1.直接本人に言って欲しい
「傲慢で人の心が分からないローズ嬢に国母は務まりません」
艶のある低音の声がはっきりと聞こえて、ローズは思わず扉の前で佇んだ。
扉の向こうで会話が続く。
「ローズ嬢は社交界でも評判が悪く、そのうえ嫉妬からララ嬢を虐めています。陰では悪女とも言われています。そのような人物はルーク殿下にはふさわしくありません。ルーク殿下、どうか婚約を考え直してはいただけないでしょうか」
尋ねられた相手は、少し考えて返答する。
「……ユリウス、この婚約は王家とファミリア公爵家で政略的に結ばれたものだ。私個人の意見で覆るものではない」
「であれば、こちらのララ嬢を婚約者とすればよろしいでしょう。市井の生まれではありますが、現公爵の弟君の忘れ形見で、血筋は問題ありません。また、ローザ嬢と替わってララ嬢が婚約者となっても、公爵は反対なさらないでしょう。何よりローザ嬢にはないこの愛らしさ。殿下のお心が安らぐでしょう?」
「……確かにララ嬢は大変愛らしいが、王妃となるには上に立つ者としての素養が必要だ」
「それについても申し分ありません。ララ嬢の家庭教師は我がレンブラント公爵家の所縁の者ですので、普段の勉学の様子も聞いております。勤勉で驚くほど理解力が早くて優秀だということです。社交界の評判も上々。ローズ嬢とは何もかも違います」
やや沈黙があって、気まずさが漂う。可愛らしい声が沈黙を破る。
「お褒め頂き光栄ですわ、ユリウス様。私は……お慕いするルーク様をお支えできれば嬉しゅうございます」
声には、期待に満ちた甘さが含まれている。
「ララ嬢の気持ちは大変嬉しいが、この話はしまいだ。そろそろローズが来る頃だろう」
ルークがその場を制する。
扉の向こうで、ローズは心の中で舌打ちをした。
(あの腹黒宰相子息めっ!!)
おかしいと思ったのだ。
いつもであれば、ローズが登城する際に王太子であるルークと見合う場所は、王宮の表の貴賓室か執務室だったが、この日は、王宮の奥の王太子のプライベートな空間だった。しかも、いつもの重厚な扉の造りの部屋ではなく、部屋の話声が聞こえるくらいの薄い扉。
絶対わざとだ。
ローズに聞こえるように、あの腹黒宰相子息のユリウスが仕向けたのだ。
目的は三つある。
一、ローズの悪口を吹き込んでも、ルーク殿下は何も言わないこと。
二、ララはルーク殿下のプライベートな部屋に招かれるほど親しいこと。
三、ララはルーク殿下に好意を持ち、また殿下もまんざらではないということ。
これらをローズに分からせるために仕組まれたのだ。
傲慢で人の心が分からないなどと言われるのは心外だ。
ローズの外見は、情熱的な真紅の緩やかに巻かれた長い髪とやや吊り上がった大きな瞳、女性らしい豊満な胸に細い腰、均整の取れた美しい容姿をしているが、美しいが故に、普段の真顔は冷たい印象で、相手に威圧感を与えるように見えてしまうのだ。
それにローズはララを虐めてなんかいない。
むしろ、兄弟姉妹のいないローズにとって、従妹であるララがファミリア公爵家の養女として義妹となったことを喜んでいたくらいだ。そうでなくても、虐めなんて面倒なことをやるはずがない。
それなのに、社交界では事実とされてローズは貶められている。
ローズは、これもあの腹黒が噂を流しているに違いないと思った。
「……中にお入りにならないのですか?」
扉に手をかけた、護衛のレイノルドがローズに声をかける。
ローズは俯いて考え事をしていたが、顔を上げるとレイノルドと目が合う。
勝気なその眼には、僅かに愉悦の色を含んでいる。
(お前もグルか……)
レイノルドは、ルーク殿下の筆頭護衛騎士だ。
それなのに今日はローズを迎えに来たので、何かあるとは思っていた。
彼らは分かっていない、ローズの本質を。
言いたいことがあれば、直接本人に言えば良いのだ。
いや、分かっていて敢えて遠回しに伝えてきているのならば、こちらだって本音を語ってやる必要はない。
ローズは呼吸を整えると姿勢を正し、レイノルドに嫌味たっぷりに微笑んで、扉を開けるよう促した。罰の悪そうな顔でレイノルドが扉を開けた。
「ごきげんよう、ルーク殿下」
ローズはありったけの笑顔を向けて、ルークに挨拶をする。
ルークもローズへ笑顔を向ける。金髪碧眼の完璧な美しい王子の顔だ。
ここにはまるで二人しかいないかのように軽やかに会話を交わす二人。
その様子をユリウスとララは苦虫を嚙み潰したような顔で見ていた。
ややあって、思い出したかのようにローズは二人にも挨拶する。
もちろん嫌味を込めて、渾身の美しい笑顔を向ける。
「ごきげんよう、ユリウス様、ララ。お二人とこのような場所でお会いするなんて、仲がよろしいのですね」
誰と誰が仲が良いのかは、ぼかして伝えるのが重要だ。
当人たちには嫌味に聞こえるが、ルークは言葉の意味を直接的に捉えた。
「ユリウスとララ嬢は気が合うらしい。度々二人揃って私のところへ話をしに来るのだ」
「それは、よろしゅうございますね。お二人とも朗らかなお人柄ですので会話も弾むことでしょう。殿下のお心が安らぐことと思いますわ」
「……それはどうだろうね?」
ルークは少し困ったように笑って、ユリウスとララに視線を移す。
「いえっ、私は……!!」
ララは慌てて椅子から立ち上がると、何と言えば良いか分からず、言葉を詰まらせる。
ふわふわのピンクブロンドの髪にやや垂れ下がった大きな瞳の端に涙を浮かべる様子は、庇護欲をそそられ、大変可愛らしい。
ユリウスはローズをちらと見ると目が合った瞬間、頬を赤く染めて顔を歪ませた。
ローズは、ユリウスの美しい顔が何かに耐えるように苦痛に歪むのを見ると、なぜか背徳的な気持ちになって、思わずドキリと心臓が大きく跳ねた気がした。
王子の顔ももちろん美しいが、ユリウスの顔もまた美しかった。
プラチナシルバーの長い髪を赤いベルベットのリボンで束ねて、左前に流している。他の者にとっては容姿の欠点となりそうな銀縁の眼鏡も、彼の美しい顔をより一層引き立てていた。
ユリウスはすぐに表情を立て直し、いつもの余裕ある笑みを浮かべた。
「お二人のお邪魔をしてはいけませんから、私は失礼させていただきます」
椅子から立ち上がり、深く臣下の礼を取ると、部屋を立ち去ろうとする。
慌ててララもカーテシーをすると、ユリウスに続いて部屋を出ていった。
(あらまぁ、ルーク殿下に詰め寄っていた勢いはどうしたのかしら。拍子抜けするわね……)
ところが1か月後、ローズはそのときの油断しきった自分を思い切り殴ってやりたいと思う状況に陥る。