第192話 ヴァレーゼ湖の水が抜けなくて
アエミリア・ロマーニャ王国とヴィブロス帝国の停戦協定が即日発効した。
御前試合大会の三日前のことである。
ロマーニャ王国王都フェルシナでは、収穫祭前からすでに見物客でごった返していた。
さらに今年の御前試合は、ロイヤルチームという各国の王族チームが編成されての団体戦で、各国の貴人佳人を一般参賀できる、またとないビッグイベントになっていた。
この国際大会の経済効果と相まって収穫祭は大盛況を迎え、都内の戦時物価が暴騰。パン一個の価格が通常の十七倍というお祭り相場でも飛ぶように売れた。
この利益で次の戦費を蓄える公算を立てていたとしても、わたしは驚かない。
なぜなら、この大会会期中にもっと驚くことが起きたからだ。
その停戦する三日後までに、わたしがやってたこと。
バルデシオ執政官が朝と夜に三十代の体を酷使している間に、わたしとヴァンダーはグランキオ商会が投棄したという魔導砲の回収に向かった。
貴族馬車で久しぶりにマーレファと顔を合わせた。
馬車の後ろは第3師団魔甲中隊という、マーレファ直属の魔法特化部隊が随行する。
魔法部隊というからフードローブに杖の団体イメージだったのに、実際は装飾甲冑だった。派手だ。
「暗夜猟兵は、この魔甲中隊からはみ出す形で飛び出しました。最近の彼女はあなたの傍で活き活きしていて喜ばしい限りです」
マーレファは心配していた問題児が立派に成長するのを見届けた教師の微笑を浮かべる。
「暗夜猟兵は、なくてはならない諜報部隊になるよ」
「ええ、もちろん。それに、諜報組織はあの子だけじゃありませんし」
そりゃそうか。わたしの迂闊に気づいた素ぶりもなく、マーレファは書類に目を落とす。
「[闇]を操ることに長けた闇エルフであるがゆえに、暗夜猟兵は誰も止められず、誰からも求められませんでした。それでもあの子は独りでコツコツと技を磨き、情勢を見極め、陛下からその〝頭角〟を認められました。それでも仲間がほしいと素直に言えない性格もあって、孤立したままでした。でもカレンやミキがぶつかっていってくれたことで、ようやく〝角〟が取れてきたようです。今後は指導的立場で成長が見込めるでしょう」
「でも、ファルケン・ガルコの名前を教皇国が使われてみたいだけど」
「ふふっ、計算通りですよ。あの子はおのれの才覚を使って無茶ばかりするので、私が偽名を与えたんです。その名を諸国に轟くほど悪しき名にしてみせよ、と」
「それじゃあ、暗夜猟兵も?」
「もちろん。ファルケン・ガルコは、今後も教皇国[ヒエラ・アナグラフェ]の密偵指揮官が名乗っていくでしょう。彼らが偽称として使うことで逆に識別されていると気づく頃には、我々は何年、かの国をダシ抜けるでしょうねえ」
深謀遠慮。弟子を才を知り尽くしたうえで暴れさせ、名前一つで国の諜報機関に首輪をつけたのだ。
「あの、マーレファ」
「三年後。あのマルペンサ荘は、〝スクエア〟として扱われるでしょう」
「スクエア?」
「私がつくった造語です。庭よりも大きな〝公園〟という意味です。暗夜猟兵は表向き、王直属のスクエア管理人として運営に携わっていくことになるでしょう」
「本当ッ!? それじゃ、あの子達に御庭番を名乗らせてもいいっ?」
わたしは思わず声を上擦らせた。
「ただし、そうなるには、条件があります」
「手柄、だよね」
「はい。三年の間で、彼らに目覚ましい手柄を立てさせていただけますか? 彼らが国家に有益であることを重臣諸侯らに示し、黙らせるのです」
「やるっ。やります!」
あの農地を、わたしは守る。その決意に、マーレファは満足そうに頷いた。
ヴァレーゼ湖。
王都マイラントの北西に位置し、北都ヴァレーゼから西へ馬車で十分のところにある湖だ。
「お前ら、手早くやっちまいな!」
へいっ。ヴィリア・ヴィルコーネ以下、五十人の男たちが六艘の手漕艇に分乗してあっという間に沖に出ていった。そこから二人ずつが鎖を持って湖に飛び込んだ。
「ヴァンダー、あの辺の水深はどれほどでしょうか」
「手許の資料では、十から十三メートルのようです」
マーレファは杖を地について寄り掛かると、鼻息した。
「ここは些か……難航するかもしれませんねえ」
「は?」
わたしの怪訝をよそに、マーレファの予言を証明するように潜っていた水夫たちが早々に湖面に浮上して船に這い戻った。ヴィリアが船からこちらに向かって頭上でバツを作る。
「やはり魔導砲から魔力が漏れ出しているようですねえ」
「魔力が漏れると、どうなるの?」
「報告を聞けば、わかりますよ。もう一度作戦会議をしましょうか」
「了解」
マーレファの判断は早い。ヴァンダーが旗を振って岸に戻るよう指示を出す。
水中に、魚とは異なる何かがいる。
グランキオ商会頭取ヴィリアの美貌が困惑をつくって報告する。
「潜水用の鎖帷子を三ヵ所切られてた。海の魔魚がなぜかここの湖にもいるみたいよ」
「魔導砲の所在確認は?」
「未達。そいつらのせいで湖底にすら到達できなかったらしいわね」
天幕の下でマーレファはヴァレーゼ湖の地図を見て黙考し。
「魔導砲の重量からして、泥の中に埋まったかもしれません」
海賊たちの不首尾を叱るでもなく、マーレファは淡々とアイディアをいった。
湖面の泥は魔導砲の重さを支えるような地上の土壌ではなく柔らかいため、投棄した時点で堆積泥の中へ深く埋まった可能性が高い。さらに厄介なのは、魔導砲の中にある[闇]の魔素が水中へ漏れ出して、周辺の生物を魔物へと変態させている。らしい。
ヴィリアは頭を掻いて、
「魔法世界のリクツはわからないけど、ここから長期戦になるってわけかい?」
「いいえ、むしろこれ以上の魔素の流出を止めるために、短期決戦といきましょう」
「魔魚が渦まいてる中を強行突破するって? 湖底は日が届かなくて真っ暗だよ」
「手はあります。〝案内蝙蝠〟をこの湖底に向かって放ち、魔導砲に当たればその魔力反応として着色されます。そこへ鎖をかけて、四隻で岸まで曳航してもらいます」
「船側は問題ないだけど、誰が魔導砲にネックレスをかけるんだい?」
「師匠」
ヴァンダーが疑義を含んだ目線を向ける。
以心伝心、マーレファは神妙に頷いた。
「ええ、もちろん。この作戦の欠缺も承知の上ですよ」
「けんけつって?」わたしが訊ねた。
「〝案内蝙蝠〟は、[風]属星なので、水中に放つと屈折して真っ直ぐ飛べなくなる欠点があります。湖面から湖底に向かって放てば目標誤差を生じます」
「水中での有効範囲は?」
「三メートルが直進限界でしょう。本作戦は魔導砲に色が付けば問題ありません。いけますか?」
「うん。もう無詠唱でいけるから、やってみる」
「はっ? やってみるって、ちょっと。あんたはこの国の――」
ヴィリアの戸惑いを置き去りに、マーレファは傾注を促した。
「次善策を説明します。よく聞いて下さい」