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とある男子高校生達の話


「なあ、仲本の様子、見に行く?」

「サッカーボール蹴ろうとしてボールに乗り上げて転んで保健室に担がれた、仲本?」

「説明乙。久々にあんなに盛大にこける奴、見たわ。まー、角度は悪かったよな」

「体育の授業、後半潰れるかと思ったのに残念」

「女子に格好いいところを見せようと思った罰だね」

「お前ら、心配してねえな」


 一つの机に集まった男子高校生四人組が、好き勝手に喋っている。


「心配ならしてるって。でもあいつ、こないだ手が当たって落ちた俺の筆箱踏んで『そんなところに置くのが悪い』とか言い放ちやがったし」

「あー、俺様だもんな」

「俺らの中で、一番あいつが図太い。悪いヤツじゃないけどさ」

 みんな揃って頷き合って、同時に吹き出す。


 昼休み開始十五分。

 弁当もパンも食いつくし、あとはパックに入ったジュースをゴミ箱に入れるだけ。

 四人は顔を見合わせ、立ち上がった。

 楽しいことは早い方が良い。


 窓から見える空の色は、熱を湛えた深い青。

 空気は湿度を含んで重く、体温に近い気温は人の限界を試しにきている。

 元気がいいのは蝉とラジオ体操の掛け声くらいだ。


 これは、そんな県立高校一年生の夏のある日の話。

 





 保健室は、中央棟一階にある全体職員室の、さらに奥にある。

 比較的涼しいエリアだからか、先生に会いに来る変わり者が多いのか、職員室前の薄暗い廊下は人の姿が多くあった。

 保健室に向かう四人は、なんとなく落ち着かない気持ちで廊下の端っこを歩く。


 ふと、店屋物の弁当を手にしたクラス担任の顔を見つけた。すかさず、

「せんせー、仲本の様子、どうっすか」

 声をかけると、顔を上げた教師が、「おう」と弁当を軽く上げた。


 ちなみに彼は、水泳選手のような逆三角形のいい体をしているのに、担当科目は体育ではなく英語だ。本人談では外国の女性にモテモテ(死語)らしい。


「仲本? 顔を見に行くのか。お前達、仲良しだなあ」

「でしょ。あいつ、午後の授業はどうするんですか」

 もうワンサイズ上を着た方がいいんじゃないと突っ込みたくなるぴちぴちのポロシャツを着た教師は、生徒の問いに顔をしかめた。

「もしかしたら骨にひびが入っているかもしれないって保健室の先生が言うから、病院に連れて行ってもらえるよう保護者の方に迎えを頼んだわ」


「え、本当ですか」

「マジか。笑っちゃって、悪かったかな」

 四人組が顔を見合わせ、しゅんとする。


 そんな素直な生徒を見おろし、先生は呵呵と笑った。


「ご両親は都合で来られないそうだが、お姉さんが来てくれるらしいから、今日中には結果がわかるだろう。お前達が深刻にならなくても大丈夫だよ」


 大きく快活な教師の声は、四人の不安を吹き飛ばす安心感がある。

 教師というより親戚のお兄さん、のような相手は、時々大人の余裕を見せるからちょっと悔しい。


「それにしても、お前達にも仲間を心配する優しさがあったと知って、先生は嬉しいよ」

 そう言って頷く先生に、

「なんすかそれー」

「先生、俺達のことなんだと思ってんの」


 照れ笑いと共に更なる褒め言葉を待つ生徒達だったが、青年教師は「じゃあ、昼飯食うから」とさっさと職員室へ入って行ってしまった。


 ……昼ご飯は大事だ、うん。


「とりま、保護者が迎えに来てくれるんなら大丈夫だよな」

「うん」

「仲本の姉ちゃんか。柔道と空手やってて、電車で痴漢を捕まえたらしいぜ」

「俺、髪は紫と緑で、ピアス穴が両耳で十二個もあいてるって聞いた。腕には刺青も入ってるんだって」

「外国人のバックパッカーをアパートに泊めて、酒盛りして騒いでたらご近所さんに怒られたんでしょ。国際自動車免許、持ってて外国に行くのが趣味だって」


 職員室から保健室までは角を曲がればもうすぐだ。だが。


 全員がいったん足を止めて、出てきた情報に顔を見合わせた。


 総括。

「仲本の姉ちゃん、キャラ濃いなー……」

 




 たどり着いた先、壁にくっついている長方形の白いプレートを見上げた。

 黒文字で「保健室」と書いてある。

 この場にいる四人の誰も、入学式からこっち一度も世話にはなっていない場所。

 もちろん足を踏み入れたことなどなく、ドアを開けるのは勇気がいる。


「俺、保健室の先生の顔、知らないんだけど。病人以外は入るな、とか言われないかな」


 四人はスライド式のドアの前で立ち止まり、ドアを開ける役目を互いに視線で譲り合う。


 保健室の世話になったことがない、ということは、ここから先は未知の世界。

 そして、未知の世界に足を踏み入れる第一歩は自分じゃなくてもいいのではと考える、日和った若者四人がここに。


「保健室の先生って、どんな人?」

「知らねえよ。女だった気がするけど」

「中学校の保健室の先生はお姉さんで、優しかったよ」

「ここは高校だっつの。それに俺らは仲本の見舞いっていう名目があるんだから、出て行けとは言われないだろ」

「そうだといいけど。つーか、これ、教室にいる時点で話し合っとくべきことじゃね?」

「今さらだよ、今さら。ほら、ドア、開けろ」

「お前が開けろよ」

「いや、お前が」

「うるせーな、じゃあ、俺が」

「どうぞどうぞ」

「ダチョウ倶楽部じゃねえんだぞ」

「古っ」

 などと、くだらない攻防戦が繰り広げられ、ついにドアを五センチほど音もなくスライドさせたとき。


「なんで来るんだよ。来なくてよかったのに」


 ぶっきらぼうな仲本の声が聞こえて、四人は瞬時に固まった。






「俺は頼んでねーし」


 俺達に言ってる? と互いに視線で確認し合うも、誰も答えを持っていない。


 しかし、一拍の間を置いて、

「でも(あおい)、一人で歩けないでしょう」

 カーテンに仕切られた向こう側から、優しそうな女性の声が聞こえた。


 四人はほっと肩の力を抜く。

 ひとまず、自分達が迷惑がられたわけではなさそうだ。

 では、仲本に迷惑がられている彼女は。


「自分で帰れるし。姉ちゃんはさっさと帰れよ」

 なるほど、先生が言っていたお姉さんか。

 オチがすぐわかる推理小説のように、余裕をこいて四人は薄く開いたドアから中を覗き込んだ。


「先生には、病院に行った方が良いって言われてるから」

「だから、下校途中で整形外科に寄るから」

「あなた、その足で寄れるわけがないでしょう。意地を張ってないで」

「姉ちゃんが来るより百倍マシ。余計な心配しないで帰ってくれよ」


 苛立ったようなその声に。


 音がしないドアを音がするほど勢いよく開けて、四人は保健室の中に入って行った。


「仲本! そんな言い方ないだろ! せっかくお姉さんが来てくれたのに」

「そうだよ。柔道や空手をたしなんでて、痴漢の捕縛経験もあって、髪がカラフルでピアスホールめっちゃあいてて、ええと、あと、外国人にも優しい国際運転免許持ちのお姉さんとはいえ!」

「いや、マジで仲本の姉ちゃんって何者?」


 しゃっとカーテンを開いて、まず目に入ってきたのはベッドに座った仲本。

 ぽかんと口を開けた間抜け面は、飼育員の邪魔をするパンダの動画と同じくらい面白い。


 一方、ベッド脇には、スニーカーに薄緑色のワンピースをあわせた女性が立っていた。

 すらりとした体型と切れ長の目元が仲本によく似ている。


 彼女は長い睫毛を瞬かせて四人を順番に見つめると、何事もなかったかのように、

「どうも、はじめまして。蒼の姉の妃奈子(ひなこ)です」

 艶やかな濃いブラウンの髪が、肩から流れ落ちる。


「あ、どうも」

「俺達、クラスメイトっていうか、友達っていうか、悪友っていうか」

「クラスメイトです。それ以上でもそれ以下でもありません」

「仲本君にはお世話になってることはないともいえないけれど、どっちかというとお世話をする側です、俺達」

「おい、お前ら、俺の見舞いに来たと正直に吐け!」

「仲本、やっぱり見舞いに来てほしかったんだな」

「うっせー!」


 男子高校生のくだらないやりとりに、くすっと妃奈子が笑った。

 それはもう、可憐な笑み。

 おまけにそことはかとなく保健室に大人の女性の香りが(雰囲気的にも嗅覚的にも)漂っている。


「いや、そうじゃなくて! さっきの何!」

 我に返った仲本が、四角く囲まれたベッドの中から元気よく怒鳴った。


 不安や苦痛など一切感じられない病人だ。

 仲間達は安心して怒鳴り返した。


「何はお前だろ! 妃奈子さん、どう見ても俺らが聞いたお姉さんじゃない!」

「なに想像上のお姉様、語ってたんだよ! 嘘つかなくていいだろー」

「うちの姉ちゃんなんか、ごく普通の大学生だよってほっとしてたのに」

「ほっと……?」

「え、キャラ濃すぎだと逆に近づきたくないだろ」

「ええ、そうかあ?」

「そこ! どうでもいい会話すんな!」

 仲本がぼふっと白い掛け布団を殴った。

 顔が真っ赤になっている。

 

 何がどういう理由で赤くなっているのか、からかうべきか否か。

 四人は真剣に考えた。が。


「あの、全部、うちの姉のことです。私達、五人姉弟なので」

 麗しの妃奈子お姉さんが、苦笑という名の微笑みを浮かべて割って入った。


「……大家族」


 その呟きが誰のものだったのか。

 え、本当に? と確認する言葉さえ出てこず、いきなり保健室は静かになった。


 その凪の海より静かな空間で、妃奈子が指折り教えてくれた。


「長女の冴子は昔から体を動かすことが得意で、今は警察官として働いています。三女の紅美子は美容師のせいか髪の色がくるくる変わるし、アーティスト気質で自分の体も芸術の一部と自認してるみたいです。四女の百合子は資格マニアで、今は大学生をしながら塾で英語の講師をしています。暇があると外国に遊びに行っちゃうんですよ」


 なるほど。

 要素が一人に凝縮されて入たら設定の大渋滞だが、三人で分ければまあ、そういう人達もいるんじゃない、と納得できる。……かもしれない。


「それで、妃奈子お姉さんは」

「私は次女で、普通の主婦です」

 にっこりと微笑むその美しい女性に、四人はほうっとため息をついた。


 説明が少ない方が安心できるって、そういうこともあるんだなあ。

 普通っていい。


「世界長者番付に入ってる旦那の妻が、普通の主婦なもんかよ」

「あら、道に迷ってた彼がたまたま億万長者だっただけよ。親切はするものよねえ」


 普通じゃなかった。


「……お前んちの姉ちゃん、ほんと濃いな~」

 誰かの呟きに、仲本姉弟以外全員が頷いた。






 ふと、時計を見ると昼休みの残り時間は刻一刻と終わりに近づいている。


 一人が一歩、前に出た。


「でもさ、仲本。さっきの言い方はないと思う。お姉さん、せっかく迎えに来てくれたのに、帰れとか言われたら寂しいよ」


 しんみりとした声の調子に、仲間達は順番に頷いた。

「そーだぞ。自分のことを大事にしてくれる家族は大切にするもんだぞ」

「そーだ、そーだ」


 いっせいに囃し立てられ、仲本の眉間にぐぐっと皺が寄った。


「俺は悪くない」

 仲本はそう吐き捨てると、頬に手を当てて成り行きを見守っている妃奈子を親指で指差した。


「姉ちゃんは、つい昨日まで悪阻でげーげー吐いてたんだよ! それ見てたら、車に乗ってここまで来るだけでもマジ怖いの!」


「つ、わり」

「妊娠中に現れる症状だね」

「知ってるわ!」

 誰かの説明に誰かがつっこみを入れる。


 言葉では知っているけれど、実際にそれを見たことのない男子高校生四人は、恐る恐る妃奈子を見た。


 視線の先の自称『普通の主婦』は、ぱちぱちと瞬きをすると、

「今朝から急にすっきりして、ほとんど大丈夫なのよ」

「その『ほとんど』が怖いんだって!」


 仲本が抗議すると、妃奈子がピンク色の唇を尖らせた。


「私、せっかく家に帰ってきているのに最近、みんなのために何もできなかったから、今日くらいみんなが忙しいときに、家族の力になれたらって思ったんだけど」

「帰って来てるのは悪阻がひどくて、ご飯作るのも食べるのもままならなかったからだろ! 今くらい自分の体を大事にしろよ」

「それは、そうだけど……」


 俯いた妃奈子に、悪友達は一斉に仲本にブーイング。


「あー、お姉様の善意を踏みにじったー」

「仲本が悪い」

「可哀想。もうちょっと、言い方ってあると思うぞ」

「あー、もう、うるせー」


 しかし、舌打ちした仲本が「お前ら、さっさと帰れよ」と言う前に。


「君達がうるさい。昼休み、終わるよ。さっさと教室に帰りなさい。仲本君、鞄を預かって来たから」


 保健室のスライドドアを開けて入ってきたのは、よれた白衣を着た、黒縁眼鏡の保健医。

 黒いシャツにスラックス姿、短い髪は一瞬男かと思うが、声は女だ。たぶん、女。


「あ、ありがとうございます」

「お世話になります」

 仲本家の姉弟が頭を下げると、「いえいえ」と妃奈子にだけ言って、じろりと四人の健康優良児を見た。

 その目は明らかに「まだ何か用が?」と言っている。


 四人の仲間達は、すごすごと保健室から出て行った。






 廊下を走ってはいけません。


「仲本の姉ちゃん、綺麗だったな」

「他の三人、見てみたいな」

「とりあえず……仲本、大丈夫だといいな」

「うん」

 競歩と言えなくもない速度で廊下を進んだ四人は、チャイムの音と同時に教室に滑り込んだ。


 いつでも張り切っている蝉の声が、いっそう強く午後の教室に響き渡る。

 窓から吹き抜ける温い風に乗って、先生が午後の授業の開始を宣言した。




 翌日、「骨、折れてなかった。でもひどい捻挫だって」と松葉づえをついて教室に入ってきた仲本に、仲間達はいつも通り「おはよー!」「良かったなー!」「良かったのか?」と返した。


「お迎えは結局、妃奈子さん?」

「妃奈子姉ちゃんのお抱え運転手が運んでくれたから、超安全運転だった」

 

 そんな、どこにでもある男子高校生の話。


【了】


ありがとうございました。

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