ヴァンダーの屈辱
「で、負けたの?」
「最初のルールで三本まで取ったのに……泣きの一回で、不覚を」
ロンバルディア王国・王宮。カレイジャス私室。
わたしは、ため息とともにテーブルに置かれた巻紙に目を落とした。ヴァンダーによるとバルデシオの執政官辞職願らしい。公文書なので軸に巻き付けてある。
「バルデシオは?」
「明日からの辞職の引き継ぎ事務でまだ、クレモナだ」
「これ、どうするの?」
「実は、どうしていいか思いつかなくて、カレンに相談に来た」
「じゃあ、皇太子権限で裁決していいのね?」
「まあ、一応、執政官の任免は陛下の専権事項で、代理権限としてもあとで陛下の追認が必要になるが、尚書の確認があれば、実務上はそれもない」
法律ややこしいわ。わたしはうなずくと、ヴァンダーを見た。
「決裁を言い渡す」
威厳をこめて言い放つと、ヴァンダーは条件反射でその場に片膝をついた。
「本件、王太子カレイジャス・ロンバルディアの名において、執政官フェルディナンド・バルデシオの辞職願を不受理とする」
「ははっ」
「また、ヴァンダー将軍は明日から向こう一年、公の場以外での飲酒と私的決闘を禁じる」
「えっ!? ……ははっ」
「酒で不覚を取るなんて、師匠で将軍にあるまじき失態よ。陛下の御前なら降格か謹慎ものよね」
「いや、まったくだ。返す言葉もないよ」
「バルデシオも、公職の出処進退を酒席の決闘で決めるなんて不謹慎すぎる。受理できるわけないじゃない。結果は無効よ」
「確かに」
「よって、バルデシオの執政官辞職は認めません。どうしてもって言うなら、バルデシオが直接、上司である右尚書オルランド伯爵に、公式の文書の辞職打診のお伺い書を送るべきなのよ。後任人事だってあるんだから……なによ」
問題を持ち込んできたヴァンダーがニヤニヤしていたので、わたしはむっと見返した。
「いや、王太子の名裁きに、カレンも成長したんだなあと、つい嬉しくなった」
わたしは顔が熱くなってそっぽを向いた。
「誰のせいでこんな面倒を裁かなくちゃならなくなったのか、思い出してほしいんですけど?」
「いや、本当に申し訳なかった」
「そっちでバルデシオの出願不受理を理由つきで正式な文書を作ってよね。あとでわたしの印章も押すから」
「承知。それとパヴィアの領土報告書が明日の午前中に、上がってくるはずだ。目を通しておいてくれ」
「わかった。あっちで何か問題があるの?」
ヴァンダーは立ち上がると、椅子に座って少し表情を曇らせた。
「でもパヴィア領では問題が起きてる。なにか事情があるのね」
「そうだな。俺も大まかにしか把握してなくて、詳細はその報告書でなんだが、少し遅れてる」
「わかった。目を通しておく」
ヴァンダーは頷いて席を立つと、はたと動きを止めた。
「あ、そうだ。バルデシオから大事な言伝を忘れるところだった。明後日、午前中を空けてもらえないか」
「いいけど、どうしたの?」
「バルデシオの館で休養されていたヨハンネス・カンパヌス師がまた星巡礼に旅立たれるそうだ。その見送りに来てほしい」
ヴァンダーは厳かな眼ざしで、こちらを見る。
「農業に詳しい、できるだけ地位の高い者に渡したい物があるとおっしゃってるそうだ」