第184話 悪役王子、説教される
「まあ、いいけど」
翌朝。
マーレファ・ペトラルカ中将秘書官ラミアに作業現場の視察に同行してもらう。
佐藤さんのゴリ押しというか、マーレファもわたしが薬草果樹を列挙した漉き紙を見て、マルペンサ荘の森に興味を覚えたようだ。薬草知識豊富な白魔女を貸してくれた。
「仕事、忙しい?」
荷台で、佐藤さんがラミアにご機嫌うかがいする。
軍服からローブ姿に替えて参加してくれたラミアは疲れた目線で曇り空を見上げる。
「まあ、そこそこかしら。誰かさんが王宮厨房長を縄首にかけてから、王宮全体に動揺が走ってるのは確かね」
「あらま。その厨房長、カレンの逆鱗に触れたんだ」
佐藤さんは愉しそうに口角をあげる。
「両陛下の食事の質を三十年間も下げた挙げ句、師弟二代にわたって予算を中抜き、業者から賄賂をもらってたらしいわ。その裏帳簿が暗夜猟兵を介して王子の手に渡ったわけ」
「へぇ。あいつもちゃんと仕事してるんだ」
「本当に意外よね。カレンにすっかり餌付けされちゃってたみたいね」
「あー。アイツもついに落ちたか~ぁ」
ラミアは佐藤さんほど同意できなくて、危険物を混ぜた化学反応で発覚した事件に困惑を隠さなかった。
「問題なのは、その厨房長を処断した後でね。厨房部の職員を一掃して、アルダって下働きを厨房長代行にしたわけ」
「へえ。貴族じゃなくてもいいんだ」
「ううん。いいわけないから、マーレファも大爆笑よ。後処理が大変だったんだから」
「えっ、後処理?」
わたしが御者台から振り返ると、ラミアはむっつり顔をつくって、
「国王陛下がお住いになる王宮に上がる人間はすべからく、釣り合いを取るために爵位勲位が必要なの。閣僚会議の結果、アルダをむりやり貴族の養女にしたらしいわよ。男爵だけど」
「えっ!?」閣僚で会議するほどの案件なのか。
「そしたら、アルダ自身が家族と引き離されるのは嫌だって頑なに拒否するの。だから落とし所としてマーレファが、アルダの夫の家ごと男爵に引き上げたわ。実家は靴職人なんだけどね」
わたしは額にすぅすぅと寒風を感じた。
「あの、もしかして、わたしは……っ」
「それとっ、侍従騎士たちの実家からクレームが陸軍省将官オフィスやオルランド尚書にまで殺到してる。家門の名誉を傷つけられたって。まあ、そっちは実力で負けたんだから却下したそうだけど。侍従騎士なんて家格で王家を固めることだけが目的なんだから、実際カカシでもいいのよ」
「そんなっ、それじゃあ王宮は誰が守るんですか?」
ラミアはわたしを見つめた。怒っていなかったけれど、厳しめに。
「カレン。敵が王宮まで入ってきたら、その時点で国として敗北、ロンバルディアは滅びてるのよ。そうならないためにマーレファやヴァンダーたちが頭を悩ませて、兵士が鍛錬してるんじゃないの」
わたしは返す言葉を失って、思わずヴァンダーを見る。
ラミアはかまわず続ける。
「あなたが格式という道具を伝統や先例と安易に考えてやりたい放題した結果が、こういう事態を引き起こしたことを心に刻みなさい。王室が失いたくないのは伝統ではなく、国の支配者としての威信、信用なの。横紙破りがしたいなら周到にして慎重、もっと丁寧になさい。あと、今回みたいに使用人の生殺与奪も巻き込んでいることを、よくよく考えて行動すること。いいわね」
「……はい」ぐうの音も出ない。
「ラミア」ヴァンダーがやんわりと声をかける。「師匠はそれほど怒ってなかったよ」
「ヴァンダー。あなたがカレンを叱らないから、私が叱ってるんじゃないのっ」
ラミアが怒った声を出す。姉や母親の口調だ。
わたしが顔を向けると、ヴァンダーは前を眺めたまま肩をすくめた。
「王宮全体が王太子の処断と抜擢に対して恐慌しているのは、彼らに叩かれて立つだけのホコリがあったからだ。両陛下の目の届かぬ所で花を一本抜いた者から、古い皿や器を盗んだり、割った者、余った布生地を持ち帰って家族の服を仕立てたりする。そんな者までいちいち吊し上げてたら、王宮という組織が回らなくなる。そうだろ?」
「それは、うん、そう」
「両陛下はカレンが思っている以上に温厚寛大な御夫婦なんだ。反面、多少のことは自分たちが目をつぶれば、波風立たずにやり過ごせると事なかれ主義なところもおありだ。カレイジャス殿下はそんなご両親を歯がゆく思っていたのは間違いない」
悪を赦すことも王の器だが、度が過ぎると寛容を履き違えたグラッグのような奸臣が増長したり、今回のように侍従騎士が緩んだり、専門職員たちが不正で私腹を肥やすことになった。
「だったら、カレンがなんで今になって爆発したん?」
「共感してくれる同性の相棒ができたからじゃないか? 菊池花蓮っていうな」
佐藤さんの問いに、ヴァンダーは考察を口にした。
わたしもそんな気がするので黙っておく。
ヴァンダーは御者台に深く背中を預けると、例え話を始めた。
「平和に慣れきって甘い蜜ばかりすすって怠けていた働き蜂は、蜂の巣に次期女王蜂がスズメバチになって帰還したから、蜂の巣は混乱しているんだ。おまけにそのスズメバチは剣も達者で一番怠けていた兵隊バチを叩きのめして外回り兵隊バチに蹴り落とした、さらに右尚書の見習いについて政務を学ぶ殊勝さもあり、伝統に縛られない先進的な思考をもったご気性だ。そんな次期女王蜂に太刀打ちできる人物は限られてくる」
「やったら、厨房長の不正処罰はいい見せしめになったんちゃう?」
「俺もそう見ている。もっとも、帰城してこんなにも早く暗夜猟兵が王太子の肩を持つとは思ってなかったがな」
「あん? それマジ情報っ?」
佐藤さんの機嫌が尖った。
「カレン、もしかせんでも、アイツのために何か奢ってやったんちゃうやろな?」
わたしは浮気を咎められた彼氏の気分で首をすぼめた。
「厨房部でシュークリーム作ってみんなで食べて、エイセリスにもあげましたけど」
「シュッ!? しゅしゅっしゅーくりーむぅ!? 異世界のお菓子を食べさせたんか、うち以外のヤツに!?」
佐藤さんはショックを受けた様子でわたしを見つめてくる。
シュークリームくらいで衝撃デカすぎだって。
「もうっ、あの王宮妖精……余計なことばっかり!」ラミアががっくりを首を落とした。
「ラミア。アイツを粛清しよう。図に乗ってる」
「そうね……やるか」
佐藤さんとラミアが共感する間にわたしが割って入ると、馬車が止まった。
「ヴァンダー?」
「森の中で人の気配だ。どれも殺気立ってる」
すかさず佐藤さんが荷台から立ち上がり〝案内蝙蝠〟を三匹、同時に放った。
森のあちこちで木によじ登った影が浮き上がった。数は十五人。
動きは俊敏だが体は小さい。子どものようだ。
対して、地上にいるのは八人。
男性ばかりで、しきりに森の周囲に何かを探しているようだ。
「木の上に隠れた子供を探してる?」
「そのようだ、だが心配いらないだろう。子どものほうが手慣れた動きだ」
ヴァンダーは馬車から佐藤さんを見た。
「サトウ。男たち全員、生け捕りだ。そこから対等な交渉を始めるとしよう」
「了解。おっしゃあ。シュークリームやあ!」
佐藤さんは謎の気合とともに報酬を叫びながら、捕縛魔法を森の外から無詠唱で放った。