六話『賑わいも消せない沈黙』
「あっ、ちょっと待てよ」
俺が研究所に向かおうと、玄関ドアを開けてその先へ一歩踏み出そうとした時。
あることを思い出した。
「…………見学会、申し込みしてない」
研究所の見学会の申し込み忘れである。
元々、研究所の見学会を利用して、怪しいところがないか確かめようとしたはずだった。
「これじゃ、行っても門前払い……」
けれど、その前提となる見学ができないという極めて致命的なミス。
俺はドアノブを持ったまま、一時停止。
「……帰るか」
一歩も足を進めずにゆっくりとドアを閉めた。
※ ※ ※
俺は、研究所の見学会への申し込みを忘れるというヘマを犯した。
それは、もちろん俺を落ち込ませる。
「風が涼しいぃ~! このゲーム、やっぱ最高だっ」
「そうだね、気持ちいい…………」
落ち込ま…………
「ここにキノコが生えてるぞ! 食べれるかな?」
「さすがにそれは……」
落ち…………
「うまいっ!」
「食べちゃった……!?」
落ち込ませることはなかった。
いや、落ち込んでいるんだけど。ヤケになっているというか。
見学会まであと二週間。これはどうしようもないわけだし。
――――というわけで、俺はつぐもと例のVRゲームで遊んでいる。
今なんか、珍しいキノコ食べちゃったりしてええええああええええ!?
「あ、ああ」
なんか、くらくらしてきた。
瞼が重くなって、視界が暗くなる。
そのまま、辺りは暗闇に包まれた――――…………。
※ ※ ※
「あっ」
どうやら、バーチャル世界から戻ってきたようだ。
――――憑依、はしてない。よかった。つぐもは……
隣を見ると、つぐもの“体だけ”がそこにある。
……これどっからどう見ても寝てんな。
改めて見ると、目の前のつぐもは寝ているだけにしか見えない。
俺も憑依してる時、寝てるか気絶してるかだからこんな感じなのかな。
「…………いや、そうじゃなくて」
先までゲームを楽しみ、にぎわっていた部屋は今では静か。
その静寂によって正気を取り戻した俺。
俺が憑依しているときの様子なんて考えている場合じゃなかった。
「…………気まずい」
つぐもに注意喚起をされていたにも関わらず、(ゲーム内で)死んでしまったことへの罪悪感。
このゲームの欠点として、一人のプレイヤーが死んでしまうと、復活するためには他のプレイヤーまで一度その世界から出ないといけないという欠点がある。
そして、一度世界から出るという行為はそれまで感じていた没入感を台無しにしてしまう。
…………つぐもの楽しみ、邪魔しちゃったかな。ああ、やっちゃった。
「ん……ふあ……」
隣で、動く物影。
それは、俺の方を見つめて……
慣用句ではなく、ムッと目を細めて……
そして、口をつぐむ。
「すみませんでしたあああああ!!!」
「……いや、いいよ。気にしてないから。早くまた行こう?」
「お、おう」
――――なんか……俺のほうが子供みたいになってない……? つぐも、さん……?
※ ※ ※
つぐもとゲームを楽しむだけ楽しんだ後。
休んでいた学校へ登校することにした。
「よう、ゴビ! 久しぶりだな。何してんだ?」
そんな久しぶりの登校の最初を飾るのは、『ネーム魔』こと、名織南陽。
ホームルーム前の教室で、席で一息つく俺を呼び覚ます。
「『ゴビゴビマン』、俺がいない間に結構、省略されたなあ」
「おう! ……で、何してたんだ?」
「…………」
――――あえて言わなかったんだけど。言えないって。憑依とか、つぐものこととか。いろいろあるんだよ。
「……で、何してたんだ?」
「3回も言わなくてもいいわっ!」
「逆に三度も言ったんだから、答えてくれてもよくないか?」
「人には他人に言えない秘密というものがあってだな……」
「まさか、かの……」
「それ以上は言うなよ?」
「ふーん、まあ、言えないなら仕方ないな」
「なぜ1回目でそれを言わない?」
そんな、懐かしい…………いや1回しかしていないし、そこまで昔のことでもないやり取り。
「…………」
そんな中、俺の隣の席に沈黙を貫く存在がいた。
「……楓?」
蓮元楓。俺の幼なじみで、いつも気さくに話しかけてくれる唯一の女子。
しかし、今日は話しかけてこない。
何度もチラリとこちらを見ているのに、話しかけてくる気配はない。
明らかに普段と違う様子。
…………あのことか。
それが何故かは理解できる。
楓は、名織に相談していた。
でも、その名織には俺が憑依していたんだ。
『うん……そうだよね。話してくれる……よね、示杞は』
そのときの楓の言葉を思い出す。
きっと、楓がこの様子なのは俺が何も相談しないで、学校を休んでいたから。
わかっている。わかっているけど。
…………言えない。
知っているから。彼女が求めているものを知ってしまっているから。
それには応えられない。俺には、やるべきことがあって、それをやめるわけにはいかないから。
俺は、話しかけられなかった。
ホームルーム前の活気に満ちた教室の声も、俺と楓の間にある雰囲気をかき消してはくれない。
――――何もできないまま、教壇に先生が立つ。ホームルームが始まっても、俺の頭の中にあったのは楓の憂いと心配の表情だった――――