悪事の終わりと反乱の終わり
「おい、ゴブリンもどき」
ジェノヴァ港湾・埠頭倉庫。
仲間内でサックと呼ばれているジョヴァンの取り巻きが指先に皮紙を挟んでもってきた。
「さっき行商人がやってきて、ここに鬼人がいるだろうから渡しといてくれと頼まれた」
「どんな行商人だった?」
「黒うさぎの毛皮帽子を被った団子っ鼻の小男だった。中身を見たら、ざじずぜぞとだぢづでどが一緒くたになってて、盗み読む気すら失せたぜ」
なんでバレないんだよ。
バジルはあの石角を持ちながら、人族からちゃんと人に見られるているのが、笑いがこぼれるほど悔しい。
受け取ると、中をさっと読んで灰にした。
「お前っ、魔法が使えるのか!?」
「昔、魔術師の使いっ走りをしてた。そのおかげか、魔法はこのとおりだ」
「そ、そうか。で、内容は?」
「大したネタじゃない。ドーリア家の手勢の中に、ウジニョーロ会のコバヤシセイラという鉄球を使う修道女がいる。どうやらその女が、おれの獲物のようだ。ジャネッティーノの馬車に同乗し護衛を務めてるとさ」
「ウジニョーロ? このあいだ解散したドナートナ修道会の荒事専門部隊か?」
「ところで。おたくら、ジャネッティーノの取り巻きを足留めする計画はあるのか?」
サックはおもむろに倉庫の奥にいる仲間の様子をうかがってから、声を潜めた。
「ヴィットーリア通りって閲兵道路があって、埠頭まで海廻りで行く街道手前にバリケードを置いてる。やつらを回避させて最短の小路に入らせる。そこを建物の屋上から投石で襲う作戦だ」
投石というのは、拳大から牛の頭ほどもある大石を投げ落とす戦法だ。単純だが高所から頭に受ければ出血ではすまないし、矢の雨を降らせるよりも経済的で確実だ。
「その計画、あんたが立てたのか?」
「いや、オットリーノさんだ」
「なら、その投石、少し待ってもらえるよう頼んでくれないか」
「え、オレが? 待つって、どのくらい?」
「十分はかからない。五分前後でいい。おれにやらせてくれ」
「お前一人で、ドーリアの騎馬隊の前に立つってのか?」
「ああ。成り行きで、ジャネッティーノってやつの首を獲ってもいい」
「お前、まじでいってのか? 相手は騎士三十人は出てくるんだぞっ」
どこまでも町の不良だな。初めての反乱計画に怖気づきかけている自分に気づいていない。
「数は問題じゃない。小路に入れば左右は建物。馬車を逃がす脇道もない。馬車を後ろへ戻すにも手間がかかる。そんな立ち往生で後続の馬が二頭も転倒すれば、ジャネッティーノは退路を塞がれる。前の騎馬は主人の馬車をおいて前に出れない。そのくせ警護するにも馬をおりる気がない。実質、いい的だ」
「おっ、おお、なるほどな。そして馬を諦めて、徒歩になれば」
もしかして小路に追い詰める効果を理解しないまま決行するつもりだったのか。本当に大丈夫か。
「前には、おれがいる。あとは、おたくらの投石が早いか、おれが仕留めるのが早いかの差だ。悪いが、おれはゴブリンでも強い部類だぞ」
「ばかやろう。会話が通じるなら、お前はもうゴブリンじゃねえさ。本当に任せていいんだな?」
「ああ、仲間の仇と、助けてもらった分だけ仕事はさせてもらう」
「よ、よしよしっ。ジョヴァン様がお前を引き入れた経緯は聞いてる。頼りにしてるからな」
オレガノの左肩を叩き、サックは仲間のところへ向かった。
彼を見送り、オレガノは叩かれた肩をさすった。
「思ってた以上に治癒が早い。魔王様(佐藤)の作った服はそういう効果もあるのか」
あと、狭い路地なら、コレが使える。
オレガノは、クレモナから持ってきた魔王サトウミキが創り出した〝針〟を出す。
倉庫の屋根に放ち、自分を引き揚げた。
「お前はもうゴブリンじゃない、か。じゃあ、おれはなんだってんだ?」
〝針〟はタラゴン以外、革兜衆全員が持っていた。最初はバジルが面白半分で使用済みを使って屋根に登って遊んだ。それを見てみんなすぐに覚えた。模倣はゴブリンの十八番だ。
オレガノは暗い雨の中、北を眇める。
ドォン。彼方で小さいが火雷が鳴った。
「よし、行くか」
§
「おい、なぜ停まった」
ジャネッティーノの怒気に、御者窓が開き、ずぶ濡れの御者が顔を出す。
「申し訳ございません。前方に障害物。御車での回避通行なりません」
「時間が惜しい。ルートを変更しろ。小路を使ってかまわん。最短を行け」
はっ。御者窓が閉じられると、馬車は動き出した。
「総督次官、これは罠でございますね」
向かいに座る狂犬セイラが換言する。
主人はセイラの露わになった白い太ももをみながら、
「だからどうした。罠であれば、喰い破ってでも船を賊から守らねばならぬ。そんな事もわからぬのか」
「いいえ。襲撃の目的がガレーであるなら、北の襲撃も囮。そしてガレー船を奪うことすら、あなた様の首を狙うための囮でしょう。そんな事くらい、わかりますとも」
「ぐ……では、なんとする」
「小路に入った後、馬車の速度を上げて駆け抜けていただくよう、お願いいたします」
「無論だ」
「万が一馬車を止めた場合、それがしが外へ参ります。閣下はたとえ逃亡される場合でも馬車からお出になられませぬよう」
「ちっ。こんな生意気な新参を頼みにせねばならぬとはな」
哀れだな。セイラは内心で唾を吐く。
ジャネッティーノの正規護衛はすべて叔父のアンドレア大総督がコルス島沖での海上演習にかりだして、明日の夕方まで戻ってこない。
今いるのは訓練された護衛ではなく、後方で平和ボケした警備私兵だ。その証拠に血なまぐさい破戒尼を手元に置く有り様だ。質より数で押すにも、質の最上位が自分だとは笑止る。もはや大提督は甥になんの期待も抱いてないらしい。
手札に無役を持たされて、新造ガレー五隻を守れと無茶をいう。おまけにジャネッティーノはまだ何か秘密を隠してる。あの行商人の密告を鵜呑みにし、慌てた様子で陣頭指揮をとろうと埠頭へ急行しているのが、その証拠だ。
当面の問題は、この移動中にあの行商人に化けた小鬼がやってくるか、それともヤツの手先が来るか。あるいは、ドナートナ修道会員三八名全員を同時に眠らせた、魔女が現れるか。
せいぜい騎士様たちの奮戦を期待しますよ、っと。
「おい……おいっ、なぜこんな場所で停まった!」
止まるはずのない閲兵大路で馬車が停止した直後、セイラは腰を浮かせた。
このプレッシャー、あのときの鬼人か。ヤツが仲間の仇をとりにオレを追ってきた。
「前方、騎士様の駒が停まったまま動きません!」
ジャネッティーノが御者窓を叩く。
「開けろ。小路で動かぬ馬車の中にずっと座ってなどいられるかっ。早く開けぬか!」
カーテン越しに窓の外に人影がやってきて、ドアに取りつく。
貴族馬車の鍵は外からしか開かないので御者が毎回、ドアを施錠する。
セイラは主人を制して、ドアを内から蹴破った。
ドアが蝶番を付けたまま吹っ飛び、しかしドアの下に御者の姿はなかった。
「セイラ。どういうことだ!?」
「そこにいてください、よっと」
セイラは逆上がりの要領で、馬車の屋根に出た。
目を眇めて状況を把握する。
前方の露払いは六騎。
しかし馬は恐怖でその場に凍りつき、鞍にまたがる騎士も無言。
声をかけようにも、六人ともすでに聞く耳も口もなかった。
そして御者もまた、馬車の下で頭と胴を切り分けられていた。
さっきの返事と、ドアに取りつこうとした人影はなんだったのか。
「胸糞わりぃ!」
おびき出された。覚ったと同時に屋根で身を低く伏せた。
間髪を入れず、頭上を冷たい風が吹き抜けた。フードと後ろ髪を幾筋か、切り飛ばされる感触に背筋が奮えた。
「よっ、昨日ぶりだなっ!」
仰向けになるや、屋根で両手をふん張って、空へ跳躍。両足で胸を蹴る。
この逆襲に鬼人も体をくの字に折ってふっ飛んだ。が、鬼人は空中で体勢を立て直し、建物の壁に着地した。
セイラは屋根からモーニングスターを放つ。鎖が伸びて、スパイクボールが襲撃者の頭を潰す。かに見えた。
鉄球は壁にめりこみ、鬼人はすでに跳躍し、反対の壁に着地する。
「なんだ。なんか道具を持ってんのか?」
スパイクボールを素早く引き戻し、鎖を持って旋回させる。
今頃になってようやく、ドーリア家がウジニョーロ会に大男殺害を命じたのか、理解した。
ドーリア家はスコーリオ家との密約のため、ジョゼッペ・スコーリオを連れ去った連中からスコーリオの行き先ではなく、人質を状況証拠ごと消す必要があったのだ。
それが、魔女の怒りを買うことになるとも知らずに。
「まあ、魔女の手駒が漁港で魚を干してるなんて、誰も気づきゃしねぇか」
左右の建物へ鬼人めがけてスパイクボールを放ち続ける。
鬼人はこちらが疲れるのを待って仕掛けてこようとしてるだろうが、どっこい、こちらは身体強化ポーションを飲んでいる。鬼ごっこならいくらでも付き合えた。
「どうした、来いよ。仲間の仇を取るんだろ。さっさとかかってこいよ!」
「その程度か?」
「あぁ?」
鬼がしゃべった。
「その技量なら、おれの仲間を屠ったのは僥倖で、そのまま調子づいてこの場でおれが屠れると思っているのか」
セイラはニヤリと嗤いながら舌打ちした。
「言うねぇドン・ファン。オレの立ち上げたウジニョーロ会は、暗殺専門だ。これが意外に客受けが良くてな。そこそこ名を知られてたんだが、まさか市中堂々と亜人を殺せといわれた時には面食らったなあ」
「なぜ、あいつを殺した」
「そいつは違うな、オレらの仕事はあの場の全員を殺ることだ。後からお前がやってきて、数が増えるなんて予想してなかったがよ。こりゃほっといたら、まだまだ増えるんじゃきりがねえから仕掛けさせてもらった。あの中で一番強そうなのを狙わせたのに、一番はお前だったかよ」
「もういい。理解した」
「もういいだ? 魔物ごときが何を理解した? 依頼人の名前は聞いてかねぇのか?」
「そっちに用はない。なぜなら彼らの目的は今、達成した」
壁に貼りついていた鬼の姿が消えた。
「なっ!? しまったぁ!」
ひぃいいいっ、ぎゃああああっ!
セイラが悲鳴へ駆けつける前に、馬車が内から爆発した。
砕けた材から美しい鬼人が跳び出し、口には醜く歪んだジャネッティーノの首髪をくわえて飛昇した。
終わった。
仲間も失い、主人も失った。今なら逃げたっていい。どこへなりとも飛んでいける。
とっさにセイラは踵を返しそうになった。
だが、鬼が咥えていた首が建物の屋根上まで投げ出された時、人の悲鳴を聞いた。
「てめー。あの賊と組んでやがったのかぁ……っ!」
「おれも本気を出すのは、この体をもらって初めてなんだ」
「ふざけろテメェ!」
「じゃ、行くぞ。生き残ってみせろ」
次の瞬間、小路の左右にある建物がつぎつぎ爆発した。
建材が路地に降り注ぐ中、立ちこめる砂煙であっという間に視界を塞がれた。
恐怖がアドレナリンを噴出し、脳を一気に快楽へ昇華させた。
今ごろきた。これだ。これが欲しかった。
この感覚こそ、前世界では得られなかった愉悦。
セイラはモーニングスターを振りぬく。空を切ったがそれは囮、左の手甲から魔字切りを刻んだ刃を飛び出させ、アッパーカット気味に突き上げた。
ザシュ。
刃が砂煙から肉薄した鬼人のあごを捉え、根元まであごに隠れたところで肘が止まる。
手応えあり、勝負アリだ。オレの勝ちだ。
「キーッヒヒヒッ。ざあんねんだったなあ。派手な演出、ご苦労さーん」
「お前、どこかで行商人に会わなかったか。黒ウサギの帽子の」
即死したはずの鬼人がギョロリとこちらを見下して、話しかけてくる。
「なっ。それが、どうしたっ」
「あれが、うちの一番だ」
「ハァ? ――がっ!?」
鬼人が顔面を掴んできた。人差し爪と親爪がこめかみにめり込んでくる。
セイラは聖水ポーションを投げつけようと掴んだ手首から急に力が脱けた。
ポーショングラスを握ったままの手が地面に寂しく転がる。
ふいにまつ毛が凍った。肌が乾き、ピリピリとした痛みが走る。寒い。
しゅわしゅわと泡を吹くような音とともに角膜に顔面に霜がおり、顔面に降る雨で小さな氷筍がいくつもできる。バケモノを掴むがその指がたちまち凍結して黒ずんだ。
「あいつは、お前の所在、身長、体重、扱う武器や道具の有無、身のこなしの軽重まで、すべておれに報せてきた。おかげで、お前の動きは見切りやすかったぞ」
「あの、行商人、探ってたの、ドーリア家じゃ、なく、オレ、オレだけぇッ!?」
「復讐ってやつは――、そういう妄執だろ?」
ごしゃっ
頭部が体液の凍結膨張によって破裂した。頭部を失った体が痙攣し、石畳に崩れ落ちる。
必殺の暗器だった手甲から、根元が折れた刃が寂しそうに顔を出していた。
「今から様子を見に顔を出したら、バジルのやつ、怒るかな?」
そんな顔も見てみたいと思う、オレガノだった。