第196話 『あきらめの悪い女』
甲板の物置きの上から一部始終を見ていたネルは、信じられないものを見たような表情で呟きを漏らした。
「まさか……あのオリアーナが……あいつ、ブチギレるとああなるのか」
いつもおとなしく、感情を押し殺したようなオリアーナのことが気に食わず、ネルはこれまでも度々、挑発的な態度で彼女に接してきた。
だが、どうやら態度を改めたほうがいいとネルは思った。
それはオリアーナの逆襲を恐れてのことではない。
オリアーナの胸に秘められた戦士の怒りと誇りを見たからだ。
「あいつ……やれば出来るんじゃねえか」
オリアーナが張り合いのある相手だと知ったネルは、胸に喜びの感情が湧き起こるのを感じていた。
負けん気の強いネルは、同じく負けん気の強い者が好きだからだ。
だが、同時にネルは状況のまずさを感じ取る。
フィランダーの死に様を見た周囲の海賊らが、怒りと殺気を漲らせて周囲を取り囲み始めたからだ。
「一騎打ちの禁をこっちが破っちまったからなぁ。こりゃヤバいぜ」
フィランダーはハリエットとの一騎打ちの途中で乱入してきたオリアーナに撲殺された。
戦場とは仁義なき世界でもあるが、美学を穢した者が怒りの目を向けられるのも常なることだ。
見ればハリエットは戦闘で負傷したようで、右肩を左手で押さえている。
そして先ほどまでは怒れる戦士の振る舞いを見せていたオリアーナは、鷹のルドルフの亡骸を胸に抱き、涙を流していた。
周囲を取り囲む海賊の数は30人には及ぶだろう。
「このままじゃ袋叩きにされちまう」
ネルは腰に下げた矢筒を見た。
残っている矢はわずか12本。
どう見ても足りない。
状況は差し迫って危険だった。
☆☆☆☆☆☆
「こ、この下の部屋だ……」
若い海賊はそう言うと怯えた表情で背後のプリシラを振り返ろうとした。
プリシラはそんな海賊の背中を蹴り倒すと、うつ伏せになった男に馬乗りになる。
「こ、殺さねえでくれ! 嘘は言ってねえ!」
男の言葉を無視して、プリシラは腰帯に巻いていた縄を解き、それで男の両手を後ろ手に縛った。
そしてその縄を壁際の配管に括り付け、海賊を捕縛した。
「あなたの話が本当かどうか、確かめてくるわ。嘘だったら戻ってくるから。その時、あなたがどうなるか分かっているわね?」
プリシラはそう言うとじっと男を見た。
男は震えながら頷き、声を絞り出す。
「嘘じゃねえ。聞かされていることを言っただけだ。信じてくれ」
そう言う男を残し、プリシラは長剣を抜き放つと階段を降りていく。
そしてすぐに男の話が嘘ではなかったと分かった。
階段を下りきると、そこは突き当たりとなっており、左右に廊下が延びている。
プリシラはその手前で止まり、壁際から顔だけを出して左右を確かめた。
すると左手の廊下の先、十数メートル前方に白髪の男女が立っている。
どちらもその顔を知っている者たちだ。
プリシラは即座に顔を引っ込めた。
同時に銃撃音が響き、弾丸が壁際に当たって壁面を削る。
撃ってきたのはオニユリだ。
「くっ!」
銃撃は続き、プリシラは身を隠したまま、その銃撃が止むのを待つのだった。
☆☆☆☆☆☆
「閣下! プリシラが廊下の先に!」
部屋に飛び込んできたシジマの言葉にチェルシーは立ち上がった。
銃撃音が廊下に鳴り響いている。
「無駄弾を使わないようオニユリに言わないとね。シジマ。あなたはヴァージルとウェンディーのみを連れて船長室へ」
それからチェルシーは牢の中のエミルを振り返る。
「エミルはここに残しておいていいわ。プリシラを引き付けておけるし」
それからチェルシーは部屋の外に出ると、拳銃に次の弾を込めるオニユリに声をかけた。
「やめなさいオニユリ。音が反響してうるさくてかなわないわ。プリシラのことはワタシに任せて、あなたはシジマと共に上に。途中でダニアの女と遭遇したら、容赦なく撃ち殺して」
そう言うチェルシーにオニユリは黙って頷く。
部屋の中からはシジマが2人の子供たちを連れて出て来た。
そしてオニユリと共にその場から去っていく。
「閣下。ご武運を」
そう言うシジマの声を背中で受けると、チェルシーは剣を抜き放ち、前方に向かって声を張り上げた。
「出てきなさい! プリシラ! エミルはここにいるわよ! 返して欲しければ力づくで奪いなさい! それがダニアの女でしょ!」
その言葉に、ほどなくして通路の角からプリシラが姿を現した。
その手に剣を握っている。
チェルシーは呆れ混じりの表情を浮かべて剣を前方のプリシラに突き付けた。
「あなたって本当にしつこい女ね。これまでの対決で分かったでしょう? ワタシとの差が埋まらないってことを」
そう言うチェルシーにプリシラは怒りの形相で近付いて来る。
「しつこいのは当たり前よ。弟の命がかかっているんだから。それにチェルシー。あなたはヴァージルやウェンディーにまで手を伸ばした。絶対に許せない!」
「ヴァージルやウェンディーは共和国大統領の子女。戦時にこうなる恐れのある立場よ。プリシラ。あなたも女王の娘ならば政治を覚えるといいわ」
「ふざけないで! チェルシー。あなたはクローディアへの復讐のために、あの2人を誘拐したんでしょ! それは私怨よ!」
私怨。
プリシラのその言葉に対して、それは違うと反論することは簡単だ。
だがチェルシーはそんな気すら起こらなかった。
「……そうね。姉様への個人的な恨み。ワタシにとってはそれが一番の理由よ。お腹を痛めて産んだ我が子が、かつて捨てた妹に攫われる。姉様はどう感じるかしら? 過去の自分の所業が罰となって返ってきた。そんなふうに思うかしらね」
「クローディアを見くびらないで。彼女はそうなっても、きっとあなたのことも心配するわ。子供たちだけじゃなくね。気高く優しい人だから」
そう言うプリシラの言葉にチェルシーは気持ちがささくれ立つのを感じた。
自分が知らない姉をプリシラは知っている。
だが、それを顔に出すことも忌々しく、チェルシーは冷たい眼差しをプリシラに向けた。
「そう……だけどそんなことを言い争っている段階はとうに過ぎているわ。プリシラ。ワタシは王国軍のチェルシーよ。将軍としてやるべきことをやるだけ。ここで終わりにしましょう」
チェルシーは長剣の切っ先をプリシラに向け、打って出た。
☆☆☆☆☆☆
チェルシーの剣が鋭く突き出される。
プリシラは自らも剣を構えてこれを受けて立った。
山谷の岩橋の上、馬車の上、農耕地帯での戦いを経て、かれこれ4度目の対決だ。
プリシラは過去3度に渡る戦いでチェルシーとの力量の差を見せつけられた。
それでもプリシラの心は今なお折れていない。
(確かにチェルシーは強い。でもアタシはチェルシーの動きが見えるし、その剣を受け止められる。過去3度の戦闘の経験もある。実力の差はあるけれど、手も足も出ないわけじゃない。落ち着け。戦える。アタシはチェルシーと戦える)
プリシラはそう自分に言い聞かせた。
そして今、置かれているこの状況をしっかり頭に叩き込み剣を握る。
チェルシーの高速の突きを、最小限の剣の動きでいなす。
チェルシーはさらに速度を上げて連続で突きを繰り出してきた。
その速度に自分が対処し切れないことを知るプリシラは、小刻みに後退する。
適度に距離を取ることで、チェルシーの剣を受け止める余裕を持つためだ。
(この空間は狭い。動きは限定される)
両側を壁に挟まれたこの下層の廊下は上階ほど広くない。
剣を大上段に構えれば天井を擦ってしまうし、同様に左右に広げれば壁を擦ってしまう。
長剣では必然的に突きや細かい払いに攻撃方法が限定されるのだ。
そしてプリシラは頭の中でチェルシーの次の動きを予測する。
そんなことが出来るのも、ここまでの対戦の経験でチェルシーの剣筋を鮮明に覚えているからだ。
(考えろ。感じろ。動け。アタシの全部を使い切るんだ)
プリシラは思考と感覚と神経を全開にしてチェルシーの攻撃に対処し、隙あらば自分からも攻撃を仕掛けていく。
(エミルが待っている。アタシの助けを待っているんだ。エミル。もうすぐ行くからね)
プリシラはかつて山中で迷子になったエミルを必死に探しに行った時のことを思い出していた。
弟を無事に家に連れて帰るんだという使命感に突き動かされたあの日のことを。




