石大橋の死闘
塔の底まで行き着くと塔門の入口から見える空は、ほの明るい大空洞だった。
前方をまっすぐに伸びる道は、隙間なく敷き詰められた石畳。
「こんな地下に、石橋?」
「たまにあるんよ、めっちゃ古いくせにどんだけ高度な技術してんねんって建物」
佐藤さんが杖をかざし、光源を三つ出して天蓋に放った。赤、緑、青の三原色が結んで輝く白い太陽は、地下世界をひどく殺風景にした。
箱馬車が一台交差できるほどの堅牢な道幅、欄干の外には底知れぬ暗黒が広がっていた。
そして橋の先に佇む巨影に身構え、その寂けさに息を呑む。
「カレン。あれ、話せば通してくれると思う?」
「通して、くれないでしょうね」
「じゃあ、あたしら探してる連中はどうやってあそこ通ったわけ?」
「それは……寝てる時とか?」
「うし、それじゃあいつに〝白河夜船〟試すわ」
佐藤さんは杖を石床に突くと、詠唱に入る。
その直後、彼女の上空を巨影がおおった。
「え?」
佐藤さんが上を仰ぎ見るや、ヴァンダーが彼女の体を横抱きに押し倒した。石床を滑って欄干に背中から激突。さらにヴァンダーは後ろへ跳躍、黒刃がその跳躍に追いすがろうと欄干に火花を散らしながら、佐藤さんを抱いて逃げるヴァンダーを追ってくる。
「こっのぉおおおっ!」
「舐めんじゃねえ!」
追撃をわたしが二刀で追い払えば、バックジャンブで交わす。その着地点でティグラートが棍棒で相手を殴りつけた。棍棒はあっけなく砕け散ってしまったが、巨影はようやく分の悪さを感じた様子でさらに後退した。
[地上からここまで降りた六人のうちの一人がコイツ、という可能性はあるか?]
誰かのコメントが視界の隅を流れていく。
「カレンっ、ティグラートっ、追うな!」
ヴァンダーが厳しく命じる。いつも後ろで縛っていた銀髪が結い紐を失って広がっていた。
「こちらの防御を頼む、やつをここへ近づけさせるな。時間を稼げ!」
「了解っ」
「ヴァン、ダー……あれ、あたしって……ゴホッ、ゴホッ!」
「心配するな。敵の太刀風が肩を掠めたんだ。致命傷じゃない。今、回復魔法をかけてるが、意識だけは絶対に手放すなっ。いいな」
ヴァンダーの強い励ましで、わたしは佐藤さんが斬られたことを知った。
『ふむ、邪魔が入ってあと一歩、刃が届かなかったか。久しぶりの侵入者だからかな』
ボソボソと呟く低い声音に、わたしは殺気を開放する。
『ん。そっちの小僧どの、急に戦気が膨らんだな。ワシと一手、ご所望かな?』
「所望いたす。尋常に勝負!」
『よいとも、よいとも。では、ゆくぞ?』
「ティグラート、ヴァンダーのそばにさが――」
指示が終わるのを待たず、わたしは剣撃を受け止めた。止めたのだ。斬られたはずがない。風もしのいだ。なのにその記憶が飛んだ。
背後からの衝撃で息は停まったが、意識が戻る。時間が動き出す。痛みがだいぶ遅れて駆けつけてきた。壁から剥がれて膝を屈したまま、両手で支えることもできず、顔から突っ伏した。
「ぐうっ。な、に今の、なんて、覇気……っ!?」人の所業で生まれる力じゃない。
『ほっほぅ。形は小さいが、今のを凌ぐだけの技量を持っていたとは稀有よな。どうだ、小僧どの。ワシの首を獲ってみるか?』
挑発ではない。悠久の時間、滅多に生命が来ない深淵で、みずからを強いと確信するほど狂人が狂気によって到達した剣の高み。心も歪み果てて、命のやり取りも遊戯に成り果てたのだ。
「あんたを倒さなきゃ、前に進めないの?」
『いいや。だが』
「魔術師は厄介だ、と?」
『然り、しかり』
わたしは自分の太腿を拳で叩き、鼓舞して立ち上がる。脛当てが歯を鳴らすように震えだすが怯えてるんじゃない。
わたしがまた強くなってしまうことに奮えているのだ。
「ねえ、さっきさ。そこの塔の途中で、屍術師がいたのよ」
ぶっきらぼうに声をかけた。
「あんたも、このダンジョンに魂を縫い付けられたクチ?」
巨影が押し黙る。感情は見透せなかった。怒りも悲しみも虚無の闇のまま。
『だとしたら?』
「どうして、先にここを通った奴らは通したの? それだけ教えてくれればいいよ。あんたが何者で、どんな悲しい境遇だとか、そんなのどうでもいい。ちゃんと殺してあげる」
巨影が襤褸の外套をバサバサと翼のように羽ばたかせた。
苛立ち、迷い、板挟み。黒刃の歪剣が白い闇を切り裂く。
『〝冥府の燈籠〟だ。あれのせいなのだ。あの青い炎をかざす者は、この古城を謁見の間まで進む資格をもつのさ』
「なるほどね。わかった。じゃあ……やるかっ」
「お嬢っ!?」
バジルがヴァンダーのそばで刃を構えながら、こちらを気にかけてくる。
「手を出すな。助太刀無用!」
「お、おっす」
わたしは小太刀を二刀とも腰の鞘に戻す。柄を持ったまま腰背に回した鞘を左右水平に構える。
『ほほう。見たこともない構えだ。抜刀の迅さだけでもワシを超えようと?』
「知らん」
つっけんどんに応じて、わたしは地を蹴った。
うぅぉおおおおん! 獣の咆哮がぶつかり、橋の上で共振する。
黒と白の閃光が交錯――。刃が交わる音はなかった。
「なっ、ん、だと……っ!?」
驚愕の声を上げたのは、巨影の方だった。
真っ向から振り下ろした両腕が肘から切断、その腕はわたしの後方を飛んで、さっき叩きつけられた塔の壁に突き刺さった。
『見事なり』
「成仏っ!」
懐に飛び込んだまま跳躍、顎下からうなじへ刃を斬り上げた。
毛むくじゃらの老猿によく似た巨人の頭が欄干の外へ音もなく堕ちていく。残された胴体は橋の上でへたり込み、黒い灰となって大暗黒に消えていった。
「佐藤さんっ!?」
「今、回復した~……あぁ、死ぬかと思った」
疲労困憊のかすれ声を出して、佐藤さんは無事を見せるように少しだけ無理して微笑んだ。
「あのクソジジイ。最期までカレンを男だと信じ込んでたわね」
どうでもいいことを言って、襲われて怖かったことは口にしなかった。
初手から後方の魔術師を狙われたのは、わたしや、おそらくヴァンダーにとっても衝撃的だった。回復魔法を終了したヴァンダーの目にも、そのセオリー崩しの動揺が言葉なく語ってくる。
[〝冥府の燈籠〟あったぞ]
[なんだって?]
[ランゴバルド王アルボインが重用した宮廷魔術師マザーネが考案した旧聖遺物だってよ]
[それ、どこ情報?]
[パウルス・ディアコヌス著【ランゴバルド王国外史】]
[なんでそんな物、旅行先に持ってきてるわけ]
[は? そりゃオレが、デキる皇太子だから?]
「マサキ、外史にダンジョンの情報は?」
「あんま載ってねえなあ。王の後妻ロザムンダが王暗殺に手を貸したヘルミキスを毒殺、自分も毒杯の残りを煽って父親の復讐を完成させた。くれぇだな」
[それなら、アルボイン王は生前からこの墳墓ダンジョンを作ってた?]
[か、後の諸公連中がここを埋めて封じたのかもな。壊すのメンドくて]
[他国の事情ながら、はた迷惑な話]
[やっぱ使い途のない遺物なんてさぁ、未来にとっては産廃と一緒なんだってぇ]
[ミーリアちゃん、言い過ぎ]
[かれぇえん]
「生きてるよー。次、進むからね」
わたしは一つ大息すると、歩き出した。