あまりの衝撃に眩暈がしそう
相変わらずゆっくり更新で申し訳ありません。
毎回見てくださっている方々、ありがとうございます。
「ああ、整容師のことですね」
菫の説明を聞いたダールは、納得したように頷いた。ダールの話によると、整容師――菫の世界で言うところの美容師――はいるものの、そのような者達は街に店舗を構えるのではなく、個別に貴族たちの屋敷を訪問しているのだという。つまり、簡単に言えばお金持ちしか利用しないので、ダールのような奴隷は勿論、庶民たちは整容師に依頼することはない。
では一般家庭などではどうしているのかといえば、大抵は家族に髪を切ってもらうらしい。奴隷の所有者は購入する者が現れない限り奴隷商人であるので、奴隷商人が髪を切るか、奴隷同士で切るよう命じるかのどちらかであるとか。
ちなみに、ダールが伸び放題であったのは奴隷商人の「顔を隠すように」という指示によるものだったようだ。
「なんで顔なんか隠そうとするんだろうねえ」
折角イケメンなのに、と考えながら思わず漏らすようにそう言えば、ダールは目を見開いた後、ゆっくりと息を呑んだ。不思議な緊張感に菫が首を傾げると、ダールは諦めたような笑みで「私は醜いので、顔を見るのが嫌だったのでしょう」という言葉を口にし――そこで漸く、菫はあることを思い出した。
「とにかく見目が悪くてね、見られたもんじゃないんです」
「この見目じゃあ、奴隷としたって売れないんで処分です」
「私は醜い顔をしておりますので」
菫の好みドストライクであるダールの顔を見た衝撃ですっかり抜けてしまっていたが、菫はダールを買う前、奴隷商人から再三「見目が悪い」という話を聞いていた。だから、売るに売れなくて処分するのだと。処分寸前であったから、ダールは五百エンペルという破格の値段であったのだ。
――それに、顔を見る前、ダール自身も自分は醜いから顔を見せることは出来ないと言っていたではないか!
よくよく考えても、ダールのように元冒険者で魔法も人並み以上に使うことが出来る人材が五百エンペルというのは可笑しい。態度が反抗的というわけでもなく、お貴族様の不興を買った――これに関しては詳細が分からないが、少なくとも菫が接したダールの人柄ではそう悪いことをしたとは思えない――だけでそれ程値段が下がるとは思えない。それでは何が問題かと言えば、何度も耳にした「見目の悪さ」である。あまりの衝撃に眩暈がしそうだ。
正直なところ現代日本で生きていた菫としては、見た目が悪いくらいでそう差別されるのには違和感がある。けれども、ここは魔法も存在する全くの異世界。それに、美醜逆転ものでは(その世界にとって)醜い者は必要以上に迫害されがちであると相場が決まっている。つまり。
ハッとしてダールを見ると、ダールは酷く悲しそうな顔で口を開く。
「もしかしたら、顔が見られさえしなければ売れる可能性があると考えていたのかもしれません。……スミレ様からしてみれば、騙されたようなものですよね。ここまでとは、お思いではなかったでしょう」
確かに、ここまで凛々しくて勇ましいイケメンだと思っていなかったのは事実だ。買う前から筋肉隆々で素敵だなとは思っていたけれど、まさか身体つきだけではなく顔まで好みだとは。騙されたし裏切られたと言っても過言ではない。勿論良い意味で。
「…申し訳ありません、スミレ様」
色々と思考を飛ばしすぎたせいで、返答がないことで不安になったらしいダールの瞳が潤む。男らしいイケメンの涙、本当にギャップ萌えで悶え死にしそうになるからやめてほしい――等と、思っている場合ではなかった。これは一刻も早く、ダールの誤解を解かねばならない。こんな(菫にとって)国宝級に美しい男が自らの価値を誤解したまま生きていくだなんてそんな悲しいこと、あっていい筈がないのである。
菫はダールの両頬を両手で包むと、鼻と鼻がぶつかってしまう寸前まで顔を近付けた。ぎょっと目を見開いたダールと強制的に視線を絡ませる。
「あのね、ダール。私って、すごく常識がないと思わない?」
「……はい……?」
唐突な切り出しに、ダールはきょとりとした表情を浮かべた。とりあえず「はい」と返事はしたものの、実際には突然の言葉の真意が理解できていないだろうことが見て取れる。その表情も可愛くて麗しいために菫の顔が赤くなるのが分かるが、会話を止めるわけにはいかないとなんとか言葉を続ける。
「ダールもなんとなく分かってるかもしれないけど、私、すごく遠い国から来たの。だから、この国の当たり前もよく分からなくって」
「…はい」
その辺りはダールにも思い当たることがあるようで、素直に肯定の意が返ってくる。宿探しやらお風呂準備やら色々と迷惑を掛けた自覚はある。
菫は改めて申し訳ない気持ちになった。なにしろ、ダールがいなければ菫は屋根の下で眠ることすらできなかったのである。一社会人としてなんと情けないことか。いやまあ、常識も何もかもが違う世界に来たのだから仕方ないことではあるのだが。
異世界から来たのだと話しても良いけれど、過去にこの世界にそんな事例があったのかは今の時点では菫には分かり得ないし、あまりに突拍子な話をし過ぎれば嘘だと思われてこの後の話までも信じてもらえない可能性がある。
いつかは話しても良いのだろうけれども、それは今ではないと菫は判断した。
「それでね、何が言いたいかっていうと。……ダールって、本当にかっこいいの」
「……………は?」
「輪郭もシュッとしてて綺麗だし、瞳だってクールで見つめられるとドキドキしちゃうし、鼻筋だってスッと通ってて芸術品みたい。身体だって筋肉がたっぷりついてて見惚れちゃうし、なんていうか守ってもらえそうな安心感があるっていうか。でもそれだけじゃなくて、いつもは凛々しい眉が困ったみたいに下がるのは可愛いし、甘いもの好きで美味しそうに食べるところはいつまでも見てたくなる。というか、もっと食べて欲しいし食べさせたいなって思う。ついでにあーんとかさせてもらえたら役得って感じだけど」
「え、は、……な…?」
あまりに菫が早口で話してしまったからか、ダールは情報を処理しきれないとばかりに口をはくはくと動かしている。時折声が漏れるけれども、それは本当に漏れただけで、なにか意味のある言葉ではなさそうだ。
菫も菫で、自分でそうしたとはいえ好みドストライクであるダールの顔を間近で見続けて冷静ではいられなくなっている部分がある。あーんしたいだとか自分の欲求が素直に出過ぎたかもしれないが、事実なので仕方がないと開き直るしかない。
何故菫がいきなりこのようなことを言い出したかといえば、ダールの自己肯定感を上げたいから、の一言に尽きる。
ダールを信じられない程低価格で買い取ってしまった菫が言えたことではないのは重々承知の上で、ダールは自己肯定感が低すぎる。それは奴隷という立場故だと菫は思っていたが、どうやら自分が醜いと(菫からすれば)勘違いしていることが根底にあるらしい。
もし美醜逆転ものの小説のように迫害されて生きてきたのであれば――それにしては性格が擦れていないけれど――、自己肯定感が低いのも頷ける。それ故に、菫との接し方に壁があるのも。だとすれば、その自己肯定感を上げない限り、菫の理想とする関係性を構築するのは難しい。
菫はダールと一方的に有利な関係を築きたいのではない。勿論、最初奴隷を買うと決めたときはそういった打算がほとんどだったけれど、ダールを一個人と認識してからは、友人のような――あわよくばそれ以上の――親しい間柄になりたいと思っている。
「もう一回言うと、ダールは私にとって本当にかっこいい理想の男性だよ。他の人にどう見えてるかは知らないけど、少なくとも私はそう思ってる。見た目も、私の知る限りでは中身も、何一つ醜くない」
「……、スミレ様」
「私の言うこと、信じられない?」
呆然とするダールに微笑みを浮かべながら問いかければ、主人である菫の言葉を否定するわけにはいかないと思ったのか、「そんなことは、ない、です」という言葉が返ってくる。それに反して、ダールの首輪がぽう、と光を帯びた。そういえば、嘘を吐くと契約違反になるのだったかと思い出す。
もしかしてダールに罰が、と少し焦ったが、奴隷商人が主人の采配で魔術が発動すると説明していた通り、菫にその気持ちがなければ特に何も起こらないらしい。菫は思わず安堵の溜め息を吐いた。
菫の視線からダールも自身の首輪が光ったことに気付いたようで、青褪めつつ「すみません」と謝罪の言葉を述べる。別に罰するつもりはないから安心してほしいのだけれど、奴隷という立場上難しいだろう。
「大丈夫。いきなりそんなこと言われてもびっくりするだろうし、信じられないよね」
「……はい…」
「正直、私もこの国の人がダールのことを醜いと思ってるなんて、全然信じられないもん。こんなに凛々しくて素敵な人なのに、皆見る目がないなって思っちゃう」
「……りりしくてすてき……?」
「そう!だから、私の価値観をすぐに理解してもらうのは難しいかもしれないけど…。私がダールに酷いことをしようなんて思ってないことだけ、分かってて」
「……はい」
ダールはおずおずと菫の瞳を見つめた後、ゆっくりと頷いた。首輪は光らない。もしかしたら、これまでの菫の行動が多少はダールの信頼を勝ち取ったのかもしれない。
◇
「おお……。かっこいい…」
菫は目の前にある究極の美の集大成をじっくりと見つめて、恍惚とした表情でそう呟いた。目の前の見目麗しい男――言わずもがなダールである――は、気恥ずかしいのかきょろきょろと視線を彷徨わせつつ頬を赤らめている。やはりイケメンの照れ顔は良い。菫は頷きながら、自らの手腕に感謝した。
「…このような髪型は久しぶりで、落ち着かないです」
そう言って、ダールは短くなった前髪や後ろ髪にそわそわと指先を這わせた。――そう、菫は念願だったダールの散髪を成し遂げたのである。勿論整容師を呼ぶことはできないので、菫自身の手によって。不器用なりに大変慎重に細かく切り進めていったのが功を奏し、凡そ期待通りの出来となっている。素晴らしい。
ダールは奴隷になってからは奴隷商人の指示で散髪しておらず、冒険者であったときは自分で適当に切っていたことから、あまり短い髪型はしてこなかったのだという。幼い頃は母親が切ってくれていたために短い髪型もしていたようだが。
菫としてはダールのような雄々しい顔立ちの男は短髪である方が好みなので、以前よりも益々ドストライクになったダールに対し口元が緩むのを抑えることが出来なかった。恐らくにやにやと見るに堪えない顔をしていることだろう。
菫は緩み切ってしまった表情筋を撫でながら、そういえば自身の顔は顔面偏差値どのくらいなのだろう、と考えた。ダールのような彫りの深いイケメンが醜男というのであれば、薄い顔が好まれるのだろうか。それとも、筋肉隆々と正反対の丸々と太った容姿が好まれるのだろうか。
奴隷商人はダール以外の奴隷たちを「見目の良い」と表現していたものの、正直菫としては全員似たり寄ったりの日本人顔であまり特徴がある顔立ちをしているとは思えなかった。奴隷の中では、という前置詞付きでの見目の良さだったかもしれないと考えると、奴隷商人の言葉はあまりあてにならない。一般的に悪くはないのだろうが。
菫自身は元の世界では良くも悪くも普通、まあ笑っていれば愛嬌があるけど特別印象には残りにくいかな程度だったので、きっとこちらでもそのくらいと思った方が良いだろう。普通顔は美醜逆転したって普通なのだ。いっそダールに聞けば教えてもらえるのだろうが、ダールに「普通です」と言われたら事実とはいえそれはそれでショックなので、やめておいた菫であった。