戦わないための戦い
「それでは、私たちは棺桶に入って王都まで帰りますよ」
マーレファに打ち明けたわたし達の密出国計画は、あっさりと認められた。
ジェノヴァ協商連合の通行証を持っていないので、他に手はなかった。
「棺桶? 佐藤さんの〝鋏〟を使えばすぐ戻れるんじゃないの?」
意外な帰還方法にカレンが目をぱちくりさせて別案を出したが、マーレファは譲らなかった。
「ミキとヴァンダーを休ませる必要があります。また時が惜しいのも事実です。心配には及びません、腕の良い職人の手による棺は存外、寝心地がよいものです」
師匠は棺桶生活も経験済みらしい。もう誰からもツッコミが入らなくなった。
けれどその言葉の通りでもないだろうが、ヴァンダーは王都に着いてからも丸一日、棺桶の中で目覚めなかった。
王城では、ボルトン軍侵攻を前に軍師が二日間も行方不明となり、敵前逃亡の煙まで焚かれ始めていた。そこにヴァンダーが会議室に現れると幕僚たちは驚きと歓喜に声をあげた。
ヴァンダーの内心では復活した記憶の中から新事実を見つけだして、戸惑いを持て余し気味だった。
蘇った前世界での自分・龍生勇武の記憶にある、菊地花蓮という名と現実のキクチカレンに驚かされた。
歳三の孫娘が死んだ。あの農業が好きだと遊びに来ていた彼女が。
記憶にある自分の最後は、三人を叩きのめした後、隠れていた二人にボウガンで射殺された。
収穫窃盗団は、五人だった。酔っていた自覚はあったが酩酊するほどではなかったけれど、いつ殺されたか自覚はなかった。
闇夜のあぜ道。音の少ないボウガンで狙撃されたのは、死んだ後になって女神と名乗る女から説明された。窃盗団は周到にも死体から箭を抜いて現場から逃走し、国外脱出したらしい。
それもあってか地元警察はその傷を軽視した。
窃盗団はその後も、ビザ検査が不要になった身分証を利用して日本に出入り、日本ブランドの農畜産物を海外へ転売し続けた。そこから一年後、ついに国内で逮捕された。日本の農家を狙って一億六千万円を荒稼ぎした札付きであることがわかった。
歳三のやつ、俺の葬式で怒っとるだろうなあ。
一度失った記憶を久しぶりに再確認すると、ヴァンダーはなぜかそんな感慨が浮かんだ。
そして かつて前世界で幼馴染みだった親友の孫娘・花蓮が、カレイジャス・ロンバルディアにほかならない確信に憂い沈んだ。
二人の死亡時期に疑義が残るが、いずれにしても運命とは皮肉で、裏腹だ。
「なあ、天の声」
……Yes. Long time no see.(はい、お久しぶりです)
「菊地花蓮は、菊地歳三より先に死んだのか」
……It seems so. There's not much point to that.(そのようですね。あまり意味はありませんが)
「意味がない?」
……Time for journey is not uniformly.(旅の時間は一律ではありませんから)
自分にしか聞こえないこの何者かである声は、相変わらず表現が小賢しかった。
§
ヴァンダーは、国王ドレスデンに拝謁を申し入れ、致仕(隠居)の解除が正式に認められた。
このときグラッグ伯爵も復職していて、被害者ヅラでヴァンダーの復帰に異を唱えた。
だが、
「もはや三十人ばかりの子どもの籠城に兵五百を敗走させた責任を蒸し返している場合ではない。グラッグ卿。大軍が隣国まで迫ってきておるのだ」
やんわりとしかし、深々と刺していく国王ドレスデンの言葉に、グラッグ伯爵も抗う舌を止めるほかなかった。
そこへ暗夜猟兵が駆け込んできて、リグリア海の大津波によって沿岸都市の壊滅的被害を報じた。
「陛下。ボルトン軍の後詰めが全滅となれば、フォッサノに駐留している五万の兵など、縄の切れた舟も同然。反撃に転じるのは今をおいて他にございませんぞ!」
息巻くグラッグを後目に、国王ドレスデンの視線がヴァンダーに流れた。
「翼衛将軍、どう思う? 発言をゆるす」
「はっ。早急にロンバルディアが和議仲介の労をとることが肝要と考えます」
手ぬるいっ。実権を握る尚書が吐き捨てたが、国王がそれを黙殺した。
……王の許可無く発言することを咎められない陛下の温情に気づけよ。
ヴァンダーもその空気を読んで言葉を継ぐ。
「なにぶんにもいまだサヴォイア領侵攻でございますので、カルロ大公陛下にもその意向を伺ってみませんと」
「たわけが。サヴォイア大公陛下はいまだ御年十七歳で事理弁識が衰弱、戦場の機微というものを理解できるわけがなかろう!」
あーもう、うるせえなあ。誰だよ、こいつを復職させたの。そこまでこのグラッグ家門が強力なのか。案外、転生派内部でもこの血の気の荒い元司教の扱いに困ってるんじゃないのか。
ヴァンダーは辛抱強く事務的に発言する。
「陛下、ただいま不敬罪に抵触する発言がございました」
「うむ。グラッグ伯爵、黙れ」
国王に命じられて、グラッグ伯爵もくやしげに押し黙るが、目は一国の王を畏怖なく睨みつけていた。グラッグ伯爵の本性が出た瞬間であった。
老人は、ロンバルディア国王を差し置いて、みずから王を自負する佞臣なのだ。
この上はやはりカレン、いやカレイジャスの奇策に乗るべきか。
ヴァンダーは改めて見解を奏上する。
「戦略上では、リグリア海の大津波がボルトン軍の後詰と兵站を押し流したことは神の配剤ともいえる好機であることは間違いありません。ですが、同時にサヴォイア領内に駐留した五万二千の兵を飢えた窮鼠に変えてしまう可能性もまた事実。サヴォイア大公陛下におかれては、これを好機と促すことは危険を孕む一策となりましょう」
「では、和議に諮ることの真意は」
「奇しくも焦土作戦がなければ、サヴォイア領内の沿岸都市の被害拡大は避けられなかったでしょう。カルロ大公陛下の采配に沿岸の民は感謝することは疑いようもありません。ですがここで戦闘が長期化すれば、沿岸の民を受け入れた公都をはじめとする内陸都市が余計な食糧を失って大公陛下をお恨み申し上げるでしょう。大公陛下におかれては、さらなる果実を得ようと欲すれば、せっかく喉を潤せたはずの果実すら川に落とすことにもなりかねないと愚考いたします」
「カルロ大公が五万もの兵を退けられる時機を、武勇で打ち破って歴史に名を刻むことまで望むな、ということか」
「肯定であります。ボルトン軍は野営地で補給支援を失い、不安で打ち震えていることでしょう。帰りは餓死を覚悟して海岸路を戻らねばなりません。今、サヴォイア軍二万が攻めかかれば、敵は死兵となり死力を尽くして戦うことは自明。サヴォイア大公陛下が御身をもって手厳しい教訓を得る必要はないと存じます」
「さりとてお互い、戦わずの和睦を無条件を飲むわけにはいくまいな」
「肯定であります。なので、それがしの財産、帝国金貨で二千万枚をボルトン軍の凱旋金として譲与することを提案いたしたく存じます」
※お知らせ※
次回は、1月3日16:00から
良いお年を
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