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異世界ジパング復興主義《リナシメント》  作者: 玄行正治
第7章 燃えるジェノヴァに捧げるバラード
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雑穀・雑草という名の草はない



 朝。

 ジェノヴァの城門をくぐる。

 海の匂いと彼方に浮かぶ帆船の大きさに感動しつつ、町の下り勾配にうんざりする。


 市場は城門を入って間もなく見えてきた。都市部の北側になる一見すると集落のようで、それ全体が商店の集合体だった。あちらこちらから売り口上が飛びかい、お祭りのような賑わいだ。


 中型以上の馬車はここで停めて、市街に入ることを指示された。傾斜による事故が多いせいだろう。馬車の車輪もタイヤじゃないし。


 わたしはさっそく、旅の習慣にしている市場相場をチェック、米と塩が安かったので買う。


 さらに、


「うそ。蕎麦だ。蕎麦の実があるっ。おじさん、これ産地はどこですか?」


「ロンバルディア王国北のバルテッリーナって山岳町だよ。ボルトンとの北境で、麦が育たないらしくてね」


「わたしぃ、ロンバルディアのクレモナから来たんですけどぉ。蕎麦は初めて見ますぅ」


 つい猫をかぶって、あざとくおもねって情報収集。背後でタラゴンがくしゃみをした。


「クレモナだったら、あっちは小麦やトウモロコシが蔵に唸るほどあるだろうからな。わざわざ蕎麦なんて雑穀を食う必要もねえだろ」


 わがホームグラウンド・ロンバルディア、さては日本とほぼ同じ温帯気候かな?


 となれば、今日のわたしには幸運がきてる。


 朝の冴えた頭に甜菜てんさい糖の時と同じ、直感が轟き叫んでいる。


 わたしは畜産市場へ歩を急ぎ、それを見つけた。思ったとおりだった。


「もぉっ、この世界の価値観、分かりづらいんだって!」


 悪態をつきながらも、わたしは生き別れた友人に再会した気持ちになって、泣きそうだった。


 大豆が、あった。

 豆扱いにすらされていなかった。


 問答無用。麻の大袋で三つ買う。代金は大銀貨三二枚。家畜飼料としては手頃か。鶏や豚の餌に混ぜるそうだけどトウモロコシより二割高になる。あまり売れ筋のいい商品ではないようだ。


「これ、どこから入ってきてます?」わたしはあえて訊ねた。


「んー、そいつはブルガール帝国って東国からだ。親父の代から扱ってるが、この辺の土じゃあなんでか粒が揃わない(育ちが悪いの意)らしくてなあ。ひよこやいんげんより甘みも少ない。買い手もつかなくて完全な雑穀、家畜の餌にしかならねぇのさ。最近じゃヴェネーシアでも取り扱いをやめたつって、こっちにまで回ってきたやつだ。お嬢ちゃんこそ、そいつを何に使うんだい?」


 豆腐、味噌、醤油、納豆、豆乳、油揚げ、がんもどき、湯葉料理、おからにきなこ、大豆由来携帯食料。大豆からだって油もとれる。そしてその搾った油かすは窒素を多く含み、土地改良にだって活かせる。


「ピアチェンツァで飼料用ビートのついでに買ってこいって。うちの師匠が。化粧品にするんだとか」


 とっさのハッタリだ。飼料屋の店主は傑作とばかりに笑った。


「化粧品だあ? 家畜の餌ばっかで化粧品かよっ。そうかあんた、魔女の弟子かい。一攫千金をねらって酔狂な錬金術の買い物してるってわけだ」


 その後も、店主大爆笑。わたしも愛想笑いでお礼をいって、その場を離れる。


 甜菜てんさい糖に含まれるセラミドは皮膚の角質細胞間脂質の主成分で、塗布または摂取による皮膚の保湿、美白効果が認められていた。

 また大豆に含まれるイソフラボンは、エストロゲンという女性ホルモンに作用して、美肌効果や乳がん予防に効果が期待されるといわれている。


 我ながら化粧品というとっさのヒラメキを笑い流すには惜しいアイディアだ。ラミアさんと相談しよう、そうしよう。


 蕎麦と大豆で麻袋四つ。タラゴンに持ってもらう。


「お嬢。これ、なに?」


「醤油や味噌を本物にできる材料よ。お蕎麦は、ちょっと食べる人の体質を選ぶけど、別の食べ物になる。これで新沼さんをぐぅの音も出ないほど黙らせられる」


「本物、お嬢が知ってる、食べ物、なる?」


「うん。わたしだけが作り方を知ってる食べ物になるよ」


 タラゴンは嬉しそうに笑った。最近は和食に目覚めて、何にでも麦味噌をつけて食べる。


 ぐふふっ、こやつもワシの創り出す和食なしでは生きられん体になってきておるわい。


 発酵食品の醸造はひよこ豆を代用しながらも練度があがってきてる。この世界の人々には、ひよこ豆でも口に合うかもしれない。でも大豆が存在するのなら、出会うすべての転生者たちの心に響かせる味にこだわっていきたい。


 あとは……。蕎麦、大豆、海、漁港とくれば、あれしかない。


「失礼。キクチカレン様とお見受けいたします」


 ふり返ると、シワ一つないフロックコートの肩に毛むくじゃらの犬の頭が乗っていた。

 現われた犬人間に、わたしはこの世界が異世界だということを思い出した。忘れてなかったけど、再確認した。


「えっと、あなたは敵ですか?」とっさに誰何すいかする。


「はい? 当方、マントヴァーニ家に従属しておりますコーボルト、ゼンガと申します」


 毛むくじゃらの犬頭の人は、慇懃いんぎんにお辞儀した。


「ニーヌマ様より、今朝は市場で赤ら顔の大男を連れて入り浸っているであろう、短髪の女剣士を見つけて、言伝ことづてしてきてほしいと、用命を承りましたので、お迎えに」


 あのトッポい兄ちゃん、こちらの動きを把握した上で他所の家の使用人を使いに出すとか、一晩でいいご身分に出世してんなあ、おい。


「あの、その前に買い物というか、少し作業をしたいのですが」


「はあ。作業と申しますと?」


「これくらいの、小魚を売ってるお店って知りませんか?」


 わたしが人差し指と親指の間で二センチ程度の大きさを見せる。

 ゼンガは、モサモサの前毛の間からその寸法をじっと見て、


「ふむ。数はいかほどですか」


「樽で一個くらい」


「樽で、となりますと……漁港でございますね。まだ廃棄されていなければよいですが」


「廃棄? あ、そうか。売り物にならないもんね」


「さようでございます。漁師はそれを樽に詰め、海に撒いて魚を呼び集めるのだとか。まずは鮮魚市場で訊ねてみてはいかがでしょう。知り合いの漁師を紹介してもらえるやもしれません」


「なるほどです。それくらいの時間あります?」


「時間はとくには定まっておりません。ニーヌマ様から言伝をお預かりしておりまして、キクチ様を見つけられたら、伝えてほしいと」


「じゃあ、先にそっちを伺います」伝言と聞いては、嫌な予感しかしない。


「では、僭越ながら」

 ゼンガは改まった様子で空咳を打つと、

「ゲネツザイを創るから、コレに、クソニンジンを集めてきてほしい、以上でございます」


 差し出された白い手袋の上には、直径十センチ立法の〝匣〟がのっていた。

 嫌な予感って、どうして避けられないんだろう。


    §


「んーで、あたしまで駆り出されてるのは、なんでなん?」


 長袖に頬かむりをした佐藤さんが始まる前から音を上げる。

 ジェノヴァの町の外。プンタ・マルティン山のふもとにある放牧地らしい荒野。


「[植物図鑑]をもってる一人より、二人のほうが断然早いはずですから」


「そりゃあそうだろうけどさあ。あー、町があんなに遠い。あの青い海眺めながら、キャラメル・グラプチーノ飲みた~い」


 この世界にそんなもんは……まあ、今なら作れなくもないけどさ。



 クソニンジン。日本での通称だ。わたしも名前は知っているだけで、よく知らない。

 転生ガイドによれば、学名はアルテミシア・アンニュアL。キク科ヨモギ属の一種らしい。


 一般的なヨモギは〝艾葉(がいよう)〟という漢方薬として使用される。効果は温体、食欲増進、胆汁分泌促進、止血。また冷えによる腹痛、胸やけなどにも効果があることから、古来から婦人病などに効くとされてきた。なので、よもぎ餅は医食同源ということになる。


 クソニンジンは、葉がニンジンに似ており、異臭のする頭花をつけることから誰かが名付けた。ネーミングはオオイヌノフグリと同じセンスのニオイがする。植物学界隈(かいわい)にはそういう不遇な名をもつ植物たちが結構いる。


 人にとっての異臭は、植物が受粉の仲介者に、はえあぶといった異臭好きの昆虫を選んだからだろう。 


 そしてこのクソニンジンくんには、マラリア熱の解熱効果があるらしい。


 アルテミシニンという名前でピンときた。ノーベル生理学・医学賞だ。マラリア熱の特効薬。 

お祖父ちゃんが熱心に見入っていたのを、わたしは忘れてなかった。お祖父ちゃんの両親が沖縄出身で、マラリア熱によって亡くなっていたと、母から聞いた。


 アルテミシニンの発見者は、ト・呦呦ユーユーという中国人女性だ。


 一九七二年に黄花蒿(おうかこう)から発見、精製した解熱剤で、中国人民解放軍のベトナム戦線における抗マラリア熱薬として有効だった。ところが発見当時の国内情勢は文化大革命のど真ん中。なんやかんやあって発見から十年ごしでようやく医学雑誌に載る。


 するとその空白の十年間に、権威ある(・・・・)医学会の勇み足で非現実的な抗マラリア熱薬を世界へ発表、国際的に面目を潰しており、アルテミシニンはその煽りを受けて国内外から懐疑的な目を向けられたため、国際認知が遅れた。ノーベル賞も四三年越しとなる二〇一五年の受賞となった。


 そんな艱難かんなん辛苦(しんく)を乗り越えた特効薬をぐるぐるぽんで作れちゃうのが、転生スキルだ。というか、薬草を細かく刻んで煎じ煮詰めるだけなんだけど。



「お、カレン。[植物図鑑]のサーチにひっかかった。あれじゃない?」


 佐藤さんに続いて、わたしのパッシブサーチも発見を報せた。

 高さ一メートルほどの黄色い球状の頭花をつけた草本。周辺にまとまった数が点在している。これなら夕方前には帰れそうだ。


「これ、名前ほどうんこ臭くないけど。まあ、雑草やからかな」佐藤さんは容赦がない。


「佐藤さん、雑草という名の草はないんですよ」


「あはは、だよねー。で、どれくらい採るん?」


「百から二百本ですかね」

「えっ、三桁ぁ? まじで?」


「量の指定は聞いてませんけど、ここにあるのは二百本持っていっても全体の何十分の一です。根は抜かないでください。葉と茎だけを煎じて濃縮し、調製したものが薬になるみたいです」


「いいけど。カレンがそこまですんのぉ?」


「もちろん、タダではやりませんよ。材料原木より、ある程度精製したほうが価値が上がりますから。わたしの[緑の手]を信じてください。佐藤さんの報酬は、ハニーキャラメル・ホイップクリーム・グラプチーノでいいですか?」


「乗ったあ!」


 先輩がチョロくて、いつも以上に可愛く思えてきた。


 二時間後。この採集作業で、わたしは新たなスキル[薬草採集]を獲得した。もともとあった[品種改良Ⅱ]と合流し、[ポーション調合]を派生獲得した。


 これにともない、生薬・鉱薬に関する調合が解禁され、レシピが滝のように流れこんできた。

 その中で目が止まったのが、わたしをドキリとさせた。


recipio:[竜晄石]+[蜂蜜]→[解毒薬]


 新沼さんは、これをわたしに獲らせるためのムチャ振りだったのだろうか。




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