第229話 カレン、ワイルドカードをきる
ザミェルザラントの魔剣は、竜にとっての口輪だった。
長年の枷、顎を上下で縫い留める剣がなくなったことは、永劫を生きる竜にとって本領を取り戻したに等しい。
解放の狂喜と束縛への怨怒が雪風をうねらせ竜巻へと姿を変えた。
全壊したはずの口吻は再生し、流線美しい白銀毛が蘇っていた。
赤い眼が、卑小なる者らを睥睨した。
〝我をあの忌々しい枷から解き放った褒美だ。受け取るがいい〟
烈風の柱から金色の魔法陣が急速展開した。
「げぇっ!? 逃げろっ、馬車から全力で、逃げるんだよぉ!」
ランブルスの絶叫で、ニルダは氷壁を大火力で破り、相棒の腰を抱えて馬車から飛び降りた。
背後で馬車の荷台が風で浮き上がり、木っ端微塵に切り刻まれた。そのまま竜巻旋風となって宿場町の繁華区域が消失した。
修道女二人は暴風につまみ上げられ、悲鳴すら風にかき消された。
幸運は二人とも同じ方角へ飛んだこと、竜巻旋風の外側を掠めたにすぎなかった。この二つ以外は爆心地から三キロも外へ投げ出されたが、魔法銃だけは手放さなかった。
「あっだだだ、ニルダ姉……生きてっかあ?」
「くっ、ううっ、なん、とか……あなたは?」
「なんとか、てか、今ここどこらへん?」
「あの瓦礫の山がアイロロなら、北へ二、三キロ地点かしら」
「キロ? マジかよ……もうここで、このまま死んだフリしとくか」
「同感……傾斜の高い方へ投げ出されたのが幸いしたみたいですね。でも、ここで倒れ続けるにはいささか、寒いわね」
「おっさん、死んだかな」
「さあ、生きているでしょう。あの手のよく喋る男って、悪運が強いっていうし」
二人はようよう立ち上がり、町の方へ歩き出す。
ベレッタは荒い吐息をかじかむ指にかけて残弾数を確認する。
「修道頭巾消失、身体に骨折なし。本体に損傷なし、装填弾数十二、予備八だ。もっともアレにはもう使い道がなさそうだけどな」
ニルダはリボルバーショットガンを中折って空薬莢を抜き、ポケットに入れながら、
「わたくしも修道頭巾消失。身体に骨折なし。本体に損傷なし、残り火炎弾三、タングスティン三。次の戦闘が最終ロールね」
「こりゃ、うちらは逃げの一手?」
「ええ。でも、わたくし達の仕事はここまで、って言ってほしいわね。魔剣の破壊には成功したもの。手ぶらじゃないわ」
「だな。ならあとで、折った剣拾って帰るか。ケースケがさ、調べてみたいんだと。年代とか、材質とか」
「物好きね。それって、ペトラルカ導師と取り合いにならないのかしら」
そんな四方山話で和んでいると、足元の地面に人影がかすめた。
「見つけたぁあああ!」
灰色の上空から響き渡る大音声とともに、鳥の飛影が竜巻に向かっていくところだった。
「ニルダ姉? あの声」
「ええ、カレイジャス王子よ。魔法なのかしらね、大きな鳥の影に運ばれて町へ向かってる。まさか一人で竜に挑みかかる気?」
ニルダは迷っていたリボルバーの空室に黒薬莢を三発おし込んだ。
お目付け役なしで、単騎突入。彼女は王太子の自覚どころか竜への恐怖すらないのか。
「王子を援護してやるのか?」
「ロンバルディアから直接支援を引き出すためにこの話に乗ったのだから、しないわけにはいかないでしょう。でも、どうして王子があんな無謀な突撃をっ。ヴァンダー将軍は?」
そこへ噂をすれば新たな飛影が翔け抜けた。
『旦那っ。もう始まってる。ディルは竜巻の周辺を旋回中。お嬢は、地上。ザミェルザラントの真正面だ!』
『慌てるな、オレガノ。さっきの竜巻はザミェルザラントの魔剣が破壊されて〝封鍼〟が解けた合図だ。町の南に回って残ってる建物の屋根に俺をおろせ。お前はバジルを連れてサトウたちに伝令に飛べ。――目標、下山。アイロロで封鍼破壊に成功。町の被害甚大だ』
『了解っ』
ニルダは相棒の手を引いて歩き出す。
ベレッタはいつもベリーショートで少年みたい。よく似合ってもいるからちょっと羨ましい。
「なあ、ニルダ姉。うちらは、もう逃げたほうが良くねーか?」
足を止めて振り返る。眼帯の修道女は真摯な表情でニルダを見つめてくる。
「あたしらは報酬分の仕事をしたぜ。これ以上は命あっての物種だ。この商売、引き際を間違えれば、死はそこら中に転がってるんだからな」
「ええ、そうね。その通りだわ」
ニルダは相棒の手を引いて、傾斜を登る。
「でもね、ベレッタ。今あの狼の形をした竜が、わたくし達の帰る道を塞いでいるの。足となる馬車もありません。路銀も無し。町まで徒歩三キロですけど、泊まる宿もなさそうです。寒さで体の芯まで凍える前に、マイラントへ戻りたいでしょう?」
「ニルダ姉。答えになってねーよ。まだ竜殺しに首を突っ込むのかって訊いてんだ」
「なら、正直にいうわ。……わからないの。本心から」
ニルダは街道沿いの高い屋根に下りたった銀髪の剣士を見つめた。
「何かに突き動かされている気がする。でも死にたくない気持ちもあるから心配しないで」
「いいよ。昔みたくそれが神のご意思ですって言わなかっただけ、頭はまだマトモそうだ」
「ええ。今とても不思議な気分よ。周囲の短波警戒はしておいて。竜の覇気に怯えた魔物が集まってくるかもしれないから」
「かしこまり」
§
〝先ほどは、よくもやってくれたものよ〟
魔剣がなくなったザミェルザラントはイケメンの狼だった。
「当然でしょ。あんたはわたしを怒らせたんだから」
〝卑小なる人程度の怒りで、我を追い詰めたつもりか〟
「追い詰められた自覚が少しでもあるなら、こっちに勝ち目はあるわけね」
〝浅はかな、人の子よ。魂まで滅びて、己の愚かを後悔するがいい〟
「ボケたこと抜かしてんじゃないわよ。もう忘れたの? あんたはわたしを怒らせた……ガイド、ヒルデ。サポートお願い」
わたしは凍雪を蹴って走り出す。
ザミェルザラントは風をまとい、唐突に収束した。
連続する炸裂音とともに、宙空に小さな雲の傘ができる。
音速を超えた空気の塊が、わたしのそばの雪と泥を水柱のように跳ね上げた。
「きゃあ、コートが汚れるぅ! こんのっわんこ竜、もう許さん!」
百獣の王が久しぶりの実力を誇示したい気持ちは、まぁ、わからんでもない。
でもさ、向かってくる小ネズミごときに実力を発揮しちゃあダメだろうが。
跳ね上げた雪と泥の影に身を隠して、魔力も消して、わたしは姿を完全に消せた。
〝こ、小賢しいぞっ、どこだ。どこへ隠れた!?〟
「もふもふ竜は動物虐待のカテゴリーに入れませんパーンチ!」
ザミェルザラントの左側面から躍り出ると〝荊の枝〟で顔面を殴る。
殴られた衝撃で流れた竜の顔面はしかし、吹っ飛ばなかった。
すぐに復帰して口吻で殴り返してきた。咬みつかなかったのは魔剣があった時の癖だろう。
「〝荊の荒城〟!」
叫んだ直後には吹き飛ばされて、家屋の漆喰壁に叩きつけられた。石造りなら死んでた。
大地から荊で編まれた城の尖塔ほどもある槍が突出、バジルの攻撃から癒え切れぬ傷に突き刺さる。
ザミェルザラントが獣の悲鳴を上げて悶絶、巨躯をよじり大きな顎で荊の槍に噛みついた。牙の間から爆炎が炸裂し、荊はちぎれて消えた。
それに対抗して、荊の槍が四方八方から次々に飛び出し、竜狼の体を貫いた。
〝そんなっ、ばか、なっ……あのシュブ=ニグラート・ヒルデが、人族に寄宿しただと!?〟
「ふふっ、妾の腹案ではないぞ。太皇のマネをしたのじゃ」
荊の槍は、刺した竜狼を高々と突き上げ、投げた。
ザミェルザラントは浅い川で一度はねて立ち上がり、満身創痍となっても牙を剥いた。
「此度のこと、否はそちらにあるぞ、ザミェルザラント。なにゆえ他の竜の禁域を侵した?」
〝人ごときを「棲み禍」とした者に、申し開く必要を感じぬ〟
「ふん、道理よな。ならば竜でありながらこの地で惨めな骸を晒すがよい。玄狼ザミェルザラントの代わりはおらぬが、竜の代わりならいくらでもおる、よいのかや?」
巨大な竜狼は返答なく一度だけ前脚で地を叩くと、身を翻す。わたしというよりヒルデから逃げるように南へ走り出した。峻険な崖を駆け登っていった。
カレン。そなた、妾にあやつを説得させる気じゃったな?
わたしはその場に座り込んで、あぐらをかいた。深呼吸して体力回復に努める。
「ごめん。期待はしてた。闘技場の時もそうだったし、竜族に古い知り合い多そうかもって。あと、ヒルデがただの食いしん坊じゃなくて、実はエラい存在なのも改めて理解した」
崇めよ。妾は偉大なるがゆえに労働は〝かろりー〟を消費するのじゃ。昔から燃費は悪いほうでな。
「知ってる。だからたまにしか頼ってないでしょ。ヴァンダーやファーマス院長がここへ集まってきてた。ヒルデにあの二人まで参戦してたら、ザミェルザラントを殺すことになる。わたし達、竜殺しは懲りてるから」
ふむ。それよりも、カレン……此度はこの、水炊きというのが食べたいぞ。
「ねえ、ちょっとぉっ。勝手にわたしの中で料理レシピ覗かないでよぉ」
でもこの時期、鍋はアリ。




