ホブゴブリンにはよくある話
おれとバジルがいた村は、クロンという名だった。
村の数は千人にも満たず、村長が教会の祭事を代行してやっているような山の村だ。
この近くの森まで流れてきた時、ゴブリンに襲われた村の子供を助けたのが、バジルとの出会いだった。見ず知らずのホブゴブリンが同じタイミングで居合わせ、同種族のゴブリンではなく、なぜか異種族の方を助ける。
ヘンなやつ。お互いにそう思って、笑った。
助けた子ども達とはそれから仲良くなって、村に案内された。
「うちの子を助けてもらって悪いんだけど、他の子どもを養ってやれる余裕は、ないんだよ」
子供の母親から恐る恐る言われた。
「いいっすよ。自分の食い扶持は自分で稼ぐっすから。な?」
「ああ。この村で仕事を手伝だったら食い物を少し分けてくれないか。こちらもたまに魚や毛皮を持ってくる。その時は、なにか別の物と交換してくれないか。古着とか冬を越せる何かだ」
おれは商売に興味をもっていた。バジルは陽気でおしゃべりだったが、交渉ごとは苦手のようだった。
こうして、村との付き合いが始まった。二人だと村に馴染むのは早かった。
あちこちで仕事を頼まれて三つか四つもこなせば、一日では食べ切れないほどのパンやチーズがもらえた。
「やっぱり、人族から盗むよりこっちのほうが楽っすね」
「楽だが、もうすぐ冬がくる。あれを越すのは人族でも森の動物でも苦労する」
「お前は賢いっすねえ。これからは冬を見据えてこの辺で洞窟を探すっすか」
「そうだな。風を凌げる洞窟はこの辺になかった、村から離れるが少し遠い場所を探そう」
孤独ではない。食べ物がある、話し相手がいるという安息感が、二人に生きる充足と知恵をもたらしていた。
それからせっせと冬に備え、予定よりも村からだいぶ離れた場所にようよう洞窟を見つけた、その夜だった。
村の方角から人の悲鳴のようなものを聞いて、目が覚めた。
「今、なんか村の方から聞こえたっすね。悲鳴っすか?」
「ああ、もしかすると村で火事が起きたのかも。行くか」
洞窟を出ると雪が降っていた。森の中を走った。
もうすぐ村が見えるというところで、ゴブリンの耳が声を拾った。
『ファルケン・ガルコ、住民はこれで全部です』
『よし。実験を開始する。総員撤収。――聞け、村の者。この村は主の救済を受ける幸福に選ばれた。もう飢えることもない。病で苦痛に耐えることもなくなるであろう』
『あ、あんた何を言ってるんだっ、主の救済ってこんな乱暴なもんじゃないだろう!』
『黙れ。文字もろくに読めぬお前たちが、オレの言葉を疑うな。て、もう茶番はいいか』
『茶番?』
『お前らは何も知らなくていい。それが救済だよ。じゃあな!』
行く手の夜闇が赤く染まった。
まずい。あとは本能の命ずるまま、やって来た道を取って返し、急いで逆走し始めた。
赤黒い闇がどんどん膨れて追いかけ、迫ってくる。
「うひぃ! あの気色悪い闇は、いつまで追ってくるっすかあ!」
「知るか。あっちが諦めるまで走り続けろ!」
おれたちは森を抜けて、岩肌を四肢でしゃにむに駆け上がり、そして振り返った。
赤い闇が見る間に萎んでいく。そして元の夜に戻ったとき、生命の気配が消えた。
人も、鳥獣も、魔物も、草花に至るまで。
闇の向こうに無明の砂漠が広がっている気がした。
どれだけその場に立ち尽くしていただろう。空は白み、夜が明けてきた。
眼下に広がるのは、湖。湖面から突き出した鐘楼が、昨日そこに村があったことを告げた。
目から、何かがこぼれた。
舐めると鼻水の味がした。冬にはまだ早いのに、胸に冷たい寒風が吹き抜けた。
おれは初めて、希望を失うことを知った。
「う~んま~ぁい!」
佐藤さんがふわとろの親子丼をかき込んで、ご満悦の声を上げた。
「また丼ものの女王・親子丼が食べられるなんて夢みたい。そうか、これでついにシン・カツ丼の復活も近いやん。ついに和食転生の夜明けぜよっ、カレンの異世界和食無双が今始まる」
「味醂くらいで大げさな。和食無双ってなんですか」
わたしは苦笑しながら応じる。でも味醂のできは良くて、わたしも嬉しい。
「魔王様っ、おれの話、全然聞いてなかったろ!」
オレガノがテーブルを叩いて、怒り出した。恥ずかしかったようだ。
佐藤さんは箸を止めずにかきこむと、
「聞いてたよ。てか、食べながら聞ける話だったし。で、同情したほうがいい?」
「同情って……別にっ」
「冷める前に食べなさいよ。カレンが作ってくれた親子丼、めっちゃ美味いで」
「……っ」
「他には? あんた達、一斉にあいつ襲ってたよね。タイムやディルも似たような経験してたわけ?」
佐藤さんに水を向けられて、タイムとディルは顔を見合わせ、頷いた。
「おらは、チピタです。町は残ってますけど人は全員やられました。みんな優しい人ばっかで」
「おいらとタラゴンは、クラコー。状況はオレガノのケースよりタイムと同じかな。町から消えたんだ」
「拙は、ログディ・ベッキオです。こちらも人だけが消失したです」
ローズマリーも安住の地を奪われた経験者だった。
佐藤さんはもぐもぐと口を動かしながら、軽く頷いた。
「王国将軍、そのへんの魔法実験計画はどんなもん?」
急にふられても、ヴァンダーは動じずにお茶を飲んで、
「聞いたことがないな。闇を赤くする、魔法か」
「ヴァンダーがおらん間に、あたしらその魔法に心当たりがあるわよ」
「サトウが?」
佐藤さんは、ボウルのご飯をひと粒残らず平らげると湯呑みのお茶をすすった。
「最後のお茶も最の高っ。さてと、〝蝕〟という言葉に心当たりは?」
ヴァンダーは一瞬、言葉を飲んだ。
「それは、ある。魔王サトウミキ討伐中に起きたあの事故だと師匠から聞いた。言い訳に聞こえるかもしれないが、その時の記憶がない」
「わかってる。その〝蝕〟をあたしはコルス島で再現して、試験運用済み」
「きみが〝蝕〟を操った?」
「ううん。実際は厳密に操りきれたとは言えんのよね。理屈はいたってシンプルよ。光魔法と闇魔法を同じ魔力圧で十五秒拮抗させ続けるだけで『無明の光』が生まれた。その光は人の色彩視覚ではたしかに黒っぽい〝赤〟に見えたわ」
「十五秒間の拮抗……いや、言うは易しだ。光魔法と闇魔法を同圧で安定させることすら一流の魔術師でも至難だぞ」
佐藤さんは真摯な眼ざしで、ヴァンダーを見据える。
「正直に話してくれる? 隠し事は一切しないって」
「待て。俺は王国の将軍だ。知ってることでも話せない立場がある」
「それでも話せって言うてる。この場の怨嗟を断ち切るのは、ヴァンダーの返答次第なんよ」
「俺の返答? どういうことだ。きみは何に気づいた?」
佐藤さんは一度だけわたしを見て、質問を口にした。
「〝蝕〟を軍事研究している魔導研究機関とその所属国の名前をすべて教えてほしい」