マーレファ中将のオフィスにて
ロンバルディア王国王都マイラント。
外城壁の周りに馬防柵がならび、防衛資材であろう材木を積んだ馬車と家財を積んで都を出る馬車が城門をひっきりなしに行き交っていた。
焦燥をみせる兵士、表情を曇らせる女性や老人、子どもは親の手に引かれ町が日常から非日常へと変わっていくさまを理解できずにふてくされていた。
わたしは、兵士に訊ねながら、ラミア・ライザー夫人を探した。
陸軍省作戦参謀本部第一官舎 上級将校オフィス棟 マーレファ・ペトラルカ中将。
重厚なドアをノックして開けるや、秘書官らしいラミアさんはこちらをひと目で目を見開き、椅子を蹴った。
「あなた達っ。いいところに来てくれたわね。早速だけど、偵察部隊を率いてもらいたいの!」
「いやいやいやっ」
「ラミアさん。まだそういう冗談がいえる余裕あるんやね」
慌てるわたしのとなりで、佐藤さんがふてぶてしく笑う。
中尉の徽章をつけた武官服姿のラミアさんは微苦笑で、わたしと佐藤さんの首に両腕を回した。
「最悪のタイミングで現れるもんだから、理性が飛んじゃったのよ」
「その最悪の程度は、猫の手でも借りたい? それとも文字通り、どん底なわけ?」
佐藤さんが情況に探りをいれるが、軍人の口は硬かった。
「ごめんなさい。民間人にはこれ以上は話せないの」
「最悪と言えるうちは、まだ最悪ではない、ってカンジ?」
「ふふ、なにそれ。でもそうかも……まだ開戦前、情報収集の段階よ。だけど喜ばしい情報は一つもないわ。そこへきて、マーレファの頭痛を悪化させる魔王が勢揃いだもの」
「わたし、魔王じゃありません」
「その中に僕を入れないでください」
「あたしだけ問題児あつかいすんのかーい!」
わたしも新沼さんも心外とばかりに抗議したけど、ラミアさんに半笑いで流された。
佐藤さんが腰に手をおいて、用件を持ち出した。
「ウルクスでたまたま、ボルトン軍の思惑を蹴っ飛ばしてきたんだけど。話聞く気ない?」
ラミアさんの顔がすっと軍人の仮面をかぶった。
馬車で話し合った内容を伝えると、ラミアさんは伝声管でお茶を注文した。
ボルトン王国の先遣隊五百人が、ウルクスからサヴォイア公国へ入ろうとしていたこともまだ把握してなかった様子だ。
「そのバルトネッキラって宿場町から見える蜂の巣って、そんなに大きいの?」
「宿場町から北へ距離八百メートルの付近で、肉眼で目視できます」
新沼さんが応じた。
「〝空中城塞〟という評価基準は、太古の昔に存在したという空を航行する飛空船の大きさだといわれているけれど。その表現は誰から?」
「ウルクスの長老です。そのうちの一人の名前は確か……ラーヴァリン?」
ラミアさんは聞いた内容をデスクで筆記すると、銅製カプセルに入れて伝声管そばの壁にあるシュートシリンダーに装填し、レバーを引いて射出した。
佐藤さんは話題を変えた。
「ここからは、あたしたちの個人的な秘密を相談しにきたの。これから、ヴァンダーを助け出しにいってくるわ」
ラミアさんは形の良い眉をひそめた。
「ヴァンダーの居場所がわかったの? でも彼が今どういう状況にあるか――」
「知ってる。知った上で、彼の呪いからも解放して戦争が始まりそうだって伝えるつもり。でもそのためには特効薬が必要なの」
ラミアさんの表情に少しだけ光が射した。
「その薬の調合でマーレファに会いたいのね?」
「そう。今は手短にしか説明できないけど、関係筋から聞く限り、ヴァンダーに吸血癖の症状が現れてるみたい。だからあたしたちは邪竜を体内から駆逐する薬をつくって彼に投与し、本来の彼を蘇らせるってわけ」
ラミアさんの目に半信半疑な光が揺れていた。でも佐藤さんとわたしの目を見て、うなずく。
「マーレファに、面会できるか直に問い合わせてみる」
「あのっ、これを」
部屋を飛び出していこうとするラミアさんに、わたしがメモ紙を差し出す。
「わたしたちで考えうる限りの、ヴァンダー特効薬のレシピです。マーレファに助言がほしいんですけど」
ラミアさんはメモを受け取るや一読し、目を見開いた。それから力強く頷いて、軍服のポケットにいれると、部屋を大股で出ていった。
ドアが閉まる音とともに、わたしと佐藤さんはふぅっと体中の空気を抜いて応接ソファに体を預けた。
そこへドアがノックされ。小姓めいたきれいな顔立ちの若い将校がティーセットをトレイに乗せてやってきた。
「あのぉ。ライザー中尉は」
「さっき飛び出していったわ。お茶はあたし達に振る舞ってくれるそうだから、こっちにもらえる?」
「あ、はい」
軍部のミルクティは、わたしの知っている味だった。
「あの。この紅茶、美味しいですけど、どこの産地ですか?」
若い将校は嬉しそうに破顔して、
「〝ひまわり〟っていう、サヴォイア公国産です。葉の原産はバーブル王国という、この大陸の東端にある国から海路で渡来していたのを、翼衛将軍ヴァンダー閣下がサヴォイア公国で発見されて以来、現地で栽培しているそうです。安価でいい茶葉なので省内では幕僚の方々も常飲されていますよ」
「そうなんですか。それでは、このミルクを入れて飲む茶法もヴァンダー、閣下が?」
「はい、そうみたいです」
給仕将校が退室すると、わたしは前に落ちそうになる額を両手で支えた。
「お茶に米かあ。これであたしらにもボルトン軍からサヴォイア公国を守る理由ができたんじゃない?」
佐藤さんが声を弾ませると、新沼さんも小さく笑いをこぼした。
「あの人はもしかすると、菊池さんより先にサヴォイア公国で日本を再現しようとしてたのかもしれないね」
「ヴァンダーを、何がなんでも助けます!」
わたしは決然と立ち上がった。
「ヴァンダーはたぶん、前世界のおぼろげな記憶だけで茶畑を復興させただけかもしれません。わたしが本当の農業ってやつを見せてやります!」
「菊地さんのお祖父さん、さまさまだね」
新沼さんが珍しく皮肉を言ったけど、わたしは大真面目に頷いた。
ガコン。シュートシリンダーに、銅製カプセルが戻ってきた。
「ねえ。どうすんのあれ?」
「無視しとけばいいんじゃない? 部外者の僕たちが触れていいもんじゃないでしょ」
新沼さんが留めたせいか、佐藤さんは逆に好奇心をそそられてシュートシリンダーに取り付いた。
「あっ、あたし宛てだ」
「佐藤さん。さすがにそういう見え透いた冗談はまずいよ」
「いやほんまやって。〝ミキへ〟って日本語で貼り紙してある」
わたしと新沼さんも急いで立ち上がって、佐藤さんの背後に回った。
佐藤さんがカプセルを明けると、中には巻紙と赤黒い液体の入った小さなポーションボトル。ボトルをわたしに押しつけ、早速巻紙を開いた。一分近く熟読してから、新沼さんに渡した。
「佐藤さん……これ、残したらまずいよね」
「当然でしょ。記憶したら燃やして。カレンには見せんでもええよ」
「なにゆえ、わたしだけ仲間外れ!」
「あの特効薬のレシピ、つくったのは誰?」
「え。それは、佐藤さんと新沼さんです、けど……」
「よろしい。あれはそのレシピよ。八割追認されてるから問題ないわ。あとは、マーレファが、吸血鬼だったって話」
「あ、それなら知ってましたけど」
目をパチパチと瞬いて真顔で応じると、佐藤さんも驚いた顔をした。
「は? マジで? なんやねん。だったら余計カレンには必要ないよ。あとはそうね、ヴァンダーとの戦いで勝つことができて、抗生物質を使うタイミングになったら立ち会わせてほしいって」
「立ち会う? そんなこと、できるんですか?」
「トーゼン。あたしに〝鋏〟がある限りね」
あの時空間転移魔法か。便利だけど、佐藤さんが旅行は移動も楽しむ人だから普通に馬車移動してて、魔法の存在を忘れがちだった。
大魔術師の追認を得られたので、わたしたちはカップのお茶を飲み干して、オフィスをでた。