新沼パーティと朝会食
「そりゃあ、ブライ・ビーのことじゃろう」
「ぶらい・びー?」
翌朝、ミモザがランブルスとともにヴァンダー邸に戻ってきた。
「全長三十センチくらいの大蜂じゃ。十匹で群れとったら人族の兵士五、六人を殺すと言われとる。蜜獲り職人でも近づくときは鎖帷子を三枚も着込んで近づくほどじゃ。せぇでも目を刺されたら針は脳にまで達するから、昼間に巣は近づかんようにしとる」
「えっ。それじゃあ、蜂蜜採集は夜?」
「ほうじゃ。鳥もちにヨモギの枯れ草球を巣の入口に貼り付けて弱らせて襲うが、それでも三分の一を切り取ってこられれば御の字じゃと、父ちゃんが言うとったで」
「そっか。そりゃあ、聞くだけでも危険そうな仕事だね」
「その代わり、ええ金になるそうじゃ」
「重金属の蜂蜜って何に使うの?」
「うーん。基本は坩堝に他の金属と混ぜて合金をつくるし、婆様や長老が硫黄を混ぜて鎮静剤もつくっとったな。あとは木器や陶器の染料にも使うで。パヴェロいう金持ちがおってな、兜や鎧を真っ赤にして周りから笑われとった。あとはそうじゃなあ、珍しいところじゃと王様が押す印章にも使われとるらしいで」
朱肉にも使うのなら、重金属の種類は硫化水銀あるいはその混合物が有力か。とすると薬でつかうなら、生薬名は辰砂。中国史の始皇帝の不老不死薬や徐福伝説くらいか。
「それじゃあ、ブライ・ビーの蜂蜜って赤いんだ」
「ほう。ようわかったな」
「もしかして、砂金の精錬にも使ってるとか?」
「カレン。なんで、部族の秘密にしとる金精錬術まで知っとるんなら」
女アルプが目を疑わしそうに眇めてくるので、わたしはすまし顔をふった。
「知識だけよ。実践しようとは思わない。水銀中毒が怖いもん」
「ケースケから教わったんと違うんか」
「ううん。前から持ってた知識だけど、なあにミモザぁ……気になるのぉ?」
「なっ、なんでもねぇわ!」
本来のミツバチは、植物のショ糖を体内の密嚢にいれることで蜂蜜を貯蔵、この段階で蜜の糖度は四〇%未満だが、巣に持ち帰った後に水分の発散が起きて八〇%まで濃縮させるといわれている。
また巣の中で口器を使って蜜を膜状に引き延ばす際、唾液に含まれる転化酵素インベルターゼが蜜に混入することで蜜の中のショ糖のスクロースが、ブドウ糖のグルコースと果糖のフルクトースに分解されることで熟成と同じ働きをするので、蜂蜜となる。
では、ブライ・ビーは赤色硫化水銀を体内に入れ、巣の中で熟成されることで何に変わっているのか、現物を見るまではなんとも言えない。
ミモザという教師を得て、この世界独特の鉱物のことを知ってるはず新沼さんが教えてくれないのは、わたしへの教育だと思うことにする。もどかしいけど、学びに遠回りはあっても近道はない。
彼の教育方針は、マーレファやヴァンダーによく似ている。
わたしはミモザが持ってきた甜菜の裁断機の現物や、手動の遠心分離機の詳細設計図を確認すると、新沼パーティと四人でブランチにした。
ちなみに、佐藤さんはマーレファと同じで昼前まで起きてこない。
革兜衆は町に情報収集に出て、いない。
タラゴンは暖炉のマントルピースに飾っている。
クレモナで馴染んでいた日常がようやく戻ってきた、気がした。
「新沼さん、この手動式遠心分離機、蜂蜜用のですよね?」
詳細設計図を見て、わたしが訊ねる。
「そうだね。養蜂箱から蜜を採集するための道具だ。上からここを蓋して、下から熱してやりながら回転させれば砂糖水は分離して結晶化すると思う」
昨晩は、新沼さんが豆富をあるだけ一人で食べきったので、豆富は終了。肉じゃがも佐藤さんとバジルが先を争うように食べてしまったので終了。今朝は味噌汁に豆富の代わりとして豚肉を入れて豚汁にした。
ランブルスは豚汁をひと啜りして開きのアジを口にいれると、魂が抜かれたみたいに呆けていた。
「こりゃあ……まずいな」
「あれ、美味しくないですか?」
「いや、そういう意味じゃなくてさ。うまいんだけど……けど、オレにはきついって」
「今はまだ試作ですけど、半年後には熟成したものを毎日食べられますよ」
「毎日? このミソって大豆だろ?」
「はい。ジェノヴァで手に入れてますから」
「ジェノヴァ。ケースケがヴェネーシアで必死こいて探してたのに見つかったんか」
ランブルスはジェノヴァでいろいろあったので、大豆の話は誰からも聞いてなかったようだ。というか、大丈夫かな。
「ええ、まあ。少しだけですが」
「この辺の土地じゃできない豆って商人たちから言われたよな。なあ、ケースケ?」
「そうだね。どうやらヴェネーシアでは値段も割高でニーズが見込めない、代わりの豆類は他にもあるから早々に輸入を止めたんだろう。その行き場のないのが流れてジェノヴァが引き受けていたのかもね」
新沼さんが複雑な表情で、わたしを見る。
そう。わたしはこの土地で大豆が採れない理由に一定の見当はついている。でも今は言わない。わたしにはまだこの「畑の暴君」を育てるだけの土地が持てないからだ。
「あと、生醤油といりこ出汁で少ししょっぱい浸け汁になりますけど、お蕎麦も作れますよ。干しエビのかき揚げもつけます」ランブルスとは、そういう約束だ。
「いっ、いや今はいいわっ。そんなものまで出されたら、オレはこの世界にいる間、ずっとお嬢に頭が上がらなくなるってぇ」
ランブルスが慌てた笑顔で、わたしを見る。
「そんな、蕎麦くらいで大げさな」
「いやマジだって。お嬢やケースケはこっちに来てまだ日が浅いんだろうが、オレは四十年いたんだ。ちぎれた時間の空白を埋めるような転生料理は、魂まで揺さぶられそうで怖ぇよ」
ランブルスの戸惑いは、わからないではない。
なんであっちで死んだから、この世界にいるんだ。
過去への思慕が強くなったら、わたしだって鬱になりそうだ。
それほど二一世紀の日本は、恵まれた奇跡の国ジパングだった。
「わたし、他にもいろいろ料理を転生できると言ったら、どうします?」
得意げに悪魔の微笑で見つめると、ランブルスは顔の前で大げさに手をふった。
「勘弁してくれ、オレはケースケの従者だ。これまでさんざん主人に迷惑をかけてきたんだから、死ぬ直前まで忠義を貫かせてくれよ」
弱りきった笑顔で言われて、わたしと新沼さんは笑った。
せっかく笑えるようになった斉藤雄太に、殺人鬼の復活を受け止められるのかどうか、迷う。
「アポリ先生、もうすぐ、クシナジョウが復活する」
新沼さんは容赦がなかった。
ランブルスは豚汁をがはっと吐き出して、激しく咳き込んだ。返事ができない状態から、さらに追い打ちの言葉を継ぐ。
「クシナは[九死一生]というエクストラスキルを獲得している。大公爵アシュタロトの興行決闘は、僕たちのヴァンダー奪還計画より先に、クシナジョウを拘束して地獄につれていく彼らの計画の上に乗ってしまったことで、企画されたものかもしれない」
「なんだよそりゃあ。あの殺人鬼はずっと前から魔界から指名手配されたってのか。それじゃあオレの、ジェノヴァの一件は、どうなるっ?」
「知っての通りだよ。クシナの[九死一生]をジェノヴァの婦女連続殺人によってすでに条件を揃えていたんだ。そのタイミングでアポリ先生に復讐された。そこまで推察したら、佐藤さんも随分取り乱していたよ」
ランブルスは佐藤さんを思いやってか、頭をゆるゆるとふった。
「なんてこった。やっと長い悪夢が終わったと思って、これから前向いて歩こうってのによ」
「まったくだね。でも今度、僕たちと正対するときは、クシナは条件を満たしていない充填ゼロの状態で再誕するはずだ。そこを僕たちで叩けという悪魔のお膳立てらしいよ」
「あいつが生き延びようとして、[九死一生]の条件を満たすために、観衆になってる神や悪魔を殺すって可能性は?」
その発想はなかった。わたしは二人を交互に見比べた。
新沼さんは少し押し黙ってから頷いた。
「可能性は、ある。でもそれは主催者側の問題だ。大公爵アシュタロトもそのことに留意して対策を講じてるはずだから、僕たちはそこまで関知しなくていいと思う」
「対策を講じてなかったら、主催者のメンツだけでなく、狡猾な悪魔の名折れだもんな」
「そうだね。ただ、クシナを逃がすことで利益があるのなら話は別かもしれないけど」
「ねーよ。どんな利益だよ。人殺しに快楽覚えた連続殺人犯な上に、死んでも復活するチート転生者だぞ」
「そこまでは僕もわからないよ。僕はただの魔王で、悪魔じゃないからさ」
二人は微苦笑を浮かべて食事を進めたと思うと、ランブルスが手を止める。
「ケースケ。向こうのルールを破っても、お嬢だけは守れよ」
「うん、そのつもり。佐藤さんやティグラート、革兜衆とも昨日から話を詰めてる途中だよ。先生も加わってほしい」
「承知」
「あの。その話、わたし聞いてませんけどっ!?」
「菊地さんは気にしなくていいよ。こっちのことだから。それより、ヴァンダーの邪竜駆除の特効薬の開発を進めてよ」
「特効薬?」
「ヴァンダーに巣食っている邪竜の正体が、どうやら吸血癖を発症する微生物らしくてね。この間のマラリア熱みたいなね。今度は妙薬は口に苦しじゃなく、毒をもって毒を制す作戦でいく。その重金属の蜂蜜でヴァンダーの内から邪竜を追い詰めるんだ」
「へえ。それで重金属の蜂蜜ねえ。けど重金属って水銀とか鉛だろう? まるっきり毒じゃねえか」
「古今東西、不老不死の妙薬になぜか水銀が含まれていたから、案外、先達の知恵を活かせられれば竜殺しの秘薬も、なくはないかな」
「それじゃあまるで、遊郭御用達の石見銀山だろ。笑えねぇよ」
ランブルスの指摘に、新沼さんは女性の前で失言だったと気づいて首をすぼめた。