六百年王国の断末魔
「フフフ……もう面が割れちまったのかい?」
美女が石棺に腰掛けて、しわがれた老婆の声を弾ませる。
「ワルプルギスでも見ない魔女だねえ。ちょっとだけ話をしてやってもいいよ」
「そっちはそんな気分でも、こっちは仲間やられて、んな気分ちゃうわ」
佐藤さんの怒り声でようやく、わたしは視界をゆっくりと上向かせた。
揺れる視界の中で、こめかみを伝う汗を指で拭うとぬるりと赤かった。
「一応、守ってくれたんだ」
布が少し切れていたおかげで窒息失神は避けられた。
まだ寝てるふりしておきなさいな。もうじき終わるから
「終わる、何が?」
二百年間、腐敗から免れても所詮は軀骸。
あの体は、もう持たないわよ
「二百年。六百年じゃないんだ。あと、どれくらい? その間、佐藤さんが殺される可能性は」
二時間いらないわね。ミキなら、バジルちゃんがいるでしょ
「そっか……。でもなんでまた魔王がこんな場所にまで?」
さあ? 大方、あの軀骸にかつての魂を降ろそうと異界の魔王を喚んで頼んだら、魂と生気を吸い取られた挙げ句に、器を乗っ取られた感じ?
「全部見てきたみたいに、知ってたんだ」
ミキがダンタリオンから召喚と降霊を読み違えたのは判断ミスじゃないわ
連中は、降霊するために召喚したの
「降霊のために召喚……魔王?」
そう、罪に死した者の魂を呼び寄せる者、ガミジンをね。降霊術を司る魔王だから。
もっとも屍霊担当の魔王といえど、人の無茶な契約を聞き届ける気がなかったみたい
「無茶な契約?」
王アルボインの妻にして転生教団の聖女クロトシンド、だったかしら。サタナイル教団の教祖直系の血を継ぐアルプスインダの魂を現代に復活させろ。それが半年前。
「聖女どころか、その娘までとっくに未来へ旅立って、彼らの言う転生を果たしてる。喚んでも戻ってこれるものでもないってこと?」
そういうこと。さあ、どうするの?
「ヒルデ。その二時間を逃げ回る時間に使うより、地上にでて御飯食べようとは思わない?」
……急に何を言ってるの?
「親子丼おいしかったでしょ。今度はカツ丼に、興味ない?」
あんたって子はもう……仕方ないわねえ
「人ってね、お腹が空くと気が短くなるから。覚えておいて」
立て続けに青い炎弾がバジルの魔法陣に叩きつけられる。
衝撃に耐え続けるゴブリンの足がジリジリと後退していく。
その横をわたしは走り抜けた。
「バジル、お待たせ! ――佐藤さん、魔法防御よろしくっ」
「お嬢っ!?」
わたしは二刀を左右に構え、ゆらめく青炎の残滓を突破して反攻に転じた。
「もうっ、禁呪用意してたのに。しゃあないなあ!」
わたし目がけて放たれた〝蒼弓月〟を、佐藤さんの〝十五円月〟が交差相殺、砕けた蒼白の残骸をかいくぐって祭壇を駆け上がる。
「ロンバルディア王国太子、カレイジャス・ロンバルディア推参! 魔王ガミジン討伐の功名、頂戴いたす!」
「しゃらくさいねえ! その名を知ったか知らないけど。名乗りを上げるには早いんじゃないのかい、ケツの青いガキがさあ!」
ガミジンは腰掛ける石棺を踵で蹴ると、石棺が急発進した。
「えっ」
とっさに回避行動がとれず、わたしは石棺に飛び乗った。織布が左右、上から飛んでくる。
わたしは石棺の縁につま先で踏み、更に跳躍。体を捻って織布の輪を跳び交わす。
跳躍中に考えなしの斬撃をあっさり躱され、わたしは祭壇を転がり落ちた。
石棺がドリフトターンで石柱をなぎ倒しながら転回して向かってくる。
「おらっ、これで終わりだ。脳みそ、臓物ぶちまけなあ!」
そこへ美女めがけて石棺のフタが飛んでいく。
ガミジンはとっさに石棺から跳び離れた。乗り捨てられた石棺に石のフタが突き刺さる。
「なんてことしやがるんだい!」
「そろそろ冥福のお時間だろ、クソババア!」
「誰がババアじゃ、このクソガ――」
怒鳴り散らして右腕を前にかざす。が、白い腕に亀裂が走るとそこから砂がこぼれだした。
「くっ、ちぃっ! 二百年の骨董品に降ろしやがって、これくらいの魔力にも耐えきれないのかい。忌々しいねえ、これからって時にっ!」
ガミジンは左手をかざし換えると、織布が息を吹き返した。
ティグラートの顔と左腕、両太ももに織布が巻き付き、右手で掴み返す。
「無駄なことはおよしっ、魔界の織布が人の力で引きちぎれや……布が、体を斬り裂けない!?」
ティグラートのスキル[獣紋聖痕]は物理攻撃無効だ。
織布は筋骨隆々を切り裂けず、戻すこともできなくなった。
「無駄なことのように見えても、ちゃんとやるべきことは見えているぞっ」
ガミジンが上を振り仰ぐと、ショートソード二刀流でヴァンダーが降ってきた。張りつめた織布に着地するや、疾風の速さで魔王に肉薄した。
「お前ぇっ、あれを受けてまだ生きてっ!?」
魔王ガミジンはとっさに人に気圧された。左腕を体で引きちぎって後退する。
「痛かったぞ。アストラル擬似界なのに死ぬかと思うほどにはなっ」
ヴァンダーは跳躍で肉薄し、着地と同時に左右からZの字で斬り払った。
「今回は……降りた……先……悪かっ、だけさ。次は――」
ごしゃあ。負け惜しみごと頭部を踏み砕いた。頭蓋から砂が床に飛び散った。どんなに長い間美しく保存されようと乾いたミイラに違いなかった。ヴァンダーはさらに遺骸を火炎魔法で焼き滅ぼす。
「ふぅ……なんとか全員、生き残ったか」
パーティを見回し、ズタボロな姿で集まってくる若者にうなずく。
「かれぇん、ごめぇ~ん。今回はうちのミスやって~ん!」
佐藤さんが泣きながら、わたしの腰にむしゃぶりついてくる。歩きづらい。
「サトウ。早くこれをどうにかしてくれ。急いでここを脱出したいんだ」
ヴァンダーがイライラとした口調で、入口近くにおかれた男の虚体と〝燈籠〟に顎を向ける。
「先生。何イラついてんの?」ティグラートが訊ねる。
「腹が減ってるんだ。文字通り、腹の底からな」
珍しく不平をこぼしたヴァンダーは本音を隠したつもりで裏腹、眼下の誘拐されていた執政官が復活するのをどこか不本意そうな顔に見えた。
完璧超人な師匠にも、苦手なものは一つくらいあるのかもしれない。
こうして、わたし達は王墓ダンジョンを脱出した。
[お、やっと配信つながった、おーい]
[かぁーれぇぇえええん!]
[もう、うるさいうるさいっ。カルロは大声を出すな]
扉の外はまだ昼前で、晩夏特有の秋驟雨だろうか強い雨が降っていた。
「ごめんなさい。まだ集合場所にはいけません。昼過ぎに向かいます」
わたしは苦笑いで自分に〝牌〟のカメラを向けた。
[なんだよ、ずいぶんボロボロじゃないか。地下で戦闘があったの?]
流れてくるコメントが誰のものかわからないけど、一応答えておく。
「ロンバルディアの極秘情報なので拡散不可ですけど、ダンジョンであったことは話していいってヴァンダーから許可をもらったので、どこで話しましょうか?」
[今そっち、雨降ってるでしょ、みんなストラデッラに戻ったの、来れそう?]
これはトスカーナ大公エリザかな。
「それじゃあ、そっちへは食材も買って行きますね。厨房の使用許可もらってくれます?」
[食材、厨房? どうして?]
「ヴァンダーと佐藤さんの要望で、カツ丼を作ることになりました。玉子でとじてあるやつ」
[え、カツ丼? 本物?」
「わたし、和食の調味料を持ってますから」
[和食……っ。わかった。すぐ用意させるわ。――シェリア、厨房長をここに]
[陛下。この宿にそんな者はおりませんよ]
[ここペンション(朝食付き宿泊施設)。炊事場共通、鍋三つ。まな板三枚キタナイ。薪コンロ六口はボロ。今この宿にいる貴族の口は全部で三十人]
ロンバルディア領内で事務的に報告してくれた、キアラ・モンテ家か。
「了解です、これから買い出しして行きますね」
[かれぇぇん!]
「はいはい。カルロ陛下もごめんね。もうちょっと待ってねえ。おいしいカツ丼作るから」
[うん]
[コイツ。一時間半ずっと喚き続けてたくせして、その一言で大人しくなんのかよ]
[もう犬じゃん]
〝牌〟の画面に、王侯たちの笑いごえが「w」で洪水になった。