ヴァンダー復活
「ガイド、なんでもいい。何か習得できそうな新しい戦闘スキルを……っ」
capire:
[軽装歩兵Ⅲ]武器や鎧の重さを感じなくなる
[格闘蹴撃Ⅱ]近接戦闘中に高速の蹴りの追撃
[回避行動Ⅲ][受流しⅠ][激高Ⅰ][荊棘の祝福]
自業自得なので今さら落胆はしないけど、戦闘系スキルが少なすぎる。しかも自動取得している状態でさっきの対応なら、クシナのスピードに追いつけてない時点で意味がない。
「新しいの三つ目と最後のは何?」
[激高Ⅰ]六〇秒間だけ身体能力を六〇%向上。
[荊棘の祝福]≡▽∠♭∪∝∴☆‡と≠∵○≧□¥≦〒&¶∨≪できる。
音声が壊れた。わざわざガイドにまで載せておきながら、素直に教える気はないってことね。
「わかったよ。ごめん。わたしが悪うございました女神様。あいつを絶対に倒したいの、だから力を貸して」
「ほほほっ、最初からそう言うておれば、可愛げがあったものを」
あの女性の〝聲〟だ。シュブ=ニグラート・ヒルデ黒羊太后だっけ。わたしの喉から出ている音とも思えない艶っぽいおばさん。ムカつくけど、今はこいつに頼るしかない。
「いつも肝心な時だけ頼ってたら、自分が成長しないかなって」
本音は、〝荊の荒城〟と同調を続けていると、思考も体も乗っ取られそうで怖い。
もう確信した。彼女は魔法じゃない。寄生生命体だ。ヴァンダーにとっての邪竜みたいな何か。
「ふふ、殊勝な物言いなれど、ともに戦うにはちと分が悪いか」
「どういうこと?」
「あの個体にサルフォロバスが取り憑いた。あの黒曜鱗がその証拠じゃ」
あの黒い鱗はヴァンダーを介護している時にも見たことがあった。石のような鱗。
「乗り換えられたにしては、いい動きしてるんだけど」
「うむ。土壇場で最適合する個体と出会ってしもうたようじゃ。基本ステータスの底上げが五割増しておる」
「驚くことも嫌になる悪い知らせなんだけど」
「その分、あの個体のスキルは封じられたのではないかえ。なんというたか……」
「[九死一生]?」
「ふむ。サルフォロバスは不死の竜。あの個体はもはや死ぬことすら不要の体になった。じゃが欠点がなくはない」
「なに、もったいつけないで早く言って」
「今、あやつはサルフォロバスを抑圧するために意識を体内に向けておる」
「え?」
「肉体精神の支配権を巡って争奪戦が始まっておる。すなわち攻めるなら今じゃ」
「わたしの力だけじゃ負けてるんだって、圧倒的にっ」
「落ち着きやれ。お前は、天才と凡人の差を埋める方法をしらんのかえ」
「埋める方法? 知らない」
わたしの足下から〝荊の荒城〟が一斉に飛び出した。
「天才の都合の悪い瞬間に侵け入ることじゃ。――小鬼、腑抜けた主に代わって駆けよ!」
「了解っす!」荊の道をバジルがかける。
「だぁれが腑抜けた主よ、舐めんじゃないわよ!」
わたしは[激高]し、荊の上を走った。
一分、一分だけ頑張ってみる。だからみんな、早くヴァンダーを。
§
「ないっ!」
ヴァンダーの切り裂かれた背面を見るなり、新沼圭佑は思わず叫んだ。
「なくなってる!」
「ケースケさん。カレンとさっき飛び出したバケモノが戦闘を始めたぞっ。加勢していいか?」
ティグラートが焦った声をもらす。
「三重跳びの縄とびの中に入っていける自信があるなら止めないよ。荊とゴブリンの三人がかり。きみが物理ダメージ無効でも、今は邪魔になる」
はからずも第四戦目の菊池花蓮とクシナジョウの戦闘が始まった。
金属のぶつかり合う音が戦慄のビートを刻み、そのリズムは徐々に速く、苛烈となり、数も増えていく。
そして圭佑も、カレンを支援する余裕がなかった。
ここにあるべき、邪竜サルフォロバスの巣が消えた。後頭部から腰までを切開されており、まるで蛾の蛹から孵った後の抜け殻だ。
これでヴァンダーの肉体は再生を続けているのだから信じられなかった。
邪竜はこの切断で一緒に消滅したか。ありえない。最悪ここから敵が増える。
「くそっ、文字通り、飛び移る感覚で宿主を変えられるのか。これで薬が無意味になった」
「そうでもありませんよ」
この場にいないはずの人物の声がして、男三人は振り返った。
海水が凍るアクリルの内壁がタテに切り裂かれ、狭間から銀玲長髪の魔術師がするりと現れた。
「マーレファ導師っ!?」
圭佑は地獄に仏を見た旅人の顔で、尊敬してやまない師を迎えた。
「どんな魔法で、ここまで?」
「これです」マーレファは銀のものさしを見せた。「ミキから借りていた彼女の〝鋏〟です」
「佐藤さんからの合図は」
「彼女が放つバンベルクの禁呪が合図でした。地上で禁呪を使えば、波動が伝わります。説明は以上です。ヴァンダーの様子を」
「はい、こちらです……佐藤さん、ぼくを差しおいて、自分だけ抜けがけ出頭したのか?」
「なんです?」
「いえ、なんでもありません」
ヴァンダーの惨状を見るなり、マーレファは眉をしかめた。
「傷口の大きさに比べて、出血は皆無。血管内に残ったサルフォロバスの呪いと吸血化による血流の鈍化によって、微弱な魔力流動で内臓器官の働きが辛うじて維持されていますね」
「なあ、空気読んでくれよ。菊地のピンチなんだって。講義はじめる暇ねえんだって!」
ティグラートの焦燥を、大魔術師が冷静にはねのける。
「カレンは大丈夫です。目下、問題があるとすれば、この大きな空洞の傷です。あの魔人はヴァンダーの背中を割って、抜け殻のように現われたわけですか」
「はい。最初は皮膚はおろか筋組織も形成していない肉塊状態でしたが四、五分程度で人の外見を整えました」
マーレファは数秒だけ黙考すると、佐藤のものさしをつかって傷口をなぞった。
すると傷口が左右から接合するように塞がり、跡形も残らなかった。
「これはっ!? 導師っ」
「出血がないことから、この傷は物理破壊ではなく、この〝鋏〟と同じ、異次元裂傷なのでしょう。竜属星はどこまで奥深い道の魔術世界のようです。さ、例の薬を」
マーレファが弟子の体を仰向けにすると、圭佑から渡された紅金色のポーションを開けてひと息に全部を口に含んだ。
弟子の鼻を摘んで、口から頬袋でパンパンに膨らんだものを一気に吹き入れた。ヴァンダーの四肢がビクビクっと痙攣を始める。
「ったく。男同士にしても、なんて色気のねぇ口移しだ」
ティグラートがどうでもいいことをぼやいた。
§
「タツオ。タツオ……っ」
名前を呼ばれて、目を開けたらどこかで見たことがある少年の顔があった。
あちこち殴られたアザだらけ、それでもニカリと笑う顔に屈託はない。
「勝った、のか。俺たちで」
「あったり前らっ。おれたちが負けるわけねぇら!」
がはははと笑い、肩を組んだ。
「そうか、ずっと、腐れ縁だったのか」
「あん? なんかいったか?」
「いや、なんでもない。それより腹が減ったな」
「ああ、何でも食えくえ。おれのおごりだ。こっちじゃ、おれが金持ちだからな」
「なあ、いい加減、その名で呼ぶのやめないか? あと訛り」
「なんで?」
「俺はヴァンダーという名前をもらった。魔法使いの弟子になった」
「お前っ、あいつについて王都へいくんか」
「ああ。そっちはどうする? 粉挽き屋の次男じゃ先がないって言ってたろ」
「ああ……大学に行ってみたい。んで、いつか執政官になる」
「そうか。いいじゃないか。なれよ執政官。しっかり私腹を肥やして、また奢ってくれよ」
「任せろ。お前ら、いつこの町を出るんだ?」
「今晩だ」
「えっ」
「師匠の、この町での調べ物が終わったらしい。今度ここに戻れるのは十年先かもな」
「タツオ」
「お互い生きてれば、また会える。俺はこのクレモナが気に入った。お前もここの執政官になって帰ってきた俺を迎えてくれよ」
「絶対だぞ。絶対、帰ってこいよ。待ってるからな」
「お前もな。トシ」
二人は拳をぶつけて、笑った。
長い夢を見ていたようだ。
散らばった夢の断片をいろいろ見た気もする。
見つめてくる温かい視線は、二十年ずっと潜んでいたあの目に似ていたが、昏い憎しみの視線ではなかった。
この目に見出され、導かれてきた。
体から突き出すほど硬質な呪縛が、溶けている。
「さあ、お仕事ですよ、ヴァンダー」
「まったく。相変わらず弟子使いが荒いですよ、師匠」
上体を起こすと、ヴァンダーは黒い吐瀉物を盛大に吐いた。吐瀉物は無数のヒルとなって胃液の中をうねり、師匠に竜属星の炎弾を落とされて灰になるまで焼き滅ぼされた。
「どこだここは、やけに寒いな」
「暴走したあなたを押え込むのに、バンベルクの禁呪の私用を許可しました」
「教えたのですか、禁呪を。なんて無茶を……。そこまでして邪竜を」
「いいえ、まだ倒せていません。事ここに至り、倒すべきではないとさえ考えています」
「えっ、それは……肝心のサルフォロバスはどこへ?」
「あなた方との戦闘のドサクサに、あそこで戦っている魔人に宿主を変えたようです」
戦っているのはカレンとバジルだ。二人がかりでたった一人に押されていた。
「剣が……こんな無骨な大剣は趣味じゃないんだが」
ヴァンダーが暗黒剣を放り出す後ろで、マーレファは表情を改めた。
「ボルトン軍が、サヴォイアの国境を侵しました。あなた達の力が必要です」
「なるほど。それでは、あの体に邪竜が本調子じゃないうちに捕縛ですか」
「そうです。そしてあの宿主には残念ですが、魔界の永久凍土で生きながらにして封印されることになるでしょう」
「了解」
皮肉なことに、〝竜〟を被曝したヴァンダーには、カレンがなぜあそこまで追い詰められているのか、わからなかった。
§
「さっきはよくもやってくれたな。舐めるなよ、黒羊太后っ」
「黙れ。これはボクの、体だ……勝手に入ってきて、邪魔、するなっ」
一つの体の中で二つの人格がせめぎ合っているというのに、わたし達は目の前の修羅に圧倒されていた。
〝荊〟が、あの出刃包丁の鎬を削ることもできずに斬られてしまう。バジルも死角をついた攻撃のことごとくを易々と受け止められた。うちの快進撃ゴブリンが顔や四肢に傷を増やしながら驚愕し、苦悩する姿は情況の窮地を予感させた。
そしてわたしもまた、打つ手がなかった。
遮二無二の力押し、自分の乱れた呼吸すら聞こえない。一万七二九六通りの型の組み合わせすべてを叩き込む中で、それが尽きた後のことを想う。迷いが昏い穴となって足下で広がり、わたしを敗北へ落そうとする気配を覚えた。
これが格上と戦うということか。
負ける恐怖って、こういうことか。
「うわぁあああああっ!」
「はいはい、もうお終いなんだね。お前、女にしては強かったよ。バイバイ」
振り抜いた小太刀がガラス細工みたいに安っぽい音を立てて砕けた。
けれど、
あの出刃包丁の切っ先はわたしの体を刺し通らなかった。
「真剣勝負の最中に、いつまで稽古なんてしてるんだ? カレン」
砕けた刃の陰から現われた〝荊〟の木刀が、出刃包丁を受け止めていた。
わたしは敵前で思わず顔だけ背後を振り返っていた。
強くて、頼もしくて、優しい目線とぶつかった。
食いしばった歯から血が流れても取り戻したかったものが、微笑みかけてくる。
ふいに鼻の中でつんっと痛みが走り、潤った視界に鮮やかな光が射して広がった。
「ねえ、ヴァンダー。わたし、こいつを倒したい。どうすればいい?」
「相手を目だけで追うな。体で五感で追っていけ。得物を人に叩きつける時、必ず人は得物を引く。それがない時は突くことしかできない」
「最初に教わった言葉だ」
「極意とは常に原点にあるからな」
わたしはうなずくと、師から〝荊〟の木刀を受け取った。