燃えるジェノヴァにバラードを
「えっ、ちょっとバジルっ。この人たち、誰!?」
夜明け前。馬車の外から「ただいま」と声がかかったので幌カーテンを開けたら、バジルが入ってきて、その後をぞろぞろと知らない鬼たちも入ってきた。
雨に打たれてずぶ濡れだったのか生乾きの衣類の匂いに、血の匂い。わたしは眉をひそめた。
「バジル、何があったか説明してくれる?」
「さっきこの先の墓地で、タラゴンを食べてきたっす」
「はあっ、食べたぁ!?」
タラゴンは衛兵局に持っていかれた。わたしはひと足遅く、衛兵に主従だと身分関係を説明して死体の引受けを願い出たけど、殺人事件扱いになっているのでしばらく無理だといわれた。
革兜衆が衛兵局の死体安置所から盗んできたのはなんとなく察しはついた、でもどうして食べたのかは、バジルは答えなかった。眠そうに大あくびをする。
「んで、食べた後にタラゴンの魔力を継承、っていうんすか? 俺以外がランクアップしたっす。細かいことは、お嬢たちがよく知ってるんじゃないすか」
「いやいやいや、マーレファならいざしらず、わたし全然、知らないしっ」
そんな急に無茶ぶりされても。わたしは顔の前で手をふった。
responsum:魔物進化・鬼族 ランク[白髪鬼/アヴェンジャー]
「知っているのか、転生ガイド。白髪鬼って、大鬼の上、下?」
転生ガイドは質問の意味がわからなかったのか、しばし沈黙した。また全文出しの気配。
responsum:復讐を成し遂げた者[白髪鬼/アヴェンジャー]。
怒りと憎しみに取り憑かれつつも、理性と使命を失わず鬼道へ入った気高き鬼族個体。[大鬼]より筋力・体力で劣後するが知力、魔力、敏捷力、容姿において優秀。剣技[羅刹陰流]と魔法[鬼道術][隠形術]を自動習得する。[忍鬼][妖鬼]とは別種。
「和風ファンタジーゲームかっ。それって独自の魔法が使える、魔法剣士ってこと? ちなみに白髪鬼の上位種は?」
responsum:未開示
ですよねー。さすがにそこの情報をくれないか。
「アヴェンジャーだって……オレガノ、ディル、タイム、うわ、ローズマリーも?」
白髪鬼という割に髪は白くなく、ヴァンダーくらいの銀髪だ。角はバジルと同じ前頭部の上にオレガノ青、ディル緑、タイム緑、ローズマリー赤と見事に別れた。ざんばら髪はあとで後ろにまとめて長い耳を隠せば、人の容姿と変わらない。てか、ぐふふ。うちの子らの美貌にも磨きがかかっておるわい。
「ねえ。あんたたち、お風呂はいる気ない? 入りなさいよマジで」
「えー、これからひと眠りしたいっすけど」
「寝るなら寝てていいよ。こっちも準備が必要だからさ。だけど呼びに行ったら絶対に入ってよ。全員、血臭がひどい。これは命令です、いいわね?」
「了解っす。あと、タラゴンの角首と手足だけ持って帰ったっす。蜂蜜漬けにしてクレモナに持って帰るつもりすけど、見るっすか?」
木箱を差し出されて、わたしは不思議なことに迷わなかった。
「見る」
バジルが抱える木箱のフタを開けると、かつてお相撲さんほど大きかったタラゴンが小さく収まって眠っていた。もう泣くほど悲しくはなかったけど、胃の辺りに死の重さがズシンと響く。
「ほとんど食べちゃったんだ。内臓は?」
「肺と胃と腸は臭くなるんで捨てたっす。あと背骨と骨盤、食べた後のあばら骨なんかも適当に砕いてここへ入れてあるっす」
「ふむ。消化器系がダメってことは、腎臓や膵臓もダメか。牛の腎臓は〝マメ〟っていわれてて臭いけど脂肪と血抜きの掃除をすれば結構おいしいらしいよ」
「えっ。そうなんすか?」
「墓地で生食するんじゃなく、川で水洗いしながら焼いて食べたほうがおいしかったかもね」
「へー。じゃあ、今度そうしてみるっす」
わたしは木箱の蓋を閉じて、タラゴンを小脇に抱える。
「悪いけどっ。わたしは二度と絶対に、仲間を一人も死なせないからっ。よし! 全員これからそこで毛布にくるまって寝なさい。樽風呂の用意しとく。その間に服も洗っといてあげるから」
わたしが鬼どもをお風呂に入れている間に、市街では大騒ぎになっていた。
ジェノヴァ港湾に停泊中だった新型ガレー艦隊五隻が消沈。港湾を警備していたドーリア家はフィネスコ家と乱戦となり、死者十二名、負傷者三六名を出す大事件となった。
首謀者とみられるフィネスコ家当主ジョヴァン・ルイジ・フィネスコはガレー船を強奪中に誤って橋板から転落、着込んでいた鎖帷子が錘となって浮上できず、翌朝、海底で発見されたそうだ。
先駆けの旗を失ったことでフィネスコ反乱義勇軍は空中分解し、幹部たちは軒並み逮捕された。
彼らは、ガレー船火災は海底から現われた大海獣によって沈められたと主張した。捜査当局も、その証言から艦体の沈没原因が局所的な圧壊によるもの、また遺された矢ほども長いトゲを四十本近く回収。艦隊消沈は魔物災害事故と認められた。
ここからは、わたしもよくわからないんだけど、死者を出した乱闘戦はフィネスコ側から決闘法に基づくドーリア家との私闘だったとして恩赦の請求があったようだ。
これにジェノヴァ元老院は、どういう経緯なのか恩赦請求を認めた。フィネスコ側の青年たちは即日、釈放されたらしい。
ところが元老院の恩赦決定があったその日の夕方、決定に待ったをかけたのが、ドーリア家現当主アンドレア・ドーリアというお爺さん。
甥ジャネッティーノを何者かに殺され、その首謀者が死亡したジョヴァン・フィネスコだとゴリ押しして、幹部たちを五人のうち四人までを再逮捕して、投獄した。近日中にフィネスコ家の家財も没収され、彼らも処刑されるだろう。というのが市場で飛び交っている噂だ。
強大な権力に刃向かった彼らの青春は、こうして権力の波にさらわれていった。
この顛末が、タラゴンの死からたった二日で起きたこと。
またその間に、当初の目的だったランブルスの槍〝魔槍アントネッラ〟もできたと言うので、わたし達もジェノヴァからクレモナに帰る日が来た。
「あの、カレンさん。わたくしと、ケータイ番号を交換していただけませんか!」
フィオーレ・マントヴァーニから申し込まれて、わたしは渋しぶ教えた。
「[正義Ⅺ]。言っとくけど、これケータイじゃないから。このスマホでした会話は全部、高橋って人に聞かれてるらしいよ」
「はい。うかがっています。あと佐藤さんから[魔術師Ⅰ]、新沼さんから[運命の輪Ⅹ]も頂戴しまして、佐藤さんはジェノヴァの流行に動きがあったら、新沼さんからは父の体調など何かあったら連絡していいと言っていただけました」
あっそ、友だちができてよかったね。
「そっちの番号は」
「あっ、申し遅れました、八番です。[剛毅Ⅷ]です」
「[茶の手]だもんね」たしかタロットシンボルは、獅子を手なづける女神だ。
「あの、またお食事を作ってくださいますか?」
「いいよ。そのときは、あなたの前世界での名前をもらうことになるけど」
「あ、名前……えっと」
「うそ。無理しなくていいよ。もう、あんたがエスプレッソ糸杉だってわかってるから」
わたしがさらりと言って微笑すると、フィオーレは目を見開いてそこに涙をため始めた。
エスプレッソ女こと、糸杉梓弓。文化祭の時にわたしにエスプレッソマシンを押しつけた同級生だ。他生の縁でまさか、こいつとまた合流することになるとは。
「ずっと、ずっと菊地さんをお慕いしておりました」
「知ってる。でも同性での恋愛は、わたし的には、ないとも言った。だからってこっちの世界で男に生まれ変わってても、あんたとは、ないから」
「そんな……なんとなく、わかっておりましたけれど」
いや、そこははっきりわかれよ。割り切ってよ。
「なんで死んで、こっちきたの?」
「菊地さんが亡くなった二年後に、車の水没に巻きこまれまして」
「車の水没、それは苦しんだね」
「彼氏の車でした」
「ザマミロご愁傷さまでした」
こいつ、わたしが死んだ後にしっかり男ゲットしてんじゃねえか。告られてちょっとドギマギさせられたわたしの青春を返せ。
「その事故が原因で、漁港で水を避けて馬車の幌の上にいたの?」
「いえ、あれは普通に隠れてただけです」
「紛らわしい登場の仕方すんな。ちっとも忍べてねーから」
「おかしいですね。一応、[またぎの心得]を獲得しているのですが」
知るか。わたしの視界の隅でことごとく存在アピールしてくるマタギがいるか。
「もしかして糸杉、あんた[茶の手]をカンストした?」
「はい。初期スキルからの派生スキルはすべて。なのでティアアップして[竜騎猟兵]ですね」
「なに、その中二病こじらせたようなネーミングは」
「えーと、ガイドが申しますのは、遠距離武器と馬術と用兵に特化してますね。わたくし兵士になるつもりはないのですけれど」
「キッタァー!」
幌カーテンをはぐって荷台によじ登った佐藤さんが中で奇声を上げた。
「銀髪鬼っ子。カリギヌじゃあ。皆のもの、カリギヌをもてー。和装モードうぇいくあーっぷ! うおぉおおっ! この世界の最先端に、おれはなる!」
やっぱりな佐藤さんのハイテンション反応だった。ローズマリーが魔術師の魔力錬成を待つことなく、ホブゴブリンからハイウルクを突破して白髪鬼にランクアップした。
体型は今のバジルと同じサイズで、中学生くらい。手足がスラッとした容姿はタラゴンの影響か鬼族がより薄まって、人族に寄ったので優しい顔立ちの聡明美少女鬼娘。結晶原石の輝きを放ち、わたしですら不覚にもクラッときた。タラゴンパパ(?)、グッジョブである。
「佐藤様は大丈夫なのでしょうか?」
「あ、うん。そっとしておいてあげて」
幌の中でウホウホ言ってるのを聞いて、わたしはちょっと恥ずかしくて目線をそらした。
「ちなみにさ。好奇心で訊くんだけど。意思疎通できる動物の肉が食べられるの?」
「はい? そうですねぇ、食卓でお肉が喋ったことはありませんけれど」
うっ。ごもっとも。そもそも消費者が牧場に行って牛や豚と会話して、どんな話題で盛り上がれるのかって話だった。
「おまたせー」
〝白いカラス〟が例のペストマスクと黒いフードを被ってやってきた。暑くないんだろうか。
「薬師様、父が多忙のため、お見送りできず非礼をお許しくださいと申しておりました」
「いえいえ。こちらも旅を急ぐ身ですので。また機会がありましたら」
お互い転生者であることなどおくびにも出さず、社交辞令的な挨拶をした後、新沼さんはわたしの肩口に肩をこつんとぶつけて幌に入っていった。
「あっ、新沼さーん。ミモザとランブルスはぁ?」
「もうすぐ来るよ。槍の調子を見るために軽い組手してるー。僕は飽きてこっちに来たー」
「できた、魔槍アントネッラって、すごいんですか?」
「僕は戦闘系とってないから大したこと言えないけど。でき過ぎっていうより、やり過ぎかもね」
「槍だけに?」
「そ、槍だけにね。ランブルスと槍の属星が[水]同士だから相性いいのかしれないけど。あれは人に向けちゃダメなやつだよ」
そんなにか。
それから二、三分ほど待っても戻ってこない。
空気はからっとしているのに陽射しが殺人的に強くなり始めている。
「姫様。そろそろ、お時間でございます」
ゼンガが主人を案じて辞去を申し出てきた。フィオーレはもう少し話をしたい様子だったが、わたしから軽いハグをして肩を叩き、たまにでいいから電話をちょうだいと言って別れた。
とはいえ、自分からフィオーレにかけることはないだろう。高橋という転生者がいまいち信用できなかったからだ。
後ろ髪を引かれて去っていくフィオーレを見送り、十分ほど待ってようやく女アルプと槍持ち修道士が坂道を駆けてやってきた。夏の陽射しで、槍の穂先が蒼く照り返してくる。
で、二人は雪山で遭難しかけたみたいに体をかき抱いて、さぶさぶ言いながらわたしの横を駆け抜けた。
「ちょっと、帰り支度なのに待たせすぎですよ。何があったんですか?」
「相棒が、うちのアントネッラが、ヤバすぎるっ!」
声を震わせて、ランブルスとミモザは会心の笑みを浮かべたまま、新沼さんがカーテンを開けている荷台に飛びこんだ。
わたしは首を傾げて、御者台の助手席に乗りこんだ。
「それじゃあ。クレモナに帰ろうか」
「了解っす」
バジルが手綱をあおった。
後ろの幌の中で、新沼さんが深刻な声を洩らした。
「届いたのは今朝らしい。僕宛てに大公爵アシュタロトから、決闘の招待状だよ」