第198話 『黒い衝撃』
チェルシーの部下たちはシジマとオニユリ以外、全員が船長室に避難していた。
船の中で乱戦が起きているのは分かっていたが、チェルシーによって彼らは参戦を禁じられている。
銃弾が海賊らを誤射してしまう恐れがあるからだ。
海賊船団の団長であるフィランダーの部屋は広く、20名以上の者たちが一時的に身を寄せるには十分だった。
そしてその中にはショーナとヤブランの姿もある。
「ヤブラン。一体何があったの? あなた……アリアドにいたはずでしょ?」
ショーナはそう言いながらヤブランの手当てをしていた。
ヤブランはあちこちを殴られたようで、顔を赤く腫らし、腕や足もアザだらけだ。
だがヤブランは静かに首を横に振ると、力なく掠れた声で言う。
「……私からは何も申し上げられないんです。将軍閣下から……お聞き下さい」
悄然としたヤブランの様子に、何かがあったのだとショーナは先ほどから勘付いていた。
船に乗り込む前からチェルシーとシジマの間に少しピリピリした空気が漂っているのも彼女は感じ取っている。
そして別行動をしていたオニユリが突然合流してきたことも不自然だった。
おそらくあの4人のうちで何かがあったのだろうとショーナは予測していた。
「そう……とにかくもう大丈夫よ。私の傍に……」
そう言いかけた時だった。
ショーナはゾクリと背すじを這い上る悪寒に思わす言葉を失う。
ヤブランが不思議そうにショーナを見つめた。
この船に乗ってからは黒髪術者としての力を解放していたショーナは、不意に感じ取ったのだ。
以前にも感じた恐ろしく黒い衝撃を。
(こ、これは……)
ちょうどそこで船長室にシジマとオニユリとが入ってきた。
シジマは縛られたままのヴァージルとウェンディーの腰縄を引いている。
ショーナはそんなシジマに血相を変えて詰め寄った。
「シジマ……チェルシー様が危ないわ」
ショーナの青ざめた表情にシジマは状況がただ事ではないと悟り、ヴァージルとウェンディーをショーナに預けると、すぐに踵を返して船長室を後にするのだった。
☆☆☆☆☆☆
チェルシーの剣がプリシラの喉を刺し貫こうと狙いを定めたその時だった。
轟音が鳴り響き、座敷牢の扉が吹き飛ばされたのだ。
ハッとしたチェルシーの視線の先、扉を蹴破って廊下に出て来たエミルは、その手に木材の破片を持っていた。
それは破片と呼ぶにはあまりにも太くしっかりとした木片であり、不自然にへし折らたように両端がギザギザと尖っている。
その様子にチェルシーは目を見張った。
「ろ、牢の格子を蹴破ったというの……」
座敷牢の格子は硬質な木製のものであり、何も使わずに己の肉体のみで破壊するのはチェルシーでさえ簡単なことではない。
それが分かるだけに、エミルの力はチェルシーにとっては驚異的だった。
エミルは手にした木片を武器に廊下を走り出す。
飛ぶように走るエミルはあっという間に接近してきて、倒れているプリシラを飛び越えてチェルシーに襲い掛かった。
「キシャアアアアアッ!」
「くっ!」
手にした木片を凄まじい勢いで突き出してきたエミルに、チェルシーはそれを長剣で受け止めるが、その力は予想以上に強かった。
チェルシーは後方へと押し飛ばされ、何とかバランスを保って転倒せずに耐える。
そしてチェルシーは見た。
エミルの両腕や両足から血が流れているのを。
やはりあの木造の格子を破壊するのに、相当無理をしたことが窺える。
「……そんな体で戦うと死ぬわよエミル」
忌々しげにそう言うチェルシーだが、エミルは薄笑みを浮かべて口を開いた。
「……ええ。だから早めにあなたが死んでくれると助かるわ。銀髪のお嬢ちゃん」
チェルシーは驚いて両目を大きく見開く。
それは確かにエミルの声だったが、口調は少年のそれではない。
まるで成熟した大人の女性のような口ぶりだった。
「あ、あなた……一体何者なの?」
思わずそう言葉を漏らすチェルシーにエミルは薄笑みを崩さずに答える。
「この坊やを見守る1人の女よ」
そう言うとエミルはとてつもない速度で木片を突き出す。
チェルシーはそれを受け止めるが、勢いに押されて下がって行く。
プリシラに先ほど突き刺された右肩の出血が止まらず、体に力が入りにくい中で、エミルのこの熾烈な攻撃を受けるのはチェルシーでも難しかった。
(くっ! このままじゃ……)
チェルシーの見据えるエミルの向こう側では、傷付いたプリシラも立ち上がろうとしていた。
☆☆☆☆☆☆
「くっ! 最悪だ!」
オリアーナを追って甲板に出たエリカは前方の状況に唇を噛んだ。
オリアーナとハリエット、そして少しだけ離れた物置の上に立つネルが大勢の海賊たちに囲まれている。
乱戦ならば手の打ちようはあるが、あれだけ多勢に無勢で取り囲まれるとどうにもならない。
しかもどうやらハリエットは負傷しているようであり、オリアーナも力なくしゃがみ込んでしまっている。
エリカは仲間の元へ必死に走った。
自分1人があそこに加勢したところで、劣勢を跳ね返すことは出来ないだろう。
それでも仲間を見捨てるわけにはいかない。
ダニアの女は腰抜けではないのだ。
そう思ったその時だった。
ハリエットらを取り囲む海賊らに向けて、船の外から次々と矢が射かけられたのだ。
エリカのいる場所からは船室を挟んだ反対側から、大量の矢が撃ち込まれていた。
「な、何?」
エリカのいる場所からは見ることが出来なかったが、次の瞬間、船に大きな衝撃が走ってグラリと揺れる。
するとすぐに大きな鬨の声が上がる。
それは女たちの声だった。
そして船の中に大勢の赤毛の女たちが雪崩れ込んで来たのだ。
女たちはハリエットらを取り囲んでいる海賊たちに次々と攻撃を仕掛けていく。
その先頭にはバラーディオの駐留部隊長であるダルシーの姿があった。
状況を悟ったエリカの顔に見る見るうちに興奮と喜びの色が広がっていく。
船で救援に駆けつけてくれた同胞たちが、この海賊船に体当たりをして一気に乗り込んできてくれたのだと。
海賊船の甲板上はあっという間に海賊らと赤毛の女たちが入り乱れる乱戦模様が広がっていった。
☆☆☆☆☆☆
「エ、エミル……」
プリシラはその顔を強張らせて立ち上がる。
あの谷間の戦い以来、またしてもエミルが不可解な力を見せて戦っている。
その力は以前にも増して凄まじく、負傷しているとはいえチェルシーを圧倒していた。
だがプリシラはエミルの姿に唇を震わせた。
その両手両足からは血が流れており、細かった両腕と両足は肥大した筋肉でパンパンに膨れている。
まだ10歳の少年であるエミルの痛々しい姿にプリシラは危機感を覚えた。
そして先ほどチェルシーに弾き落とされた2本の短剣を拾い上げると、体中の痛みに耐えて前方に向けて駆け出した。
(早く……戦いを終わらせないと。長く戦わせたらエミルが壊れちゃう)
プリシラはエミルの後を追うように賢明に床を蹴って走ると、エミルの隣に割り込むようにしてチェルシーに攻撃を加え始めるのだった。
☆☆☆☆☆☆
「くっ!」
チェルシーはますます劣勢に立たされていた。
木片をものすごい勢いで突き出すエミルに加勢して、プリシラも2本の短剣で攻撃を加えてきたからだ。
またしても2対1の戦いとなり、押されて後方に下がるチェルシーは、先ほどとは真逆の立場に立たされていた。
後退を余儀なくされ、このままいくと後方は行き止まりだ。
追い込まれる前にその手前のT字路で階段側に方向転換をする必要がある。
(ここは一度引いて上の広い場所で戦えば……)
そう考えたその時だった。
エミルがいきなり、手に持っていた木材を投げつけて来たのだ。
それはチェルシーが予想していたよりも高速で飛んでくる。
慌ててそれを長剣で叩き落とそうとしたチェルシーだが、踏み込みが足りずに逆に長剣を後方に叩き落とされてしまう。
「し、しまっ……」
エミルは並走するプリシラの手から短剣の1本を奪い取り、そこから一気に加速して長剣を失ったチェルシーに襲い掛かる。
チェルシーは腰帯から自身も短剣を抜き放った応戦しようとした。
だが、その時だった。
いきなりT字路から現れた1人の男がチェルシーの上でを引っ張り、強引に階段側の通路にチェルシーを引きこんだのだ。
「閣下!」
「シ、シジマ?」
現れたのシジマだった。
彼はチェルシーと入れ替わるように廊下に躍り出ると、手にした白い杭をエミルとプリシラに向かって投げつける。
プリシラはそれを短剣で弾くが、エミルは地面を滑り込むようにして杭をかわすと、一気にシジマの足元で跳ね上がり、短剣を頭上に振り上げた。
その刃は……シジマの右腕を肘の辺りから切断してしまう。
「ぐあああああっ!」
「シジマ!」
腕を斬り落とされておびただしい量の血を噴き出すシジマに、エミルはトドメを誘うと短剣を握った。
それを見たチェルシーは、シジマのもう片方の腕を引っ張ると、彼を強引に引っ張って階段の上に駆け上がって行くのだった。




