第165話 『夜の街を駆ける者たち』
アーシュラは夜の街を足早に歩きながらひたすら神経を集中させていた。
先ほど黒髪術者の力で感じたエミルの気配はとうに消えている。
だが、もう一度その感覚を思い出しながら、伝わってきた方角を絞り込んでいく。
(北……真北ではない……東寄り。ここからその方角にある地域は……)
バラーディオの街の地図は先ほど領主の館の壁に大きく貼り出されていたものを見てしっかりと覚えてきた。
「おい! 危ねえぞ!」
あまりにも集中し過ぎて、前から歩いてくる通行人にぶつかりそうになり、怒鳴られる。
プリシラが慌てて通行人に謝り、アーシュラの手を引いて歩き続けた。
手を引かれていることにも気付かぬほどアーシュラは思索に没入している。
そして……彼女はようやく向かうべき先を頭の中で導き出した。
「捜索範囲を街の北東部に限定します」
アーシュラはようやく我に返ったようにプリシラの背中にそう声をかける。
プリシラが立ち止まって振り返ろうとしたちょうどその時、獣のニオイが漂ってきた。
見ると黒熊狼のバラモンを連れたオリアーナとネルが前方から歩いてくる。
プリシラはアーシュラの手を放すと、大きく手を上げて前方の2人に手招きをした。
「こんな広い街を歩き回ったって、朝まで探しても見つからねえぞ」
嫌気の差したような顔でそうぼやくネルにプリシラは意気込んで言った。
「捜索範囲をかなり絞り込めるわ」
「2人とも。これからワタシと共に街の北東部に向かいますよ。かなり捜索を効率化できそうですので」
アーシュラはそう言うとプリシラに目を向ける。
「プリシラ。あなたは統括部管理局の庁舎に向かい、エステルたちに伝えて下さい。名簿確認は、来訪者の行き先を北東部に限定するようにと。名簿は地域別に分けられているはずなので、そちらも選別をかなり効率化できると思います」
「分かりました。アタシはその後、北東部に向かったほうがいいですか?」
「いえ、まずはそのままあなたも名簿確認を手伝って下さい。絞り込めたらエステルらを連れて北東部にある統括部の出張所に来て下さい。同胞たちが一晩中、詰めてくれていますので」
アーシュラの指示に頷くと、プリシラは夜の街を駆け出した。
時折、街の各所で赤毛の女とすれ違う。
この街に駐留している150人の赤毛の兵たちは、部隊長ダルシーの指示を受け、総動員で街を探してくれていた。
プリシラはそんな仲間たちに感謝の目線を送りながら、まだまだ眠らない夜更けの街を駆け抜けるのだった。
☆☆☆☆☆☆
「……それはあくまでも現時点でのあなたの推測の話よね。シジマ」
チェルシーの言葉にシジマは重々しく頷く。
この街にはエミルがいる。
ショーナのその話を聞いてもエミルへの手出しは無用と方針を変えなかったチェルシーだが、シジマからの告白を聞いてさすがに顔色を変えた。
シジマの妹のオニユリがエミルを囲っているかもしれない。
もしそれが本当ならば、部隊に対する背任行為だ。
ヴァージルやウェンディーと違ってエミルはジャイルズ王からの捕縛命令は下っていない。
とはいえオニユリは今はチェルシーの直属の部下なのだ。
チェルシーの独断とはいえエミルの捕縛を部隊の任務とした以上、オニユリがそのエミルを秘密裏に匿っていることは許されない。
「それが推測か事実か確かめる必要があります」
シジマは強張った表情でそう言った。
彼にとっては苦しい告白だったろう。
チェルシーは大きく息をつくと考えをまとめ始める。
「エミルの詳しい居場所についてはショーナと部下たちが精査中です。ショーナのことですから、それほど時間はかからないと思います」
そう言うとシジマはチェルシーの指示を待つ。
ほどなくしてチェルシーはシジマに目を向け、その決断を告げた。
「シジマ。まずは事実確認を。あなた1人で行く方が速いし、見つかりにくいわね。ただしエミルの捕獲は確実に出来そうになければあきらめて戻りなさい。居場所が確実に分かったら、あらためてワタシが向かうから」
「分かりました」
「それと必ず夜明け前に戻りなさい。明るくなれば人も増えて、人目につきやすくなる。そうなる前に終わらせるのよ」
そう言うチェルシーにシジマは口を引き結び、厳しい顔で頷いた。
そんなシジマの腕をチェルシーが掴む。
シジマは何事かと目を剥いた。
「シジマ。今回の件、オニユリの処罰は必要だけど、あくまでも部隊内の問題として内々に済ませるわ。兄にも報告はしない。ワタシの責任として胸にしまう。だから、あなたの目で見たことをありのまま報告しなさい。どんな事実を見ても隠し立てなどしないこと。ワタシはあなたたちと一蓮托生だと思っているから、あなたたちだけを切り捨てるようなことはしない」
チェルシーの言葉とまっすぐな瞳にシジマは息を飲む。
彼女の言うことは決して温情などではない。
チェルシーは先代王の娘にて当代のジャイルズ王の妹だが、国内には味方よりも敵が多い。
そしてココノエの民も国内では西方の民と呼ばれ蔑まれている。
そのココノエの民を重用するチェルシーは、万が一ココノエの民が何か問題を起こせば、責任を被る立場なのだ。
だが、シジマはチェルシーの言葉をありがたいと思った。
祖国を失い、逃げるしかなかった一族に手を差し伸べてくれたのは紛れもなくチェルシーだ。
その恩義を忘れるほどシジマは不義理ではない。
チェルシーの目を静かに見つめ返すと深々と頭を下げた。
「必ず。この目で見た真実をお話しすると誓います」
シジマは頭を上げるとすぐさま踵を返し、エミルの所在を探るショーナの元へと向かうのだった。
☆☆☆☆☆☆
この夜、エミルはベッドに横になってもなかなか寝付けなかった。
目を閉じると、浴室での恐ろしい一件が甦ってくる。
オニユリの声が幻聴のように耳に響き、オニユリの視線が瞼の裏に浮かぶ。
エミルは体の震えを抑えるように毛布を体に巻き付けて縮こまった。
アリアドにいた頃やここまでの移動中と違い、拘束具はつけられていない。
自由に動くことが出来る。
(……ここから逃げ出せないかな)
エミルはベッドから起き上がり、窓辺に歩み寄った。
そしてカーテンの隙間から外の様子を窺う。
中庭を見下ろすと、その端には高い壁が聳えていた。
エミルではとても登れそうにない。
(外にさえ逃げられれば……)
この港町バラーディオには一定数のダニアの女戦士たちが駐留していることは父から聞かされてエミルも覚えていた。
同胞たちがいる街。
そう思うだけでほんの少しだけ心強かった。
(仲間たちに会えれば助けてもらえる。でも、僕がエミルだって分かる人いるかな)
そんなことを考えながらエミルは黒髪術者の力を展開しようとした。
街の様子を少しでも探れないかと思ったからだ。
だがその時だった。
背後から声をかけられたのは。
「眠れないんだね?」
驚いてエミルが振り返るとすでにすぐ目の前にヒバリとキツツキが立っている。
いつ彼らが部屋に入って来たのか、エミルはまるで気付かなかった。
その手に何かを持っていると思ったが、それを見定める前にエミルの顔に煙のようなものが吹きかけられる。
「わっ!」
それは奇妙に甘い香りのする紫色の煙だった。
ヒバリとキツツキがそれぞれ手に持っているのは紫色の線香の束だ。
その煙が顔に吹きかけられ、エミルは思い切り吸い込んでしまう。
「ゴホッ! ゴホゴホッ!」
「これでゆっくり眠れるよ」
「ちゃんと寝ないと体に悪いからね」
ヒバリとキツツキの声が響く。
咳き込みながらエミルはたまらずその場に膝を着いた。
途端に強い酩酊感が襲ってくる。
以前にアリアドで感じたことのある感覚だが、あの時よりもずっと強い。
すぐにエミルは意識を失うのだった。




