第195話 隠者からのホットライン
『し、しもしも?』
珍しく〝牌〟が鳴った。
相手は[隠者Ⅸ]。はて。
「こちらカレイジャス・ロンバルディア。そちら、どなたでしたっけ?」
『ちっ、申し遅れた。カステルヴェトロ=メッツァ伯爵イルミナート、だ』
自己紹介でなぜ舌打ち?
「イルミナート……クレモナの?」
『ああ、川向うの領主だ。チンタ・セネーゼとゴブリン退治で、世話になった』
ゴブリン退治の祝賀会に行ったことはある。アスパラガスのソテーがおいしかった。
「コンスタンティン王太子の弟君でしたね。こんな時間にごきげんよう」
〝牌〟の時間は二三時四五分。いい数字の並びだったので、刺す嫌味はチクリとだけにしておく。
『悪いが、少し、込みいった話に付き合ってくれ』
「長いですか?」
『いや、さほど長くはない。オレを信用してくれるのならな』
「コンスタンティン殿下をどのように思っておいでですか?」
『わが兄ながら、ウザい』
「わかりました。話を伺いましょう」
そういったら、〝牌〟の向こうでいくぶん口調が和らいだ。
『兄に会ったことがあるのか』
「パヴィアの米の首脳会議で。公の席でイルミナートきゅん呼びでしたよ」
『ううっ。あの人ちょっと、頭おかしいんだって!』
素直な感情を聞いたので、わたしも相手を信用する気になった。
これで兄の王太子を賛美し始めたら腹にイチモツ抱えた悪徳領主だと決めつけて警戒しただろう。
「それで?」
『明日。国王ドレスデンとともに王都フェルシナに向けてマイラントを発つな?』
「そうですね」
『出立時刻を教えてくれ』
「えーと。〇八五〇時ですね」
『了解した。ルートの変更を頼みたい』
「ルートの変更? クレモナを通るなと?」
『そうじゃない。両陛下にもピアチェンツァに立ち寄ってもらうよう、お前から頼んでくれないか。南門に迎賓館がある。案内役の文官を待たせておくから指示に従ってくれ』
「詳細はそこで?」
『ああ、話す。物わかりの良いやつは嫌いじゃない』
「いい話ですか、悪い話ですか」
『この異世界の未来にとっても悪い話だ』
「でも、あなたは止めない、と?」
『オレは勇者じゃねーし。そんな面倒なんざ願い下げだ。なら、お前が止めて英雄になってみるか?』
「わたしはこの異世界で専守防衛、自分の農地を守ることを第一に考えてます」
『そうだ。人はそんなもんだし、そうあるべきだと思う。何かを犠牲にしていい時は自分の考えが間違っちゃいないと確信したときだけでいい』
「語りますね」
『ここで十七年も生きれば、この世界が、文明水準を除けば、前の世界とあんまり変わらなさすぎて反吐がでるほどのクソ世界だとわかったからな』
「世界が異なっても、欲にまみれた人間のやることは大差ないと」
『そうだ。あのグラッグを吊し上げた王太子なら、わかってんだろ。だからオレは、〝強いやつ〟に付くことにした。だがな。卑怯者にだって、守りたいモンがあんだよ』
「守りたいものって、コンスタンティン王太子のこと?」
『や、やめろっ。気色わりーんだよ!』
なんだ、図星か。
「この件、ヴァンダーに話してもいいですか?」
『当日の朝でいい。バルデシオ執政官にもピアチェンツァへ向かうように伝令を飛ばした。それでフェルシナ到着のアリバイを稼ぐ。あのおっさんたちにも協力を仰ぎたい』
協力、ね。イルミナートは賢い人物のようだが、人選に偏りがある。
なぜロンバルディア人ばかりを頼るのか。それも明日になればわかるといいんだけど。
「これ、アエミリアヌス皇太子に傍受されているはずですけど。いいんですか?」
『その心配はねーよ。あの人、午後十時には就寝すっから』
あの不良皇太子、生活は意外と健全か。
「他には?」
『カルロ大公の一行にも招待して同席する。だから詳細はそこで――』
「絶対行くぅ!」
『えっ、は? なんでお前もアイツと同じ反応すんだよ!?』
「要件はそれだけ? わたしもさっさと寝て朝に備えたいので、切りますよ」
『え、ちょっ、待――』
ブツッ。
「寝なきゃ。いや、寝れるかな。……うふふっ、カルロ陛下に会える。そうだ、マルペンサ荘のこと自慢しちゃおうかなあ。でも一定の成果は出さなきゃ、カッコつかない……いや?」
冬入りまでに河川の整備をしたい。川には岸がある。整備は片岸だけでは意味がない。この話を両陛下臨席で持ちかけてみるか。金がかかると言われそうだけど、金ならある。治水工事には足りないかな。
「何、ひとりでニヤけてんだよ。気色わりぃぞ」
部屋隅の闇から声がかかった。わたしはもう影の気配には驚かなかった。
「主人の許しもなく部屋に忍び込んでるあんただって、いい趣味じゃないわよ。エイセリス」
「誰と話をしてたのか、って訊いた」
「盗み聞きしてたくせに。皆まで言わないとわからないの、暗夜猟兵?」
鋭い視線は部屋にわだかまる闇から出てこようとせず、火打石のような舌打ちが聞こえた。
「罠だろ」
「だとしても行くわ。カルロ大公陛下も臨席されるのなら」
「ロンバルディアを一個人の計画に乗せるな」
わたしは〝牌〟を枕の下に差し入れた。寝る準備だ。
「今回の国別対抗御前試合、ロンバルディアは国王と王妃の臨席も公式予定されてる。その意味でいっても危険度は高いはずよ。それならこれくらいの横槍は許容範囲でしょ?」
「だから護衛に近衛師団から精鋭五百騎の随行が認められてる」
「違うよ。そこじゃない」
「あん?」
「危険なのは、そこじゃないって言ってるの」
火影と闇の狭間で目があった。
「じゃあ、どこだよ」
「アエミリア・ロマーニャ王国全体」
「あん?」
「でなきゃ、王太子の弟がロンバルディアの王族一家とサヴォイア大公に直接話を聞いてくれなんていってこない」
「取引……っ」
「そうよ、エイセリス。イルミナートは、西の列国に恩を売りたがってる。それはおそらく家族である兄を守るため。それだけの大事が御前試合で起きるのよ。だから彼の危惧と懸念をあらかじめ聞いておいて損はない。そう思ったの」
わたしは枕に頭を乗せて横臥し、毛布を肩までかけた。朝夕の気温が寒くなっている。急がなくては。
「カレン。やつがれは、何をすればいい」
「そばで聞いてて。隠れる必要ないから。ヴァンダーのとなりで……案や猟兵が動くとすればその直後でいいよ。彼の計画はきっと、悪くはない、と思う、けど、机上……現場、知らない、から……」
「承知」
暗夜猟兵の気配が闇に消えるのが先か、睡魔に連れ去られたのが先か、わたしは憶えていなかった。