第四章
「ビッグ・ハリー、入るよ」
キキはランバートを肩に乗せ、砂埃を落としたアンジーを引き連れて店に入った。『ビッグ・ハリーの道具箱』は、この街で唯一電子部品を扱っている店である。木で出来た店舗はしっかりと整備がされており、トタン屋根の上には『ビッグ・ハリーの道具箱』という文字を様々な電子部品を駆使して表現した(おかげで大変読みにくい)大きな看板が乗っていた。ドアを開けるとチリンチリン、とドアについた小さなベルが音を立てる。店は大きくはなかったが、この街から離れた場所にある都市から部品を取り寄せることもできたから、祖父とキキが懇意にしている店であった。店に入ると、ビッグ・ハリー(名前の通りとてつもなく大柄な男だ)はいなかった。代わりに、彼の助手を務めるアンドロイドのレミントンがいた。
「ビッグ・ハリーは朝早くに都市へ出かけていきました。なんでも、急ぎの用事だとか」
キキがカウンターに近づくと、レミントンはキャシーにそっくりの微笑でキキを迎えた。その後に続いたアンジーは、見たこともない電子部品の山にわぁ、と楽しそうな声を上げる。キキがアンジーを振り返ると、アンジーは陳列された基板に手を伸ばそうとしているところで、キキは慌てて「触るな」と短く叫んだ。アンジーは熱いものにでも触ったかのように、すぐに手を引っ込めた。
「電子部品はデリケートなんだ。人の手の油でダメになっちゃうことだってあるんだから」
キキが説明すると、アンジーは再び元のアンジーに戻ったかのように小さくなって「ごめんなさい」と言う。キキはため息をついた。どうしてこんなことになっているのだろう。
「キキにお友達とは、珍しい」
男性アンドロイド用の合成音声で、レミントンは楽しそうに言った。キキは「友達なんかじゃないよ」と訂正して、祖父から受け取ったメモをポケットから取り出す。レミントンにそれを直接渡しながら、キキはランバートをカウンターの上に置いた。ずっと肩に乗せていたので、肩が凝ってきたのだ。とはいえ、ランバートの二足歩行は極めて遅い。何か専用の鞄でもあつらえるべきか、と考えているところに、素早く注文された部品を集めてきたレミントンが戻ってきた。
「随分旧式のロボットですね。しかし顔認識システム、音声認識システム、及び発声機構がすべて搭載されているようです」
「ランバートっていうんだ。簡単なものだけど人工知能も搭載されている。さっきなんて、わたしを乱暴な奴らから守ろうとしたんだ」
あれには驚いた、とキキは思う。通常、ロボットやアンドロイドたちは命令を受けない限り活動することがない。何かを行う場合は、たいてい主人の許可を求めるものである。それに比べ、ランバートは自由奔放で、それはどこか祖父を思い起こさせた。
「キキを守るように、プログラミングされているのでしょう。お祖父様がお造りになったものではないですか」
レミントンの言葉に、キキは頷く。それにしたって、そのプログラムはキキに余計に面倒ごとを抱え込ませていた。ちらりと振り返ると、立ち直ったらしいアンジーはきょろきょろと辺りを見回している。キキは何度目かも分からないため息をついて、レミントンから必要な部品の入った紙袋を受け取ると、財布から丸いキラキラしたディスクを何枚か取り出した。レミントンは受け取ったディスクの数を数え、「たしかに頂戴しました」と再び微笑するように顔を変える。
「それじゃあ、またね」
ランバートは抱きかかえることにして、キキはレミントンには快活に手を振り、アンジーには不機嫌そうな顔で手招きすると、『ビッグ・ハリーの道具箱』を後にした。後は帰るだけだ、と思ったところで、再びランバートが勝手に飛び出す。「ランバート!」とキキが叫んだ頃には、ランバートはよたよたと近くの草むらに突っ込んで見えなくなってしまった。慌てたキキが草むらをかき分け、アンジーも手伝おうとする。ランバートは程なくして自分から草むらから出てきたが、頭には枯れ草が引っかかっていて、その手にはごく小さな白い花が握られていた。アンジーがまあ! と小さく声を上げた。
「お花だわ。こんなところに咲いていたのね。見たことがない種類よ。きっと高価に違いないわ」
「ランバート、どうしてそれを?」
「キキ、プレゼント」
ランバートは例の甲高い音声で短く言うと、右手に握った花をぎこちなくキキの方へと差し出す。キキは思わずそれを受け取ってから、じっくりと一度も見たことはない花――そもそも、花の存在自体が希少であるあまり、キキは生まれてこの方花を見たことがなかった――を観察した。アンジーも顔を寄せて花を観察し、それからランバートに向き直って、
「あなた、キキのことが大好きなのね」
と言った。ランバートは頷いたのか不具合なのか、ガクガクと揺れた。キキはそれでも花を見つめたまま、人間みたいなロボットだ、と思う。自分の意志を持ち、命令には従わず、自由気ままに動いている。花からランバートに目線を上げると、そこにいるのは確かに四角いブリキのロボットで、人間ではないのだ。キキは戸惑いながらも「ありがとう」と小さく言うと、その花をどうするべきか迷ってから、耳に挟むことにした。そうでもしなければ、潰れて粉々になってしまうかもしれないと思ったのだ。
「キキ、それ、似合うわ」
アンジーは心底楽しそうに言う。キキは不思議な気持ちになった。今までにそんな気持ちを味わったことがないから、キキにはそれが嬉しさなのか、楽しさなのか、困惑なのかが分からなかった。いろんな感情をごちゃまぜにしたような感覚だ。キキはとにかくランバートをもう一度抱きかかえると、
「あんまりいろんなところに行っちゃダメだよ」
とたしなめた。それでもランバートは、表情が変わっていないのにも関わらずどこか嬉しそうだった。
「ねえ、わたし、あのゲームセンターに行きたいの。いいかしら」
普段ならば一秒で断りそうなアンジーの控えめな申し出に、キキが仕方なく頷いたのはランバートの引き起こした謎めいた感情のせいだった。結局その日、キキはアンジーをいつものゲームセンターに案内し、アンジーにゲームの遊び方を教えた。アンジーは最初は手酷く負けていたが、キキにコツを教わったり、キキが遊んでいるところを見たりして学んだのか、夕暮れ時にはそこそこのスコアを出せるようになっていた。西日がゲームセンターに差し込み、眩しさに筐体の画面が認識できなくなった頃に、アンジーは困ったように俯いた。いち早くそれに気づいたのは筐体の上に座っていたランバートで、「アンジー、カナシイ」という声でキキもアンジーの方を向いた。
「どうしたの」
キキが聞くと、アンジーは俯いたまま眉根を下げていた。「家に帰らなくちゃいけないから」、とアンジーは消え入りそうな声で言う。
「お母さんに怒られちゃうわ。学校に行かなかったなんて」
「どうして怒られるの?」
「ちゃんとしなきゃいけないからよ」
「学校に行くことがちゃんとすることなの?」
「そうよ。お母さんにとってはね」
「アンジーにとっては?」
キキは筐体に頬杖をついて、続きを聞いた。アンジーは少し驚いたようにキキを見て、それからもう一度顔を伏せる。
「…わからないわ」
「アンジー、イッショ、カエル」
今にも泣き出しそうなアンジーに、ランバートは突然声をかけた。それにはアンジーよりもキキが驚いて、「帰るって、うちに?」とランバートに聞く。ランバートは再び誤作動のようにガクガク頭を震わせた。アンジーの目には少しばかり希望が宿っていて、キキはそれを見ると、しばらく逡巡したあとに「もうっ」とやり場のない怒りを吐き出す。
「仕方ない。うちに来てもいいよ。でもアンジー、それはあなたが決めたことだからね。あなたの家の事情に、わたしを巻き込まないで」
アンジーの顔がぱっと明るくなり、続けてアンジーはわかった、と強く頷いた。それを見て、キキはまたため息をつきながらショルダーバッグから工具を取り出し、筐体を開きにかかる。
そんな平和な日々が、今日限りのものであるとは、誰も気づいていなかった。