ハニーキャラメル・ホイップクリーム・グラプチーノ! 完成
伯爵家の厨房で、つくったばかりの甜菜糖を鍋にかける。
周りを厨房係の料理人、下働き女中の六人に囲まれた。夏に薪コンロの前に立ち、後ろからまるまると太った男女が押し合いへし合いしながら、わたしの手許を見つめている。
甜菜糖を軟水で溶かして火にかけ、ふつふつと湧き始めたら軽くかき混ぜて色が変わるのを待つ。沸騰するとすぐ茶色く焦げてしまうので、鍋を火から外してかき混ぜる。
らくだ色になったところで生クリーム3:バター1の比率でいれてさらにかき混ぜ、なじんだら氷水で鍋底を冷やす。真夏の氷提供はもちろん、佐藤さんだ。
これでキャラメルソースは完成。
モカエキスプレス・ブリッカはやかんの形をして、取っ手もついている。持ってみるとずっしりと重量感があった。
下部・ボイラーに貯めた水がコンロで沸騰し、蒸気が中部・バスケットの中にあるコーヒー粉に混ざり加圧、細い管をのぼって蒸気音とともに上部・サーバーにモカコーヒーが溜まり始める。
新沼さんは、圧力鍋の要領でサーバー中心の蒸気バルブに錘をつけて、気圧をあげる工夫をした。これでエスプレッソには遠く及ばないまでも、近いモカコーヒーが飲めるようになっている。
ここでのモカは、コーヒー産地のモカ(mocha)のことではなく、直火式器具を使ったコーヒーをイタリアではモカ(moka)と呼んでいたようだ。
グラプチーノはかき氷とカプチーノからの造語だ。深煎り、細挽きした苦いコーヒーをグラスに入れたクラッシュ氷に通す。
「ホイップクリーム」
「はいっ、できました」
手渡されたボウルから、お玉で砂糖で泡立てをよくしたホイップクリームを半分小さなボウルに移し、コーヒーで着色する。これを中層に置くことで、ブラックコーヒー、コーヒークリーム、ホイップクリームの層をつくる。グラスからはみ出るほどに盛ったホイップクリームの山にキャラメルソースと蜂蜜の二色を格子状にトッピングすれば、完成。
それを同じヴェネチアングラスで二つ。
「よし、持っていって! スプーンも忘れないで」
「はいっ」
配膳係がトレイに乗せて、厨房を飛び出していく。
残りは賄い、コーヒーとホイップクリームを大口の器に盛り、蜂蜜とキャラメルソースも添える。
「はい、試食お願いします」
わたしの合図で、料理人たちが一斉にスプーンで夏の雪をすくって口に入れていく。
「うんっ。くどそうなクリームの甘みがコーヒーの苦みですっきりするし、苦みもやわらいでおいしいっ」
「ふわふわとした軽い舌触りは、今まで泡立ててきた固いクリームとは違うな。面白いよ!」
ハニーキャラメル・ホイップクリーム・グラプチーノ、再現はここまでか。
わたしが高校生してた頃。これが店に入って注文してから十分とかからず出された。
この世界では注文を受けて、丸二日もかかった。器材を一から造ったから仕方ないけど。
ともあれ、これでわたしはお役御免、と。
わたしは外の風を受けに厨房を出て、北側にある裏庭に向かった。
ウナギの寝床のような長い廊下の先で、木剣が8ビートを刻んでいる。
「ローズマリー、考えてはなりません。オレガノとの連携を意識して低く攻めるのでございます。敵と味方、内と外、全体を見渡しつつ、自分の攻めどころを探すのでございますっ」
「は、はい!」
双剣のゼンガを中心とした革兜衆三人がかり。
見込みどおり、前髪パッツン執事は剣術師範としても優秀だった。バジルやオレガノも学びが多いだろう。
その場にタラゴン、ディル、タイム三人の姿はない。ゼンガから三人までと定員を切られたので、彼らを特命で漁港のアルバイトに出した。
水揚げ作業を手伝い、そこでもらった小魚を釜茹でにし、トビウオやアジを買い、捌いて塩水につけて干す作業だ。細ごました作業はタラゴンが知っている。あの一日作業でひと通り覚えたらしい。適材適所。いい響きだ。アジの開き、魚の形が残ってればいいけど。
革兜衆を戦闘組と日常組で明確に分けようと思い立ったのは昨日、眠る直前だった。ある将来計画を見越してのことだ。
「よ、お嬢。今日も暑ぃな」
後ろから声をかけれられて、わたしはびっくりして振り返った。
「あ、ランブルスっ?」
あごヒゲをすっかり剃り落として三十代にも見えるその笑顔がしかし、わたしには作り物めいて仕方がなかった。
ランブルス、これひょっとすると、まずいんじゃないか。
とりあえず、わたしも努めて笑顔をつくった。
「夏まっ盛りだからね。クレモナの稲や野菜の様子が気になって仕方なくて」
「はっ。すっかり農民のセリフだな」
わたしがベンチ席を横へずらすと、無言で座ってきた。
しばらく二人で剣の稽古を眺めていると、ランブルスが修道服の袖からおもむろにマリンブルーの小瓶をだし、わたしの横に置いた。
「アントネッラだ。これから海に流そうと思ってる」
わたしはとっさに驚きを声にできず、小瓶を見つめた。
「いつ、気づいたの?」
「修道会に地下室へ連れて行かれて、身ぐるみ剥がされた時にな。袖からこぼれるように床に落ちて、それっきり動かなかった。回収したのは助けられた翌日だから、おとといの晩か。もぬけの殻になった教会の地下に忍びこんで、これだけな」
おととい。聖ドナートナ修道会は元老院から解散命令が下り、司祭幹部は全員逮捕。修道士も船に載せられて何処かへ追放されていった。
一方で、肝心のスコーリオ家の宮殿には主人家族が戻っていないのか、使用人の影すらなくひっそりと静まり返ったままだという。
「ランブルス、もしかして原因、アントネッラなの? それで自殺を?」
愛スラおじさんが溺愛するスライムの死を目の当たりにして、衝動的に命を絶った。まるでファンタジーだ。でも前世界では、ペットロスの悲しみに耐えられず、鬱になってり、拳銃自殺を図った飼い主の事例が海外のニュースで報じられたことがある。
ペット依存と言ってしまえばそれまでだが、家族を失った悲しみは、たとえスライムでも精神的ショックのダメージが致死量だったらしい。
「なあ、カレン。オレのことはもう……抛っておいてくれねえか」
このおっさんとは好き嫌いの関係でもなかったけど、胸にズキンと痛みが走った。
「それ、わたしじゃなく、新沼さんや佐藤さんに言いなよ」
「カレンから伝えといてくれよ。どうにも合わす顔がその、ないからさ」
「今さらカッコつけないでよ。その情けない顔は、みんな見慣れてる。どんな無様でも、失望したり呆れたりなんかしないよ」
いつもならこれだけ強く言えば軽くキレてギャーギャー喚き始めるのが、このおじさんだ。
けれど、ランブルスは屈託なく笑った。
「お前ら若者のそういう優しさが、オレには辛くてたまらねぇんだよ」
どうしよどうしよっ。まずいまずいっ。全然ランブルスらしくない。
わたしは努めて冷静をよそおって顔をゆるゆると振った。
「ランブルスは、わたしが一番話しやすかっただけなんでしょ。その都合のいい甘えは受け止められないよ」
ランブルスはとっさにわたしの肩口の服を掴むと力いっぱい握ってきた。
服を掴んでるだけ。すがってるだけ。寂しいがり屋の子が、母親のスカートを掴むように。
わたしは動じず、稽古する前髪ぱっつんワンワン執事とゴブリンを眺める。
「もっとゆっくり休みなよ。アポリナーレ・ランブルス。斉藤雄太の復讐は終わったんだよ」
やがて力が緩むと、わたしはその手を握り返した。手の甲に冷たい雨が一滴、落ちた。
「なら、オレはっ……全部失ったオレは、どうすりゃあ、いいんだよっ!」
涙だけじゃなく鼻水や涎までたらし、ランブルスは人間性を取り戻そうともがいていた。
前世・斉藤雄太の亡殻から転生の脱皮をしようと、もがいていた。
「それでも自力で迷いながら生きていくしかないし、生きてていいんだよ」
わたしはマリンブルーの小瓶を彼の手にしっかり握らせると、あえて肩に掴まって立ちあがった。
「あとでアントネッラと、使用人の食堂に絶対、来て。少し小洒落た甘いものでも食べて、頭と心を緩めてみなよ。……また逃げないでよ、逃げたら佐藤さんにチクるからね」
わたしは逃げたがりのおじさんに軽く五寸釘を刺して、また厨房へもどった。