想像するだけでも恐ろしい(ダール視点)
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ダールの散髪を終えたスミレは、満足げな表情を浮かべていたかと思うと、今度はなにかを熟考しだした。ダールには想像もつかないような難しいことを考えているのだろう、眉が顰められている。その顔さえも美しいのだから、やはり造形が整っているということは得だな、とダールは思った。自分にはないものだけれども、羨ましいという感情は最早抱かない。どう足掻いても手の届かないものに憧れることは不毛だと随分前にダールは気付いているし、スミレの美しさは憧れを通り越して感嘆する他ない代物である。それくらい、かけ離れた美なのだ。憧れるのも烏滸がましい。
だけれども。世界の美しさをかき集めたかのようなスミレは、何故かダールを「かっこいい」と言った。きっと身も心も美しいスミレは、ダールなんかは知らないような綺麗なものばかり見て育ってきただろうに。
未だダールには信じられないことではあるが、辛うじて、スミレはダールの容姿に強い忌避感は抱かないのだろうと。それだけは、漸く自分に落とし込むことが出来るようになったダールである。
「ダール、実はね」
言っておかなきゃいけないことがあって、と菫は少しばかり硬い声色で話し掛けてくる。ダールが「はい、なんでしょう」と答えると、スミレは神妙な面持ちをダールへ向けた。余程言いにくいことなのだろうとダールも身構える。
「お金がありません」
「……え、」
――お金がない。
ダールはスミレをてっきりどこぞの貴族の娘だと思っていたから、お金のことなど気にせずとも良い程貯えがあるのだと勝手に考えていた。だから、奴隷であるダールに対して何でもないようにお金をかけられるのだろうと(それにしてもかけすぎではあるが)。けれども、もし貴族の娘だったとして、護衛がいないことや下調べもろくにしてなさそうな様子から察するに、衝動的に出てきたことが窺える。そんな状況で、多額の金を持っているという方がよくよく考えれば不自然だ。
現時点で、ダールはただスミレの金を消費させるお荷物でしかない。奴隷である以上仕事をして金銭を得ることは難しいし、勿論売れるようなものなども持っていない。そうなれば、お金がないスミレが一番に切り捨てるのは――…奴隷であるダールに違いない。
自らの行きついた考えにぞっと寒気を覚えたダールは、懇願するようにスミレを見つめた。
「す、スミレ様、…お、俺は何も食べなくても良いですから、服なども不要ですから、だから…」
今になって唯一自分という存在を許容してくれるスミレから引き離されるだなんて、想像するだけでも恐ろしい。その恐怖に比べたら、毒草まで食べてしまう程の飢えも身が凍えるような寒さも我慢できる。食事よりも服よりも寝床よりも、スミレの傍にいる権利が欲しい。ダールにはそれが依存なのかそれとも他の何かなのかは分からなかったが、何をおいてもスミレと共にいたいという思いであることは確かだった。
縋るようなダールを哀れに思ったのか、スミレは少し眉尻を下げた。哀れだと思って傍に置いてもらえるのであれば、それでも良い。ダールには、そんなことを気にするような自尊心は残っていないので。
「大丈夫。お金が尽きて今すぐ食べられないとか、そういう話じゃなくてね。ただ、当面は少しだけ節約しながら、仕事を探したいなって」
「…仕事、ですか」
「って言ってもすぐには見つからないだろうし、手持ちの売れそうなものを売って凌ごうかなと思ってるんだよね。珍しいものとかを売れる場所ってあるのかな」
そう言われ、ダールは商店を思い浮かべた。とは言っても商店にはいくつか種類やランクがあり、売りたいものやその質によって買い取ってくれる場所は変わってくる。魔道具を専門に取り扱っている商店もあれば日用品を取り扱っている商店もある。その中でも、貴族御用達の商店から庶民向けの商店でランクがいくつか分かれているのだ。
出会った当初のスミレの服装から考えれば、恐らく持っているものも一流品であるだろう。それであれば、ある程度ランクの高い商店に売り込みに行くのが良いかもしれない。ただ、ダールは奴隷落ちする前も裕福だったわけではない。そもそも商店の店員からも忌避される見た目であったから、貴族向けの商店どころか庶民向けの商店もろくに入店したことがなかった。果たしてお役に立てるのだろうか、とダールは内心で頭を抱える。
「ダール」
色々と考えを飛ばしていると、唐突に名を呼ばれる。ダールは反射的に「はい」と返した。
「ちょっと持ってるものを確認したいから、ここで広げても良い?出来れば、ダールにも見てもらいたい」
「分かりました。お役に立てるかはわかりませんが」
大丈夫だよ、とスミレは笑った。これまでのやりとりから察するに、恐らくダールが本当に役に立てなくてもスミレは怒ったり、ましてや折檻したりはしないだろう。本来であればありがたいことであるのに、役に立てないことが申し訳なくて、そして情けなくて仕方なかった。
◇
スミレは、鞄の中から次々と珍しいものを取り出した。そもそもが、鞄自体丈夫そうで艶々とした革が使われた高級そうなものである。それに、縫い目が綺麗で芸術的だ。人の手であれ程までに細かく縫い上げるのにはどれ程までに修練が必要だろうか。ダールの母も裁縫は得意だったように思うが、あれ程ではなかったと記憶している。
「ねえダール」
「なんでしょう、スミレ様」
「この中のどれが一番高く売れそうだと思う?」
「高く…、そうですね」
スミレが鞄から取り出した順に、ダールは精査を始める。
スミレがまず初めに取り出したのは、革財布だった。革で作られているというのに財布自体は薄く、革の生地自体が薄いことが窺える。それで強度を保っているのだとすれば、かなり良い革が使われているのだろう。ある程度使われているのか革の色が落ち着いているのも良い味を出している。庶民の使う物にも革製品はあるが、強度がないので使う度に明らかに悪くなってしまう。売るにすれば高く売れるだろうが、現時点でスミレがお金を入れて使っているものなのでこれは除外だろう。ダールは次の物に視線を移す。
次に取り出されたのは、束ねられた紙が二セット。そもそも庶民は読み書きをしない――文字が分からないので出来ない――ので、紙自体が貴族向けの物だ。それか、冒険者ギルドや役場などの公的機関で使用される。ダールが紙を見たことがあるのは前者であるが、そういったところで使われる紙はそもそも魔物や動物の皮を加工して作ったもので、書きにくい上に破れやすい安物だ。スミレが取り出したもののように白くて均等に薄いものではない。恐らく貴族向けの紙と見て間違いないだろう。
次はハンカチ。見ただけで触れてはいないが、見るからに手触りが良さそうな上質な布で作られている。また、見たことはないが花と思われる刺繍が施されており、刺繍自体が細かくて美しい。それに、ハンカチの周囲にひらひらとした可愛らしいレースが付けられている。貴族の娘は服などにレースを施すと聞いたことがあるが、レース自体高名な刺繍家でないと作れないと確か母が言っていた。「私は趣味程度だから無理ね」と笑っていたのが懐かしい。
次に、髪留め。言わずもがな、スミレの指示によりダールが命を賭して――と言っても、賭す程の危機はなかった――守り抜いた髪留めである。ダールが身に着けてしまったことで価値が落ちたように思わなくもないが、黙っていれば分からないので問題なく高値で売れることだろう。大したことはしていないというのに、傷一つなく守り抜けたことがどこか誇らしい。
その次は、首飾り。出会ったときスミレが身に着けていたものだ。そのときから高価そうだと思っていた。スミレが身に着けると、余計に。宝石なのかダールにはさっぱり分からないが、きらきらと輝く石がメインに据えられている。本物の宝石ではなくとも、これ程光を反射させて輝く石は見たことがない。本物かどうかに関わらず高く売れることだろう。
次は魔道具のような何か。これに関しては、ダールは見たこともないので比較対象がなく判断に迷ってしまう。魔道具自体はダールなどでは手が届かないくらい高価だが、そもそもスミレの取り出したそれが魔道具かどうかも分からない。魔道具だったとして、魔道具によって使用用途が変わるらしいし恐らくそれによって金額も変わるだろう。
次に万年筆。紙同様貴族が使うことがほとんどなので、恐らく高く売れるだろう。ただ、万年筆の品質が分からない。ダールは万年筆など使うことがないため、どのくらいの値段で売れるかの判断がつかない。
その次は瓶詰。内容が分からないのでなんとも言えないが、料理に使うソースかなにかだろうか。もしそうであるならば、余程画期的なレシピがついていれば話は別だが、そうでなければ売ることは難しい。
最後に、再び紙。今度は布に包まれており、材質も先程の紙とは別物である様子だ。白いのは変わらないが、明らかに先程の紙よりも薄い。これ程までに薄いと文字を書くのに適していない気もするが、もしかしたら別の使い道があるものなのかもしれない。どちらにしろ庶民が使う物ではなさそうだし、貴族向けであれば高く売れるのだろう。
色々と見せてもらったものの中で、一番高そうな物。正直ダールが普段触れるようなものではなく細かい値段が予想できないので、明らかに高価で売れるだろうと思われるものから伝えていくことにした。
「髪留めや首飾りは、細工が美しく有名な意匠が作ったものでしょうから、高く売れると思います」
スミレはダールの言葉を聞いて、納得するように頷いた。恐らく、スミレ自身も高く売れると分かっていたのだろう。もしかしたら、自分で購入していてある程度の金額を知っているのかもしれない。
「紙や万年筆等も、基本的には庶民は読み書きが出来ず使用者が貴族に限られるので、質にもよるとは思いますが安くはなさそうです」
二種類の紙と万年筆を指さしてそう伝えると、スミレは何故か一瞬不思議そうな顔をした。が、自分で納得したのか再び頷いた。スミレはその心算はないのかもしれないが、考えていることが動作に出やすくて可愛らしい。奴隷であるダールが主人であるスミレを可愛らしいと表現するなど、失礼という言葉だけでは言い表せない程失礼であるけれども。
「ハンカチも見るからに上質な布が使われていそうですし、刺繍も細かく綺麗です。恐らく高く売れると思います」
そう伝え、今度は瓶詰の方へと目線を移す。
「こちらの瓶詰のものはなんでしょうか」
「あ、それね。多分、中身はハンドクリーム」
「多分…?……いえ、それより、ハンドクリーム?とは……」
「手を保護するクリームのことで…、手全体に塗ると、手が乾燥しにくくなってすべすべになるよ」
「なるほど。…軟膏のようなものでしょうか」
「うーん、多分そうかも」
スミレは余程自分の所持品に執着がないのか、所持品の詳細を把握できていないらしい。高価そうなものばかり持っているのに、危機感がまるでない。例えば――絶対にしないし出来ないけれど――ダールが盗むだとか、そういったことはまるで考えていなさそうである。そもそもが、所持品が高価なものであるという認識もないのだろう。
「軟膏であるとすれば、その質によって売れるかどうかが変わります。専門の商店に行って判断してもらうしかありませんが、庶民向けのものであれば売れませんし、貴族向けのものであれば売れると思います」
「そうなんだ。どういう違いがあるの?」
ダールはスミレに問われるがまま、庶民向けと貴族向けの軟膏の違いについて出来るだけ細かく説明した。スミレは説明を聞く間真剣な表情をしている。主人に対し偽りを述べることができないという奴隷の制約があるからだというのは理解しているものの、ダールの言葉に対する信頼が伝わってくるようで、ダールはどこか気恥ずかしくなるような、むずむずした心地を覚えた。
軟膏の説明を終え、次は魔道具のようなものについて説明――とは言ってもダールには判断がつかず役には立てないということ――を行った。
「お役に立てず、申し訳ありません…」
「あ、ううん。ありがとう。十分助かったよ。……ちなみになんだけど、この鞄と財布ってもしかしてあんまり売れそうになかったりする?」
「鞄と財布ですか?申し訳ありません、そちらは使用中のものなので売るとは思っておらず…!確認させて頂きます」
勝手に判断してしまったことを詫びつつ、ダールはスミレの差し出した鞄と財布を確認した。どちらも薄い革を使いつつも丈夫そうであり、使用している品にも関わらず劣化している様子がほとんど見受けられない。恐らくかなり上等なものが使われているのだろう。その旨を伝えると、スミレは「そっか、良かったあ」と安心したように微笑んだ。
最後にもう一度「色々教えてくれてありがとう、ダール」とお礼をもらうことが出来たので、ダールはようやく安堵の息を漏らした。なんとか、スミレの期待に添えたようである。
次回もダール視点予定です。