第180話 悪役王子の正義
翌日。
侍従騎士団への八つ当たり、二日目。
すでにわたしの〝王子のきまぐれ日替わり粛清〟が他の当直班にも知れ渡ったらしい。
朝稽古に向かったら十六人より多くて四十人近くいた。
昨日の当直騎士の顔もちらほらあった。告げ口に回ったらしい。小癪だが手間が省けた。
侍従騎士長のアンティゼリ少佐が諫言しようと前に出た。
「王太子殿下、恐れながら、我々は朝稽古で殿下に万が一のお怪我をさせてはならぬと――」
「ならば尋ねる!」
わたしはぴしゃりとさえぎった。
「昨日の稽古でわたしの剣を受けた者が骨を折ったり、数日の療養を必要とする負傷が出たか」
「それは……おりません」
「わたしは諸君と稽古をしている。わたしは諸君のために手心を加えていることをわたし自身も知っている。よってこれは、明白である」
「め、明白とは?」
「諸君は、弱い!」
あんたが強すぎるんだという非難の眼ざしを受けたが、無視した。
「そして騎士長。貴官は小賢しくも、騎士団の総代という立場を利用し、自分たちが手心を加えてやっているのだと標榜したな」
「殿下っ、それは違います。小官はそのようなっ」
とばっちり被害を受けて慌てる騎士長の訴えを、わたしは手で制した。
「聞け。わたしは諸君にこの身を傷つけろなどとは命じていない、ただ剣をもって地面に一度でも倒せと命じた。その程度のルールすら理解できぬ騎士がいるのであれば、それは諸君の驕慢である。王太子の決めたルールに則れぬ者は即日、騎士団を辞し、他の家門騎士団にでも転籍するがよい」
「なっ。ぐぐっ。殿下、それは余りにも……横暴が過ぎますぞっ!?」
アンティゼリ少佐の勇気ある不敬を、わたしは頷いて受け止めた。
「騎士長、横暴は承知の上だ。だが先般、グラッグ家門が断絶し、その火の粉から免れたと安息を吐いた者たちがこの中にもいよう」
「それは……っ」
それは? その続きを待ったが誰からも続きが出なかったので、わたしが続けた。
「わたしはグラッグ以前から王宮に蔓延した〝お飾り王宮騎士〟という風を断ち切りたい。国王陛下と王妃陛下の直近で侍う衛士こそ精強にして最強でなければならないと信じるからだ。戦場にあっては近衛師団であり、宮中にあっては侍従騎士団であるべきだ。よって、いま一度宣言する。この場でわたしを一敗地にまみれさせた者に金貨十枚を下賜する。逆に一敗地にまみれて動けなくなった者すべてに陸軍省への出向を命じる。本日の講話は以上だ」
かかってこい。
わたしは両手左右に木剣を構えて、今日の当直十六人を迎え撃った。
そして、一時間後。六ツ鐘が鳴った。
講話が効いたか、今回は二人残った。あの騎士長でさえ足腰が立たなくなったというのに。
二人の騎士は動けなくなった仲間の剣を握って奮戦した。
「よし。時間切れはわたしの敗北だ。ここまでとしよう。双方、名を名乗れ」
「と、トニオ、ザッパー……トラダーテ、出身」
「ん、出身?」家名じゃない。ということは、平民か。
「ルカ・ディアマンティ、同じ、く、トラダーテ」
「よし。おめでとう、よく生き残った。わたしの外出の際は護衛を任せる。本日はこれまで」
立っているのがやったの二人に金袋を一つずつ手渡すと、わたしは稽古場を出た。
見物していた昨日の敗残騎士がわたしの後を追いすがってくる。
「殿下っ。恐れながら……いま一度の機会をっ」
わたしは足を止めたが、振り返らなかった。
「ゼラ、お前たちはもう侍従騎士ではないよ。侍従長が陛下の言の葉を使って苦情を言ってきた。誰が告げ口したのか、問いただすつもりもない」
「殿下……そんなつもりではなかったのですっ」
「ゼラ。卿は家庭内でも妻や子、使用人に手を上げた後に同じことを言っているのか?」
軽口のつもりで言ったが、元侍従騎士の顔が恐怖に引きつって色を失くした。
ごめんね。侍従騎士全員、個人情報まで知っちゃったから。
「今朝も昨日とルールは同じだ。ただ騎士長の抗議で話が長くなっただけだよ。諸君は陸軍省へすみやかに出向し、上司将軍からの推挙を取り付けることのみが帰順の道となる。欠員の間は人員を補充するが、二年だけ推挙があれば採用することにしよう。では、ごきげんよう」
わたしの励ましに、全員が無言で下を向く。
頑張りますくらいのカラ元気は言ってほしかったな。
それから、わたしはいつものように沐浴をすませて、朝食へ向かった。
今日は配膳係の中に、知らない壮年の男性がいた。
「殿下、厨房長のオスティナートでございます」
ひと目見て、気が合わない男だと直感した。眼光の鋭さが亡きグラッグに似ている。
きっと二人が出逢えば反目しただろう。同族嫌悪という理由で。
「厨房長がわざわざここへ参ったということは、今朝の食事は自信作かな?」
挑発をかけてみる。
「なにぶんにも王室財政の切り詰めが厳しく……」
料理長の口から出た弁明が、終わってた。
予算の中でも自分の調理に自信がもてない料理人の朝メシを誰が食べたいと思う?
「それは主計課長から聞きたい弁明だったな」
わたしの皮肉が通じるだけの耳はあったようで、料理長は押し黙り、脂汗を流しはじめた。
「それとも、配膳部から何か面白い話を聞いて、わたしに布石を置きに来たのかな?」
「と、とんでもございません。実は……昨朝のジャムというものを拝見いたしたく」
「ないよ」
「え?」
「ない。あるわけがない。昨朝の食事ですべてなくなった。一匙も残さずだ。パンが籠で二度おかわりがあったことくらいは把握しているだろう?」
オスティナートは狼狽えて配膳係を睨んだが、ロベルトはそっぽを向いて梯子を外した。
「さて。料理長みずからお起こしの食事だ。今朝の食事は何かな。期待してよいのだろう?」
満面の笑顔で訊ねると、厨房長は石仮面をかぶったみたいに無表情で取り繕った。
「献立に変更はございません」
と言い残して低頭し、食堂を去っていった。
そのタイミングで、配膳が始まった。
「今朝は、ズッキーニのポタージュスープとフリッタータ(堅焼きオムレツ)でございます」
切り分けられたフリッタータの断面に何も入ってない。チーズもジャガイモも、ほうれん草すら。朝からただ玉子を焼き焦がしただけの塊なんか、誰が嬉しいんだよ。
ふと顔を上げると、ロベルトの頬にアザがあった。
「厨房と喧嘩したのか?」
「あっ!? 殿下は目の付け所が鋭ぉございますね。ご心配には及びません。かすり傷です」
わたしはさっと頬に手をかざして、アザを消してやる。
「心配などしてない。大方、貴様がわたしのジャムを褒めすぎたのだろう。今度は指を切り落とされたり手を切り落とされたら、わたしの所へ来るがよい。治癒魔法でくっつけてやるからな」
ロベルトはどこか誇らしげに薄い頬肉をひきあげた。
「ヴァンダー将軍が兵を鼓舞する時の言葉ですね。有名でございますよ」
わたしもふっと笑顔を浮かべる。
「戦地に赴く兵士は正義に溢れ、尊いものだ。それを後ろから鼓舞するのが将の務めだからな」
「なるほどで、ございますね」ロベルトは兵士みたいな顔をして微笑んだ。
「ところで、今日も食べていくか?」
「え……はい? ですが先ほどは、ないと」
「昨日のはな。今朝は別のを持ってきた。配膳係みんなで食べてみてみるか? わたしが〝マヨネーズ〟と名付けたソースだ。パンにつけてもうまいぞ」
「これ、カレイジャス……っ」
陛下がわたしを不躾を叱りつつも、目では自分の分があるのか訴えてくる。
「これは大変な無作法をいたしました。まずは父上と母上に献呈いたします」
上着のポケットから小瓶を取り出した。
そういう意味じゃなかったらしい。両陛下から盛大なため息が洩れた。
ちなみに、マヨネーズは両陛下にも配膳係にも大好評だった。