第九章
キキがデイビッドの家に戻ったのは、夕方のことだった。どのような顔をしてデイビッドとキャシーに会うべきか分からずに、延々と悩んでいたのだ。悩んでいても事は進まない、と決心するまでには随分時間がかかった。キキは勇気を出してランバートを抱え、デイビッドの家の扉を叩くと、応対したのはキャシーでデイビッドは運良く不在だった。
「キャシー」
「先程は、ありがとうございました」
五体満足なキャシーの存在に安堵の声を上げるキキに、キャシーは丁寧に礼を言った。キキは「そんなことはいいの」とお礼を切り捨てると、キャシーを押し込むようにデイビッドの家に入る。キャシーは「何かありましたか?」とあくまでも落ち着いた合成音声でキキに聞いたが、キキの方は落ち着いていなかった。とにかくキャシーを居間のソファに座らせ、隣に座ると単刀直入に話を始めた。
「デイビッドに暴力を振るわれているのではないの」
キキが聞くと、キャシーは驚いた顔もしなかった。
「わたしには守秘義務があります。どのようなことがあっても、デイビッドの許可なく、デイビッドとの会話や相互に取られたアクションについて、キキに話すことはできません」
「それは分かってる。質問が悪かった。あなたの故障はすべて人為的なものね?」
「答えはイエスになります」
キャシーはそれがなんでもないことのように、素直に頷いた。やはりドクトルは正しかったのだ。キキは心の中でドクトルへの評価を少し改めると、「あなたはここにいてはいけないと思う」、とキャシーに向き直る。
「それを決めるのは残念ながら、キキ、あなたではありません。わたしでもないのです」
キャシーが残念そうな顔を選んで表情を変え、眉根を下げると、キキはランバートを抱き直してため息をついた。こうなることは分かっていた。キャシーがデイビッドの持ち物である以上、キャシーがここを離れることはないのだ。キキが意気消沈していると、キャシーはそういえば、と立ち上がる。ソファを離れたキャシーが持ってきたのは何かの包みで、キキがそれを受け取り中身を見ると、それはトウモロコシだった。
「これは?」
「アンジーからです。キキを心配しているようでした」
キャシーは元の微笑に戻り、キキは袋の中身を二度見した。トウモロコシを見るのは久しぶりだった。トウモロコシを取り出してみると、ランバートがしげしげとトウモロコシを見、
「アンジー、キキ、スキ」
と甲高い声を出す。キャシーはそんなランバートを子供を見るかのような優しい目で見ると、「アンジーは確かにキキに好意を抱いています」とキキに言った。また、アンジーとランバートと出かけたときのような、もやもやとした感情がキキを襲った。人間のことは、総じて嫌いなはずだった。実際、この数日で自分の人生をこれほどまでに引っ掻きまわしたのも、全部人間のせいなのだ。それでもキキは、昔のようにそれらを無下に扱うことができなくなっていた。
「アンジーには謝ってくる」
冷静に考えて、理不尽だったのは自分のほうだ、とキキは思った。リソースの無駄遣いと非合理性は、キキの大嫌いなものだった。
キャシーがその言葉に微笑んだ瞬間だった。
ランバートがピーッ、ガーッ、という音を立ててキキの腕を飛び出し、よろよろとよろめいた後にボンッという小さな爆発音を出した。キキがびっくりして「ランバート?」と声をかけると、ランバートはゆらりと揺らいでその場に仰向けに倒れる。ランバート、と何度声をかけて揺さぶっても、ランバートは起きることがない。キキは今度こそ慌ててランバートを抱き上げようとし、その手を止めた。あんな複雑な機構の内部損傷であれば、動かさないのが一番だ。
「ドクトルを呼んでくる」
キキは短く叫ぶと、キャシーの返事も待たずに家を飛び出した。ドクトルがどこにいるのかは見当がついていた。この街でよそ者が滞在できるのは、『フライング・オッター』という酒場だけだ。『フライング・オッター』には粗末だが宿泊できる部屋がある。キキがそちらの方面に向けて駆け出すと、途中にアンジーの姿があった。アンジーはキキを認めるなりおののいた表情になり、急いで道を空けようとしたが、キキは先程のキャシーとの会話を思い出して少しだけ足を止めると、早口で言った。
「ごめん、今は説明している暇がないの。だけど、あとで話したいことがある。ついてきてくれて構わない」
目の前で止まったキキにおどおどとしていたアンジーは、その言葉を聞くなりぱっと顔を輝かせる。キキは言い切るが早いか既に駆け出していて、アンジーもその後に続いた。『フライング・オッター』には予想通りドクトルがいて、何やら街の者たちと大いに談笑していた。
「ドクトル」
「やあ、キキじゃないか。また会ったね」
キキが名前を呼ぶと、ドクトルはふと振り向いて、大袈裟な動作で両手を開いてみせた。キキとアンジーはその時点で肩で息をしていたが、「ランバートがまた壊れたの。今度こそ内部損傷だと思う」とキキはなんとか絞り出した。ドクトルはその言葉にやはり大袈裟に驚いてみせると、「それはいけない」と街の者たちに仰々しく頭を下げると、古ぼけたトランクを持ってキキとアンジーの間から『フライング・オッター』を出た。
「善は急げだ」
キキとアンジーは再び走り出し、ドクトルも小走りに後をついていく。デイビッドの家に着くと、デイビッドはまだ帰っておらず、中ではキャシーがランバートの様子を伺うようにしゃがみこんでいた。キャシーを見ると、ドクトルは少し眉を潜めたが、キキにもアンジーにもその表情は見えていなかった。
「動かさないのは懸命な判断だったね」
ドクトルはそう言うと大股でランバートに歩み寄り、トランクを開く。トランクの中には様々な工具――キキが見たこともないようなものも揃っていた――が入っていて、ドクトルはプラスドライバーを選んでくるくると手の中で回すと、ランバートの腹部パネルを開いて中の様子を伺い、すぐに険しい顔になった。その顔つきにキキが不安げな顔になり、それを見たアンジーも先行きを案じるような顔になる。ドクトルはうーむ、と顎に手を当てると、「深刻だね」とキキを見た。
「配線がショートしたようだ。そのときに一部のケーブルが焼け焦げてしまったようだが、このロボットに使われている部品は前にも言ったとおり、すべて旧世紀のものでね。端子が特殊だ。この街で手に入るような代物じゃあないんだよ」
「じゃあどうすればいいの」
キキは切羽詰まった様子でドクトルを見た。ほとんどすがるような顔で、ドクトルに対する強大な嫌悪感は既にどこかになくなってしまっていた。ドクトルはキャシーの話をしていたときと同様に真剣な顔で、「都市に行くしかない」と告げた。キキは言葉に詰まった。キキはこの街から、一度も出たことがないのだ。
「そこなら直すことができるだろう。弟子の話は一旦忘れてくれていい。ランバートを直しに行かないか」
キキは逡巡して、思わずアンジーを見る。アンジーはキキを見ると、「ランバートのためよ」と幾分落ち着いた声で言った。キャシーを見ると、キャシーも頷いている。ドクトルはその様子を見ると、「ランバートが直ったら、ここに戻ってくればいいんだよ」と優しい声を出したが、キキはだんまりを決め込んだままだった。
キキには、街を出ることができない理由があったのだ。




