前髪ぱっつんで許す
市街地から離れ、北の市場街に置いた馬車まで戻ると、カンテラを持った人影が佇んでいた。
ゼンガだ。
こちらを早くも見つけて、ペコリとお辞儀する。
「ねーっ、まさかとは思うけど。この町から生きて出さん、て話でもないよねぇっ?」
言葉をかわすにはまだ距離があるところで、佐藤さんが軽口を投げる。
「はい? わが主人パオロ・マントヴァーニが今回の騒動を聞き、感謝を述べたいと申しております」
どうやら当主は会話ができるまでに快復したらしい。さすが特効薬だ。そのくせ魔女狩り教団が押しかけてきたら、新沼さんを擁護しなかったのはどうかと思うが。
ふいに横から佐藤さんが、わたしの腕を掴んで歩を止められた。
「佐藤さん?」
「なんか、あいつ、様子がおかしい……っ」
佐藤さんは空気を張りつめさせ、後退りながらわたしもさがらせる。
「カレン。手よっ、あいつの手!」
「手?」
「カンテラ持ってる手じゃないほうっ。なんか持ってるっ」
ゼンガの持つカンテラが、わたし達の幌馬車を照らしている。
左手は影で、よく見えない。いや影じゃなかった。
髪の毛だった。
地面に黒い雫で水たまりを作っている。
人の頭部を鷲掴みにしていると理解した瞬間、わたしは息をのんだ。
「ぜ、ゼンガさんっ!?」
「これは、ラウラと申します。主人の危急を救った薬師に仇をなし、長きに渡りマントヴァーニ家をあざむいた使用人の罪は、重ぉございます」
静かな口調に反して、周囲の闇から殺気が噴き上がった。
「皆様方も、なにゆえにわが主の接見を断り、今宵、慌ただしくこの町をお出になられるのですか?」
ゼンガが持っていた首を落とし、地に刺した炎曲剣で迫ってくる。
「弊家の私兵を動かしながら、いまだスコーリオをどこへ匿われたのですか?」
「バジル!」
わたしの影からゴブリンセルサスが飛び出し、双剣ダガーで迎え撃つ。
「おや、見たことのない小鬼でございますね。しかもその角、いまだ殻角ながら、魔力はあのオーガをも凌ぐ実力と拝察いたします」
「ごちゃごちゃ蘊蓄がうるさいっすよ。爺さん!」
悪鬼モードのバジルが、ゼンガを斬撃で押し止める。
ばっと火花が飛び散り、左のダガーがあっけなく折れた。
「この重剣に、そのように貧弱な短刃では荷が重かったようでございますねえ」
「当たらなければ、どうということは――ないっすよ!」
波打つ大剣が右から左への斬り下げ。
バジルは寸でのところで躱し、敢然と前に踏み込んだ。
が、フランベルジュが間髪を入れずに折り返す。左から右への斬り上げがゴブリンを襲った。
両手持ち大剣による刹那の二連撃に、バジルの対応が遅れた。
ガッ!
ゴブリンの胴が右脇から左肩へ切断される――
その未来を、わたしが止めた。
「なんとっ、木剣でわたくしの一撃を受けきった!?」
燕返しを木刀で抑えこみつつ、わたしは命じた。
「バジル、今日のところはっ、前髪パッツンで許してやれ!」
すでに喉笛を狙っていたバジルのダガーが角度修正された。
ゼンガが上体をのけぞらせて躱しきるが、前髪が夜空に散った。
ダメ押しでわたしがわんわん執事の胸を蹴った。それでも後方へ数歩さがったのみで、地に背中をつけない筋骨の頑強さが憎たらしい。
「やれやれ。うっかり得物を手放しては、わたくしも負けを、認めざるをえませんね」
もさもさ髪を前髪だけきれいに切り揃えられたその下は、つぶらな瞳のマルチーズ。今後どんなに格好いいことをいっても、可愛いしかなかった。
「少し冷静になって聞いてほしいんです。あなたのような家霊が人族の処遇を決定していいのですか。使用人ましてや、他家の当主の生殺与奪を家霊が握る資格があるのですか」
「っ……それは」
ゼンガの周囲から殺気が消えた。
「忠義も度が過ぎると、御家の害毒にしかならないことを忠告しておきます」
ゼンガは押し黙っていたが、おもむろに深くうなだれた。できる執事は反省も早い。
「どうやら一足、遅かったようですね」
後方からの声に振り返ると、フィオーレが馬でやってきた。
接近に気づかなかった。カンテラの灯りを下方へ向けたら、ご丁寧に馬の蹄に馬沓を履かせていた。さらに後方からバビブベの三コボルトも武装して主人に追従してやってきた。
どこへ夜襲をかけようとしてたんですかねえ、お嬢様。
わたしは一件落着した気分で気を緩めたら、フィオーレが駒を進めて馬上から雷を落とした。
「ゼンガっ。なにゆえ当主の裁決を待たず、ラウラを処断した!」
ワンワン執事はその場に片膝をつき、主人に頭を下げる。
「申し訳ございません。わたくしの監督下にありました使用人でございましたので、上司であるわが責を持って」
「家霊の身で出過ぎた真似をするなっ。自室にて謹慎、追って当主の沙汰を待て!」
「はっ、ははっ」
ゼンガは立ち上がり、頭を垂れたまま後退って闇に消えた。そこはやっぱり魔物だった。
「どうすんのよぉ。あいつ、うちの馬車の前に首だけ置いてっちゃったけどぉ?」
佐藤さんが疲れた口調でその場に立ち尽くす。
わたしは、肩で息をして棒立ちしているゴブリンの隣に立った。
「バジル、残ったダガー貸して」
バジルが握ったままのダガーを半転させ、柄と刃を持ち替えて差し出した。
わたしは受け取るとすぐ地面に落とした。
ダガーは地面に弾んだ拍子に、刃が根元から折れた。
「あっ」
「今回は引き分けで、わたし達は辛くも勝ちを拾ったってところね」
「あの爺さんは、なんで俺たちを殺さなかったっすか?」
「ゼンガに、わたし達が殺す理由あったようにみえた?」
「お嬢になくても、あのジョゼッペ・スコーリオには殺される理由があったと思ってたっすけど」
「なんだ、バレてたのか」
「俺たちがあのおっさんをわざわざ連れ去らなきゃいけない理由ってなんなんっすか」
わたしは神妙に闇を見据えていった。
「最初は連れ去るつもりはなかったよ。あの人の上着だけ奪って屋根に登れば、逃げてるように見せられた。でもあの時、わたしの目をスコーリオ伯爵に見られたの」
「お嬢の目?」
わたし達が部屋に入った時、スコーリオ伯爵はデスクに置いてあったスタンドランプを掴んで投げた。
わたしはそれをとっさに受けとめた時、その照明で覆面越しに目許が強調された。
人を喚ぶつもりだったスコーリオ伯爵の表情が、怪訝と恐怖にひきつった。
賊は女性、より正確には琥珀色の瞳をもつ女暗殺者という事実が、驚愕させたらしい。
貴族社会の通念が、転生者のわたしは理解できなかったけど、相方カレイジャスが気づいた。
この世界で、琥珀色の瞳は王族にしかない特別な魔力を秘めた色彩なんだそうだ。日中はもちろん庶民も気づかないが、貴族社会の裏路地では常識らしい。ジェノヴァ協商連合の国政を担う大貴族の一人なら、その身体的特徴の意味を瞬時に理解したはずだ。
琥珀の目を持つ刺客は、王の血統を持ちながら陰に回った要人暗殺者だと。
自分は、どこかの王の密命を受けた暗殺の標的になっている事実は、恐怖しかない。
一方で、カレイジャスにとって女だと知られることは、望ましいことではないらしい。相方は普段女性を隠して生活しており、その秘密が他国に知られるとマズいわけだ。
「それじゃあ、やっぱり殺しておいたほうがよかったんじゃないっすか?」
「いいえ。殺さずに館の外へ出してくれたこと、感謝いたしますよ」
馬上の姫騎士がロバの耳なみの聴力で話に割って入ってきた。わたしと目線が合うとどこか嬉しそうに馬からおり、やってきた。
「フィオーレ、話はあとにしよう。首、そっちで持って帰ってくれない?」
「もちろんですとも。――ヴァイエルウッド。ラウラの首と胴体の回収を急げ。――ヴィアーリはスコーリオ伯爵の居場所へ急行だ。カレイジャス様、場所はご存知?」
やっぱりロンバルディア王国王太子と知っての接近だったか。
「西地区の旧市街。海沿いの廃倉庫に閉じこめた。鍵は海に捨てたから、蹴り破って。解除トラップも仕掛けてないわ。わたしの顔を見られた可能性がある。それだけ黙殺してもらえれば彼の身柄を全権移譲するわ」
「心得ました。あの辺の倉庫、満潮時には浸かるのですけど……よし、かかれ!」
二人の家霊が坂を駆けおりる中、その場に護衛として残った家霊ヴヤディンは、背中にツヴァイハンダーを背負っていた。その長さは二尺五寸五分(約七五センチ)とされる日本刀の打刀の倍はあった。人族で持て余しそうな長さを通常装備してる時点で、ゼンガを含め、家霊達の膂力はバケモノ揃いらしい。
「これで、もうお話できますわよね?」
「フィオーレ。なんで、ここにきたの?」
マントヴァーニ家の令嬢は嬉しそうに破顔する。
「だって、逃がしたくありませんもの。ハニーキャラメル・ホイップクリーム・グラプチーノ」
こいつ、マジかよ。