第5戦〝邪竜〟ヴァンダー討伐戦
相手入場口が開くなり、冷たい邪気が床に這い出した。
黒甲冑に身を包んだ銀髪の邪竜は、土気色した顔と獰猛な赤眼をわたし達に向けた。
漆黒の大剣を左右にたずさえ、闇のオーラを放っている。
『それではこれより、メインイベント。第5戦。邪竜サルフォロバスVS転生者を始めます!』
観客席から鯨波の歓声が起きる。
「天界も魔界も、こんな内輪の喧嘩なんぞ眺めて楽しいのかねえ」
ランブルスがいつものボヤキを洩らした。
「楽しんじゃねえの? どっちも愚かで可愛い人間が大好きで、他に嗜む娯楽もなさそうだしな」
ティグラートがガンズアームを両手に装備して、拳を合わせた。
「二人とも、真剣にやらなきゃ死ぬよ。観客はどっちが死んでもいいように賭けてるんだから、外野のことなんか気にせんでええで!」
佐藤さんが叱咤激励する。
「オレなんか土下座までしたからなあ。連中さんの目には、オレたちが闘鶏の軍鶏にしか見えてねえんだろうな」
「おっさん、それは自己愛護が過ぎるぜ。連中にしてみりゃ虫けらだろ。カブトムシかクワガタだって」
ティグラートが盛り上がった肩をすくめた。
「あー、かもなぁ。自分たちなら一瞬で壊れる、この場のオレらの争いなんては紙相撲かあ」
「自己憐憫はもう充分だよ」
新沼さんが手を前にかざす。
「スポーツマンシップはいらない。邪竜の再生能力は強い、遠慮してたらジリ貧は僕たちだ。作戦の通りにいくよっ」
『はじめ!』
開始の合図がされた刹那だった。
わたしの目の前にヴァンダーが現われた。
「お前こそが〝屠竜〟だな。逃げられると、思うたか」
右腕、頭上に高々と振り上げられた暗黒剣が、振り下ろされる。
十字斬――。
上を受け止めれば横からの薙ぎ払いで、上半身は下半身と永遠のお別れ。
横に対応すれば、頭は唐竹割りで股下まで、まっ双つ。
なら、活路は一点。
「カレン!?」
「菊池さん!?」
「うわぁああああっ!」
祖父がわたしに剣を教えてくれたのも、ヴァンダーが型の反復にうるさかったのも、この瞬刹のためだと思う。
心体にまとわりつく恐怖の糸を引きちぎって、跳んだ。
前に。
黒い飛沫が頬にかかる。紙一重をいく死線の上で、わたしの小太刀――右脇構えからの下段斬り上げの初速度が、勝った。
邪竜の振り下ろしたはずの右肘が、宙を舞う。
「押し斃せぇ!」
わたしの闘争本能がわたし自身に命じた、魂の叫びだった。
負けない。生きるんだ。相手は竜と呼ばれる存在でも倒せるって信じるんだ。
「ぐぉおおおっ!」
ティグラートが鬼の形相となり、ガンズアームで邪竜にシールドチャージをかける。
わたしを追っていた邪竜の暗黒剣が急反転、振り返りざまの漆黒の弧月をえがく。
邪竜を受流し。
回転斬で腕を払い切って開いた胸面に、ランブルスの氷雪の百撃槍が猛然と襲いかかる。
片腕を失った邪竜は胸甲に受けて壁まで吹っ飛び、アクリルにヒビを入れた。
一気に畳み掛けようと、邪竜の周りを無数の小さな〝匣〟が包んだ。
爆発。放散する衝撃波。その空気のゆらぎを突き破って邪竜が〝匣〟の転生者を襲いかかる。
〝匣〟は対策されていた。新沼さんへ肉薄する渾身の斬撃を、わたしが受け止める。
体格差に圧され、体幹が沈む。小太刀が苦悶の火花をあげ、靴底が後ろへさがる。
わたしは歯を噛み砕くほど敗北に抗う。
そこにティグラートが邪竜の背後を襲う。反則上等の左フック、ガンズアームが脇腹をえぐった。
邪竜は再びふっ飛んで、受け止めたアクリル壁全体が不平を鳴らした。
間髪をおかず、ランブルスがジャンプ一番からの〝一角氷穿〟で追撃する。
邪竜は一薙ぎで受流す。
がら空きになった聖騎士の腹を立ち上がりながら蹴り払われ、ランブルスがわたしの視界から消える。さすが王国の将軍と言うべきか、およそ重い甲冑と剣を装備した負傷人の動きではなかった。
わたしが弧月斬で打ちかかった。
邪竜はそれも受流す。
わたしが反撃をもらうより早く、ティグラートの消滅拳ストレートが炸裂。しかし邪竜はバランスを崩しながらも、それさえ剣で打ち払った。その衝撃で左のガンズアームが砕けた。
「よく動き回る小ネズミどもがあっ!」
漆黒の弧月がティグラートの首に閃く。
筋肉の鎧が飛び石のように石床を跳ねて反対のフェンスまで激突した。
「チッ。手応えなし、か」
邪竜が口惜しそうに顔をちょっとだけ歪めた。
「うううっ、はっ、首っ、おれの首っ? ……あるっ、あった!?」
ティグラートがしきりに左手で首筋を撫で回し始め、胴と別れてないことを確かめる。
スキルで身体的物理的に起きた事実を否定できても、目から入った致命傷の情報はティグラートの精神にダメージを残したらしい。発狂状態に陥った。
ここ半月で邪竜がヴァンダーの体に馴染み、ステータスの各方面でヴァンダーの性能に邪竜の性能が上書きされてしまったかもしれない。シルミオーネで戦った時のぎこちない動きとはまったくの別人だった。
このままじゃ勝てる未来が見えてこない。
それでも、わたしが初手で腕を斬り落としている。
なのにじりじりと圧される感覚に焦る。
この状況で突破口なんてあるのか。ヴァンダーを本当に救えるのか。
考えてる場合じゃないけど、早く答えを探り当てないと、詰む。
「がはっ!?」
一瞬の思考停止を見切られて、切り結んだ状態で前蹴りを腹にもらった。衝撃は男女平等。弟子への遠慮もナシ。ほんの一瞬だけ目の前が真っ暗になった。
アクリル壁にバウンド、戻ってきた意識が映したのは、鼻先まで迫る漆黒の切っ先。
詰んだ。
「まったく。自分で封印したのなら、最期の最後まで頑張んなさいな」
暗黒剣がわたしの顔面を貫くより早く、白銀の〝荊〟がわたしの足下から噴出した。
「なにっ、これは……まさかっ!?」
〝荊の荒城〟が術者であるわたしをふっ飛ばす。
指示は出していない。この奇妙で理不尽な事実はしかし、衝撃でしびれた頬からうまく情報が頭に伝わらない。
わたしをふっとばした〝荊〟が邪竜に切断されて、黒炎で灰も残らず燃えつきた。
邪竜はなぜか、わたしを追わず自分の腕を回収へ向かう。
この戦闘に休憩などありえないけれど、わたしは今さらに呼吸の仕方を思い出した。小太刀を杖ついて、軽く胃液を吐いた。
観客席から怒号のような熱をおびた大歓声がアクリルの壁を振動させた。
円舞台の中へ少しずつ海水が漏れ出している。
「この世界にまでシュブ=ニグラート・ヒルデ黒羊太后が、ご降臨とはな」
ヴァンダーの口から、知らない名前が呟かれた。
「汝の威光もすっかり絶えて聞こえぬと思っていたのに、まさかこんな辺鄙な狭隘に隠居していたとは、無様よな」
切断された腕が肩口から伸びできた闇の筋繊維といくつも結びついて、接合する。ややもすると剣の素振りを始めた。握る拳にも再び力が戻っているようだった。
「あの透けた壁で外へ会話が漏れてなくとも、異世界神たちの前でその名を呼ばないでちょうだい。サルフォロバス・ソルファタリクス。幸い、居心地は悪くないの。退屈もしていないし。そんなことよりも――」
わたしは思わず自分の口を両手でふさいだ。わたしは自分の口を別の誰かに独り言を呟かれていたことに今、この場で気づいたのだ。
指の間から、わたしの唇が嗤う。
「――あなた、相当嫌われてるみたいよ?」
「〝アントネッラ雪塵風車〟!」
ランブルスが単身、邪竜の背後から腰を旋回しつつ渾身の出力で薙ぎ払った。だが真円を描く先は突然、阻まれた。二剣で挟み止められる。
「〝屠竜〟はすべて、ここから生きて出さんっ。手始めに二十年前の生き残り、貴様から始末してやろう」
「おっと。そいつはどうかなっ?」
ランブルスがニヤリと笑うと、鋏みとめられた槍から周囲へ白煙が噴出した。
「氷霧だとっ!?」霜の降りた自分の手甲を見つめ、邪竜は苦虫を噛み潰した。「こんな狭い場所で目眩ましなど無意味っ、貴様らに逃げ場はないのだ、小ネズミ!」
「その言葉、そっくりそのままお返しだからっ!」
今までずっと黙っていた佐藤さんが咆えた。
「お待たせ。しっかり手間ひまかけて組んだんだから、しっかり味わってよねえ!」
佐藤さんが鼻血をたらしながら不敵な笑みを浮かべた。
拳を高々と突き上げ、地へ降り下ろす。
「〝冬厄災風狼剣〟真撃ち!!」
氷霧が氷雲に変わり、その中から極寒神の拳がのぞいた。
「〝神々の三拳〟バンベルクの禁呪だと!? 忌々しいラドゥ、これも貴様の入れ知恵かあ!」
鋏みとめた二剣のままで聖騎士をフェンスに叩きつける。が、足を締めつける拘束感に視線を下げた。白銀の〝荊〟が両足に巻きついて食い込み、地面に繋ぎ止めていた。
「ヒルデ黒羊太后っ、なんの真似だっ!?」
「なんのってぇ、妾、あなたのこと知ってるけど、一度でもあなたの肩もってるように見えたかしらぁ? さーよーならぁ」
『カサレヴサ魔法結界障壁、展開』
場内アナウンスとともに観客席が自動で下がり、六方に割れ、シリンダーを囲むように六角形の防御結界壁があらわれた。三重魔法障壁である。
これに間に合わせるように、アクリルシリンダー壁の周りに衝撃波の傘が広がった。
二秒遅れて、爆凍風が観客席にまで放出された。
観客らは誰一人として、目を閉じたり、顔をかばったりしなかったのはさすが人にあらざる存在たちだった。
爆凍風がやむと、三重の防御結界壁のうち二枚が破壊。最後の一枚は摩耗して明滅を繰り返していた。
アクリルシリンダー壁はまだ健在だったが、中は氷点下に達したらしく周囲は白氷に覆われ、観客席の側からは円舞台をうかがい知ることはできなくなっていた。
『勝者、転生者……え、続行?』
アナウンスの怪訝な声は、観客席を凍りつかせた。