口裏合わせの因果関係
「っていうか、新沼さん。あれ、主従の誓約でしたよねっ!」
「だったねえ。いやぁ、僕も初めてみたよ」
「はあっ!?」
わたしに鹿の角族から協力要請を持ちかけたの、この人なのにっ!
「新沼さんっ。事態が大きくなってきてますよ、どうするんですか!?」
強く詰め寄ったら、いつになく動揺を始めた。
「あー、いや、その……ごめん。王太子の権威がここまですごいとは想定してなくてね。頑固な長老たちの態度を『軽く面倒見てやるか』程度にまで懐柔できたらいいな、くらいに思ってたんだよね。あははは」
「あははって、新沼くん。ほんまにそのへん、なんも考えてなかったわけ?」
佐藤さんもドン引きで訊ねると、新沼さんはようやく笑いをおさめて少し怪訝な表情をつくった。
「ボルトン軍の先遣隊の数が五百人だったでしょ。あれ、なんか妙じゃなかった?」
「妙? 妙って?」
「長老たちはサヴォイア公国への偵察部隊だって言っていた。そのためにウルクスを通過する。長老たちがボルトンとサヴォイアの交戦に不干渉という立ち位置にしたかった理由は、実は一つしかないと思ってるんだ」
「一つだけ?」
「魔導砲だよ」
わたしと佐藤さんは顔を見合わせた。新沼さんは言葉を続ける。
「彼らは戦争で山を汚され、殺戮計画の片棒を担がされかかっていた。いわばボルトン王国必勝の生贄にされかかっていたんだと思う」
「えっ」わたしと佐藤さんの声がユニゾンした。
新沼さんは、フードの袖から羊皮紙を取り出して荷台の床に広げる。
「この地図、いつ作ったんですか?」
「行きの馬車。で、ここがウルクスなんだけど。近郊に標高三千メートル級の山がある」
指さしたのはウルクス集落の少し南側。裏山と言ってもいい。
「酒場の店主に聞いたら、ボルトン領内のシャベルトン山と呼ばれてる岩山だそうだ。ボルトン軍がここに魔導砲を設置できれば、その砲口は南西(左下)から北東(右上)に向かって――」
新沼さんは指で地図をなぞった動きは一直線。その先にサヴォイア公国公都トリューン、さらにその先はロンバルディア王国王都マイラントへと続いていた。
「それが本当やったら、ボルトン軍は……っ」
佐藤さんの鋭い上目遣いに、新沼さんも笑顔なくうなずく。
「文字通り、魔導砲が一撃必殺になっていたはず。その後の地上戦は、戦わずして勝てた。大公と国王が存命なら降伏勧告による交渉は楽に進んだと思うよ」
「でもさ。新沼くん。ボルトン軍のほうでも計画を蜂ごときで頓挫するんは惜しいと思わん?」
「思うだろうね。でもこの前に、ジェノヴァの港に沈んだ五隻のガレー船、あれがこのサヴォイア侵攻のタイミングで魔導砲を積んでたのって、偶然だと思う?」
「それじゃあ、ドーリア家はあのガレー船を手許に置く気はなかった? 売却ううん、ボルトン軍との共闘戦線を張るつもりだった?」
新沼さんはゆるゆると顔を左右にふった。
「ドーリア家だけじゃない。フィネスコ家もボルトン王国が抱き込んでたんだ。その両者を噛み合わせることでジェノヴァ協商連合の内紛を演出し、どっちに転んでも魔導砲の砲塔がロンバルディアに向くよう工作してたんだ。僕はその可能性をずっと考えてて、それで長老たちの、あの菊地さんへの恭順態度だよ。山岳と海上、五門ずつから十字砲火すれば、三つの都は火の海だ」
「魔導砲の火力って、そんな長距離まで届くの?」
「現物を見たわけじゃないけど、魔導砲っていうくらいだから、おそらく魔力光線だ。[闇]属星による死霊を呪術で魔力に変換できる術式があるらしいよ」
「誰よ、そんな画期的悪魔的な発想したの」
「砂漠国の魔術師でラドゥ・アルカルト・ドラクレアって人らしい。八百年以上前の魔法だけど、現在も立派に機能してる時点で天才だよね。飛距離も理論上は届くんだろう」
「ラドゥ……んぅ? どっかで聞いたっけ。思い出されへんなあ」
佐藤さんは額をコツコツと拳で押す。
新沼さんは説明を続ける。
「とにかく、ジェノヴァ協商連合の古豪ドーリア家の家人が、伯父である英雄や元老院のうるさかた両方をてっとり早く黙らせる〝戦績〟を掴むために、ボルトン王国と手を組んでたなんて真相、誰も気づかないよ。本人も死んでるしさ」
「実際こっちもカレンの従者を一人やられてるわけやし、向こうも相当危ない橋を渡ってたことは想像できなくはないけどさ。でも荒唐無稽とは言わんけど、突飛すぎん?」
「そう。誰も考えつかない魔導作戦だ。だからこの机上の空論が成功すればリターンがデカい。ボルトン軍は旅行気分でサヴォイア公国を抜いて、王都マイラントへ侵攻できた。でも現実はそうならなかったどころか、未然に叩き潰された」
「えっ、潰された?」
「菊地さんちの小鬼が魔導砲ごとガレー船五隻を海底に沈めた。そして今回、先遣隊五百がウルクスで蜂の被害という事故で、少なくとも山岳からの行軍ルートは頓挫する」
「新沼くんは、その先遣隊が魔導砲を山に設置する地ならし整備員やったって言いたいわけ?」
「言いたいね。なりゆきボルトン軍の魔導砲試験運用の出鼻を挫いてたってわけだし」
わたしはそんな国家的陰謀なんてどうでもよかった。こっちにだっていろいろな事情があってジェノヴァやバルトネッキアで事件を起こした。後になって壊れた物の意味を知っても心は動かない。
「あの、新沼さん。わたし、沈んだガレー船にそんな陰謀が隠されていたなんて知ったところで、もう終わったことにしてますから、今の話、聞かなかったことにします」
「さーんせー。割とそんなのどうでもいいんじゃね? あの事件の後始末だって、フィオーレに押しつけて町出ちゃったしさあ」
新沼さんは地図を巻きながら苦笑した。
「今の話、口裏合わせってことにしておいてほしいんだけど」
「口裏合わせ? どゆこと?」
「これから、王都マイラントの導師に接見を願い出ようと思ってね」
「わたしまだ生死不明扱いですけど、マーレファに会って大丈夫なんですか?」
「手紙はクレモナを発つ前に送ってある。導師に菊地さんの抗生物質アイディアの考察をもらいに行くんだ。調合は一発勝負で、試験薬もつくれない治験者もない、失敗できない賭けだから。追認をもらったら王都で調合して、コルス島へ向かう。クレモナには戻らない」
「ティグラートは?」
「ジェノヴァで合流する手筈になってるよ」
「あー。要するに、ウルクスでボルトン軍の偵察部隊倒しましたから、こっちの言い分も聞いて下さい、っていうおねだり?」
「伏線と言ってほしいな。ま、そういうことだけどね」
「タイミング最悪すぎん? 向こうはまだ戦闘準備でてんやわんやのはずよ。新沼くんがヴァンダーを助けたいっていうのも、マーレーの耳にどこまで届くか」
「そこなんだ」
「ん、どこ?」
「この戦い。多分、ヴァンダーを王都へ連れていけるかどうかが、次の勝敗を分けると思う」
新沼さんは、巻き取った地図を袖に入れて、
「鹿の角族が持ってる情報網が優秀でね。どうやらボルトン軍総司令部は第一陣としてベルトランという将軍を送り出したようだ。この人がここ数年の間、ロンバルディア方面担当らしくてね。彼と同等に干戈を交えられる武将は、ロンバルディアにはヴァンダーかロッホ・ライザーという将軍しかいないらしい」
わたしは佐藤さんを顔を見合わせた。
「めちゃくちゃ、ヤバいじゃん!?」