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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【短編】まとめ

私の祝福されない結婚~途切れた物語のその先に~

いつもお読みいただきありがとうございます!

柴野いずみ先生の「ヘタレヒーロー企画」参加作品です。

 忘れられないほどの狂おしい恋を、私は魔女の薬で無理矢理忘れた。

 途切れた物語は永遠に途切れたまま。でも、私は前に進んでいるはず。


 魔女の薬はよく効いていた。なぜなら、彼の姿を見ても私の心は乱されない。彼と結ばれないなら死のうとまでしたのに。


 今、彼を目の前にしても以前のように狂おしい激情は何も感じない。そのことが私にとって何よりも嬉しかった。


 四年前に参加した夜会で、靴擦れで歩けなくなった私を抱え上げて助けてくれた彼に恋をした。彼も同じ気持ちを返してくれたけれど、私は振り回され、私の世界のすべてが彼中心になってバカげた夢を見た。


 子爵令嬢でもバークレイ公爵家嫡男の彼と結婚できるなんていう子供じみた夢を。

 現実を見ない弁えない私に待っていたのは、猛烈な反対と嫌がらせだ。いや、あれは現実を見ろという神の怒りだったのだろうか。



「その子は私にとっても甥だ。バークレイ公爵家で引き取って育てる。こちらに渡してもらおう」

「いいえ、この子は私が育てます」

「ブレイク子爵家は最近薬草の商売が軌道に乗っているそうだが、バークレイ公爵家の方がその子に良い教育を受けさせられる」

「私の方が、妹が遺したこの子に愛情を注げます」

「はっ、愛情ね」


 彼は傲慢に笑った。

 以前はそんな風に笑う人ではなかった。爵位を継いでイライアス・バークレイ公爵となったからだろうか。

 イライアス、この数年で私だけでなくあなたも変わったのね。結べるほど長い金色の髪も綺麗なアイスブルーの目も変わらないけれど、あなたは変わった。


「このままでは話し合いは平行線のようだ、ジリアン・ブレイク。力ずくで奪われたくなければ、今すぐこちらに私の甥を渡せ」

「力ずくで奪ってこの子を不幸にするおつもりでしょうか? 私の妹と駆け落ちしたあなたの弟の子供を、公爵家の使用人たちが丁重に扱うとは思えません。それに、あなたが結婚して子供ができたら奥様と一緒になってこの子を冷遇するはず。そんな人に私の甥を渡せるわけがないわ」


 彼の後ろの使用人たちが私に向ける雰囲気が悪くなる。こんなの何ともない。

 彼と交際している時、公爵邸では使用人たちには散々な対応をされた。冷めた紅茶を出されるのはまだ良い方。お前は公爵家に釣り合っていないと何度突き付けられたことか。


 そして当時の公爵夫人には「どうせお金目当てでしょうからいい加減に別れて。いくら欲しいの」とお金を積まれた。公爵家にとってはした金だっただろう、でもあの屈辱は忘れない。

 恐らく、私は自分の愛にたったあれだけの値段をつけられたことに腹が立ったのだ。あの気持ちを失くした今は、金で私を思い通りにしようとしたことに腹が立っている。


 周囲に反対され続けたら、どんな綺麗な夢も恋も醒める。苦しかった、あの時は。彼をどうしても諦められなくて。障害を乗り越えて彼と結婚するのだと思い込んでいたから。


 そんな私を見ていたから、妹モニカは要領が良かった。

 知らない間に彼の弟と交際していて、反対されるのが分かっていたから駆け落ちしたのだ。そして、馬車の事故であっけなく二人とも死んだ。三歳になるユリシーズを全力で庇って。


 今、彼らは物言わぬ骸になって布がかけられた状態だ。

 ここは病院。

 私は妹が死んだという連絡を受け、仕事を任せてなるべく急いでやってきたのだ。しかし、イライアスの到着も速かった。


「マ、マァ……」


 事故で混乱しているだろう、腕の中のユリシーズがそう呟いて私に縋りついてくるのでぎゅっと抱きしめる。私は何も言わない傷だらけの妹に対面し、そして甥であるユリシーズに「大丈夫よ」と言って抱き上げたところだったのだ。


「だれぇ? とわい……」

「大丈夫よ。彼はパパのお友達よ」


 ユリシーズは「こわい」を「とわい」と発音するのだ。妹に似た点は外見上では全く見られないが、この言い間違いは妹もよくやっていた。紛れもない妹の子供。

 私の妹が命懸けで守ったこの子を今度は私が守らなければならない。病院について早々に甥を寄越せと言い、弟の骸には目もくれない彼には渡せない。


「君に随分懐いているようだ。隠れて会っていたのか?」

「初対面です」


 私にだけ妹は手紙をくれた。だから、男の子が生まれたことも年齢も名前がユリシーズであることも知っていた。

 ユリシーズの外見は金髪にアイスブルーの目。完全にバークレイ公爵家の特徴だ。


「あぁ、良いことを思いついた。君に懐いているようだし、そんなに甥のことが心配なら私と結婚して君が公爵邸で育てると良い」


 何をバカなことを言っているのだろうか。

 もう私はあなたのことを何とも思っていないのに、なぜそんなに自信があるのか。バークレイ公爵となったから「俺と結婚できるのが嬉しいだろう」とでも言いたいのか。以前の彼の方がまだ好ましかった。


「……公爵夫人か婚約者がいらっしゃるのではないですか」

「領地のことで忙しくてそれどころではなかった。悪い話じゃない。そうすれば、甥は冷遇されることもないだろう」


 私は黙って彼を見つめた。

 彼の発言は予定していたものだったわけではないようで、後ろで彼について来た使用人たちが慌てている。唯一変わらないのは長く仕えている家令の表情だ。

 公爵家の家令はいつも冷静だった。イライアスの母が金を積んで別れろと言った時も、あのように無表情で後ろに立って私を眺めていた。


「契約結婚ということですか」

「そうだ。それとも、別れを切り出しておいて私のことがまだ好きなのか?」

「いいえ、全く。何とも思っていませんが、実家の商売のためにも公爵家との縁は願ってもないことです」

「私もちょうどいい。公爵夫人目当ての女に辟易していた。跡継ぎと妻が一気に手に入る」


 彼なら子爵家の商売を潰すこともできるだろう。断ったら、公爵家の権力を盾にしてユリシーズは奪われ実家も危ない。

 あぁ、こんなことをするなんて彼はもしかして私を恨んでいるのか。


 一度は彼の求婚に頷いた。彼も周囲からできるだけ庇ってはくれたが、私は激しい反対と嫌がらせに耐えきれず彼に別れを告げたのだ。


「では、契約結婚の項目について話し合いをしよう」


 彼が手を差し出してくる。

 私はユリシーズを抱きしめながら、その手を見つめた。


 彼がしたいのは私への復讐だろうか。さっさと結婚していると思っていたのに。


「馬車の中でしましょう。一度、荷物を取りに家に帰らせてください。監視のために人をつけてくださっても構いません」

「どうせブレイク子爵にも説明が必要なんだ。このまま行こう」


***


 ブレイク子爵に事情を説明し、ジリアンが荷物をまとめるのを待つ。

 子爵も駆け落ちした次女が亡くなったのと、長女が公爵家に嫁ぐ報告が同時にあったため目を白黒させている。

 子爵が席を外したタイミングで、家令のダレンが小声で聞いてきた。


「旦那様は最初から決めておられたのでしょう。あの場でどんな形であれジリアン様に結婚を申し込むと。まさか、三歳の子供をだしに契約結婚を申し出るとは」


 長年仕えてくれている家令には取り繕ってもバレているらしい。

 駆け落ちした弟夫婦には監視をつけて探っていた。なぜなら、ジリアンが最も気にかけていたのは彼女の妹モニカだったから。

 そして馬車事故の報告を聞き、病院に駆け込んだのだ。どうやって知ったのか、ジリアンの方が早く到着していた。


「旦那様は理解してお別れされたのだと思っておりました。ご結婚なされないのも公爵位を継いで日が浅いとおっしゃっておられましたし……。ジリアン様はとても美しい方ですが、彼女では公爵夫人は務まりません」

「私は、別れても彼女を片時も忘れたことはない」


 ジリアンは変わっていた。

 長かったはずの亜麻色の髪はばっさり切られて肩にも届かないほど。私はあの亜麻色の柔らかい髪に触れるのが好きだった。私に好意を隠すことのなかったグリーンの目には、もう何の熱もない。むしろ垣間見えたのは憎しみだった。


 別れを告げられた日、彼女は泣いていた。

 全身でまだ私のことを好きだと言っているのに。


 分かっている、一番の原因は母だ。母は交際に賛成しておきながら、陰では彼女に別れるよう圧力をかけ、私に令嬢たちをけしかけていた。もちろん、使用人たちの態度も悪かった。分かっていたのに彼女を守り切れなかった。


 いや、私は全く分かってなどいなかった。

 子爵令嬢が公爵家に嫁ぐことがどれほど難しいか。苦労するか。そして、嫉妬がどれほど凄いか。一番の原因は非情な判断をできなかった情けない私だ。


「使用人たちの中にはジリアン様との交際を知る者も多くいます」

「分かっている」

「彼らがどういう態度に出るか……」

「ちょうどいいだろう、クビにするいい理由ができる」

「それは、せっかく領地に引きこもっておられる先代公爵夫人を刺激するのでは」

「今は私が公爵だ。やっと母を領地に押し込めたんだ、もう口は出させない」

「しかし……」


 ダレンはここで話すことではないと口をつぐんだ。

 ジリアンに別れを告げられ、弟がジリアンの妹と駆け落ちして、その後で父が倒れて公爵位を急に継ぐことになった。


 父が亡くなる前に進めていた領地の開発も難航して、日々は目まぐるしく過ぎていった。でも、彼女を忘れたことはない。ずっと忘れられなかった。あの夜会で見た時から、彼女と恋に落ちることは知っていた。


 しかし今は公爵家の権力に縋って三歳の甥を口実にすることでしか、彼女をつなぎとめられない。彼女を目の前にしてそれしか言えなかった。彼女の目に以前のような熱があれば、私はすぐに跪いて愛を乞うことができたのに。


***


 使用人にユリシーズを預け、荷物の整理をすると見せかけて自分の部屋の扉を閉める。そして私はポケットからくすんだ色の鍵を取り出した。


 形状がまるで合うはずのない鍵を扉の鍵穴に入れる。何の抵抗もなくするすると通ってカチリと硬質な音がした。


 勢いよく扉を開けると、そこには廊下ではなく薬草の香りのする見慣れた部屋が広がった。形の違うさまざまな大きさのフラスコ、魔法薬の材料が保管された棚、大きな鍋、乾燥させるために天井から下げた薬草。

 一際大きな机ではゴリゴリと何かをすりつぶす音とともに、水色の頭が動きに合わせて揺れている。


「うわっ! 師匠! おかえりなさい! 大丈夫だったんすか、妹さんは」


 水色の頭の持ち主、そして自称弟子であるロイはすぐに私に気付いた。頼んでいた薬草をすりつぶしてくれているのだ。


 ここは、私の作業場。

 何の運命なのか、イライアスとの恋を終わらせるために魔女に頼ったら気に入られて弟子にされ、私が魔法薬を作っている場所。


 魔女から薬草などの知識を得たおかげで子爵家にも利益をもたらすことができている。私の自殺未遂に妹の駆け落ち、そして今回のこと。父にはずっと迷惑をかけてしまっている。


「亡くなったわ。三歳の子だけ生きてるの」

「それは……なんて言ったらいいのか」


 ロイがひゅっと息を呑む。ロイは孤児だ。道で行き倒れていたのを私が拾ったのだ。今は雑用から何から全部やってくれている。


「私、バークレイ公爵と結婚するからしばらく週一でしか顔を出せないと思うの。今来ている依頼はそれほどなかったわよね? 一人で対応できそう?」

「血痕? 結婚? まぁいいや。今来ているのは惚れ薬の依頼が多いっすね。ストックがあるんで対応できます」

「あぁ、これから社交シーズンだから皆気合が入っているのね。可愛いわよね。惚れ薬で意中の相手から告白されたいだなんて」

「惚れ薬に頼るなんて女々しくないっすか?」

「いいじゃない。元々ある好意を高めるものなんだから。ない好意を無理矢理生み出すわけではないもの」


 私はロイと喋りながら、棚にある魔法薬の中から必要なものをささっと小さな鞄に詰めていく。


「師匠」

「なぁに?」


 師匠じゃないと言っているのに、彼は拾った日から頑なに私をそう呼ぶ。


「大丈夫なのか、バークレイ公爵って……師匠を傷つけた野郎だろ」


 ロイにうっかり話したことが一度だけある。バカげた私の昔の恋の話。彼はしっかり覚えていたのか。


「大丈夫よ。可愛い甥っ子を奪われないためだから。困ったらすぐに連絡してね」


 ロイは心配そうだったが、最終的に私を送り出してくれた。



 そしてやはり、こうなった。

 昨夜はイライアスがいたから、公爵邸に到着してからの晩餐の時は何も起こらなかった。


 しかし次の日の朝食では、私の前にはとても食べられない食事が用意されていた。明らかに腐った食材を使った料理である。公爵邸によくもまぁ腐った食材があるものだ。

 私はいいのだが、ユリシーズの分も同じものが用意されていて、ご丁寧に大人用のカトラリーまで用意されていた。


 彼と交際していた時と同じだ。嫌がらせである。

 ユリシーズを取られないためにここに来たつもりだが、私は過去の清算に来たのかもしれない。過去の弱い自分がされたことへの復讐。だって、魔法薬で消えたのは彼への正の感情だけだから。憎しみは消えていない。


「待ちなさい」


 給仕を呼び止めると、彼女は嫌そうにだが振り返った。


「これは誰の指示?」

「奥様とお坊ちゃまのお食事でございます。何か不都合がございましたでしょうか」


 私のことを舐めているらしい。笑ってしまうほど使用人の質は変わっていないようだ。

 きっとこうなるだろうなと分かっていたので、私は持って来た魔法薬をポケットから取り出し、勢いよく使用人の顔にかけた。


「きゃあ!」

「治してほしければ今すぐ関係者を全員連れて来なさい。家令もね。治さなければ一生顔はそのままよ」


 私は鏡を指差す。メイドは鏡を見て、やっと自分の顔が火傷したように爛れているのに気付いたようだ。この魔法薬、痛みはほとんどないのにかけた部分が爛れるのだ。


 メイドはこれ以上危害を加えられるのが嫌なのか、関係者を呼びに行ったのか分からないが慌てて走って出て行く。


 私はまだ眠そうなユリシーズを抱いてしばらく待った。子供の教育上良くないが、彼を安心して預けられる使用人がここにはいないので私が抱いているしかない。


 やがて、事態を知ったらしい家令が料理人や他のメイドたちを引き連れてやって来た。

 彼はテーブルの上の食事を見て事態を察知したようだ。


「奥様、大変申し訳ございません。関わった者たちは全員クビにします」

「いいえ、クビにしなくていいわ。その代わり、彼女のように薬をかけられるか、この料理を食べるかのどちらかを今すぐ選んで実行しなさい」


 家令は私の指示にピクリと体を緊張させた。


「これは公爵邸で出てくる食事だから食べられるでしょう? 一生懸命腐った食材を手に入れて料理したのだし。あなたは関係ないだろうけど、これを作った人と運んだ人には罰を受けてもらわないとね? だってこの家で弱い者はいじめていいんでしょう? 私は公爵夫人になったのだからこうする権限があるわ」


 家令はしばらく黙っていたが、やがて料理人たちにどちらか選べと言った。そうでなければクビだとも。


「医者に診せても無駄よ。あれは魔法薬だから普通の医者では治せないわ。嘘だと思うなら診せたらいいけど」


 私がユリシーズの背中をさすりながら待っていると、料理人の一人が意を決したように腐った料理を口にする。

 家令の前だから皆とりあえず素直よね。

 何人かが後に続いたが、料理を口にしたうちの二人が急に苦しみ始めた。


「どうした!?」

「あら、当たりを引いたのね」

「当たり……とは?」

「彼女にかけた薬をスープに入れておいたの。喉が焼け爛れて一生喋れないと思うわ」


 にこやかに笑うと、家令たちは信じられないとでも言いたげな視線を向けてくる。

 なぜそんな目を向けるのかしら。私にはよくこういうことをしていたのに。魔法薬じゃなくて、腐ったミルク入り紅茶とかだったけれど。


「ねぇ。三歳の子供にこんな食事を出すような人間に、生きている価値があるの? 価値がないんだから声や顔なんてどうでもいいでしょ?」


 私は本気で彼らに尋ねて首を傾げた。引かれている空気をヒシヒシ感じるが、知ったことではない。


「あなたたちの子供にやりかえさなかったことを、むしろ感謝して欲しいわ。薬ってかけたり飲ませたりしなくていいの。嗅がせたら終わりなものもあるわ。だからあなたたちに気付かれずにこの屋敷全体にやることもできる。きちんと仕えるなら、私もこんなことはしない。どう? ちゃんと仕えられる? 次にこんなことをしたらこの程度では済まさないわ。そして監督できなかったら次はあなたの番よ、その前に侍女長ね。周知させておきなさい」


 もうオドオドしてやられっぱなしだった以前の私ではない。家令をまっすぐに見つめて私はそう告げた。


「……旦那様がどう仰るか」

「使用人は私の好きにしていいと言われているわ」

「しかし、これはあまりにも……」

「私はやられたことをやり返しただけよ。文句があるなら公爵に言って」


 家令のダレンは諦めたように首を振ると、苦しむ料理人やメイドたちに指示を出して部屋の外に出す。


「ジリアン様。お聞きしたいのですが、あなたは魔女なのですか……?」


 へぇ、この家令は魔女について詳しく知っているのか。


「魔法薬を作れるのは魔女だけのはずです」


 魔法薬は魔女でなくても作れる。材料と作り方が特殊なだけ。家令は予想よりも魔女について知らないらしい。


「面白いでしょう? 以前、散々いじめて追い出した嫡男をたぶらかす泥棒猫が魔女になって公爵邸に帰ってきたら。先代公爵夫人なんて卒倒するんじゃないかしら」


 笑みを浮かべてこの家令と会話できるなんて、以前の私からは考えられないだろう。以前の私はオドオドして何の自信もなくて、いじめられて涙を浮かべ俯くことしかできなかった。


「奥様は……変わられたのですね」


 でも、その言葉だけは腹が立つ。私は好きで変わったわけじゃない。


「あなたたちが弱い私をよってたかって叩いたんじゃない。だから、私は強くなった。それだけよ。ねぇ、今の私はバークレイ公爵家にふさわしいかしら? お金を積まれて別れろと言うのならいくらくらいかしら」


 あの時はただただイライアスが好きだった。彼と一緒だったら良かった。でも、もう昔の私とは違う。やられたらやり返す。もう舐められない。背筋を伸ばして、最後まで家令から目を逸らさない。


「以前の奥様でしたら、バークレイ公爵家にはふさわしくありませんでした」

「まぁ、そうでしょうね。気持ちは分かるわ」


 使用人たちのいじめは酷かったが、客観的に振り返ってみれば以前の私では到底公爵夫人は務まらない。


「しかし、今も昔もイライアス様にはジリアン様がふさわしかったのでしょう」

「そんなことないわ。私は彼のことをもう愛していないもの」

「旦那様と別れて自殺未遂までされたのに、ですか?」


 魔女になる一つ目の条件。それは自殺を試みて未遂に終わっていること。

 私は笑ってブラウスをまくり、左手首を見せた。そこには失敗の傷跡がある。彼との別れを選んだくせに苦しくて辛くて、彼と一緒になれないなら死ぬとまで思った、愚かな私。結局失敗して、父を泣かせて妹を駆け落ちへと駆り立ててしまった。


「もう愛していないわ。彼を愛していた私は死んだの」


 ロイにはその日のうちに連絡して、使用人と関係のある貴族家からの魔法薬の依頼はすべて断らせた。


 その影響もあるのだろうか。

 クビにしなくていいと言ったのに、さらに危害を加えられると恐れたのか使用人たちは十数人辞めていった。夜の間に逃げていたと言ってもいい。


 嫌がらせがなくなって快適になったから、ユリシーズを安心して任せられる使用人を見繕わなければならない。


***


 使用人が十数人逃げた翌日、家令のダレンが執務室にやって来た。


 ジリアンの行動には驚いたが、使用人に関しては「そうか」とだけ言っておいたのだ。それで私が庇わないと知ったやましいことのある母の息がかかった使用人たちは逃げ出したわけだ。


「旦那様。どうか、ジリアン様に真実をお話ください」

「それはできない」

「なぜでしょうか……これでは、ジリアン様があまりに可哀想ではございませんか。もう三年もしたら旦那様は……」

「だから、財産と公爵位はユリシーズに遺す。彼女は公爵代理で残ってもらうことになるだろうが、ユリシーズのためだから残るだろう。ダレンにも迷惑をかける」

「私のことなどどうでもいいのです。ただ、契約結婚をして遺されるなど……」

「ジリアンは私を愛していないから、私が死んでも悲しまない。それなら、わざわざ余命を伝えたところで迷惑だろう」

「今のジリアン様は別人です。彼女は魔女です。魔法薬を貴族家にも卸していて、それを盾に今回使用人たちを追い出したようなものです」

「以前の私には覚悟が足りなかった。彼女には勇気が足りなかった。でも、彼女は変わった。それだけだろう」


 ジリアンは私と別れてから魔女になったのか。それは面白い。


「どんな彼女でも愛している。私が死ぬ寸前まで彼女に側にいて欲しい。この屋敷にいて欲しい。私のことをもう好きでも何でもなくても。それが私の願いだ。この屋敷に帰ってくれば彼女がいると思うだけで、私はもう死んでもいいと思える」

「魔女は、竜と対話できると聞いたことがあります……どうか、旦那様。ジリアン様に真実をお話ください。そしてどうか助力を……」

「ダレンは私を最低で最悪の情けない男にしたいようだな」

「すでに三歳児を盾に契約結婚をしたではないですか。それ以上が何だとおっしゃるのですか……」

「ダレン。私は彼女を愛しているから言わないんだ。ダレンは愛している人間に真実を言うのか?」


 家令が諦めたように口をつぐむのを見て、私は大きく息を吐いて痛む自分の心臓をなぞった。


***


「面白いことになってるじゃないかい、ジリアン」


 夜になってユリシーズを寝かしつけ終わると、いつの間にかイスに赤毛の美女が腰掛けていた。


 窓は完全に閉まっていて、公爵邸には門番もおり、たくさんの護衛騎士たちもいる。そんな中で入って来れるのは、人間ではない。私は久しぶりに会う彼女に微笑んだ。私が人生で最悪の時に縋った魔女ベラドンナ。


「師匠」

「嫌だね、そんな堅苦しい呼び方で呼ばれるのは」

「お姉さま」

「ふふっ。そうこなくっちゃ。それで、アタシの魔法薬は効かなかったのかい?」

「いいえ、良く効きました。彼を見ても何も感じません。ありがとうございます」

「そうかい。でもねぇ、ジリアン。あの公爵様はもうすぐ死ぬよ?」

「お姉さまには寿命が見えるのですか?」

「いいや。あの公爵様には竜の呪いがかかってるのさ。持って三年だね」

「え?」


 私は公爵邸に来て初めて動揺した。


「バークレイ公爵領には広大な森があってね。先代の公爵様はそこを切り拓いて開発しようとしていたのさ。それで守護竜の怒りを買ってポックリ逝ったね。今の公爵様も頑張ったけど、やっぱり守護竜の怒りを買ったわけだ。イライアス・バークレイの心臓には竜の呪いがかかっているよ」


 私はぼんやりと魔女の赤い唇が動くのを見ていた。

 彼への狂おしい思いは消したはず。それなのに、心の奥底から何かが湧き上がってきそうになる。


 ダメ、出てこないで。私はそれを見てはいけない。


「可哀想なジリアン」


 いつの間にか魔女が近付いてきて、私の涙を拭っていた。


「アタシの薬でも消せないほど彼を愛していたんだね」

「……いいえ、愛していません」

「じゃあ、彼が死んでも問題ないね?」


 問題ない。そう言いたいのにその言葉は喉の奥から出てこないし、頷くこともできない。


「ジリアン。彼を助けたいのかい?」


 助けたくなんかない。でも彼が死んだらどうなる? 公爵家には親戚がやってきて私たちは追い出されるのでは?


「いいえ」

「ジリアン。心にしっかり聞いてみるんだ。本当に彼が死んでいいんだね? 二度と彼には会えないよ」


 喉の奥が痛い。頭も痛い。吐き気がしてきて、世界がぐるぐる回った。

 ダメだ、私はこれを見てはいけない。


「ジリアン。彼を助けたいなら魔女になるんだよ。私と契約して魔女におなり。竜は魔女となら対話してくれるからね」


 彼女の赤い唇を見ながら、ぼんやりと頷きそうになるがユリシーズがうなされる声でハッと現実に戻る。

 魔女はいなくなっていた。その代わりに、テーブルの上には真っ赤なバラ。彼女がいた名残だ。


 そう、私はまだ魔女じゃない。半分だけだ。彼女と契約すれば完全に魔女になる。

 ズキズキする頭を抱えて、ユリシーズの背中をさする。彼がまた安心して寝息を立て始めるのを見てからそっと離れた。


 愛してない。もう愛してなんかいない。そのはずなのに。

 どうして彼が死ぬのがこんなに嫌なのだろうか。考えてはいけない、これ以上は。


 でも、頭が割れるように痛くなる。しばらくその痛みにうずくまって耐えて、やがて頭の中で何かが割れる音がした。


 気付きたくなんかなかった。


 私はまだイライアスを愛している。


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長編で書こうとしているお話が傲慢ヘタレヒーロー予定だったので、柴野いずみ先生の「ヘタレヒーロー企画」に参加すべく短編にしてみました!

「押し付けられた黄金郷~女辺境伯とやらかし王子の結婚~」で完全なるヘタレヒーローを書いてしまっていたので笑しかし、傲慢ヘタレはなかなか難しい。

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