悪鬼たちの食葬(グロ注意)
※ゴブリン世界の社会常識、価値観、魔物性を表現するため、本話だけグロテスクにしてあります。
読者諸兄諸姉におかれては、ご承知の上、閲覧をお願いします
(※ゴブリン世界の社会常識、価値観、魔物性を表現するために、本話だけグロテスクにしてあります。読者諸兄諸姉におかれては、ご承知の上、閲覧をお願いします)
赤の宮殿。
屋根で待っていたディルが通信ドレスを着て待っていた。
「今、バジルとオレガノと合流。これから予定ポイントに移動開始」
『了解だぁよ』
「ディル。ケガの具合はどうだ?」
オレガノが前いく華奢な背中に声をかけた。
「もう全然。お嬢にまた助けてもらっちゃった。あと、魔王ニーヌマケースケにも」
「そうか。よかったな。それで、これからどこへ集まるんだ」
「北東へ三キロ、町のはずれの墓地だよ。そこにおいら達でタラゴンを運んだんだ」
「タラゴンを? お嬢の指示か。埋めるのか」
「指示したのは、ほぉれっすよ」バジルがあくびしながら言った。
「二人が騒動の火消しをしてる間に、おいらたち三人で衛兵局の死体置き場から盗み出したんだよ。タラゴンって大きいからさ、運ぶのに苦労したよ」
あっけらかんとした口調だったが、それっきり三人は無言で走り続けた。
バジルの意図が、単に仲間の死を悼む意味での奪還任務ではないことくらいわかった。
カレンであれば、人情でもってタラゴンの亡骸を処理する。悲しみ、悼んでくれる。
眠っていた本能が、バジルの思惑に気づき始めて慄然とした。恐怖ではない。自分たちがゴブリンであることを久しぶりに思い出したのだ。
ヴァンダーの家のドアを叩いて以来、ずっと人の生活に馴らされてきた。
悪いことではなかった。とても穏やかで幸福だった。
いくつかのトラブルはあったが、役目を与えられ、乗り越えるだけの力を与えられた。
タラゴンもその幸福の中で死んだ。今後、革兜衆が数を増やしても、最も幸福な死を迎えたゴブリンとして語り継がれることになるだろう。
まもなく灯り一つない真っ暗の原野が広がる。
前にも後ろにも人集落の明かりを遠くに感じた。
〝スタリェーノ墓地〟。
雨が降りしきる夜に、人がわざわざ足を踏み入れたくない場所ではある。
ゴブリンの眼だから、夜の中でも平然と墓地を進んでいける。
「みんなー。ここだぁーよぉ」
タイムが手を振って到着を迎えてくれる。
タラゴンは骸布もなく、腰巻きだけの姿で桟敷をしかれて寝かされていた。
上座となるタラゴンの頭の前でバジルが立っていた。
あらかじめ調達されていた鉞を手にし、切れ味を良くするために刃を砥石でゆっくりと研ぎにかける。
「では改めて、お疲れーす」
「ん、ああ。お疲れ」
急に改まった態度をされると、オレガノも戸惑う。互いの首尾は訊くまでもなかった。革兜衆が勢揃いした中で、ローズマリーがちょっと気後れした顔をしているが問題なさそうだ。
「そんじゃあ、これからみんなでタラゴンを――食べるっす」
驚きおののくゴブリンはいなかった。むしろタラゴンを群れの一員だからこそ、その骸はちゃんと食べてやらねばという義務感をもってうなずく。
争いがあるとすれば、誰がどこを食べるか。だ。
バジルは鉞を大きく振りかぶると、タラゴンの首と四肢と切り落とした。それから胸から下腹部までを割き、内臓を引きずり出した。
それをタイムがうけとり、鋏でチョキンチョキンと血管を切って腑分けしていく。あっという間に手許がまっ赤に染まる。
「人族の鉄があると解体が楽でいいっすねえ。肝臓は俺、右心臓はディル。左心臓はオレガノ。脳みそはタイムっす」
「タラゴン、心臓を二つ持ってたのか」
オレガノが小さな驚きとともに、引きずり出された内臓を覗きこむ。
「みたいっす。だから盆の窪なんて急所さえ狙われなければ、ほぼ無敵だったっす」
「なんてこった。こいつも運が悪い」
「そのかわり、急所即死だったおかげで、内臓と筋肉の鮮度はバッチリっす」
「あの、拙が食べていい部分は……」
ローズマリーが遠慮がちな挙手で訊ねる。
「他の内臓だとすると肺が鉄臭く、胃、小腸、大腸もクサいからダメっすね。その代わり俺の肝臓を少しあげるっす。あと喉の肉と脇腹の肉もあげるっす。タラゴンは筋肉質だから、多分うまいっすよ」
「ありがとうございますっ」
「でも横隔膜の周りの肉は、俺がもらうっすけどねえ」
「ねえ、さっさと先に捌いちゃってよ。切り取りながら分配すればいいじゃない」
ディルが待ちきれないようにクレームを出すと、バジルは肩をすくめた。
「タラゴンはやっぱり内臓一つ一つが大きいし、色艶もいい。おれたちが飛び回ってる間に、お嬢にこっそりいいもん食わせてもらってた証拠だな」
「ほんに、お嬢さ料理の試作つぐっでる時、絶対そば離れんかっだど」
オレガノがつい悪態をつけば、タイムも故人を嫉っかむ。
「あいつ、食い意地だけはおれたちの中で一番だったからなあ」
ディルが苦笑しつつ心臓が乗った皿を受け取る。当然もう脈打つことはないが、血色もよく、ぷりぷりとしてリンゴのようだった。
噛むと返り血が盛大に飛び出し、顔面を染めた。ディルは気にした様子もなく口の周りを赤黒くさせながら、咀嚼する。ここを運の悪い人が通りかかれば、卒倒する光景だろう。
「うまいなっ。タラゴンのやつ、マジでうますぎる。だんだんと腹が立ってくるな」
オレガノも顔を血で真っ赤にして、悔しそうに咀嚼する。
「本当だね。同じゴブリンだと思えないくらい臭みがほとんどない。お嬢からどんだけいいご飯食べさせてもらってたんだろう」
「だども、うちら朝食も夕食も、同じもんだったよねぇ?」
タイムが腑分けの手を止めずに、小首をかしげた。
「それ以外か。どの部位を食べてもお嬢に可愛がられてた証拠が次々出てくるのか、これ」
「もしかしたら、お嬢に内緒で裏の畑の野菜、食ってたかもっすか?」
リーダーの猜疑心に、オレガノは神妙な顔を左右にふった。
「バジル。さすがにそれをやったらお嬢の逆鱗だろう。畑ドロボーは死罪だって事あるごとに言ってたしな。あいつがその禁を破れば、昨日まで生きてなかったはずだ」
革兜衆全員が、うんうんと主人の性格に同意する。
「あのぉ」
ローズマリーが挙手する。
「わたくし、お嬢様にはよく、味見を頼まれるのですが」
「味見って?」ディルが小首をかしげる。
「料理の味を決める過程で、甘いか辛いか苦いか酸っぱいかを訊かれました」
「どれくらい?」
「スプーンいっぱいとか、肉ひと欠片とかです。でも毎日」
「お嬢は料理が得意だ。味なんて自分で決められるはずだろ」
「こいつ、さてはお嬢に味見と称して、つまみ食いをせがんでたのか?」
オレガノとディルがムッとタラゴンの顔を一度睨みつけてから、プッとふき出した。
バジルが後頭部に鉞の厚刃を横から軽く入れて頭蓋を浅く割り、中から脳を取り出した。それを皿にのせてタイムに渡す。大きさは人の脳みそとさほど変わらないが、左脳がやや小さかった。
タイムからはバジルへ巨大な肝臓を載せた皿と交換された。
「本当っすね。この肝臓、今まで食った鹿や猪の肝臓よりもうまいっすよ」
肝臓にかじりつき、バジルはしみじみと目を閉じて味わう。
「タイム、これ半分くらい切って、みんなにも分けてやってほしいっす」
「あいあい」
切り分けた肝臓を、オレガノとディル、ローズマリーの皿に分けてやる。
「……うっま! なにこれっ!?」
ディルが目をぱちくりさせた。
オレガノも目から鱗が落ちる思いで味わった。
「これは人の肝臓肉も超えてるかもな。苦みも臭みもないどころか、香りと味に深みがある」
仲間の驚きをよそに、バジルは残りの分の肝臓を噛みしめながら、
「俺は仲間の死骸をいくつも食ってきたっすが、こんな味がする死骸を食べたことはないす。だから俺らの体も、こんな味がするのは思わないほうがいいっす。後にも先にもタラゴンだけっす」
「それは、そうだね。でも原因はなんだろう」
ディルが小首をかしげた。
「おそらく、魔素保有量っす」
バジルが確信を持って即答した。
「魔王様(佐藤)から魔力錬成の繭で巨大化して、魔力量自体はタラゴンの許容を超えていたからだと思うっす。無事だったのは、ほんの偶然。その後、お嬢の料理を味見するようになって料理に含まれたお嬢の魔素を少しずつ体内に取り込み、内臓に蓄えていったんじゃないっすか」
「じゃあ、タラゴンはそのうち」
「一人だけランクアップしてたか、さもなきゃ器量をこえて破裂してたかっすね。どのみち、あんなのんびり大鬼じゃ、戦場に向かなかったっすけど」
肝臓を食べ終わると、バジルは再び鉞を手にしてタラゴンの体をサクサクと捌いていく。胸部。胸腹部。背部。腹部。大腿部。肩、上腕。裁断にはひと欠片の悲しみや哀れみは挟まなかった。あるのは「仲間を食ってでも生きてやる」という群れの生存衝動のみだった。
これがゴブリン流の〝食葬〟というのなら、あるいは、そうなのかもしれない。
「それじゃあさ」
ディルがひらめきのままに言った。
「魔王様やお嬢の魔素を蓄えてたタラゴンの体を食べたら、おいら達がランクアップする可能性は?」
バジルは胸腹部の肉(ハラミ部分)にかじりつきながらうなずく。
「あるっすね。俺は別枠らしいから、しばらくは無理かもっすけど、お前らに可能性は十分あるっす」
「次になる姿って、何?」
「知らねっす。それはタラゴンの体と、師匠に聞いてほしいっすね」
そこへ夜空をうねる雲の中で雷がまたたいた。
「近いっすね。あれがこっちに落ちてきたら、ひとたまりもないっす。さっさと食ってしまうっすよ」
そこからは五人で無心でタラゴンを食べた。
食べ終わった骨は木箱に入れて、掌と脚をしまい、最後に頭部を納めた。あとでハチミツ漬けにしてクレモナに持ち帰るとバジルが言った。
「それ、誰のアイディアだ?」オレガノが訊いた。
「ニーヌ魔王っす。お嬢にタラゴンの死に顔も見ずに捨ててしまうのは、気持ちに踏ん切りがつかないだろうからって。見るかどうかは本人に決めさせてくれって」
「今夜の計画、お嬢にさんざん泣かれたか?」
バジルは少し食べる口をとめて、
「あの人は、俺らにはじめて会った時から感情移入がひどいっす。大事にし過ぎるから失った時に身動きできないくらい悲しむんすよ。だからタラゴンを食べることまで言ってこなかったっす」
「そうだな。なんにしても、タラゴンは幸せ者だな」
「だね……おいら達が死んだ時も、お嬢は全力で悲しんでくれるかなあ」
「くれますよ。きっと」
ローズマリーの根拠のない確信が、バジルたちを嬉しい気持ちにさせた。