魔導砲の正体
「意外とあっさり、奪えたもんだねえ」
ジョヴァン・フィネスコ伯爵は鎖帷子を着こみ、ふらふらした足どりで橋板をわたる。
「まだ錨もあげてないんだ、喜ぶのは後でいい。それより飲み過ぎじゃないか?」
オットリーノが不安げに首領を心配する。
「大丈夫大丈夫。前祝いだと思えばちょうどいいよ。それよりサックからの連絡は?」
オットリーノ達は東の市街地へ顔を向けた。
東地区の屋根から松明が五つともり、反乱義勇軍は歓声をあげた。
「きた。あの鬼人がやったようだ、我らフィネスコがドーリア家に正義の鉄槌を下したぞ!」
従者たちが主人に顔を戻すと、ついさっき橋板を渡っていたはずのジョヴァンの姿はどこにもなかった。
「ジョヴァン? ジョヴァンっ!? 嘘だろ。あの馬鹿、海に落ちたのかっ!?」
オットリーノは思わず海に飛び込もうとして、そばにいた取り巻き二人に抱きかかえられた。
「無茶ですよ、真っ暗な嵐の海に入るのは危険です!」
「馬鹿野郎っ。波止場の水深なんて、たかだが知れてるだろうがっ。誰でもいい、ロープをもってこい。ジョヴァンを、おれたちの正義を死なせるなっ!」
フィネスコ家の従者が海を覗いている一方で、マストから〝針〟でぶら下がっている小鬼の姿を誰一人目撃することはできなかった。
「ふぅ。別に出港まで待っててやる必要はねえっすよ。酔っ払いの肩を蹴るだけの、簡単な仕事っすぅ」
独りご満悦のバジルだったが、すぐに視界の隅へ顰め面を向ける。
「さっきから、ありゃなんなんすか」
主人由来の人の感性が混じり込んでいるからではなかった。
生物の感、魔物の感、ゴブリンの感でもって明確な嫌悪を覚えた。
バジルに人の言語を深く識る力があれば、その正体がわかっただろう。
――呪禍。と。
しかも四つが船首に据えられ、ほの暗い夜をまとって微笑みを浮かべているようだった。
見つめ続けていたバジルにわだかまったのは忌避でなく、怒りだった。
最初、この衝動がゴブリンの排他本能によるものだと思った。
けれど動かぬ物に対して「あっちに行け」とは奇妙な感覚だ。
根拠を知るためには近づく必要があった。好奇心ではない。使命感があったわけでもない。
ただただ、あの存在が――、
「ムカつくっすねえ。アイツらなんなんすかっ」
バジルは〝針〟をつかい、マストからマストへ跳んだ。
船同士で肩寄せあって連環して停泊しているわけではないので、〝針〟をとばすまで少し跳躍距離を稼ぐ必要があった。
細工は流々、もはや計画は完了している。オレガノがしくじるとは露ほども考えてない。都合の悪いことにバジルは、この共倒れを演出した両陣営を競食させるエサの存在を知らないことを思い出した。
どうも、武器らしい。
「これが武器?」
バジルがとくに怒りを強く覚えたのは、四番艦だった。
試射式典で故障とされていたが、そんな人族の事情をバジルが知るはずもない。
バジルの眼には、それが肉の塊に映った。人の体が幾重にも重なって細長い筒の端で団塊し脈動している。今にも皮を破って膿が破裂しそうに見えた。
「あれ、大砲だね」
となりでカレンの声を聞いて、バジルは飛び上がった。
「お嬢ッ!?」
マストのてっぺんで声の主を探す。
「甲板の先頭に二連一門。珍しい砲台だ。前の世界にもなかったよ」
「ここ、見えてんすか。どうやってッ!?」
「今はどうでもいいでしょ」
「よくないっすよ。お嬢、今どこにいるんすか」
「馬車。わたし一人だよ。佐藤さんはフィオーレと会議だし、ランブルスは槍のことで帰ってこないし」
「幌の中でひとり、ブツブツ独り言いってんすか」
「そこに気づかなくていいからっ。それで、これからどうするの?」
バジルは肩から力を抜いてから、頬を二度叩いた。
「それを今、考えてるとこっす」
「新沼さんから、なにか指示は? どうせ、もらってるんでしょ?」
「あれ、なんか怒ってるっすか?」
「最近のあんた、主人への報連相がたらないからね」
「また農業の話すか?」
「とぼけんなっ」
主人の怒りをにしししっと笑って受け流す。
「町で試射式典って話を聞いたんすよ。お嬢が煮干しだ、にがりだ言ってる間に、町は一昨日からずっとその話ばっかりっす。それをニーヌ魔王に洩らしたら、砂漠の国の話をしてくれたっすよ」
「それ、長くなりそう?」
「いや、話は単純っす。その試射式典で使われた武器が、砂漠の国で何年も前に極秘製造され、破棄された。その図面をある商会がこっそり買い取った。で、その式典で失われた図面通りのブツがこの町で建造されたガレー船に載せられて、ガレオン船を一発で木っ端微塵に吹き飛ばした。そういう話らしいっすね」
「極秘とか、ある商会とか、どこ筋からの情報なのよ。それで新沼さんの判断は?」
「過剰な戦力は戦争の火種にしかならない、商売の邪魔になりそうだから壊せるなら壊してこいって、中位の土属星魔法を〝匣〟で五個預かってるっす」
「あんた達さぁ、最初から船を壊す気満々じゃないのよぉ。もしかしてその悪行をみんな、あの革命家とやらに押しつけちゃうつもりだったわけ?」
「さあ。ニーヌ魔王は、『船はあってもなくても、ドーリア家は彼らを許さないだろう』って」
「甥っ子の命以上に、怪しい大砲を積んだ船をドーリア家が買った醜聞が大恥だから?」
「かもしれないす。そこに、スコーリオが失踪し、護衛にしてた殺人狂の傭兵が魔女狩りの身代わりで殺された。ジャネッティーノのしてみれば、次は自分かもしれないっすよね」
「ふーん、なるほどね。じゃ、やっちゃおうか」
「決断が軽いっすねぇ」
「面倒な作業はサクサクやったほうが早く帰れるのよ。何ためらってたの?」
「それが。なんか、あれ。さっきから人肉の塊に見えるんすよ」
「あ、それ一番手を出したら絶対ダメなヤツ」
「っすよねえ。さっきからムカついててしょうがないんすよ」
しばらく主人の声が途絶えた。
「お嬢?」
「バジル。胸当ての後ろの所、手を回せる?」
バジルは腕を背中に回すと、指先にチクリとした感触にふれて掴み取る。
それは五センチほどの〝荊〟の蔓だった。
「食堂で、抱きしめられた時っすね」
「それを海に捨てて」
「蒼く光ってないっすよ?」
「関係各所に喧嘩を売っていくメタ、やめてくれる?」
「これ捨てると、どうなるんすか」
「おやぁ? バジルくぅん、わたしの声が聞けなくなったら寂しいのかなぁ?」
バジルはポイッと〝荊〟を捨てた。
「おまえー、少しは主人を敬ぇぇぇ……っ」
「敬えとか言う前に、威厳なさすぎっすよ。そこがお嬢のいいところなんすけどね」
それからバジルは左手に〝針〟、右手に〝匣〟をもった。
もしかしたら今の自分は魔王たちから加護を受けた魔界勇者なのではと、少しだけワクワクした。
桟橋の船三隻先では革命軍がリーダーの救助活動をまだやっている。
それをぼうっと眺めていていると、ふいにマストが左右に揺れた。
ズズズズ……ッ。ギギギギ……ッ。
海から太い〝荊〟が大海獣のように伸びてきて、船体に巻きついた。
「そしたら、やるっすよ!」
聞こえるはずもない主人に声をかけて、バジルは〝匣〟を船首砲台に向かって投げた。
見届けることなく次の船に向けて跳躍し、叫んだ。
「〝殺生石棘〟!」
〝針〟をマストへ放つ。収縮するタイミングで、背後から爆音が轟いた。
『中身は砂鉄が魔導触媒として入ってる』
ニーヌ魔王は惜しげもなく魔法の種明かしをしてくれた。
『中位の土属星魔法で、〝殺生石棘〟。名前が短縮詠唱になってるから恥ずかしくても、詠唱がなければ発動しない』
詠唱とともに、〝匣〟が爆散。中の砂鉄が黒い突起状に張り出して砲台を貫く。破裂した中からあふれ出したのは炎ではなく、禍々しい火霊の群れだった。
「くっ、砲台の中に死霊火団……っ」
豪雨の中を飛んで逃げるバジルに火の粉の速度で追いすがる。
それを海中から〝荊〟が突出、次々と刺し貫いた。火霊がみるみるしぼんで、消えていく。
「うふ、うふっ、うふふふ……おーいしっ」
「お嬢の〝荊〟が、死霊を喰ってる?」
主人の意思だろうか。違う気がする。新型の戦艦を〝荊〟が火霊ごとねじ切って海中へねじ伏せていく光景があのおっぺけ主人と、ちっとも符合しない。獰猛狂喜に過ぎる。
〝荊〟が次々と沈めて迫ってくることに、革命義勇軍もようやく察知して、リーダーの救出をあきらめて脱兎のごとく逃げ出した。
四隻目に投げた〝匣〟で破壊した砲台から出た死霊たちが〝荊〟をかいくぐってバジルに追いすがってきた。
「くっ。背に腹は代えられないっすね!」
〝匣〟を投げて、呪文を唱える。襲いかかる死霊たちが串刺しになり、海へ落ちていく。
「ふぅ。最後の船はどうせ中身は空だし、これで、どおっすかぁ!」
バジルの鼻先に黄金の魔法陣が急展開、属星は[竜]――。
円陣から小太陽が放たれた。
小太陽は砲台に直撃し、大破どころか船体を貫いて海中から火柱をあげた。真っ二つに折れた船体と幽体が燃えながら海中へ沈んでいく。それでも小太陽の勢いは衰えず、海中で本領発揮の大爆発。海中から爆炎がうねりながら他の四隻を巻きこんで港湾全体を火の海と化した。
「ハァ、ハァ……この奥の手、やっぱ、まだ制御できなかったっすぅ」
バジルは波止場に投げ出され、背中から派手に転がった。仰向けに倒れて激しく胸を上下させ、空気を貪る。焦点が定まらず海水の雨を浴びるに任せた。
あの〝荊〟は主人の一部という気がしない。もっと離れておきたかったが、すぐには指一本にすら力が入らない。
あとで主人に、〝荊〟の貪狼暴食の本性を知らせるべきか。
「バジルちゃん、今夜のつまみ食いをあの子に言いつけたら、喰べちゃうから」
明らかに主人の声じゃない女の聲。なぜ、口止めした。
「さっきまでのお嬢の声、お前が真似てたっすか……っ!?」
バジルは頭だけを起こして、炎夜にうねる嵐海を眺めた。
魔法が自我を持って、動いた?
〝針〟も〝匣〟も貸与されていたが、しゃべらない。魔力を活かした道具だ。
なのに主人の〝荊〟の魔法だけは、明らかに性質が異質。生物だった。
バケモノに、名前を呼ばれた。逃げられない。
これが、恐怖か。
暗転。
「――ジルっ、おい、バジルっ!」
頬を叩かれ、下あごを揺すられて、バジルは目をパチリと覚ました。
目の前にオレガノの顔。ちょっと休憩のつもりで、がっつり気を失っていたらしい。
「俺、どのくらい気絶してたっすか」
「さあな。船がないんで乗って海に出ちまったのかって、ここまで状況確認に来たら、お前が倒れてた。船は逃がしたのか」
「全部海の底っす。革命家のニーチャンも一緒っす」
「戦艦五隻を、お前一人でか?」
目を瞠るオレガノに、バジルは詳しい事情は話さないと決めた。あの〝荊〟に喰われたくないし。
空はまだ暗い、予定に変更はなさそうだ。
「オレガノ。もうここに用はないっす。とっとと赤の宮殿に行くっすよ」
「お、おい!」




