第197話 国外旅行で浮かれた王子の失態 前
アエミリア・ロマーニャ王国滞在二日目。国別対抗御前試合の前日。
ロンバルディア王国の在外公館でまかなわれる。
領事館は都内にあるが、在外公館は王都郊外にある。風光明媚な田園の中にひっそりと佇む三階建ての小館だった。庭師家族三世帯が定住して館全体を保守管理しているそうだ。
王都から連れてきた家事使用人は、第一家政長、侍女頭ローザベルをはじめとするルームメイク、衣装担当、化粧担当。そして厨房アルダ・カルボニャーノ男爵夫人に配膳ロベルト、厩師などもいれて総勢五二人。人員を切り詰めての大移動だ。
侍従長が家事使用人の宿泊代と馬車台を公費から出さないのが常識と抜かしたので、わたしが出した。もちろん彼らにも現地での部屋をあてがい、給料も払う。ただ侍従騎士、護衛近衛兵は領事館が手配した在外公館近隣の兵団住宅に班分けされて詰め込まれるのは我慢してもらった。
「押せ、押せ、押せ!」
「足を止めるなっ。ちんたら足動かしてたら蹴り折るぞ!」
早朝の稽古。
バルデシオを中心とした円陣を組んでの乱戦形式。侍従騎士十六名による四交替で連繋して襲わせ、三五歳の剣闘士に休みを与えるなと指示を出したけど、悲鳴を上げるのは騎士ばかり。あれではどっちの稽古になっているのかわからない。
バルデシオは不平も悪態も叩かず、トレーニングを続けて上半身の筋肉がパンパンだ。大会緒戦を前にして緊張もし、勝利を渇望してもいるのだろう。シールドの扱いが数日前と比べてうまくなっていた。
わたしもヴァンダーとマンツーマンで最終調整に入った。
走り込み。徒手組手、型の確認、実戦形式を二時間かけてみっちりこなし、汗を流す。
今日一日、両陛下は王妃陛下と庭園を眺めたり、自室で読書をして過ごされる予定だが、なんだか退屈そうだった。
「最終日の御前試合天覧と晩餐以外は、各国の元首とは会わない」
昨夜の晩餐会から帰宿した陛下が、深夜に主だった臣下を集めて宣言された。
臣下は王妃陛下をふくめ、護衛の将軍二人、外務卿、在外公館長、領事館長、そしてわたしだ。
二日目となる今日は、各国が自由に在外公館を行き来して二者会談という形で交流できた。その際は初日に相手の外務卿を通じて打診、受諾されない限り会談はセッティングされない。
会談はあくまでも意見交換、儀礼上の交流であるから政治的拘束力はないとはいえ、ロマーニャ王国とヴィブロス帝国の停戦直後ということもあり、ロンバルディアとその他の国も様子見の姿勢をとることが大勢を占めるだろう、外務卿から報告された。
そして滞在最終日となる御前試合当日は、試合を天覧し、閉会後に晩餐会に参列して、散会。翌朝に帰国の途へつく。
以上が、アエミリア・ロマーニャ王国が設定した国別対抗御前試合の全日程だ。
「ねえ、ヴァンダー」
沐浴と着替えを済ませ、目に優しい広さの食堂で朝食の席につくと、となりに声をかける。
「だめだ」
「まだ何も言ってないよ」
「市街地の観光がしたいと顔に書いてあるぞ」
わたしは両手で頬をゴシゴシと擦ったみた。
せっかくの国外旅行なんだから、余暇を楽しみたいのが人情だ。
陛下は王都に入る前からピアチェンツァでカステルヴェトロ=メッツァ伯爵イルミナート
から聞いた告白を気にしている様子だった。
実際、彼の読みは的中し、「帝国が他国に驕りを見せ」始めた。
昨夜の晩餐後に、外務卿にそれとなく関係各所に手を回させて、帝国がロマーニャ王国側に無通告で王道を通行、入城したことが確認されたのだ。
報告した外務卿が青ざめたほどだから、自国の王道を他国の馬車に通行されることの屈辱が推し測られた。
「今回の国別対抗御前試合は、罠でございます」
ピアチェンツァ。
瀟洒な公館の講堂に招き入れられると、十七歳の若き伯爵が正装でロンバルディア王に礼跪をとった。
護衛を務めたアレッサーノ少将や外務卿は警戒したが、講堂はすでにサヴォイア公国大公カルロ陛下、そして政務官カヴール伯爵カミッロ・ベンソーンと万騎長ルーヴァン・メッセが席についていた。
「相わかった。聞こう」
陛下も席につくことにしたのである。
「ロマーニャ王国では目下、王制廃止の世論が高まっております」
より正確には、度重なる帝国との戦争で国民の厭戦感を追い風に、王をいただく家門貴族が特権と金を独占する旧体制を打破し、市民議会による開かれた国体の再構築をすべきとの機運が高まっているらしい。
そんな彼らをロマーニャ王国内では「議会派」と称した。
「この議会派が帝国の資金を受け、急速に膨張を始めております。また保守王立派と称される旧体制派は血統縁故で得た特権保持の正当性を誇示しておりますが、帝国の資金で勢いづいた議会派の圧力に軋みが生じている状況で」
外務卿が挙手で話を止め、王に目顔で反問の許可を願い出る。
「その派閥はこちらでも聞き及んでいるが、卿はどちら側ですかな?」
「それがしは第三の道を模索しております。また王都から志ある有識者を募り、手はずを整えております」
「手はず? 第三の道とは?」
イルミナートは天気でも伺うように窓へ目を逃がしてから、上座を見る。
「わが道は……カステルヴェトロ=メッツァ領の独立でございます」
「どっ、独立ッ!? イルミナート殿は現ゴットフリート三世陛下の実子と伺っておりますが、王位継承権ごとロマーニャ王国を棄てると?」
イルミナートは顔を左右に振って、鋭い眼光で見返した。
「メッツァ家に養子に出た時に、王位継承件は放棄いたしました。もはやロマーニャは帝国の毒が全身に回り、壊死寸前でございます」
「それは、いやそこまで帝国の魔手が及んでいると」
「はい。今回の国別対抗御前試合において、帝国はロマーニャをすでに手中に収めたと我が物顔で入国してくるでしょう。このままではロマーニャがロンバルディア王国、サヴォイア公国、ジェノヴァ協商連合への足がかりとなることは必定。ゆえに、両陛下におかれてはこの場にて当方と取引を受けていただきたく、このような場所までご足労をお願いした次第でございます」
外務卿が困惑しきった様子で、上座を見る。
「いーよぉ」
カルロ陛下が退屈そうに椅子から脚をプラプラさせながら、応じる。
「陛下、ご決断が早すぎますぞ」
カヴール伯爵がたしなめる。
「カヴール伯。何か聞いていますか」
ヴァンダーがたずねた。
ずんぐり体型のサヴォイア公国家政は、ふてぶてしく肩をすくめて、
「噂程度だな。カステルヴェトロ=メッツァ領と隣接するレッジョ家が帝国と蜜月だそうだ」
噂で蜜月なら、もう公然の秘密レベルなんだけど。
レッジョ家といえば、ボルトン王国軍がサヴォイアへ侵攻した時も、それに呼応してロンバルディアやジェノヴァ協商連合を襲う気配を見せてなかったっけ。
「レッジョ家も帝国の調略で独立をちらつかされでもした、かもな」
カヴール伯爵は丸っこい鼻梁にシワを寄せ、への字口で両腕を広げた。
ヴァンダーが腕組みして天井を見上げる。
「レッジョは帝国に寝返ったのではございません」
イルミナートは下唇をかみ、目線を下げた。
「レッジョは帝国にではなく、皇太子アエミリアヌスの調略に呼応したようです」
講堂が息を呑むように沈黙した。