第109話 『ヤブランという少女』
オニユリに見舞いの品を届け終えたヤブランは、腑に落ちない表情で商家の中庭を歩いていた。
(シジマ様はどうしてあんな指示を……)
シジマの小間使いとしてココノエにいた頃から2年間、働き続けてきた。
シジマは合理的な人間で、あまり無駄な用事を命じることはなかった。
今回のように妹のオニユリのところに見舞いの品を持って行くように、というような命令は初めてのことだ。
まだ12歳で小柄なヤブランは銃を扱って戦うような技能もなければ、戦闘の訓練なども受けていない。
だが彼女は思慮深く、頭の良い少女だ。
シジマの命令の裏側にあるやもしれぬ意図を読み取ろうとした。
自分に何かを確かめさせようとしたのかもしれない。
一見、意味の無いことに何かの意味を込めて指示を出すことは、シジマならばやりそうな気がした。
(要するに自分がいない間、オニユリ様の様子を監視しろ、ということなのかしら。シジマ様はオニユリ様の何を疑っているの?)
ヤブランはふと顔を上げる。
すると建物の一室が、昼間だというのにカーテンを閉め切られていた。
だが、わずかに開いた隙間から部屋の中で何かが動くのが見えた気がした。
ココノエの民は聴覚や嗅覚など五感の鋭い者が多い。
ヤブランはそのうちの視覚に優れていた。
(あれは……)
彼女の目は部屋の中で何者かが身じろぎしているのを捉えていた。
それはまだ小さく痩せていて子供だと分かる。
ヤブランは目を凝らすが部屋の中が薄暗いため、それ以上はハッキリと見えなかった。
すると部屋の中からかすかに女性の声が聞こえてくる。
(……オニユリ様だわ)
どうやらオニユリが部屋に入って来て、その部屋の中にいる誰かに話しかけているようだ。
随分と上機嫌らしく、声が高いためにどうにか聞き取れる程度の音量であるせいで、会話の内容までは聞き取れなかった。
もう少し部屋に近寄ろうかと思ったが、そこでヤブランは背後から急に話しかけられてビクッと肩をすくませる。
「ヤブランお姉ちゃん。何してるの?」
振り返るとそこには白髪頭の幼い子供がいた。
ヤブランも見覚えのある7~8歳くらいの男児で、オニユリのところで育てられている子供たちの1人だ。
その男児は両手で自分の顔ほどもある毬を抱えている。
その後ろからは様々な髪と肌の色をした幼い子供たちが10人近くゾロゾロと歩いてきた。
ヤブランは表情を取り繕い、笑顔を浮かべる。
「オニユリ様にお見舞いの果物をお渡しした帰りなの。オニユリ様のお怪我。早く治るといいわね」
「うん。姉上様、痛がっていたから早く治ってほしい」
子供たちは口々にオニユリを心配する声を上げた。
ここにいる子供たちは皆、オニユリを姉上様と呼び、慕っている。
身寄りのない自分たちを受け入れて育ててくれているオニユリに恩を感じているのだろうと言う者もいるが、ヤブランはそうは思っていない。
ここにいる子供らは皆、笑顔を浮かべているが、その目にはどこか虚ろな光が滲んでいる。
ヤブランは以前から彼らのことをどこか不気味に感じ、あまり好きではなかった。
こうして多くの子供たちに見つめられると薄ら寒い恐怖すら感じる。
「これから皆で毬遊び? いいわね。ところで最近、お友達が増えたの? オニユリ様が誰かの分の朝食をご用意されていたみたいだから」
オニユリはココノエの一族の中では高貴な身分だ。
その彼女が自分で自分の朝食を運ぶのはどこかおかしい。
あの浮かれた様子から、あれは自分の朝食ではないとヤブランは直感していた。
おそらく新しくお気に入りの子が増えたのだろう。
ヤブランの問いに子供たちは目を見合わせる。
それに答えたのは毬を持つ子供だ。
「僕らも分からないんだ。新しい子が来たら姉上様が紹介してくださるんだけど、まだ……」
「そう。新しいお友達が出来るといいわね」
あまりあれこれ聞くのは逆に勘ぐられるかもしれないと思い、それだけ言うとヤブランは子供たちに手を振ってその場を後にする。
ふと先ほどの部屋に目を向けると、少しだけ開いていたカーテンの隙間がいつの間にか閉じられていた。
オニユリが閉じたのだろう。
(あの噂……本当なのかな)
ヤブランももちろん知っている。
オニユリに関する良くない噂を。
表向きは慈善事業のように受け入れた孤児たちに、いかがわしい行為をしているのではないかと。
その噂の真偽は分からないが、ヤブランは出来ればオニユリや彼女を取り巻く子供たちに会いたくなかった。
その噂を聞いたからというわけではないが、彼らからはどこか不気味な雰囲気を感じる。
(シジマ様……私に何をさせたいんだろう。出来ればここにはもう来たくないな)
そう思ったヤブランは少しだけ背後を振り返る。
子供たちの遊ぶ声が聞こえて来た。
白髪、金髪、茶髪、栗毛、赤毛など様々な色の頭髪を持つ子供たちが、毬を投げ合う遊びに興じている。
(そう言えば黒髪の子供はいないな。まあ黒髪の子は黒髪術者の可能性もあるから、王国軍の黒帯隊に送られちゃうか)
そんなことを思いながらヤブランは商家を後にするのだった。
この時は彼女はまだ知らない。
自分が後日またここを訪れることになることを。
☆☆☆☆☆☆
公国南部の山岳地帯に沿って南下すると山が徐々に低くなり、今度は森が出現する。
その深く暗い森の中を進む一団の姿があった。
人数は20名ほど。
全員が商人風の旅装に身を包み、隊商を装っている。
この一団を王国軍のチェルシー将軍が率いる部隊だと気付く者はいないだろう。
隊の先頭を進む白髪頭の若い兵士らを後方から見据えて進み続けるチェルシーは、目立つ銀髪を隠すために、頭にヴェールを被った修道女姿に扮していた。
隊商に同行する修道女を装うためだ。
その隣に付き従うのはこの部隊の副官を務める白髪の青年シジマだ。
チェルシーは足を止めずにシジマに声をかける。
「オニユリがいないと戦力面で大きな損失ね」
そう言うチェルシーだが、シジマは肩をすくめた。
「まあ、そうですが。ここからは極力、揉め事を避けて目的地を目指す行軍ですから、武力的な戦力低下はそれほど問題ではありません。むしろオニユリがいないほうが揉め事も起こさずに穏便に進めるでしょう。我が妹ながら気性の荒い女ですので」
そう言いながらシジマはすでにアリアドに戻っているであろう妹が問題を起こさないことを願う。
オニユリはココノエで最も優れた銃の使い手であるというその腕が買われ、王国のジャイルズ王からの覚えもめでたい。
そのため妹がいい気になっていることをシジマはヒシヒシと感じていた。
(忘れるなよ。オニユリ。我らはいまだ薄氷を踏む立場なのだということを)
昨日シジマは鳩便を飛ばして小間使いであるヤブランに見舞いの品をオニユリに持って行くように告げた。
しかしそれ以外は、ハッキリとした指示は与えなかったのだ。
ヤブランは賢い娘ではあるが小間使いに過ぎず、偵察などは出来ない。
オニユリを見張るように伝えてもきっとうまくいかず、逆にオニユリに怪しまれるだろう。
だが、適度に他者の目があったほうがオニユリを自重させやすい。
妹に好き放題させぬよう、シジマは残り4羽いる鳩便用の鳩たちを効果的に使ってヤブランに指示を与えていくつもりだった。
そんなシジマの内心を知ってか知らずかチェルシーは言った。
「あなたの細やかな気遣いには助けられているわ。ここから先はその細やかさが重要になってくる。シジマ。頼りにしているわね」
チェルシーの言葉にシジマは感謝の意を込めて答えた。
「お任せ下さい」
そしてシジマは思うのだった。
たかだか16歳の小娘だが、チェルシーの言葉には他者を敬服させる響きがあると。
(これが女王の血か。王国はジャイルズではなく、この娘が女王として君臨したほうがうまく回ったかもしれんな)
それは考えても仕方のないことだが、もしそうであればシジマらココノエの民は安泰であっただろう。
「もうすぐ国境です。将軍閣下」
先頭の兵士がそう告げた。
チェルシーの部隊が進む森の先は、もう共和国との国境線が迫っているのだった。




