第304話 ようこそ、マントヴァへ!
「ねえ、この派手な衣装、いつまで着とかないといけないんだっけ?」
「マントヴァで殿下から駐屯兵たちに訓示を述べられるまでですね。スケジュールは昨日、申しあげた通りです。変更はありません」
陸軍省事務官パネット・ミーネ軍曹から同情の欠片もない事実を告げられて、わたしはそっと嘆息した。
「ドレスのドレープは着脱式だそうですので、それだけでも脱ぎますか?」
「次の休憩地はクレモナだっけ?」
「はい。馬の調整のみですので、小休止は十五分です」
「わかった。現状維持で」
ミーネ軍曹の馬が走り去ると、わたしは香ばしい眼ざしを彼方に向けた。
「かれん。つらい?」
となりでカルロ陛下が気遣ってくれる。
「大丈夫です。陛下こそ、大丈夫ですか?」
「ううん。重いのイヤ。でもカレンが我慢してるから、カルロも我慢するのよ」
抱きしめたい、この笑顔。
「馬揃え、早く終わるといいですねえ」
「ですねー」
そもそも本物の金銀を糸にして刺繍しているのだ。聞けば総重量は三五キロと重鎧なみ。国家の権威とやらを背中と腰で支え続けるのは、王族の仕事として割に合ってるのだろうか。
王都から五時間かけてクレモナに市庁舎に到着。市民から盛大な歓迎を受ける。
わたしとカルロ陛下の姿を見るなり、執政官フェルディナンド・バルデシオと秘書官のアウレリア・バーリが歓迎の意を表明する。おっさんが笑いをこらえながら。
「ねえ。馬子にも衣装くらいなこと、言えないの?」
「いや、それも憚られますな。殿下は絢爛礼装よりも疾風怒濤がお似合いかと」
「いい褒め言葉だったから無礼を許します。それと久しぶりに顔を見たら元気そうなので安堵しました」
「お気遣い、かたじけなく存じます。内示が出まして、春にクレモナを去ることになりました」
「えっ、わたし聞いてないよ。どこに行くの?」
バルデシオの前だと儀礼口調が十分もたない。
「それは部外秘なので、ちょっと」
バルデシオは強面らしく豪快な笑みを浮かべた。
「ご心配なく。ただの任期切れです。来年は別の執政官がここら辺を治めて、それがしの代わりに私腹を肥やすことになりましょう」
「バルデシオ、悪徳執政官になり損なったの?」
「ええ。ですが殿下がこの町に滞在なされた間は退屈しない時間でしたよ。感謝しております」
「わたしもすごく感謝してる。いろいろありがとう。とくにチェーザリ兄弟のこと」
「その分、彼らには酒の贈答品を欠かすなと言ってありますよ」
バルデシオとがっちり握手だけを交わして、わたしは再び戦車の手綱を握った。
この惜別の感動は春まで持たなかったんだけど、それは後日。
クレモナからマントヴァまで再び行進を開始する。ピアデナ、カルヴァトーネ、マルカリア、カステルッキオの中小集落で馬を休めながら進むこと、さらに五時間。グラツィオ大聖堂において幕僚全員で祝福を授けられ、目的地マントヴァに到着した時には、陽が地平に沈んでいた。
わたしは、その時の街中に燎原のごとく照らされた松明の歓迎を忘れないだろう。
「ようこそ、マントヴァへ!」
ゴール地点となる、マントヴァ市街の総督宮殿から出てきたのは、陸軍省事務官を示す青いジュストコールだった。年齢は二十代後半。鼻眼鏡の如才なさそうな痩せぎすの男性だ。
「彼の名は?」
わたしは戦車そばまで寄り添う同じ青のジュストコールをまとうミーネ軍曹に訊ねた。
「レイ・ザンペルラ中尉です。バラッカ大佐の副官です」
「性格は?」
「小賢しいです」
「了解」
ミーネ軍曹が離れると、わたしは戦車を進めた。宮殿入口まで歩いていったら衣装の重さで息切れして階段が登れなくなるからだ。
「殿下。荘厳なお召し物でのおこし、バラッカ辺境部隊を代表し、心より歓迎申し上げます」
徐行で進む戦車と伴歩しながらザンペルラ中尉はおもねってくる。
「代表して、か。辺境部隊長は」
「はっ。はい。それが現在……巡察の時間でして」
巡察は、幹部が駐屯地や部隊の勤務状況を巡回して監視や指導することだ。
「いつ戻る」
「はあ、それがいつになるかは、わたくしも……存じ奉らず」
「ザンペルラ中尉。もう一度たずねる。――エンツォ・バラッカはどこだ」
強い口調で言ったわけではない。ただ、重鎧なみの衣装を着たまま、待ち人を待つのはわたしもカルロ陛下も限界だと言いたかった。
ザンペルラ中尉にはそう聞こえなかったらしい。口があわあわ踊り始めた。
「それが、その、公邸で……休まれておいでです」
総督宮殿は、地方行政官舎であり辺境部隊長の公邸でもある。
街中に松明を設置させたのがバラッカの配慮ではないとすれば、公邸の奥に引っ込んだまま、馬揃えにかこつけた補給部隊を出迎えないのは不自然だ。
「ザンペルラ中尉。卿の意見を聞きたい」
「はあ。なんでございましょう」
「卿は、バラッカ大佐に信を置かれていないのか」
数秒の間があった。
「本音をお許しいただけますか?」
「許す」
「あの方とは丸二年になります。敵と戦うのがおのれの仕事で、わたくしには兵士の給料と経費と戦うのが仕事だと嘯く、脳筋なのでございます」
敵と戦うのが仕事か。なるほど。
「正論のように聞こえるが?」
「いいえ、殿下っ。ここマントヴァが戦場になったことはここ百年ございません」
「なるほど。では、卿は我々が馬揃えでこの地に達した後のことは頭に入っているな?」
「はい。あらかじめ送達を受けた内容は把握しております」
「そうか。では、やはり卿はいまだバラッカ大佐に信を置かれていないようだな」
「カレイジャス殿下。それはどういう」
「本人に会えば解る。だがわたしだけでなくカルロ陛下もお疲れだ。先にこの衣装を置ける部屋に通せ」
「会われない、のですか?」
「ザンペルラ中尉。バラッカ大佐は休んでいると、卿が言ったばかりだぞ」
わたしは階段の前に戦車を止めると、カルロ陛下の手を引いて一段ずつ昇る。
なぜか階段には松明や篝火などの照明台は一切置かれていなかった。
わたしのすぐ後方からロンバルディア四将軍とカヴール伯爵、ルーヴァン・メッセ将軍の六人が甲冑姿で追従する。他の部隊は市外の各地に点在する宿泊施設に寄宿か野営することになっていた。
「かれんー。かれんー」
階段を昇りきったところで、カルロ陛下が手を引き返してきた。
「きれい、きれい」
振り返ると、満天の星空に市街の松明が夜空に対抗するように煌々と地上を照らしていた。
「本当だ。ここからの眺め、綺麗ですねえ」
「うん。守りたいのよー」
カルロ陛下がちょっと聞けば、的外れとも受け取れる言葉を口にした。
わたしにはそれがちっとも的外れには聞こえなかった。
バラッカ大佐はわたし達に町を見せたかったのだ。
階段の無明がこの星空と松明の燈火を同時に見せるための演出ならば、やはりカルロ陛下はすべての真相を最速で到達したことになる。
「ザンペルラ中尉」
「はーい」
もはや緊張感なく返事して振り返ってくる。
「市街の松明は、どこから供出されたものか」
「松明? さあ。本営から町へ供出を命じておりませんが。あれだけの数だと燃料費が馬鹿になりませんから」
「町衆が命じられたわけでもないのに、馬揃えの同日同時刻に松明の明かりを灯すのか?」
「回答は不能です。可能性としてバラッカ大佐が町衆に呼びかけたんじゃないでしょうか」
「バラッカ大佐なら、できるのか」
「えっと。権限としては部隊事務次官が発令してないので、あとは辺境部隊長くらいですから。あははは」
ザンペルラ事務官は頼りなく笑って逃げるように廊下を歩き出す。
「はぁん、ヴァルパンの親父め、相変わらず人を見る目が鷹の目じゃないか」
フラン・チャコルタ上級少将が市街の風景を眺めながら、喉の奥で笑った。
「エンツォ・バラッカ……これは明日の叙任式が楽しみだね」
わたしはカルロ陛下の手を引いて、磨かれた廊下を進んだ。




