王子のアリバイ作り
翌朝。王都ハイラント・王宮。
なんとか予告通り、早朝練習に間に合わせるため、わたしは練兵場に滑り込んだ。
すでに侍従武官が十五人。わたしの帰りを待っていた。
「おはよう!」
「おはようござ、殿下っ。その血は」
「あー、これ? 全部返り血だから気にしないで」
「昨夜、一体何があったのですか?」
「んーとね、政治問題に首突っ込むことになるけど、大丈夫?」
穏やかに訊ねたつもりだったけれど、彼らは慌てて口を閉じ、大人しく引き下がった。
「で。今朝はこのクレモナ執政官フェルディナンド・バルデシオ殿のお相手をしてあげてほしいんだけど」
となりでムスッと仁王立ちする転校生おじさんを紹介する。同じように返り血まみれだ。
「恐れながら、殿下。本日は殿下がお相手していただけるのではないのですか」
「するよ。でも今日はこの人から一本取った武官としか、しない」
「ええぇ」何、そのがっかり感。
「その間に平服に着替えてくるから。さあ、何人がわたしと稽古できるのかなあ。楽しみ」
煽り文句を残して、わたしは練兵場を早歩きで飛び出した。
井戸に回ったら、すでに下働きは洗濯を始めていて、わたしは彼女たちに銀貨を一枚ずつ配り、返り血のついた服を優先的に洗ってもらうように頼んだ。
「殿下、おケガですか?」
「ううん、全然。あ、喧嘩じゃないよ。ちょっと国内の悪者を成敗にね。極秘任務だよ」
「まあ、それは大変でございましたね」
それ以上、内情に踏み込んでこないのが奥ゆかしい庶民の処世術。わたしはようよう自室に戻った。
「やばぁ、返り血が落としきれてない。顔にまで着いてたよ」
鏡を見て、汚れをなんとか手で擦って消してみる。侍女にバレたら三十分以内にメイド長経由で、家政長まで報告されてしまう。わたしへの小言はさらにその上の、侍従長の役目だ。わたしらは、あのガミガミジジイが苦手だ。
「だめこりゃ、完全に乾いちゃってる」
爪でひっ掻くと傷になるのでツバでもみ消してから、寝間着に着替えなおす。
「おはようございます殿下」
ドアが開き、洗面器とタオルを持って侍女頭ローザベルが入ってきた。いつも六時ちょうどの鐘とともに入室してくる。が、今朝はちょっと早い。彼女がわたしの髪をブラッシングがてら体調をチェックされる。それが終わると後からやってくる衣装担当に今日の日程に合わせた服装を伝えて、服飾担当(三名か四名)に用意させて運ばせる。
その間わたしは椅子から立つか座るかだけ。衣装は彼女らの知識を介さなければ決まらない。自分の気分で決めてはいけないのだ。家格、格調、季節、年齢に合わせる。色だけは気分で決めていいらしいが伝統から外れてはならない。王様生活、金がかかるわけだ。
「殿下。今日のお召し物は、いかがいたしましょう」
「三十分後に練兵場で侍従武官と稽古をする。稽古用の平服とブーツを。朝食は八時。清拭後に両陛下とともにする」
「うけたまわりました」
命令口調だけど、事務連絡が一番スマートらしい。朝から疲れる。
「あと、さらし。用意しておいて」
昨夜の戦闘でわかったこと。恥ずかしながら、今になって胸が出てきている。まだ剣を振るのに邪魔になってないけど、佐藤さんやロッセーラほど成長されるのは困る。男剣士にゃわかるまい、この難儀。あと体型が数センチ変わっただけで、服が全部に仕立て直しされるらしい。莫大な公費がかかるので経費を抑えるために胸を押さえるのだ。
「あら、殿下? 御髪に」ローザベルの声に、わたしは飛び上がらんばかりにおののいた。「これは血、ですか?」
うそ、ヴァンダー邸で水洗いだけど、顔と髪は洗ったのに。この場をどう誤魔化せばいい。
「あ、あれれ~。ベッドで頭打った覚えはないんだけどなあ」
我ながら言い訳、下手か。
「しかもこの乾き具合から、四時間は経っておりますね」う、名探偵ローザベル。「殿下?」
すみません。わたしがやりました。
「実は、昨夜は極秘任務に駆り出されて」
「指揮官の方は? ヴァンダー将軍でしょうか」
「う……はい」
「侍従長から厳重に抗議してもらわなくてはなりませんね」
「いや。でも、そこはほら、極秘任務なので」
「お部屋に入った瞬間、部屋が血生臭くなっておりましたよ。月の日でもないのに」
「今度から窓を開けて換気しておきます」
「いえ。そういう話ではございません」だめか。
すると、背後からするりとローザベルの両手がわたしの首を掴んだ。
「くきききっ。次は気をつけな。やつがれじゃなかったらバレてたぜ」
「えっ!? エイセリスっ、ばじ――」
守護ゴブリンを呼ぼうとして喉を腕で絞め上げられた。鏡を見るとローザベルの美貌がぐにゃりと笑み溶け、下から暗夜猟兵の顔が現れた。なにげにメイド服も似合ってるのがウケる。
「あの番犬ゴブリンを呼んだら面倒くせぇだろうが。別に殺しゃしねえ、ちょっとからかいに来ただけだよ」
「朝っぱらから? 何が目的よっ」
「確認だ。やつがれのパヴィア随行の話、ありゃあまだ生きてるよな?」
「えっ。う、うん。ヴァンダーに確認取ってみないとわからないけど」
「あいつの意思なんざ関係ねぇっ。おめぇが認めるなら、やつがれは動ける」
「パヴィアに何があるの?」
「そのうち教えてやるよ。ニセ王子様。……親子丼とか言うの、美味かったぜ」
暗夜猟兵はわたしの頬に冷たく柔らかいものを押し付けて、風のように窓から出ていった。それと同じタイミングでドアから本物のローザベルが現れた。六時の鐘とともに。
窓から寒風が吹き込んでくる。わたしは遅ればせに寒気が足下から這い上がってきた。
暗夜猟兵。昨日は佐藤さんとヴァンダーにさんざんイジられたけれど、マジメな実力は一流らしい。それと、
「エイセリス……やっぱり女性なんだ」