第178話 悪役王子の憂鬱
王都マイラント
王太子としての仕事をする。
パヴィアでの国際会議の報告書と、失踪していたパヴィア執政官救出の報告書をわたしなりにまとめる。散歩がてら陸軍省に出向いてヴァンダーのオフィスに持っていき、修正をもらって書き直す。
その清書を右尚書オルランド伯爵に提出して、決裁をもらってゴール。
かと思いきや、
「パヴィア執政官には回復を待って王都へ出頭命令を出すことになろう。殿下にも立会いをお願いする」
オルランド伯爵の指示は残業に等しかった。
「え~っ、ちょっと田んぼの様子を見に行きたいのですが」
「田んぼ? パヴィアには収穫を見に行ったのではないのか?」
うっ。それは、そうでした。
「そもそも荘園の巡察は、王太子の職域ではなかろう」
そうだよ、趣味だよ。悪い?
目力を強めて農業アピールをしても、政務の師は取り合ってくれなかった。
「なりゆきの正義でも、一度振り上げたからには最後まで。後始末を他人任せにすると、あとでどんな歪みを生むかもしれんぞ?」
「えーと。でも、そっちは政治の話ですよね?」
「王族が政治以外のことにかまければ国が傾くのは歴史が証言している。これも王家の責務だ」
「責務って、それじゃあわたしの生活、ほとんどないじゃないですかあ」
「それゆえ殿下の雑用は、傍仕えを始めとする使用人が引き受けるのだ。人にはそれぞれ役割がある。その境遇を周りは妬み羨ましがりこそすれ、国が滅びぬ限り、王の替わりはおらんのだよ」
懇々と諭されて、わたしは逃げ道を失った。また農業が遠のく。
こんな異世界生活、ストレスが溜まる一方だ。
なので、侍従騎士を相手に剣で昇華するが、手応えは弱い。
「殿下がお強いのです」
ゼラの媚びるような上目遣いが、わたしの癇に障った。
「なら、いつ強くなってくれるの?」
「え。それは……申し訳ありません」
謝るのは美徳ではある。だがこちらの憂さは晴れない。気が晴れない。
心が彼から引き剥がされたままのようで渇き、ひりひりと痛い。
「なら、このわたしの気まぐれに付き合ってもらうか」
わたしは木剣を左右に持った。
「今より、わたしに一敗地をつけた者に、金貨十枚を下賜する。ただし、わたしに傷一つつけられず動けなくなった者すべてに陸軍省への出向手続きを侍従長へ下命する」
「殿下っ。そんな無茶苦茶な!?」
「諸君の騎士道が、わたしの機嫌を取るための奉仕なら給料泥棒も甚だしい。わたしに伸された後、仲間内で陰口を叩きあって傷口を舐め合う程度の近習なら、わたしはいらない。弱き者は去れっ、ロンバルディア王家の名を汚す者たちよ!」
ここまで言われて目の色が変わる騎士がほとんどだったが、数人が怖気て目線を下げた。
わたしは、そこから餌食にかけた。
左右の木剣でルーイット家の横っ面を殴り、みぞおちを蹴り飛ばした。
その横にいたロッコ家の脇腹を叩き、身を捩りつつも、歪んだ顔面を必死でかばう。
その木剣ごと地面まで圧し切った。
本来の型も技もへったくれもない野獣の剣だ。
「たわけ! 仲間が二人も斬られてなぜ本気にならない。諸君は何を守るためそこに立つのか。今のわたしは王子ではない、未来の暴君ぞっ。止めてみせろ、権威にぶら下がる蛆虫どもめ!」
可哀想だと思う?
傲慢だと思う?
横暴だと思う?
なら、王に仕える騎士なんかに、ならなければよかったんだよ。
わたしは好んで王子になったんじゃない。
わたしが王子だから、彼を好きになったんじゃない。
死屍累々を作り出すのに体内時計で小一時間ほどかかった。さすがたるんでも騎士だった。
「今日は十六人全員、陸軍省へ出向だな。明日明後日の当直も陸軍省へ出向させれば、侍従長からクレームが来るだろうが、それは弱さゆえの責任としておくぞ」
朝食前に、沐浴をすませる。
体にかすり傷一つ受けなかったのが、無性に腹立たしい。
わたしの育ち続けるこの想いを誰一人、傷つけられなかった。
魂の相方からの反論もない。呆れて、諦められてしまったかもしれないが。
「王太子よ、心が乱れているようだな」
朝食の席で、ドレスデン陛下から指摘を受けた。
食事中で会話をするのはタブーだけど、今朝のことが早くも耳に入ったらしい。
「陛下のお心を煩わせたこと、申し訳ありません」
「十六人を同時に相手して全員を叩きのめすのは、憂さ晴らしと呼ぶまい」
「一人ずつでは一日の犠牲と諦めて終わりになりますので」
「侍従騎士全体のたるみか」
「はい」
「ならば本心を隠すな。カレイジャス」
ドレスデン陛下は、聡明な目で味気ない伝統の朝食を見つめる。
「正直に申してみよ。親として我が子の存念が知りたいのだ」
わたしはナイフとフォークを皿に置き、居住まいを正した。
「陛下、わたくしに土地をいただけませんか」
陛下と王妃は互いに顔を見合わせあって、
「何の土地だ?」
「作物を植えたく存じます」
「作物? それは、王太子みずから、という意味か?」
「はい。米やトマトの品種改良用にも」
「ポモドーロであれば花壇でもできますよ?」
王妃ルドヴィカからも怪訝そうに諌められた。
この世界のトマトは純粋に観賞用、前の世界でいえば十六世紀の品種世代になる。
果実もホオズキ程度のプチトマトだ。これはフルーツ全般にも言える。ブドウやリンゴ、柑橘類の果径も総じて小さい。
けれどクレモナのヴァンダー邸の裏庭で育てたのは、前の世界で知ってるトマトだった。
ヴァンダーの拳大ほどの果実が十二もなって幹がその重さに耐えきれずに折れた。
革兜衆の栽培係タイムに泣いて謝られたけど、わたしもあの大成果は想定以上だった。
今年の収穫で結論づけることの一つに、この世界の土地は農地と呼ぶには瘠薄だ。麦や米、トウモロコシなどのイネ科は穂の実数こそ少ないが収穫はできる程度。けれど果実をつけるナス科は一律に育ちにくい。ナス、トマト、唐辛子、ピーマン、そしてジャガイモなどだ。
またジェノヴァまで旅してわかったことは、ロンバルディア平原が比較的肥沃と評価されて、この有り様ということ。南の帝国はもっとひどいらしい。恒常化しつつある戦争の一面には食糧戦争もついて回ると見ていい。
国内の土壌改良が必要だけど、その前に土地の入手だ。誰かわたしに土地をくれ。
「食料確保のため、パタータ(じゃがいも)とポモドーロを食用に転用栽培を考えております」
陛下は食事の手を止めず、小首を傾げて、
「そこに思い立った理由を知りたい」
「毎日の食卓が楽しくないのです」わたしはきっぱりと言った。「贅をこらした食事を求めているのではありません、王宮での食事メニューは毎朝毎晩、食事をしてよかった、明日も頑張ろうという活力が起こりません」
「では、料理人を解雇すればよいか?」
これが王侯貴族の発想だ。善悪ではない。上流階層は基本、食べ専だ。
自分から作物を収穫ないし購入し、調理して食べる文化はない。わたしは気を引き締めた。
「陛下。ことは王宮に留まりません。国で扱う食材が絶対的に少ないのです。であれば、どれほど名のある料理人を招こうとも作られる食事は限られてくると愚考いたします」
「うむぅ、しかしなあ」
陛下は王妃と顔を見合わせる。本当に仲いいな、うちの両親。
「カレイジャス。確かに食事が定型であることは認めます。けれど夏に穫れた物を冬に食べることはできないでしょう?」
王妃ルドヴィカ陛下の言葉に、わたしは我が意を得たりと頷いた。
この世界では致命的に、食物を保存できない。
電気もね。ガスもね。車道も馬だけ走ってる。
冷蔵庫、冷凍庫、研究は十九世紀に入ってさ。
今さら、この世界から逃げだすわけにもいかないので、なんとかヤリクリするしかない。