第三十三章
「…キャシー?」
出会った頃のようにフラットなその合成音声に、アンジーは持っていたライフルを危うく取り落としそうになった。キャシーはアンジーを見るとそっと表情を変えて微笑み、「わたしは家政婦型アンドロイドRX-505型です。大変申し訳ありませんが、キャシーという人物は存じ上げません。どのようなご要件でしょうか」とすらすらと続ける。アンジーは絶望的な顔で数歩キャシーに近づくと、「キャシー、わたしよ。アンジーよ」と震える声でキャシーに語りかけた。
「データをインプットしました。呼称に特別なご要望がありましたら、お申し付けください。わたしの持ち主はどなたでしょうか」
「キャシー、どうしちゃったの」
ついにキャシーに走り寄り、その両腕にすがりついたアンジーはまた泣き出していた。キキとケルビンはその状況にどう言葉をかけていいものか思案していたが、アンダーソンは無遠慮に、それでいて寂しそうな顔で「初期化されてしまってるね」と言った。すがりつくアンジーに、キャシーは戸惑うことなく「何か問題を抱えていらっしゃるのですね」と優しそうな声を出したが、アンジーの涙が止まることはなく、そのせいでアンジーは何も喋ることができなくなっていた。黙ってしまったキキとケルビンを見て、アンダーソンは「信じられないかもしれないけど」とキャシーに少し近づく。
「キミは昔、ボクたちの仲間だったんだ。キミの当時の名前はキャシー。自我を持っていて、そのアンジーという子を大変大切に思っていたんだよ」
「アンドロイドは自我を持ちません。また、データに残っていない記録を信じることもできません。ですが、わたしの持ち主はこの少女だったのですね?」
「キャシー、違うの。わたしはあなたの持ち主なんかじゃなかったわ。お友達だったのよ」
しゃくり上げながらなんとか言葉を紡いだアンジーの頭を、キャシーはそっと撫でながら「かわいそうに」と慈悲に満ちた声で言った。アンジーとキャシーの関係をある程度知っていた人間として、どんどん居心地が悪くなっていたケルビンは、キキを見て「どうにかならないのか」と少し不安げな声を出す。キキは同じように眉を下げ、困った表情でケルビンを見上げながら、「キャシーのデータのバックアップはどこにもないんだ」と言った。ケルビンはその言葉に大いに失望したのか、思わず両肩を下げていた。キキはそこでようやくアンジーの隣まで進み出ると、アンジーの肩に手を置き、キキを見たアンジーに首を振ってみせる。「今はどうにもできない」とキキが言うと、アンジーは「そんなことないわ!」と珍しく大きな声を出した。
「キャシーには絶対記憶が残っているはずよ。あんなにたくさんいろんなことを一緒に乗り越えたの。自我だって獲得できたのよ。キャシーにはそれだけの力があるはずだわ」
「アンジー、アンドロイドのデータと人間の記憶はまったくの別物なんだよ。『初期化』っていうのは文字通りキャシーを新品の状態に戻すことなんだ。データは抹消することができてしまう」
食い下がるアンジーにキキはそう説明したが、アンジーは納得しなかった。「絶対にありえないわ」とアンジーはキャシーを見上げて言う。
「キャシーがすべて忘れてしまうなんて、絶対にありえない。わたしはキャシーを信じてる」
自分に言い聞かせているのか、キャシーに言っているのか分からない声音でアンジーはそう続けると、「絶対に元に戻してあげるからね」と再び大粒の涙を流しながら言い、その場に崩れ落ちて泣いた。キャシーはへたり込んでしまったアンジーを介抱するようにしゃがむと、そのまま抱きとめて頭を撫で続ける。それからキャシーは顔を上げ、「わたしには持ち主が必要なのです」とケルビンを見た。この中で唯一、人間の大人だったからだ。「便宜上、アンジーを今のキャシーの持ち主にしよう」と答えたのはキキだった。
「アンジー、話を聞いて。これからどうなるかわからないけれど、それまではアンジーがキャシーのことを守ってあげられる?」
へたり込んだアンジーに目線を合わせるようにキキもしゃがみ込むと、アンジーは泣きはらして真っ赤になった顔でキキを見る。アンジーはそこで少し泣き止むと、「わたしがキャシーを守るの?」と聞き返し、キキは力強く頷いてみせた。アンジーはしばらく呆然とし、それでもまた流れ出した涙を延々と両手で拭きながら「わかった」と嗚咽しながら小さな声で言った。「じゃあ、そうプログラムするから」とキキはアンジーの傍を離れると、キャシーに「持ち主のデータと名前をインプットするね」となるべく簡潔に伝える。「承知致しました」と同じように簡潔に答えたキャシーの背後に回ったキキは、キャシーの着ていた洋服を少し捲り上げると、背中にある小さなパネルを開いた。パネルを開いた先にはディスプレイと簡単な入力装置がついていて、黒い画面に緑色の文字が表示されている。祖父がアンドロイドの設定を行っていたところを何度も見たことがあったが、キキ自身がそれに挑戦するのは初めてだった。とはいえ、キキはもう昔のキキではなく、素早くその仕組みを理解すると、キャシーに『キャシー』という名前を与え、アンジーを持ち主として登録する。パネルを再度閉めて、キャシーの洋服を丁寧に元に戻すと、大人しくしゃがんでいたキャシーは無表情になって少し固まってから、スムーズに表情を変換して微笑んだ。
「登録を確認しました。わたしはキャシーですね。アンジー、これからよろしくお願いいたします」
キャシーがそう言い、寂しそうな顔のままのアンジーが何か答えようとしたとき、全員の背後のドアが大きく開いた。「やあ!」というその声に、状況を理解していないキャシーと涙でボロボロになっていたアンジー以外の三人が過敏に反応し、それぞれ銃を構える。ドアの先にはレイダーボットが二体狭そうに立っていて、声の主――もちろんドクトルだった――はそのレイダーボットの間に身体を押し込むようにして前に出ると、「まったく予想通りの展開だ」と嬉しそうに言った。そのドクトルの口調は、キキを勧誘しに来たドクトルとまったく変わっていなかったが、ドクトルの衣服はすべて新品同様のものに変わっていた。ドクトルはキャシーとアンジーを見ると、「すまないことをしたね」と心にも思っていないことを言い、大袈裟に悲しそうな顔をしてみせた。
「必要なことだったんだ。そしてこれからも、我々にキャシーは必要だ」
そう続けるドクトルに、アンジーは敵意をむき出しにした顔で遅れてライフルを構える。ドクトルは「だから、君たちは少し物騒なんだよ」と笑ったが、すぐに真剣な顔になって「だが今我々が最も必要としているのは」と言ってから、右腕をすっと伸ばしてキキに人差し指を向けた。
「キキ、君だよ」
「そんなにすべてがあんたの思う通りに行くと思う?」
キキは険しい顔でドクトルを睨んだが、ドクトルは大袈裟に片手を額に当て「高度なアンドロイドだというのに、状況把握能力が欠如しているとしか思えないね」とわざとらしいため息をついた。そして、キキはそれを簡単に否定できないでいた。背後にはレイダーボットが二体いる。この部屋に他の出入り口はない。逆らえば、蜂の巣になるだけだ。ドクトルは思考を巡らせているキキを一瞥すると、ニヤリと笑ってから「全員を捕縛しろ。そのアンドロイドだけは別だ」と高らかに宣言する。そこでレイダーボットが二手に分かれ、間から二足歩行型のロボットが人数分ずんずんと部屋の中に入り込んできた。ロボットはそれぞれの腕を掴むと、一人ずつ部屋から運び出していく。ケルビンとアンダーソンはそれぞれ「離せ!」と叫んで抵抗しようとしていたが、キャシーとアンジーはただただ運び出されて行くだけだった。部屋に取り残されたキキは、更に別のロボットに右腕を掴まれる。
「君はVIP扱いだよ」
ドクトルはにやりと笑うと、ロボットを先導するように部屋を出た。




