狩人に狩られる覚悟はあるのか
一時間後。
スコーリオ邸前では、大騒ぎになっていた。
邸宅を守るのは、スコーリオ家私兵六十余名。鉄柵を挟んで、マントヴァーニ家の軽装騎士二十名とコボルト族五十匹。そして、ジェノヴァの上級衛兵三十名が三すくみでにらみ合っていた。
先日のマントヴァーニ家襲撃の報復であるのは一目瞭然。スコーリオの私兵としては是が非でも通すわけにはいかなかったし、衛兵局も貴族同士の市中衝突は避けたかった。
「どうしてバレた」
書斎の窓から門前の群衆を眺めて、スコーリオ伯爵は歯を軋ませた。
「さあ、つなぎ役の、ロベルトの面が割れたかもしれませんねえ。念の為、街の外へ逃がしましたけど、逃走中に捕縛されたみたいですね」
「口を封じなかったのか」
「傭兵家業には横のつながりが大事なもんで」
「もういいっ。ラウラの告発はどうなった」
「そちらは成功しています。聖ドナートナ修道会がマントヴァーニ家から薬師を逮捕連行していくのを確認しました。弟子が師匠の無実を必死に訴えていましたよ。うくくっ。ラウラは今夜いっぱい旧市街に潜伏し、明朝のコルス島行きの船に乗ります」
コルス島は、地元の島民しか船を使わない。隣国ブルトン王国までの直通便があるからだ。
「てか、そっちこそ口封じしないんで? むしろ、俺にさせてくださいよ。逃げ延びたと確信した瞬間を狙って殺すのが最高に気持ちいいんですから」
虚ろな瞳の仄暗い笑顔に、スコーリオ伯爵は震えあがった。
「だっ、だめに決まってるだろう! 異端審問官すらまだこの街に来ていないのに、訴追人を殺してどうする。ドナートナ修道会は今の会長が娼婦を魔女裁判にかけて功績を稼ぐ、ドグサレ坊主だ。一両日中にはその薬師が魔女と認定され、マントヴァーニも連座。口封じはその後だ」
コンッコンッコン……ッ
ドアのノックが固い。何かトラブルか、トレンテがドアに駆け寄る。
「どうした」
『申し訳ございません、マントヴァーニのコボルト数名か敷地内に侵入した模様』
「何だと!? 馬鹿野郎がっ。何をして――」
トレンテがドアを勢いよく開けると、薄暗い廊下に誰もはいない。
廊下の闇から絨毯を擦るような一陣の疾風が迫ってくる。
「くひひっ。誰の手引きか知んねぇけど、夜襲でもなんでもいい。女なら殺し――」
言い終わるのを待たずに、頭へ重い衝撃。
トレンテは一瞬意識を失いかけ、頭を押さえて天井を見上げる。
開いたドアと天井そばの壁に足をかけてゴブリンが見下ろしていた。
「うそだ……なんで、ゴブリンがっ?」
ふらつく視界。整理できない状況。肉薄する黒髪の少女。トレンテはなけなしの戦意で柄を握るが、先に木剣が視界を遮った。
トレンテは防御した記憶もなく、意識を刈り取られた。
§
バジルを従え、倒れた男を踏み越えて室内に突入する。
小太りした男がデスクのスタンドランプを投げつけてきた。わたしはそれを受け止め、頭上へ振りかぶった。中はガラスフラスコに入ったアルコールランプだ。
スコーリオ伯爵は目を見開くと腰を抜かし、悲鳴を上げて窓へ這っていく。
わたしがランプの火を吹き消し、部屋を闇が支配する中、バジルが一気に距離を詰めて跳躍。頭を踏み蹴って天井に張りつき、カーテンを閉める。
スコーリオ伯爵はバジルのひと蹴りで絨毯にうつ伏せのまま昏倒した。
わたしは紐で伯爵の手足を縛り、猿ぐつわを噛ませ、肩に担ぐ。
「お嬢、大丈夫っすか。こっからは休み無しで走るっすよ」
「誰に言ってんの。革兜衆の主人を舐めないでっ」
にししっ。バジルは人を担ぐわたしの腰に軽く活を入れて、部屋を出た。
「ん、あれ。お嬢。こいつ……おっさんに似てないっすか?」
廊下でバジルが変なことを言い出した。靴先で仰向けにすると、わたしは覗きこむ。
「あれ、意外と? 瓜実顔に無精髭の具合とか」
「これ、もしかすると、もしかするっすか?」
「え。あー、身代わりってこと。バジル、よく気づいた。お持ち帰り二つね」
にしししっ。バジルがあごをしゃくると、革兜衆がわたしの影から飛び出してタラゴンが男を担ぎあげる。
「オレガノ。このオスを教会に持っていって、おっさんと入れ替えるっす」
「入れ替える?」
バジルは真摯にうなずく。
「人族の事情を動かさずに、お嬢たちの事情だけを押し通す。それも俺たちの仕事っすよ」
「わかった。タラゴン行くぞ。ディルとタイムはお嬢のサポート。バジルとお嬢が突入する」
革兜衆はうなずくと、それぞれの行動に移した。
「スコーリオ伯爵が逃げるぞぉ、追え!」
屋根を走っていると突然、路上からフィオーレの声がかかった。
外の群衆から出る言葉はあらかじめ決めてあった。
追ってくるのはマントヴァーニ家のコボルト隊で、それに引きずられるように上級衛兵が追従する。実際はコボルト隊が、上級衛兵たちの追跡を阻むようにゆっくりと走るのだ。
わたしたちは地上の動きに構わず屋根の上を走り抜ける。スキル[軽装歩兵Ⅱ]で身に着けたものは重さを感じなくなる。体に密着するものなら、人も鎧も同じらしい。八十キロを超すオヤジを担いで屋根から屋根へ飛び移った。
スコーリオ家の私兵は主人の部屋に行って不在を確認し、本当に逃げたと信じ切ってくれることが狙いだ。
騒ぎが起きる少し前。
「それじゃあ、スコーリオ伯爵は監禁した後、どうするんですか」
作戦説明会議で、わたしが訊ねた。
「そんなこと、知らんよ」
「は?」
「監禁したまま放置。要はさ、あたしら魔術師に魔女狩りを持ち出したんなら、自分も狩られる覚悟でかかってこいよ、って話なわけ。フェアってそういうもんでしょ?」
「それは、うーん。そう、なのかなあ?」
かわいそうに。スコーリオ伯爵は一番敵に回してはいけない魔術師を敵にしたようだ。
「マントヴァーニ家には監禁場所を教えてもいいけど、それはあたし達がこの町から離れた後よね。あたしたちの目的はランブルスの奪還と町からの脱出。なんなら新沼くんとはここで別れたっていい」
「わたし達、仲間ですよね」
「むしろ仲間だからよ。どうせあたし達も彼も、一度戻る場所はクレモナやろし、大公爵の呼び出しの中に新沼くんも入ってるし、ここで別れてもサヨナラじゃないわよ」
「それは、そうですね」
なんだか言いくるめられてる感じがするけど、わたしが訝しんでいる間にも佐藤さんは押し切ってくる。
「だいたいさ。あいつ、自分からすき焼きが食べたいって言ったのよ? それを作れるのはカレンの創る醤油と豆腐だけ。それを食べて難癖つけないうちから離れるわけないし」
言い方よ。
「それ、本人がここにいたら、抗議殺到ですね」
「異論は認めん。豆腐であれだけ狼狽えた男が今さらブースケ言うなってのよ」
「あの、佐藤さん」
「んー。あ。もちろん全員、覆面してってよぉ? 顔見られて、もし生き残れたら復讐されるかもだしぃ?」
「あ、はい」
結局、言いくるめられてしまい、わたしは覆面を付けて向かうことだけ決まった。
§
監禁場所は西地区の使われていなさそうな所有者不明の倉庫。
八畳ほどしかない室内に、誰が置いたのかもわからない木製椅子にスコーリオ伯爵を座らせ、両手足を椅子に縛り直す。
魔術師の仁術を、欲望にまみれた指で汚そうとした、あなたが愚かだよ。
わたしは扉を閉めて鍵をかけ、鍵を夜の沖に向かって投げた。
鍵はすぐにどの波の間に落ちたか、わたしの目にも分からなくなっていた。
不思議なことに、わたしの心に暗いさざ波は立たなかった。達成感もなかったけど。
「作戦完了。次、ランブルス奪還作戦に移行する。――ローズマリー、案内して」
「了解なのです!」
ビッと敬礼して、ホブゴブリンが先に走り出した。
§
〝夜の翁 眠らずの獣児の眼に 月の砂をかけよ
夢の沖 知らず微睡みの波へ 漕ぎ出なむ〟
――〝白河夜船〟
現着すると、佐藤さんが修道院ごと眠りの魔法をかけていた。
聖ドナートナ修道会。
「そいつ、なに?」
佐藤さんがタラゴンが抱えている男を見て、表情を鋭く引きつらせた。
「すみません。ランブルスさんによく似ていたので、時間稼ぎになるかと……」
「こいつ、あたしらがトルトナでキャンプしてた時、フィオーレの馬車を襲ってた男よ」
「えっ」
わたしは改めてタラゴンに担がれた男を見る。
佐藤さんは仕方なさそうに鼻息して、
「あたし、刺されて死んだときから、加害者って名のつく男の顔は忘れんことにしてんの。見忘れてないわ。それじゃあ行くわよ。地下でいいのよね。新人」
「はいです! ローズマリーです!」
「名前を覚えてほしかったら、いい働きをすることよ。カレンは甘やかしても、あたしは厳しくやるからね」
「は、はいですっ」
口では厳しくいっても、ローズマリーのための虹繭を作りたがっているのは、佐藤さんだったりする。このお姉さんもなんだかんだ、甘いのだ。