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スイート×スイート  作者: 佐倉凛
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cake.1 はじまりのショートケーキ

 苺の香りが漂う三月のスイーツビュッフェに、佐藤紅花(こはる)は、一人で来ていた。

 多くの女性グループやカップルが各々の席で盛り上がる中、一人で。

 別に一人でいることが好きなわけではないし、浮いていることくらい自分でもわかっている。でも、これは仕方がないのだ。

 紅花は傍から見れば至って普通の女子高生なのだが、一つ大きな問題があった。

 それは、極度のケーキ好きであるということ。

 今日だって、三人の友人に声をかけたのにも関わらず、全員に振られていた。以前ここのビュッフェに連れてきたときに、たくさん食べてしまったのが失敗だった。

 今も紅花の前には十種類以上のケーキが並んでいる。友人がこの場にいたら、また引かれていただろう。さみしい気持ちを振り払って、持ってきたケーキを眺める。

 右から、エクレール、ロールケーキ、シュークリーム、プリン、チョコレートケーキ、タルトレット、モンブラン、パウンドケーキ、ムース、トルテ、フロマージュ……。

 このすべてに苺が使われているが、それは今日から春の苺フェアが行われているためだ。

 店も前来たときより客で賑わっている。前回は何もないときに来たけれど、やはりフェアの力は大きいらしい。

 余計に、一人でいることが寂しい。

 でも、ケーキを前にそんなことは言っていられない。辛いことも、悲しいことも、全部ケーキが幸せな思い出に変えてくれることを紅花は知っている。

 だから、紅花はケーキが好きだった。

 気を取り直して、何から食べようか少し考えたのち、順番に一口ずつ食べてみることにした。

 まずは、ピンク色のチョコレートがかけられた見た目から可愛らしいエクレール。中には苺のカスタードクリームがたっぷり入っている。可愛らしい見た目を裏切らない甘さで、一気に幸せな気持ちになれてしまった。

 次に手に取ったのは、ふわふわとした生クリームの中に大粒の苺が寝そべるロールケーキ。先ほどのカスタードとは打って変わったさっぱりとした生クリームに、苺の甘酸っぱさがよく映えている。

 そんな風に、一つ一つ丁寧に味わいながら食べ進めていった。

 ひとつだけを残して。

 それは、スポンジが生クリームでコーティングされた、ごくごく一般的なショートケーキ。

 数ある個性的なケーキの中で、どうしてこの一番シンプルなケーキを最後に取っておくのか疑問に思う人もいるだろうが、答えは簡単だ。紅花の一番好きなケーキは、ショートケーキだからである。

 紅花は、くまのお店でショートケーキを食べてからずっと、ショートケーキが一番好きだと主張してきた。今日だって、これを目的に来たようなものだった。

 実は前回、友人に引かれてしまったショックで、紅花はショートケーキを食べ損ねている。つまり、待ちに待ったショートケーキなのだ。

 緊張で少し震えた手で、ケーキを口に運ぶ。

 軽く息を吐いて口に含んだ瞬間、スポンジのバターの香りと、生クリームの上品な甘さ、苺の甘酸っぱい刺激が混ざり合って、広がって、溶けた。

 ──なにこれ。

 紅花は驚いた。

 なぜなら、味がくまのお店のショートケーキにそっくりだったからだ。

 口の中で、一瞬で消えてしまうような儚い味。忘れるわけがない、あの味。

 見た目はビュッフェ用に小さくアレンジされているけれど、味は間違いなくあのお店のものだった。

 ──でも。

 簡単には信じられなかった。あのお店がなくなってしまったのは、店主がもう体力的に続けられなくなってしまったからだろうと勝手に思い込んでいたからだ。紅花は、幼い自分にケーキを運んできてくれた老シェフの優しい笑顔も、しっかりと覚えている。つまり、あのシェフのケーキをもう二度と食べられないと思っていたのだ。

 確かめるように、二口目、三口目、と口に含む。

 どれだけ食べても、あのお店を思い出すだけだった。

 ──これが本当にあの店のケーキだとしたら、あの老シェフにも会えるのだろうか。

 紅花にとって、ケーキを好きになるきっかけをくれたショートケーキを作った人に会えることほど、嬉しいことはない。

 突然の奇跡にいてもたってもいられなくて、ケーキを持ったまま席を立った。

 

 

 たくさんのケーキが並ぶショーウィンドウを横目に歩く。

 誰かがケースを開けるたびに漏れる甘い匂いがたまらない。

 つい食べたい衝動に駆られるが、なんとか持ちこたえる。

 紅花は、己の食欲と戦いながら、手にしているショートケーキを作った人物を探していた。

 ──会えたら、なんて伝えよう。

 そんなことを考えていたとき、コックコートを着た、一人のシェフの後ろ姿が目に入った。ほんの少し躊躇ったのち、声をかける。

「すみません」

「はい。どうされましたか」

 紅花は、声をかけられて振り返る彼を見て息をのむ。

 少し長めの黒い前髪から覗く目が、すごく綺麗だったからだ。高校生くらいだろうか。紅花の学校にいたら間違いなく、イケメンだと騒がれているだろう。

「このケーキを作ったシェフを知りませんか」

 はやる気持ちを抑えて尋ねると、彼は一瞬だけ目を大きくひらいて、こう答えた。

「それは、僕が作りました。もしかして、お気に召していただけませんでしたか」

 心配そうな表情もまたかっこいい……。でも、そうじゃなくて。

 ──作った? この人が?

 紅花は驚いた。

 探していたのは老シェフなのだから当然だ。間違っても、高校生ではない。

 どうにか彼に伝わるように、懸命に説明しようと試みる。

「実は私、このケーキを前に食べたことがある気がして、確認したくてシェフを探していたんです。でも、あのとき私が食べたケーキを作っていたのは……」

 ここまで言って、口を閉じる。強い視線を感じた。

 顔を上げると目の前の彼が、紅花の目をじっと、鋭く見つめていた。ただでさえ回っていなかった頭が真っ白になって、紅花も、何故かじっと見つめ返してしまう。

  そのまま睨み合う形になった。

 ──うわあ。こうして見てみると、本当にイケメン。

 あまりの美形に、耳がだんだんと赤くなっていくのを感じる。

 目の奥にも吸い込まれそうだった。

「もう無理。限界!」

 負けたのは紅花の方だ。悔しくて、顔を逸らす。

 すると、彼が、笑いを堪えきれないと言うかの如く口元を手で覆って肩を震わせ始めた。

「いや、ごめん。君があまりにもおもしろくてさ」

 声まで震えている。そんなに大笑いするほどおもしろいところなんてあっただろうか。

 笑った顔がかっこいいのが、またずるい。

 彼はひとしきり笑って、ふぅと落ち着かせるように息を大きく吐いてから、私に、こう尋ねた。

「ねえ、このケーキを食べたことがあるって言っていたけれど、どこで食べたの?」

 気持ちがほぐれたのかいつの間にかタメ口になっているが、紅花はあくまでも客として、敬語で答えた。

「入り口にくまの置物があるケーキ屋です。昔のことなので名前まではわからなくて。あ、でも、二年くらい前にもう一度その場所に行ったときにはもう、お店はなくなっていました」

 話し終えると、彼は納得したように頷いた。

 その動作までかっこよくて、イケメンの恐ろしさを肌で感じる。

「それは、僕のおじいちゃんが開いていたケーキ屋だと思う。小さい頃からおじいちゃんによくケーキ作りを教わっていたから、味が似ていて当然なんだ」

 聞いて、なるほど。と思ったのと同時に、一つの疑問が浮かんだ。

 ──高校生でこの完成度。正直プロ級だ。この人は、いったいどれだけケーキに懸けているのだろう。

 知りたい。

「あのっ」

 彼に話しかけようとしたときだ。

「吉川~。悪いけどちょっと手伝ってくれ~」

「はい! すぐに行きます」

 厨房からの声に遮られてしまった疑問を、そっと、心の中にしまう。

「ごめんね。もう行かないと」

 彼は、申し訳なさそうに眉を下げた。子犬みたいだと思ったのは内緒だ。

「いえ、私こそ突然話しかけてすみません。ケーキの味が似ていた理由がわかってスッキリしました。ありがとうございました。あと、これすごく美味しいです」

 そう笑顔で告げて、紅花は席へと戻ることにした。

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