工業市場を蚕食せしめた、ぉそるべき変異種』
理逸を小ばかにするためだけにか、横でスミレが詳細な情報を並べてくれた。
結局はよくわからなかったので、模果物や千変艸の仲間か、と思っておくことにする。
男は組んだ両手に顔を隠すようにして、眉を八の字にした。
『捕まえてほしいのはそれの品種改良をしていた男だ。あらゆる衣類に使える糸を生み出すその神秘の虫に、遺伝子操作の手を入れようとした。じつのところ元から布地に魅入られている男で、機構運用者となったのも手触りの感覚をより深めて官能的な質感を求めたためでな』
『……だぃぶ変態が入ってぃるょうですが』
『おいやめろ』
この言いようからして絶対この人の知己か身内だ、と思ったので理逸はスミレの毒舌を制する。だがもう聞こえてしまっていたらしく、『……突き進むと周りが見えなくなるだけなんだ、愚弟は』と加えた。変態は、弟らしい。
『ともあれ、弟は研究に成功した。旧来のノスタルジアが編み出した糸を食い、これを元にして強靭くしなやかな糸を吐き出す。古着はおろかガソリンや工業排水の染みたような繊維でさえ問題なく材料とする模巣の蚕はまさに自家製遺伝子操作の逸品だった。……そうなる、はずだった』
『雲行きがぁやしくなってきましたね』
顔をしかめたスミレが言っているそのとき、外から悲鳴が聞こえた。
なんだろうと理逸は窓の外を見る。
日が、陰っていた。
窓辺に寄ってよく見てみる。路上には雲が落とすような影があったが……それにしては動きが早い。おまけになんだかまばらな感じがする。
視線を上向ける。
う、と喉が詰まったような声を出さざるを得なかった。
『なんです』
スミレもにじり寄ってきて、理逸の膝の上に手を置きながら窓の外に目をやる。路上の影を見る。視線を上向ける。
ぅ、とくぐもった悲鳴を上げた。
依頼主の男が頭を抱える。
『……はずだったんだが。問題はその「どんな繊維も取り込んで糸の材料にする」特性が……成虫になっても維持され、むしろ旺盛になっていた上に、飛行能力までも取り戻してしまった点だ』
外を飛び回っているのは、雲ではなかった。
蛾だ。
蛾の大群が、蚊柱のように空を舞っていた。赤緑青の三色をベースにした群は、はばたくたびに不気味に色を変える。まるで原色の鱗持つ大蛇だった。
それが通りのビル間にワイヤーロープで渡されていた洗濯物の横を通り過ぎる。
吊るしてあったタオルとシャツは、群れの去ったあとには洗濯ばさみで挟まれた部分しか残っていなかった。
『あれ、なんとかできそうなのは弟だけなんだが。群れを逃がしたと察した直後から、行方不明で……』
理逸とスミレは、頬をひきつらせた……。
その後紆余曲折あり、研究者の男は捕まえることができた。
結局のところ雲隠れの理由は蛾を集めるフェロモン調合のためだったらしく、いなくなったのも最初から責任を感じて自分で片をつけようと思っての行動だった。
最終的にはこのフェロモンを数日がかりで各所に付けて――理逸が引き寄せで飛び回って高所に塗ることで、なるべく衣類被害を減らした――集まったところを焼却処分して事なきを得る。
とはいえ。
いくら遺伝子編集が緩くおこなわれており人類にもちょくちょく手を入れられている時代とは言っても、被害が出ると話は別だ。男たちはこっぴどく叱られ、労働施設送りになった。理逸とスミレはくたびれた身体を引きずって帰宅し、衣類を軽く洗って干して眠りについた。
……これで話が済んでいればよかったのだが。
朝起きて外を見ると、干していたはずの服が無い。
ここは二階なので、下に落ちたか? いや見当たらない。
はたと首をかしげながらも理逸は予備の服があと一着だけあったのでこれを着る。隣の部屋に行き、ドアを叩いた。
『おい欣怡。金がないからって俺とスミレの服、売り飛ばしたのか』
『やーは。しないよそんなこと』
『じゃあなんでないんだよ』
『さっき蛾が食べてたの見たよ私』
『は?』
『ハ、じゃなくてガ』
まぜっかえす欣怡を無視し、急いで理逸は部屋に戻る。ハンガーにくっつけていた洗濯ばさみを見ると、挟んでいる部分だけ布が残っていた。
考え込むこと、しばし。
嫌な予想が頭をめぐった。
もしかして……追いまわしている数日の間に、蛾は外界の同種と交配・繁殖していたのでは? 孵化の速さも代謝サイクルを早めている生物が多い現代ならば十分ありうる。
そして理逸とスミレはフェロモンを各所に塗る仕事をしていた。衣服には蛾を引き寄せる成分が、まだ残っていたのだろう。本能に訴えかけるものに引き寄せられた蛾は、そのままがじがじがじ……
まで考え至ったところで、押し入れからじとっとした目でこちらを見るスミレに気づいた。
『……ゎたしの服は?』
スミレの服はこの蛾退治の間にもぼろぼろになったため捨ててしまい、この、干していた一着しか残っていなかった。
つまり衣服が一切ない。だから、押し入れから出てこないのだ。
うろたえる理逸を見て彼女も交配→フェロモン→引き寄せる→服が虫食い、まで察したらしい。
この世のすべてを恨むようなため息をついた。シーツを体に巻いた。
『……ひどぃトーガです』
冒頭に戻る。
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というわけで服の無いスミレはシーツにくるまり、布玉となって部屋の隅に居た。
部屋を見に来た欣怡はそんなスミレを見てけらけら笑っており、これがまた彼女の神経を逆なでしている。理逸はたしなめた。
「欣怡、あんまからかうなよ。というか、お前の服なんか貸してやれよ」
「私の服をスミレちゃんに貸してサイズ合うと思う?」
「お前いつも胸元ベルトで縛ってるじゃねえか。ああいうのでいいんだよ」
「いやーは。それがさ。服ないんだよねぇ」
「洗濯中か? すぐ乾くだろ南古野なら」
「そうじゃなくて売っちゃった」
「ああ?」
「ちょっと不如意になっちゃって。下着以外は残ってないんだよね手元に」
「まじか……」
「結構高く売れたよ」
だがそのお金もすでに右から左で利息やらなんやら支払い、なくなってしまったらしい。おそろしいまでの生活力の無さだ。知ってはいたが、あらためてこう自分がへこんでいるときに出くわすと、なおのこと重くのしかかる。
「……まいったな。俺とスミレ、もうそろそろ仕事で出なきゃなのに」
「あの『トーガ』でいけばいいんじゃないかな?」
「馬鹿にしてると思われる」
「そんな格式高いお相手なの?」
「いや、相手は娼館のマネージャーだけど。迷惑客の対応で仲裁人を頼まれてて、客の中に潜入するんだ」
言えば、欣怡は少し頬をひくつかせた。売春業に思うところあるのか、この手の話題になるとあまりいい反応をしない。
理逸はわかっていたのですぐに切り替えようと、したのだが。その前に欣怡がはっとした。
「あーは」
「なんだよ」
「一着、服あったの思い出したよ。あげよっか?」
「まじか」
「やー私の脳内では下着に分類しちゃってた服だけどね」
「即不安になりそうなこと言うな」
「でも大丈夫。露出度もそんな高くないし潜入仕事ならうってつけだと思う」
本当か? と思いながらも他に服のあてもないので、理逸は布玉スミレを欣怡の部屋に押し込んだ。
で、出てきたのがこれだった。
「なんだこれ」
「バニースーツだね。前の仕事でもらったけど使わないし仕舞ってたんだよねこれ」
理逸の問いに欣怡は答える。二人の前で、スミレは無表情だった。
瑞々しい小麦色の肌を締める、艶やかな黒い生地。なだらかに胸元から鼠径部までを覆うそれは、革のようで革でなく不思議な質感を振りまいていた。
身体のサイド、腋から下のところを編み込みにしてあり、ここを締めることとバックの編み上げの縛りで身体にフィットさせている。腰椎のあたりには白いふわふわの玉がつけてある。なにかの装飾だろうか。
胸元の守りは薄く頼りなく、ともすればぺたんと折れてしまいそうに見えるが、実際には補強材が入っていて簡単には折れないのだという。ただ、スミレの場合胸部のボリュームがなさすぎて、その補強材と地肌とのあいだがすかすかと隙間をつくってしまっていたが。
頸には付け襟と、蝶ネクタイ。細く露わな鎖骨から喉元へのラインを少しだけシックなイメージに変える。
銀髪には大振りな黒のリボンがそっと添えられ、それが猛獣・卯の耳を模している象徴なのだという。
「つーかお前もいやにあっさり着たな」
「ぃつもと肌の面積はさほど変ゎりなぃですし」
「それもそうか」
「シンイさんのぃつもの格好の方がょほど露出過多なので。むしろこの程度で、安心しました」
「ひとのこと痴女呼ばわりしたのかなスミレちゃん?」
にこにこ顔のまま欣怡が目元に影を落とす。
その様を流しつつ、理逸は腕組みしてもう一度そのバニースーツとやらを見た。
「でもなんというか……貰いものに言っちゃあ、なんだがな」
「なにか言いたいの円藤」
「んー……デザインが今風じゃないというか、古い気がする。俺のセンスの問題なのかもしれないけど」
「あーまぁ実際古いからねー。旧時代の接客衣装だものいまとはちがうよそれは」
欣怡はけらけら笑う。あ、こいつ自分で着る気が起きない衣装だから押し付けてきたんだな……とも思ったが、面倒なので理逸は言わないことにした。
スミレはというと、自分の姿をためつすがめつ、後ろの白ふわ玉などを顧みながら、またぞろため息をつく。
「懐古が原因で、古臭ぃ衣装を着せられるとは……」
なにやらまた意味のあることを言ったらしかったが、察することのできなかった理逸が首をかしげたのでまた彼女は不機嫌になった。