三十九話『天まで届け、千の花』
――――”彼”らのいる部屋の外。
千花は地上へと続く階段を上っていた。足を引きずり、頭から血を流しながら、それでも一歩、一歩と。
「…………ここまで来れば大丈夫かな」
彼女が辿り着いたのは、総理官邸の前庭。
彼女が地下から出てきた途端、彼女の体は糸が切れた人形の如く膝をついた。かろうじて手で体を支え、頭を地面にぶつけることは避けられた。
だが、千花の能力に限界が近づいていることに違いはなかった。
「せっかくの勝利に、悲しみは要らない」
千花がここまで来たのは、『奪回者』の者たちに今の自分を見せないため。何とか、皆のいないところまで歩いてこれた。安心したのか、体を支えていた手からも力が抜け、うつ伏せに倒れた。
「……君たちが見るのは、私が咲かせた花だけでいい」
千花は力を振り絞って、仰向けになって、空を見る。
暗雲が晴れた、どこまでも遠くを望めるような青い空。それをどうしても見たかった。
「よかった、これなら見えるよね」
空に向かって徐に手を伸ばし、語りかける。
「ねえ、桃李」
お互いに支えあった存在に。
お互いに助けられた存在に。
彼にどうしても伝えたい思いがあったのだ。
「ちょっとだけ、嘘ついたよね」
千花は、胸のあたりから一輪の花を取り出す。
それは、かつて桃李にもらった花束のうちの一輪。
『この森にある花だ。町には買いに行けないからな』
『略奪者』の監視がどこにあるかわからない以上、町へと容易には行くことはできなかった。
そのために、森にある花から作られた花束だった。
「だって、私この花、あの森で見たことないもん」
だが今、千花を持っている花だけは違った。
「私が怒るって思ったかもしれないけど、すぐ気づいたから」
花束を受け取った後日。
彼女は『奪回者』拠点の入り口でとあるものを見た。
『………………?』
そこで見たのは、植物を育てていた跡がある植木鉢だった。
「あのときのも、きっと」
その植木鉢はこの一つの花を花束に加えるために用意されたもの。
その花は『奪回者』の拠点にはなく、彼自身で育てるしかなかった。
だって、これから成し遂げる千花に、その花はぴったりだったのだから。
「ずっと、私の成功を夢見てたんだよね」
――――その花の名は、グロリオサ。
根本から先端にかけて橙色と赤色の炎のようなグラデーションの花弁が反り立っている。
その花言葉は『栄光』。
『奪回者』を導く灯火のような花姿。
千花が夢見た『栄光』を意味する花言葉。
千花を思い、千花の目標が達せられることを祈って彼はこの花を千花に送った。
「…………最後くらい、私のわがままに使ってもいいよね?」
千花に残ったほんのわずかな能力。
それを彼女は使う。
最早、立つこともできず仰向けになるしかない今だけど。
自らの栄光を望んでくれた彼に届かせるために。
「見てて」
能力を行使した瞬間。
前庭の地面から茎が現れる。
その茎は、千花を囲むようにして空へと昇る。
茎の上部にグロリオサの花を咲かせる。
千花が仰向けになっている地面にも草花が芽吹いていく。
彼にもらった花束を思い浮かべて。
「ねえ、桃李。見えてる? 私ちゃんと咲けたよ。桃李が望んでくれた私の夢、叶ったんだ」
そして、伝える。
「だから、安心してね、桃李」
先に逝ってしまった彼と共に喜べるように。
千花の現在を知ることができない彼に安心してもらえるように。
彼女は、最後の能力を行使した。
「私も、そっちに行くから」
だから、もう。
千花が生き長らえることは、できない。
延命をしていた能力は、この世にはもう存在しない。
とうに限界を迎えていた体は崩壊していく。
体の部位が粒子となって散っていく。
でも、彼女は成し遂げた。
それ故に後悔はない。
「…………」
あるとすれば、それは――――
「――――森ノさん!」
――――ここまで共に戦ってくれた仲間たちに別れを告げられなかったこと。
グロリオサで囲まれた空間の外から”彼”が千花を見つける。
千花は自らの意思で、悟られないようにここまで来たはずなのに。
やっぱり彼女の中で心残りがあった。
「皆、こっち!」
”彼”は千花を探していた『奪回者』の人たちを呼ぶ。
『奪回者』の人々は焦った様子でやって来た。
千花は徐に『奪回者』の人たちのほうに顔を向ける。
「…………皆」
「森ノさん! どうして、黙ってたんですか!?」
「ごめん……せっかくの勝利を邪魔したくなくて」
「森ノさんの容態の方が大事ですよ!」
「ああ、でも――――」
勝利を邪魔しないように、最初はそう思っていた。
けれど、『奪回者』の人たちを見て、千花は思いがこみ上げてしまった。
「――――やっぱり、来てくれてよかった」
「! ……いつもそうですよ。森ノさん。そうやって、突っ走って桃李さんとかに止められるんですから」
行動と異なる言動をする千花に文句を言うかのような『奪回者』の人の言動。
だが、彼らの目からは堪えきれなかった涙が零れ落ちていた。
「でも。そんな森ノさんに、私は、私たちは助けてもらったんです」
『奪回者』の人々。
その中には、『天の癇癪』で家族を失った人も多くいる。
そんな苦境の中、千花が支えとなってくれた。
「もう少しで言えなくなるところでした。これだけは言わせてください」
その大切な人に、彼女らが伝えること。それは――――
「私たちはいつまでも、森ノさんのことが大好きです!」
――――最後の親愛の言葉。
「っ。私も、皆がいてくれたからここまで来れた……」
だけど、それは千花も同じで。
お互いに支えあってこの時に辿り着いた。
だから、千花が口にする言葉もまた。
「私も、皆のこと。大好きだよ……」
千花から『奪回者』の皆に対する愛情である。
「森ノさん……!」
仰向けになった千花を抱え込む『奪回者』の女性。
「本当に、ありがとうございました…………!」
抱え込んだ体に触れている感覚は薄れて、目の前にあった千花の顔も粒子となって舞っていく。
でも、最後に『奪回者』の人々の目に映った千花の表情は、涙を流していても、どこか満足げで安らいでいた――――
「…………ぇ」
――――目の前で、千花の体が完全に形をなくした時。
体を構成していた粒子が光り輝きながら空へ昇っていく。
それに導かれるかのように、あらゆる方向から輝く粒子が集まっていく。
「…………お父さん?」
それが、何であるかは『天の癇癪』の被害者の家族には理解できた。
『天の癇癪』の被害者の魂。
『偽神』の能力によって行き場のなくした魂。
千花の残した粒子がその魂を誘った。
「あ、ああ…………」
それを見た、魂の家族はもう会えないことを実感して悲しくなって、それでも嬉しくなった。
会えないと思っていた彼らを最後に見ることができたのだから。
「…………本当に、助けられてばっかですね」
手元には、千花の服。周囲には千花が咲かせた花たち。
先ほどまで千花が倒れていた場所は、千花の血でグロリオサの如く赤く染まる。
そんな、桃李の送った花束を象った花畑のような空間で『奪回者』の彼女は空を見上げ、そこにある太陽に照らされたグロリオサの花を見て言った。
「これからもずっと、立派な花ですよ。森ノさん――――」
こうして、『天の癇癪』及び『偽神』による『天罰』は幕を閉じた。
総理官邸の前庭に、”彼女”の栄光を示す花を残して――――




