テンセイガシャシッパイ
ヴァンダーが、師マーレファによばれたのは、魔王討伐の吉報がもたらされた五日後のことだった。
城下では、久方ぶりの魔王打倒で、老若男女が戦勝ムードに沸き返っていた。
安堵する彼らの目を盗むようにして、ヴァンダーは王宮地下に忍びこんだ。
「マーレファ、俺の王都追放期間があとまるまる一年も残ってるんですがね」
開口一番にそういってやったら、銀髪の魔術師は涼やかに微笑んで、
「心配しなくても、今夜中にまた王都を離れることになりますよ」
言葉尻に弟子の短慮をわらう。ヴァンダーは負けじと身を乗り出す。
「師匠、俺はですね」
「もっともらしい抗弁はもう結構ですよ。故郷クレモナで子どもらに読み書きを教えたり、密造酒の援助したり、害獣駆除を手伝ったり、充実した追放生活を満喫しているのは把握済みです」
「師匠、どんだけ俺のこと好きなんですか?」
まじまじと訊ねたら、マーレファはこめかみを指でかき、憮然と鼻息した。
「よくお聞きなさい、アホ弟子。ドレスデン陛下は〝屠竜〟をお忘れではありませんでしたよ」
「いっそ忘れてもらっても、結構ですよ」
「話が進みませんね。いつになったら聞く耳を持ってもらえるのです?」
「別に処遇を恨んでるわけでも、不満があるわけでもないです。ただ俺はもうこのまま、宮仕えはいいかなって」
マーレファは目線を窓の外に投げてから、弟子を見据える。
「ロッホ・ライザー将軍が前の討伐戦で、戦死しました」
「なんですって?」
「魔王の幹部ヤマダショーマと刺し違えたようです」
「それじゃあ魔王は誰が?」
「カレイジャス殿下です。こちらも辛うじて魔王サトウミキに勝利を収めました」
「辛うじて?」
妙な言い回しにヴァンダーはきな臭さを覚えた。
「殿下も瀕死の重傷を負い、予断を許さない状態です」
「だったら! そんなことになるなら、どうして出兵の時に俺を召喚しなかったんですかっ」
「あなたがあの場にいたら、全滅。そう占星盤に出ました。なので報せませんでした」
ヴァンダーはとっさに反論しようとして、その言葉を飲んだ。
師匠の占星術は辻占いとは違う。緻密な知識と計測から算出され、森羅の声を聞く秘技だ。それは国政の表にはでない。しかし王が決断に迷った時、マーレファに施術が命じられる託宣だ。
「師匠。二年前の俺なら、魔王サトウミキたちの言い分も聞かずに殺していたでしょう。でも今はマコトのことはもう、過ぎたことだと思ってます」
やりきれなさを拳に握りしめて、ヴァンダーは師匠を見つめる。
「ヴァンダー、少しは聞く耳を持っていただけましたか?」
「少しだけです。内容によります」
条件をつけようとしたが、マーレファに顔を左右に振って払いのけられてしまった。
「あなたは私の弟子です。そして陛下の心痛を思えば、この計画をおいて他にありません。これは他言無用です。情報が漏れた時点で、私は泣く泣くあなたを斬らねばなりません」
陛下の心痛。ヴァンダーは目を強く閉じ、腕組みした。
マーレファに拾われなければ、自分はとうに死んでいた。
高い教育と正しい道徳を与えてもらった。
そのことに恩を感じる必要はないといってくれた。
師匠は、賢者だ。私欲のない人だ。……いや、それは嘘か。この人、底なしの酒豪だし、魔法実験にも貪欲だ。余人に見せられない禍々《まがまが》しい魔法も考案して、たまに小遣い渡されて、こっそり闇魔導具や流出物の後始末も頼まれた。
ならもう、貸し借りナシなのでは? ……なんて、言えるわけもないか。
〝屠竜〟の名は本来、師匠が呼ばれるべきものだった。
自分は今の〝星霜〟が気に入っているといって、譲られた。
普段はナマグサだし、変わってる人だけど。最期もこの人と一緒に首をならべることになっても、仕方ないか。
「わかりました。お引き受けします」
「うん。よくぞ言ってくれました。ここからは真実を話します」
マーレファの眼ざしに冷厳な光がともった。
デカいのが来る。長年の経験から、ヴァンダーはとっさに身構えた。
「カレイジャス殿下が――、戦死なされました」
やっぱりか。ヴァンダーは少しだけ目線をあげ、息を吸った。そんな気はしていた。
ロッホ・ライザーは、戦友であり御前試合の決勝でヴァンダーと二度も渡りあった。
そのロッホが大幹部と刺し違えたのはわかる。武将ならば戦場での死も宿命だ。
だが、カレイジャス王子は別だ。
剣がようやく熟れてきた十七歳。招来魔法〝礫鯨〟をわずか十五歳で掌握した俊英で、鋭い洞察を持った名君の器だ。それゆえ魔王討伐に意欲的で、父親であるドレスデン王から早く認められたいと焦ってもいた。
「おそらく戦前の最終交渉が不首尾に終わったのでしょう。それといささか、現場で奇妙な事態が起きたと報告を受けています」
マーレファは目線を下げて頭痛に耐える顔を浮かべる。
「後続部隊長のメルフィムが、現場となる謁見の間で、少女を連れ戻っています」
「少女?」
「年齢は四、五歳で、私の記憶にある殿下の幼少だった頃と非常によく似た容貌なのです。私の言わんとしている目論見、もうおわかりですね?」
ヴァンダーも察しはついた。ついたが、師匠の無謀ともいえる企画に目眩がした。
「本気ですか。その……少女を殿下の影武者にするだなんて」
「陛下におかれては、世継ぎはカレイジャス殿下お一人です。もはや選択肢は残されてません」
「ですが。容姿が似ているだけで、そんな計画……無茶です。バレたら俺たちの首が刎ぶどころか、このロンバルディア王国が滅びかねませんよ?」
「無謀は承知の上です。それにまだ問題もあります」
「俺には問題だらけな気もしますがね」
「私がその子から話を聞き出そうとすると、あの言葉を口にしたのです――」
あの言葉。ヴァンダーは目を見開いた。
「――テンセイガチャシッパイ、と」
「師匠っ。魔族を、王子の影武者にするつもりですかっ!?」