お呼びでない異世界からの転移者
二人の魔王が、精緻に描かれた魔法陣の中で詠唱を始めた。
〝大暗黒より湧き出でし 深淵の坩堝
我ら異界の叡智を秘めし者なり
幽邃に囁く異界の息吹
大暗黒に揺蕩う紅蓮の焦炎
虚空を彷徨う星々の輝きを今ここに術式法陣へ収斂せよ
叡智の神ワズィール・ニンシュブルの名において
われら魔石結晶を凝得せん〟
直径三メートルほどの外二重円陣内に、六つの円陣が描かれて、それらを半弧で結んでそれもまた円の一部とする。中心の円陣には触媒となるタラゴンの遺骸。魔石を作るのに、鉱物の触媒はない。肝心なのは属星で、円陣内に[火][闇][風][水][土][光]の配列ルーンが記され、外円陣から中央の円陣外周にかけて、細やかな呪文が記されていく。
これだけの精緻な魔法陣を二人の魔術師がわたしの身長と同じ木製コンパスをつかって、淀みなく描いていき、小一時間で完成させてしまった。
なんにしても、タラゴンはまったく幸せなゴブリンだ。死んだ後も粗末に扱われていない。
わたしにとっても最初の、農業の弟子だ。
魔法陣から赤、青、緑、黄色の光が螺旋の柱を描き、その周囲を黒い瘴気と赤い瘴気が包み込み、渦を巻く。
「あっ」
術者二人から同時に間が抜けた声を、わたしは聞き逃さなかった。
「ティグラート、革兜衆、臨戦態勢っ!」
わたしは命じるや、剣を抜いた。
ティグラートはガンズアームという涙滴形の盾を内側に湾曲させて腕鎧にした装備で前に出る。
「ティグラート、無理しないでよ」
「任せろ。これなら矢でも魔法でも受け流してやるぜ!」
「お嬢はもっと退がるっす。この感じ、なんかこっちへ来てるっす。魔力暴走の気配じゃないっす! お前ら、お嬢を壁際に移動させて、防御陣形っ!」
「えっ?」
魔法じゃない何かが来る。困惑するわたしを無視して、バジルの直感的な後退命令で三人の白髪鬼がわたしを袖で隠すように壁際につれていく。
「バジル、ちゃんと説明して!」
「魔法にしては〝存在〟の気配がビンビンするんすよっ。よくわからんっすけど、[闇]魔力が高まりすぎて、どこか繋がっちゃダメな異界にでも繋がったんじゃないっすかね」
[闇]属星の制御失敗。魔王二人は何も言わないまま、魔力制御に集中していた。
わたしは状況が飲みこめず、対応策がないまま棒立ちする。その間もバジルが動く。
「盾の兄さんは、ニーヌ魔王を。俺は、うちの魔王様(佐藤)をかばうっす!」
「承知だ!」
やがて赤と黒の瘴気が竜巻に変わり、天井をつなぐ柱と化す。この地下室の空間は新沼さんの〝匣〟で補強されている。ちょっとのことでは壊れないと言い切っていたけど、ちょっと以上のことが起きているらしい。
「佐藤さんっ、新沼さんっ!」
「外から干渉を受けてるっ!」新沼さんが苦しそうに叫ぶ。
「外から門を破って入ってこようとしてるヤツを今、二人で扉を押さえてるカンジ!」
佐藤さんがいつになく困った様子で額の汗もそのままに、術式を支えている。
「新沼くんっ。どうする?」
「手段は一つくらいしか思いつかないけど。一か八かの賭けになる。最悪、連載打ち切り。バッドエンド」
「クソゲーやん。扉を開けて閉めれば、異界とは切り離せそう?」
「やるしかないだろうね。上の墓地を破壊した程度なら、二年くらいかけて修復すれば、導師様にも許してもらえるかも」
どうあがいても大惨事、不可避。
「よし。あんた達、ドアの前で邪神から受信料払えって請求されないことを祈れ。七秒前」
――六、五、四
――三、二、一
「解除!」
二人同時に錬成を解除すると、黒い竜巻が爆ぜるように霧散した。
中から現われたのは、赤黒い炎の翼を持った〝火の鳥っぽい何か〟。
頭は豚で、額から曲りくねった双角を前に突き出している。
両翼を羽ばたかせて火の粉を撒き、二本で立つ足には蹄がある。
〝ラッキーラッキー、ヒュゥ! 何百年ぶりのシャバダバー!〟
陽気にむさ苦しくまくし立て、二本角の先で魔法陣が出現。
〝フレンド招待ありがとうよ、ベイビー。バイビー!〟
現れるなり、[闇]属星の黒い火球が新沼さんに放たれる。
そこへティグラートが割って入り、ガンズアームで受け止める。火球は見事にパリィされて、豚の顔面に反転直撃する。
「どうだ。豚野郎。てめぇで吐いた唾の味はっ!」
〝へぇ。やるじゃないの。人ごときがさ。ぼくチンに疵をつけようってんだから、ファニーユー。拍手ぅ!〟
翼を左右に交差させて羽ばたかせると、炎の羽根が矢のごとくティグラートに降り注ぐ。
「こいつもパリィ――いや無理っ!」
ティグラートが盾でかばうや、その外側に〝匣〟が出現。炎羽が突き刺さる。爆発。〝匣〟は耐えきれずに砕けたが、中のティグラートは盾でかばった構えのまま無傷だった。
「ふぅ。助かったぜ、ケースケさん」
「助かってないよ。目の前のアレ、魔王だから」
「へっ?」
「悪魔学の魔導書『悪魔の偽王国』によれば、彼は、魔侯爵フェネクス。破壊と再生を司る。不死を願う魔術師が契約したがる存在でね。大公爵アシュタロトの友人だ」
「ハッハァ、あいつとは二千年あってねーけどなあ。ヒュゥ! クール!」友情がってこと?
「ケースケさん、あんなの、おれらで倒せんのかよ」
ティグラートが肩越しに訊ねる。新沼さんはすぐに顔をふった。
「倒せないよ。正真正銘の異界魔王だから。疲れるか飽きるかしてご退散いただくしかない」
「なんで、そんなの喚んじまったんだよ」
「こちらから招待した覚えは一ミリもないよ。魔石作ってたんだから。[闇]属星の消費に誘われて、たまたま通りかかっただけなんじゃないかな」
「なんだよそれ。はた迷惑すぎんだろうが」
「そんなつれなくするなよ、ハニィたち! 今夜のセッション、魔法のバトルアクション、俺とお前の知恵競べ、熱く楽しもうぜぇ!」
再び魔法陣が出現。灰色の光が帯状になって佐藤さんとバジルを薙ぎ払う。
「こんの、おっぺけ鶏っ。お前の存在が熱苦しっちゅうねん!」
佐藤さんは白銀の甲羅を作ってバジルごと防御。灰光の帯は甲羅に一度衝突し、赤黒い火花をちらして上を滑って匣壁に突き刺さった。
「ヒュゥ! 〝聖甲塔庭〟懐っついねえ! 久々に歯ごたえある下等種族みたいじゃないの。ぼくチンも楽しくなってきたぁじゃなあい!」
足踏みして踊りだした。本人はステップのつもりかもしれない。鶏の扮装をした豚がその場でバタバタと地団駄を踏み始めたみたいで、不気味でしかない。
「みんな教えて、鬼道術って何ができる?」
壁際に押しやられたわたしは、白髪鬼たちに訊ねた。
「影縫い、影糸、隠形、百鬼夜光、於都里綺ですね」
タイムが技の名前を明かす。聞き取りやすくなった分、キャラ薄くなったかな。こいつ。
「お嬢、倒すのか?」
オレガノが訊く。わたしは即座に顔をふった。
「あの手の陽気なヤツって、キレると何しでかすかわからない。ふざけてるうちにお帰り願うしかないのかも」
「なあ、お嬢。一つ聞いていいか。前から気になってた」
「なに?」
「なんで、〝荊〟の魔法を使わない?」
わたしは目線を逃がす。
「なんか、だんだん制御できなくなってる感じがしててさ」
「魔法って成長するのか」
「あの魔侯爵相手にどこまでできるかわからないけど、できたとしても、相手を本気にさせる止まりだったら結末はパーティ全滅しかない。だから使わない方向でよろしく」
「そんな甘い考えでしのげる情況じゃない気がするが、わかった」
「こちらからも確認させて。鬼道術に防御系、回復系はないのね?」
「ない。まだ」
「隠形と隠形術の違いは」
「隠形は姿を消す。ずっとじゃない。隠形術は変化だ。人や動物に化ける」
「今でも人に近いじゃん」
「角が隠せるし目や髪の色も黒くなる。必要なら、人と交わって子どもも作れる」
異類婚姻譚。こんな戦闘時に聞くんじゃなかった。
「町で男女絡みのトラブルは勘弁してよ。特にあんた」
「おれ? なんで?」
「なんでってそりゃあ……後でその辺のことは教えてあげるからっ。さしあたって影糸。三人がかりで死角からアイツの足を搦め捕って」
「死角って?」
「アイツって体は炎をまとってるけど、形は鶏なのよ。前傾姿勢。頭は豚だから目も前についてる。ということは斜め後方からの攻撃は完全に見えない。その角度から足を引っ掛けて転ばせられたら、何かできるかも」
「あの角を折ってみるとかはどうかな?」ディルが言った。
「アリね。あとで新沼さんに高く売れそう。それはわたしがやる」
えっ。白髪鬼三人から同時に懸念の声が出た。
「なによ。文句ある?」
「お嬢に、そんな主人公行動が取れるのか?」
「心外なっ。ここで誰かが主人公にならなきゃ誰も救えないだろうがっ。はい、会議終了」
わたしが剣を構えると、白髪鬼たちも魔王の死角へ走る。
「ディスカッションはもういいのかい、ハニィ。下等種族らしく命の輝きをボクチンに見せてくれ!」
「命がないレベルで生きてる存在に、いくつ命を見ても価値がわからないでしょうが」
「いいや、わかるさ。死の瞬間って、キレイだなって……。ヒュゥ、ぼくチンってポエミー!」
「無意味な死を歌うなあ!」
わたしが疾走する中で、炎の翼が胸の前で交差する。斉射態勢にはいった。
「くっ。〝荊の荒城〟!」
ぼこりと走る地面が浮き上がり、〝荊〟の車輪が炎の雨を弾きつつ、わたしを疾駆を加速させる。
「ホワッツ!? なんだありゃあ!」
炎の雨が勢いを増す。けれど〝荊〟は当たり前のように弾いていく。
「いけぇええええ!」
車輪が跳躍し、豚の顔面に衝突。〝荊〟の回転は止まらず、火花を噴出させる。
ぐががががががっ!
魔王の悲鳴が摩擦音にかき消される。魔王に腕があれば車輪の中のわたしを捕まえられていただろうに、翼では羽ばたくことしかできない。
魔侯爵フェネクスの蹄が地面から浮いた。反撃に転じるため、一時でも間合いを取ろうとしたのだろう。だがその脚に白銀の糸が三本絡みつき、地面に引きずり戻された。
脚が爪ではなく蹄だったために着地を滑り、どおっと横倒しになる。
「シットシット、シッート! こんなの認めねえっ、こんな下等種族の小細工でこのぼくチンがぁっ!」
「いつまでも、そこでリアルを否定し続けてなよ。ぼうや」
藁斬り、藁斬り、藁斬り。
三度心に唱えて、わたしはひねくれた角めがけて剣を振り下ろした。